第二十二話 祝福の名のもとに
アイルたちがマルク家を出発する数日前。
聖都アストレアにある騎士団本部の広場には、ヴァイス率いる「教皇親衛隊」のほか、世界中から選ばれた騎士数百名が集結していた。
白い石畳の広場では、十名からなる親衛隊を先頭に、騎士たちが寸分違わぬ正確さで整列している。
そして、正面に用意された壇上に、教皇オルディスが現れた。その瞬間、騎士たちは一斉に膝をつく。
オルディスは胸の前で手を合わせ、天を仰いだ。
「結論から述べる」
静まり返った広場に、オルディスの声が響く。
「あの神託の嵐以降、世界中に揺らぎが生まれている」
騎士たちの視線が集中する中、オルディスは静かに続ける。
「神は仰った。揺らぎはもはや鎮まらぬ。ならば……」
オルディスは一瞬、言葉を詰まらせた。
「ならば、揺らぎは全て抹殺せよと」
その瞬間、騎士たちは一斉に立ち上がり、両手を打ち始める。一拍のずれもない、完璧な喝采。
しかし、壇上のオルディスだけが、額に一筋の汗を浮かべていた。
それから、しばらく時間が経った頃。
聖都の中心、レーデル大聖殿の奥にある玉座の間には、いつもの静けさはなかった。
各教区から届く揺らぎの報告。そして、それに対処するための神託。
オルディスと側近たちは、世界中に広がり始めた異変を前に、休む間もなく動き続けていた。
玉座に腰を下ろしたオルディスの前に、一人の騎士が駆け寄ってくる。
「オルディス様。現状のご報告です」
オルディスが、静かに目を開くと、騎士は報告を続ける。
「あの夜、世界各地に響いた神鳴り以降、各教区でおびただしい数の揺らぎが確認されております」
オルディスは、伝令の騎士の言葉に静かに耳を傾けている。
「現在、その規模は聖都から離れるほど大きくなっているようです」
「そうか」
オルディスは小さく呟いた。
「そして、さ、最新の報告では……」
ここで、伝令の言葉が詰まった。
「なんだ?」
オルディスの目が、わずかに鋭さを帯びる。
「か、神殺しを掲げる、反教会勢力の活動も確認されております」
神殺し。
その言葉に、慌ただしかった玉座の間は、一瞬のうちに静まり返った。
「……神を、殺す、と言ったか?」
オルディスは、小さく呟いた。
「は、はい」
そんなこと、できるはずがない。
「そのような思想を持つこと自体が、信じ難い揺らぎだ」
「仰るとおりです」
「して、そ奴らは何者だ?」
「現在、調査中でございます。しかし、首謀者の特定には至っておりません」
「そうか……」
オルディスは、少しの間黙り込んだ。
「それで、例の少年たちはどうなった?」
「丘に赴いた騎士の報告では、少年の遺体は確認されておりません」
「神が遣わした、祝福の少女の行方は?」
「申し訳ございません。そちらも、現在足取りはつかめておりません」
「……彼女もか」
「現状の報告は、以上です」
「よろしい。下がりなさい」
伝令の騎士が去ったあと、玉座の間にはしばらく重い空気が漂っていた。
「神が示した最適な結論は、いまだ果たされていないというのか」
オルディスの声だけが、玉座の間に響く。
あの日から、世界は変わってしまった。
これまで、想像すらできなかった出来事や、新しい概念が次々と生まれている。
牙を抜かれていたはずの騎士団は、本来持つべきではなかった力を取り戻した。
さらには、神殺しなどという思想を掲げる者まで現れた。
だが、それでもこの美しい世界だけは、守らねばならない。
「フフッ」
この時、オルディスの隣から、小さな笑いが聞こえた。
オルディスは、玉座の傍らに控える声の主に目を向ける。
聖女ルチア。
この世界における、祝福と喜びの象徴。
「ルチアよ。何がおかしい?」
「何もおかしくありませんわ」
ルチアは上品に、口もとを隠しながら微笑む。
「お父様。神はまた、ワタクシたちに至上の喜びをお与えくださいましたね」
「至上の、喜びか」
「神が人々に与えるものは、慈悲と祝福のみですから。お父様もいつも仰っているでしょう」
「抹殺も、慈悲だと言うのか?」
ルチアはオルディスの言葉に、にこやかに答えた。
「ええ。揺らぎに苦しむ者を、神のもとへ還すのですから」
オルディスは、すぐには答えない。
ルチアは、何の迷いもなく微笑んだ。
「調律の儀と、何が違うのでしょう」
「ああ、その通り。これもまた祝福だ」
オルディスはそう言って、再び玉座の間を見渡した。
◆
マルクさんの家を出発した僕たちは、聖都を目指して歩いていた。
生産区とはいえ、あたりには畑もなく、ただ緑の草が生い茂る草原がひたすらに続いている。
セインが先頭を歩き、僕とルミアがその後に続いていた。セインは足を止めないまま、振り返る。
「アイル。傷は大丈夫か?」
「うん。もう大丈夫だよ。畑仕事のおかげで、体力も戻ってるし」
僕がそう言うと、セインはまた前を向き直した。
「そうか。だが、無理はするなよ」
「わかってる」
ふと、隣から視線を感じた。ルミアが心配そうな目でじっと僕を見つめている。
「ほ、本当に大丈夫だから!」
僕はわざと、手足を大きく動かして見せた。
「そ、それよりセイン。このまま東に進むの?」
僕の問いに、セインは前を向いたまま答える。
「ああ、このままさらに東に進み、山脈の端を目指す」
「そこから北を目指すんだね」
「そうだ」
そう短く答えたセインは、どこか浮かない顔をしているように見えた。
「教会の動きは、やっぱり気になるよね」
「ああ、できるだけ人目を避ける必要がある。マルクさんたちが、特別だっただけかもしれないからな」
僕は思わず後ろを振り返った。マルクさんの家はとっくに見えない。
ただ、風に揺れる草原だけが、どこまでも続いていた。
「マルクさんたちは、特別だったの?」
ルミアが、ふと呟いた。
セインは答えなかった。その沈黙は、僕の答えを待っているように思えた。
「わからない……」
ルミアは、この世界の普通を覚えていない。
僕たちが知っている、普通から見れば、マルクさんたちは特別だった。
「もしかしたら……」
二人の視線が僕に集まる。
「僕たちが知らなかっただけで、この世界にはああいう温かさが、あったのかもしれない」
「……そっか」
そう短く答えたルミアの声が、僕には少し嬉しそうに聞こえた。
しばらく歩いていると、遠くに山の影が見えてきた。
「セイン。あれが聖都を囲ってる山脈?」
僕は遠くに見える山々を指差した。
「いや、方角からして違う。それにあんなに標高の低い山ではない」
セインは、手に持った方位磁針を確認した。
「どうする?」
しばらく黙ったあと、セインは振り向き、僕の目を見た。
「せっかくの徒歩だ。迂回せずまっすぐ進みたいところだが、君の体力が心配だ」
「僕は大丈夫だよ、あれくらいの高さならね。ルミアは大丈夫?」
「うん。大丈夫」
ルミアは小さく頷いた。
「じゃあ決まりだ。まっすぐ進もう」
そう言って、セインは山に向かって歩みを進めた。
それから僕たちは、木々がうっそうと生い茂る山を登り始めた。
「斜面はそんなにキツくないね」
僕は、足もとに広がる落ち葉や、枝をしっかりと踏みしめながら、声をかける。
「ああ。だが、油断するなよ」
「ルミアは、大丈夫?」
「うん。私は平気」
しばらく山を登り続けると、次第に木々がその数を減らしてゆく。
西に傾き始めた陽の光が、木々の隙間から差し込んでいた。
「見ろ。山頂だ」
「もうすぐだね」
僕たちは息を切らしながらも、最後の斜面を登り切った。
木々がまばらになり、視界が一気に開けた。十九教区の景色が、眼下に広がっている。
刈り取られた小麦畑の跡がどこまでも続いている。
西陽を受けたその景色の間を、小さな小川が流れていた。
「……すごい」
ルミアはその景色に釘付けになっていた。
「見て、セイン。あそこに街があるよ」
僕は遠くに見える家々を指差した。
セインは少し目を細める。
「おそらく、マルクさんたちと同じように、小麦を育てている人たちが暮らしてるんだろう」
「マルクさんの家から、もうずいぶん遠くに来ちゃったね」
「当然だ。もう出発してから半日以上経っている」
その時だった。
セインが急に身を低くした。
「伏せろ」
僕とルミアも慌てて地面に身を寄せる。
遠くで、騎馬の大群が動いていた。馬の蹄の音が、風に乗ってかすかに聞こえてくる。
「あれは……騎士団だ」
「騎士団って、あの演舞を披露する人たち?」
「そうだ。大きな儀式や、祈りの場にしか姿を見せないはずだが」
騎士団は、まっすぐ街に向かって進んでいる。
「街に向かってるね。大きな儀式があるのかな?」
「生産区の街でか? それにしても、あの数は異常だ」
セインは手で口元を覆いながら、騎士団を見つめている。
「僕たちを探しに来た……?」
「その可能性は、否定できない」
「しばらく、ここで身を潜めた方が良さそうだね」
セインは小さく頷いた。
「ああ、今動くのは得策じゃない。街に近づくのは危険だ。それに、じきに陽が沈み始める」
セインは傾き始めた陽に目を向けた。
「それなら、今日はここで休もう」
僕の提案に、二人は同意した。
騎士団の目的は、僕たちを探すことなのか。
いや、それだけじゃない。
僕には、そんな気がしていた。




