第三十三話 選択
——ようこそ。愚かな神託の結末へ
ノクスの哀しげな声が、森に響いた。
「はっ、はは」
「ざまぁ、みやがれ」
僕の後ろから、男たちの乾いた笑い声が聞こえる。
振り返ると、セインも、ルミアも、リラも、馬に乗ったまま黙って顔を伏せていた。
「リテルを探せ!」
男たちの笑い声に被せるように、ノクスの鋭い指示が飛んだ。
森の道には、何本もの大木が折り重なるように倒れていた。その向こうからは、微かなうめき声がまだ聞こえる。
「剣を抜け! 周囲に気をつけろ」
「まだ大半は生きている! 気を抜くな」
男たちは馬から降り、声を上げながら続々とそこへ向かった。
僕はただ、黙ってその様子を見ているしかできなかった。
僕の前にいたノクスは、突然振り返った。
「ところでー、君たちは?」
軽い声、それから綺麗で、整った顔立ち。
目が合うと、まるでその真っ黒な瞳に吸い込まれそうになる。でも、そんなノクスが、たった今、騎士たちを……
「んっ? 俺の顔に何かついてる?」
「えっ、いや、その」
後ろから、馬を降りたエルンとダリオがやってきた。エルンは傷口を押さえながら、荒れた息のまま呟く。
「この子たちは、森で……俺たちを、助けてくれた……」
ノクスは、エルンとダリオの傷に目を向ける。
「そう、だったのか」
ダリオの背中は、いつのまにか処置されており、血は止まっていた。
「二人とも、傷は大丈夫か?」
「ああ、問題ない」
「ところで、ロアンはどうした?」
ダリオとエルンの顔が僅かに強張った。それから、黙って下を向く。
「……そうか」
ノクスは、それ以上は聞かなかった。そして、再び倒木の向こうに目を向ける。
やがて、奥から荒ぶった男の声が聞こえた。
「ノクス! 奴には逃げられた!」
ノクスの指先が、ぴくりと動いた。それから、相変わらず軽い口調で笑う。
「ははっ。まあ、そんな簡単にはいかないか」
その時、セインが僕の隣に歩いてきた。
「奴とは、誰だ?」
その目はまっすぐノクスに向けられている。
「ん? あー、リテルのことか。奴は、教皇親衛隊の一人だよ」
「教皇、親衛隊……」
セインは低い声で呟く。
「もともと奴を殺すことが、目的の一つだった」
「殺すって……」
セインの表情が強張った。
「ん? そのままの意味だけど」
僕の額に冷たい汗が滴る。
「まあー、結果は見ての通り、逃げられちゃったけどね」
「そう、だったんだ」
僕の口からは、それしか出なかった。
「大体、親衛隊なんて名乗るなら、教皇の側で大人しくしてろよな」
そして、ノクスは倒木の向こう側へと向き直った。
「待て」
「ん?」
ノクスは振り返らない。
「つまり、もともと騎士たちをこの森に誘い込むことが目的だったのか? 俺たちを囮にして」
「ははっ。嫌な言い方をするねー。君たちを巻き込んだのは結果的にそうなっただけだよ」
「くっ」
セインは唇を噛んだ。
「ならば、なぜ、騎士たちが追ってくると分かった?」
「なぜって、そりゃあ……」
ノクスは、一呼吸置いた。
「神託は、絶対だからだよ」
ノクスはそう言い残し、折り重なった幹の脇を抜けていった。
「セイン、親衛隊って?」
ノクスの姿が見えなくなったところで、僕は聞いた。
「教皇親衛隊。神に選ばれた十人の騎士。この世で最も高潔な騎士たちだ」
「高潔な騎士って、もしかして……」
「ああ、親衛隊の隊長は、俺の兄だ」
セインは、ノクスが消えた倒木の向こうを見つめていた。
兄のことを考えているのか、それとも、その親衛隊を殺そうとしたノクスのことを考えているのか、僕には分からない。
僕も、倒木の向こうへ目を向けた。このまま、何も知らないふりはできない。視線を戻すと、セインと目が合った。
セインは、僕の考えを察したように無言で頷く。
「リラは、ここで待っていて。足を怪我してるし」
「えっ、う、うん」
「ルミアは、リラを診てあげて」
「……わかった」
それから、僕とセインはノクスの後を追った。
この先の光景を、見たくはなかった。
けれど。
「目を逸らしちゃいけない、気がするんだ」
僕がそう言うと、セインの眉がぴくりと動く。
「ああ……そうだな」
僕たちの視線の先には、倒木の間に倒れた騎士や馬の姿が広がっていた。
動かない者もいれば、地面にうずくまり、苦しげに呻いている者もいる。
その騎士たちに、ノクスの仲間たちは剣を向けていた。
森の両脇から出てきた仲間も加えれば、数十人はいる。
「ノクス……?」
僕は、前に立つノクスに問いかける。
「君たち、きたんだね」
ノクスは少し驚いたように振り向いた。
「彼らを、どうするの?」
僕の声が震えていることに、自分でも気づいた。
セインは僕の隣で、静かにノクスの答えを待っている。
「さあ、どうしようかな」
ノクスはそう言って、腰に下げた剣に手をかけた。カチャッ、と小さな金属音が響く。
「ひいっ」
騎士は、必死に絞り出したような声を上げた。
「お、おい、何をするつもりだ!」
セインは声を張り上げた。
すると、ノクスは立ち止まり柄から手を離す。そして、僕たちの方へ向き直った。
「こいつらは、君たちを殺そうとしたんだよ?」
ノクスの目が、わずかに鋭さを帯びる。
「そ、それは、そうだけど……」
「ロアンも、こいつらに殺された」
その声が、鋭く僕の耳に突き刺さる。
「それに……」
ノクスは、倒れた騎士たちに視線を向けた。僕は、ゴクリと唾を飲み込む。
「おい、もうその辺にしておけ」
突然、後ろから野太い声が飛んだ。振り返ると、そこにはダリオが立っていた。
「ははっ、冗談だよ」
ノクスはまた、軽い声でそう言った。
隣でセインの肩がかすかに震えている。僕も、まだ手の震えが止まらない。
だって、ノクスの目はちっとも笑っていなかったから。
「さあて、やるか」
ノクスはまた騎士たちに歩み寄る。
そして、一番近くに倒れていた騎士の目の前で立ち止まった。
「騎士のみんな、安心して。殺しはしないから」
地面にうずくまる、十数人の騎士たちの視線は一斉にノクスに集まった。
「か、神殺しを企む、異端者共め」
ノクスの眼下にうずくまる騎士が、声を振り絞る。
「神殺し、だと?」
セインは僕の隣で静かに呟いた。
「へー、俺のことを知ってるんだ」
ノクスは剣を抜いた。その切先を騎士の喉元に向ける。
「おいっ!」
セインが一歩踏み出す。その腕をダリオが掴んだ。
僕は、なぜか剣の柄に手をかけていた。けれど、その手は固まって動かない。
ノクスは、騎士の震える身体を確かめるように目を細めた。それから、ゆっくりと、妖しい声で囁いた。
「君、揺らいでるね?」
その時、森を風が駆け抜けた。木々がざわめき、枯れ葉が僕たちの間を舞った。
「な……なにを、言って……」
騎士の声は震えている。
ノクスは優しく微笑みかけると、奥に倒れる騎士に目を向けた。
「君たちはもう騎士団には戻れないよ。戻れば神託に殺される」
「だから……」
ノクスは、ひと息置いた。
「俺たちの、仲間にならないか?」
一瞬、森に静寂が訪れた。けれど、すぐに奥から騎士の声が飛ぶ。
「ふ、ふざけるな!」
「神に仇なす異端者が!」
ノクスはその声を一蹴した。
「いいよー別に、嫌なら戻って殺されるといい」
騎士たちの間に、小さなどよめきが広がった。
「君たちに残された道は、二つだ」
互いの顔を見つめる者もいれば、黙って地面に目を落とす者もいる。
「戻って死ぬか」
何人かの騎士の肩がわずかに震えた。誰も言葉を返さない。
「俺たちと一緒に、神と戦うか」
その一言に、森が再び静まり返った。




