第三十四話 黄金の国
森の中に、誰の声も響かなかった。
「戻って死ぬか」
「俺たちと一緒に、神と戦うか」
ノクスが突きつけた二つの道を前に、騎士たちは黙り込んでいた。さっきまで同じ白い鎧を纏い、同じ剣を振るっていたはずなのに。
今は、互いの顔を見つめる者もいれば、俯いたまま動かない者もいる。
「……俺は、戻る」
やがて、一人の騎士が口を開いた。
「神託に背くことなどできない」
その声は、震えていた。
ノクスは何も言わない。
ただ、いつもの軽い笑みを浮かべながら、その騎士を見つめていた。
「ほかは?」
再び、沈黙が落ちる。
「……俺は」
別の騎士が、ゆっくりと顔を上げた。
「死にたくない」
しばらく、ノクスは騎士たちを黙って見つめていた。それから、静かに口を開く。
「そっか」
ノクスは、戻ると答えた騎士たちへ目を向けた。
「止めはしないよ。君たちがそう決めたならね」
それから、残った騎士たちを見回す。
「じゃあ、俺たちは行こっか」
「行くって、どこに?」
ノクスは戸惑う僕を見ると、優しく微笑んだ。
「この先に、俺たちの基地がある。君たちも一緒に来るといい」
「基地……?」
戻ることを選んだ騎士たちは、傷ついた仲間に肩を貸しながら、来た道へと歩き始めた。
「本当に……行かせるんだ」
戻れば神託に殺される。
そう言ったのは、ノクス自身なのに。
「決めたのは彼らだ。俺はそれを尊重するよ」
それから僕たちは、ノクスとその仲間たち、そして残ることを選んだ数名の騎士と共に森を抜けた。
しばらく進むと、遠くにいくつかの家の影が見えてきた。
「あれは、村か?」
セインの言葉に、ノクスは前を向いたまま答える。
「前まではね」
「前までは……? どういう意味だ?」
村へ近づくにつれ、その言葉の意味が少しずつ分かってきた。
屋根の崩れた家。
黒く焼け焦げた柱。
草に埋もれかけた道。
とても、人が暮らしているようには見えない。
けれど、その廃墟の間を、剣を携えた人たちが行き来していた。
「ここが……基地?」
「そう。俺たちの前哨基地」
ノクスはそう言って、崩れかけた村を見渡した。
「ここは、少し前に騎士団に滅ぼされた村だよ」
「ひっ……」
その時、僕の後ろから小さな声が聞こえた。
振り返ると、リラの身体がわずかに震えている。
「リラ……?」
「う、ううん。なんでもない」
リラはそう言うと、すぐに顔を伏せた。
「怪我人はこっちだ!」
少し離れたところから声が飛ぶ。
振り向くと、村の奥にある比較的形の残った家へ、負傷した男たちが次々と運び込まれていた。
「エルンとダリオも行って。あと、その子も」
ノクスはそう言って、リラに目を向ける。
「えっ、あたし?」
「足、怪我してるでしょ」
「あ、うん……」
リラは珍しく素直に頷いた。
「私も一緒に行く」
ルミアはそう言って、リラの身体を支える。
「ありがとう、ルミア」
二人はゆっくりと、怪我人が運ばれていく家へ向かった。残ることを選んだ騎士たちも、ノクスの仲間に連れられ、別の建物へと歩いていく。
僕は改めて、辺りを見回した。
遠くから見た時は、ただの廃村にしか見えなかった。
けれど、よく見ると崩れかけた家々の間には荷物が積まれ、武器や食料らしきものも運び込まれている。
焼け焦げた村の中で、ここだけがまだ生きているように見えた。
「さてと……」
ノクスが僕たちを振り返る。
「君たちも、少し休んだ方がいい」
「その前に、聞きたいことがある」
間髪入れず、セインが言った。
ノクスは一瞬だけ目を丸くする。それから、楽しそうに笑った。
「いっぱいありそうだね」
「当たり前だ」
「じゃあ、中で話そっか」
ノクスは近くにあった一軒の家へと歩き出した。
壁の一部は崩れ、屋根にも大きな穴が空いている。それでも、中には古びた机と椅子が残されていた。
ノクスは椅子を引くと、そこへ腰を下ろす。
「さあ、何から聞きたい?」
僕はセインと顔を見合わせた。
聞きたいことは、たくさんあった。
さっきの騎士たちのこと。
神と戦うという言葉の意味。
そして——。
「ノクスたちは……何者なの?」
僕がそう聞くと、ノクスは少しだけ目を細めた。
「俺たち?」
それから、いつもの軽い笑みを浮かべる。
「俺たちは黄金の国だよ。まあ、教会からは『神殺しを企てる異端者』なんて呼ばれてるけどね」
「リ・オール?」
「ちょっと待て!」
首を傾げる僕を横目に、セインは一歩前に出た。
「それよりも、神を殺すとは、どういう意味だ!?」
「いや、そのままの意味だけど……」
「そんなこと、できるはずがない」
「かもね」
ノクスはまた軽く笑う。
「でも、俺のボスは本気でそう考えてるみたいだよ」
僕とセインは黙って顔を見合わせる。
「なぜ、神を殺す?」
「なぜってそりゃあ……」
ノクスは崩れた壁の向こうへ目を向けた。
焼け落ちた家々が、その先に広がっている。
「君たちは、これが正しい行いだと思うのかい?」
「……正しいとは、思わない」
「だよね」
ノクスはしばらく廃村を眺めていた。
やがて、ぽつりと言う。
「俺たちはね、この世界は人間のものだと思ってる」
「人間の……?」
「人間が生まれて、人間が生きて、人間が死んでいく世界だ。だったら、その世界を支配するのも人間であるべきだろ?」
セインの表情が険しくなる。
「まさか……」
「天上の玉座から、神を引きずり下ろす」
ノクスは笑った。
「そして、その玉座に新たな人間の王を座らせる。それが黄金の国の目的だよ」
「人間の……おう?」
聞き慣れない言葉に、僕は首を傾げた。
「ああ。王っていうのは、人々を統べる者のことだよ」
ノクスは少し考えるように視線を上げる。
「今でいうと……神みたいなものかな」
「神の代わりに、人間が……」
そんなこと、考えたこともなかった。
生まれた時から、神はそこにいるものだった。
神託を与え、人々を導くもの。
その場所に、人間が座る。
すぐには、その光景を想像することすらできなかった。
「誰を、その王にするつもりだ?」
セインが低い声で問いかける。
すると、ノクスはニヤリと笑った。
「おっと。これ以上は機密情報だ」
「ここまで話しておいてか?」
「ここまで話したから、だよ」
「……ふざけるな」
セインは不満そうに眉をひそめた。
けれど、僕にはもう一つ、どうしても聞いておきたいことがあった。
森の中。
剣を喉元に突きつけられ、震えていた騎士。
その姿を見つめながら、ノクスが口にした言葉。
「待って」
「ん?」
「さっき言ってた……『揺らぎ』って、なんのことなの?」
ノクスは一瞬だけ目を丸くした。
「ああ……あれか」
椅子の背にもたれながら、軽く腕を組む。
「まあ、俺も全部を知ってるわけじゃないんだけどね」
そう前置きしてから、ノクスは僕を見る。
「揺らぎっていうのは、一言で言えば、感情が昂ることらしいよ」
「感情の……昂り?」
嬉しい時。
悲しい時。
腹が立った時。
怖い時。
僕の頭の中に、これまで感じてきたいくつもの感情が浮かんだ。
「感情が大きく動く。それが、揺らぎ……」
僕がそう呟くと、ノクスは小さく頷いた。
「そういうこと」
「じゃあ、あの騎士に剣を向けたのは……」
「ああ」
ノクスの口元が、わずかに上がった。
「これは俺のボスの受け売りなんだけどね」
さっきまでの軽い声が、ほんの少しだけ低くなる。
「人が最も大きく揺らぐ瞬間を、知ってるかい?」
僕は黙って首を横に振った。
ノクスは、少しだけ目を細める。
「死を、間近に感じた時だよ」




