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「結論から言うね」とキミは言った。  作者: 陸無ふき
第二章 色づき始めた世界
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第三十五話 コイントス

「死を、間近に感じた時だよ」


 ノクスの言葉が、しばらく頭の中に残っていた。


 死を間近に感じた時。

 さっきの草原で、僕の胸の奥へ流れ込んできた感情を思い出す。


 怖い。

 痛い。 死にたくない。 助けて。

 もしかして、あれが「揺らぎ」なの?


 あの時、僕の身体に何が起きたのか。

 聞きたいことは、まだいくつも残っていた。

 けれど、それより先にノクスが口を開いた。


「ところでさ」


 椅子の背にもたれたまま、僕とセインを交互に見る。


「君たちも、俺たちの仲間にならない?」

「断る」


 答えたのはセインだった。

 あまりにも早い返事に、ノクスは一瞬だけ目を丸くする。


「即答なんだ」

「俺たちには、行かなければならない場所がある」


「へえ。どこ?」

「それを君に話す必要はない」

「そっか。残念」


 ノクスはそれ以上追及することなく、肩をすくめた。


 その時、外から聞き慣れた声がした。


「アイルー!」


 振り返ると、治療を終えたルミアとリラがこちらへ歩いてきていた。


 リラの足には白い布が巻かれている。まだ少し痛むのか、歩き方もいつもよりぎこちない。


 それでも僕たちの顔を見ると、いつものように笑って片手を上げた。


「お待たせー」

「リラ、もう大丈夫なの?」

「うん。これくらいへーきへーき」


 そう言って笑うリラを見ていたセインの表情が、わずかに曇った。


「……リラ」

「ん?」

「君は、ここに残れ」


 リラの笑顔が止まった。


「……え?」


 僕も思わずセインを見る。


「ちょ、ちょっと待ってよ。急に何を言って——」


「急ではない」


 セインはリラから目を逸らさなかった。


「やはり、俺たちの旅は危険すぎる」


 リラの視線が、自分の足へ落ちる。


「君は俺たちと出会って、まだほとんど時間が経っていない。それなのに、もう命を落としかけた」


「……そっか」


 リラは、小さく笑った。

 その声は、いつものようには弾んでいなかった。


「そういうことなら、ここにいた方がいいのかもね」


「リラ……」


 ルミアが心配そうに名前を呼ぶ。

 けれど、リラは顔を上げなかった。


「あはは。大丈夫だよ」


 いつものように笑う。

 なのに、なぜだろう。

 その笑顔が、いつもとは違って見えた。


 しばらく重い沈黙が続いたあと、ノクスがそれを振り払うように手を叩いた。


「まあまあ。俺は仲間が増えることは大歓迎だよ。でも、今、決めなくてもいいんじゃない?」


 みんなの視線がノクスに向く。


「もう日も暮れる。怪我人もいるし、君たちも疲れてるだろ?」


 崩れた壁の向こうでは、空が赤紫色に染まり始めていた。


「今夜はここに泊まっていきなよ。答えは明日の朝でも遅くない」


 セインはしばらく黙っていた。

 やがて、小さく息を吐く。


「……そうだな」

「決まり」


 ノクスは満足そうに笑った。

 その横で、リラだけが黙って自分の足元を見つめていた。



 ◆



 夜になっても、私はなかなか眠れなかった。

 崩れかけた窓の向こうから、冷たい風が入り込んでくる。


 昼間はあれだけ人の声が響いていた村も、今はすっかり静かになっていた。


 時折聞こえるのは、外で燃えている薪の音と、遠くを歩く誰かの足音だけ。


 薄い毛布の中で身体を丸めながら、私は隣に目を向けた。リラは、私に背を向けて横になっている。


「……リラ」


 返事はなかった。

 もう眠っているのかな。

 そう思って、目を閉じようとした。


「なーに?」


 突然返ってきた声に、身体がびくりと震えた。


「起きてたの?」

「うん。なんか眠れなくて」


 リラはそう言って、こちらへ寝返りを打った。

 暗くて、顔はよく見えない。


 でも、いつものように笑っていることだけは分かった。


「ルミアも?」

「……うん」

「そっか」


 それきり、また静かになった。

 聞きたいことがあった。


 明日の朝になれば、リラはここに残ってしまうかもしれない。


 そう思うと、胸の奥が苦しくなる。


「ねえ、リラ」

「んー?」

「……ここに残りたい?」


 リラは、一瞬だけ目を見開いた。

 それから、いつものように笑った。


「残った方がいいんじゃない?」

「聞いてるのは、そうじゃないよ」


 リラの笑みが止まった。


「リラが、どうしたいのか聞いてるの」

「……」


 リラは天井へ視線を戻した。

 穴の空いた屋根の向こうで、小さな星が瞬いている。


「分かんない」


 ぽつりと、小さな声が漏れた。


「今日、ロアンって人が死んだでしょ」

「うん……」

「ダリオも、エルンも怪我した。あたしも怪我した」


 リラは毛布の下で、自分の足に触れた。


「ルミアも、あたしを助けようとして危なかった」


「それは私が——」

「分かってるよ」


 リラは私の言葉を遮った。


「誰が悪いとかじゃないって、分かってる」


 少しだけ間が空く。


「でもね」


 リラの声から、笑いが消えた。


「あたしがいると、また誰かが止まっちゃうかもしれない」


 胸の奥が、きゅっと締めつけられる。


「また誰かが、あたしのせいで——」

「リラ」


 私は身体を起こした。


「それ以上は、言わないで」

「……どうして?」

「私が嫌だから」

「え?」

「リラが、自分のせいだって言うのが嫌」


 毛布の上で、ぎゅっと手を握る。

 うまく言葉にできない。

 でも、言わなきゃいけない気がした。


「今日、私が怖くて動けなかった時、手を引いてくれたよね」


 リラは黙っている。


「怖かったけど、リラがいてくれて嬉しかった」


 私は少しだけ笑った。


「だから、迷惑じゃないよ」


 リラは何も言わなかった。

 しばらくして、その口元がほんの少しだけ震える。


「……ルミアってさ」

「うん?」

「結構ずるいね」

「えっ?」

「そんなこと言われたら、残りにくくなるじゃん」


「じゃあ、一緒に来ればいいよ」

「それ、セインに怒られるよ」

「その時は、一緒に怒られよう」


 リラは一瞬ぽかんとした。

 それから、堪えきれなかったように笑った。


「……あは。なにそれ」

「変だった?」

「ううん」


 リラは目元を拭うように腕を動かした。


「ちょっとだけ、楽しい」


 私も笑った。

 今度のリラの笑顔は、昼間に見たものとは少し違って見えた。


 しばらく、二人で何も言わずに天井を見つめた。


 やがて、今度はリラが口を開く。


「ねえ、ルミア」

「なに?」

「ルミアは、なんで聖都にいくの?」


 突然聞かれて、私は少しだけ考えた。


「私も、リラと同じだよ」

「同じ?」


 リラがこちらを見る。


「誰か探してるの?」

「うん」


 私は小さく頷いた。


「探してるのは、昔の自分」

「……昔の、ルミア?」

「うん」


 私は穴の空いた屋根の向こうへ目を向けた。


「私、昔のことをほとんど覚えてないの」


 自分がどんな子だったのか。

 何が好きで、何が嫌いだったのか。

 誰と笑って、何に怒って、何を悲しいと思っていたのか。


 それに、アイルのことも。

 それすら、まだよく分からない。


「だから、探してるの。昔の私を」

「そっか……」


 リラはしばらく黙っていた。


「見つかるといいね」

「うん」

「昔のルミア」

「……うん」


 私は少しだけ笑った。


「リラも、見つかるといいね」

「え?」

「探してる人」


 リラは一瞬だけ目を丸くする。

 それから、静かに笑った。


「そうだね」


 再び、部屋の中が静かになった。

 しばらくして、リラがぽつりと呟く。


「今日の村ね」

「うん?」

「ちょっとだけ……昔を思い出した」


 私はリラを見た。

 でも、それ以上は聞かなかった。

 リラも、それ以上は話さなかった。

 ただ二人で、穴の空いた屋根の向こうにある星を見つめていた。



 ◆



 翌朝。

 出発の準備を終えた僕たちは、村の外れに集まっていた。


 ノクスは少し離れたところで腕を組み、僕たちの様子を眺めている。


 その中で、セインとリラだけが向かい合っていた。


「考えは変わらない」


 セインは静かに言った。


「君はここに残るべきだ」

「うん」


 リラは素直に頷いた。

 僕は少し驚いた。

 けれど、リラはそのままポケットへ手を入れる。


「だから、決めよう」


 取り出したのは、一枚のコインだった。

 朝日に照らされ、小さく光る。

 セインの眉が動いた。


「……また、それか」

「また、これ」


 リラは楽しそうに笑った。


「表なら、あたしはここに残る」


 コインを親指の上に乗せる。


「裏なら、みんなと一緒に行く」

「待て。なぜ俺がそんな——」

「怖いの?」

「何?」

「負けるのが」


 セインの眉間に皺が寄った。


「……いいだろう」

「セイン!?」


 僕の声を無視して、セインはリラを見据える。


「ただし、一度だけだ」

「もちろん」


 リラはニッと笑った。

 その横で、ルミアも静かに見守っている。


「じゃあ、いくよ」


 リラの親指が動いた。

 キンッ、と澄んだ音を残して、コインが朝の空へ高く舞い上がる。


 光を反射しながら何度も回り、やがて落ちてきたそれを、リラは手の甲で受け止めた。


 もう片方の手で覆う。

 辺りが静かになる。


「開けるよ?」

「早くしろ」


 リラはゆっくりと手を退けた。

 朝日に照らされたコインが姿を現す。


「……裏」


 僕が呟いた。

 リラは一瞬だけ目を見開いた。

 そして、次の瞬間。


「やった!」


 その顔いっぱいに笑みが広がった。


「……くっ」


 セインは露骨に顔をしかめる。


「約束だよ、セイン」

「そんな約束をした覚えはない!」

「負け惜しみー!」

「違う!」


 二人の声が、朝の廃村に響いた。

 僕は思わず笑った。


 隣では、ルミアも小さく笑っている。

 ノクスはそんな僕たちを眺めながら、呆れたように肩をすくめた。


「変な連中だね、君たち」

「ノクスにだけは言われたくないよ」


 僕がそう返すと、ノクスは楽しそうに笑った。

 その隣で、リラは大切そうにコインを握りしめていた。


 昨日とは違う、本当に楽しそうな笑顔で。

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