第266階 ルージュ
そこは澄み切っていた。
雄大で何もかもが見渡せる、そんな錯覚を抱かせるほどに。
青を薄く引き伸ばして透明に近付けていくような。
人の知る、青く輝く宝石の様な星、『地球』
その雄大さが、熱に照らされ滲み出し、溶け込むような。
そんな空の次元を歩いていた。
ーー風変化
集然。
風以外の、今私に必要な時を超える術、重力を超越する術、
そんな仲間の様な術達が、沢山集まっていた。
そんな私の魔法を私は息を吸う様に使いこなせている。
私の足は、羽の生えた魔法の靴を身にまとう様に軽やかで。
すべての障害を取り払うかのように、歩数が自然と伸びていく。
足元に広がる国に、私は気持ちの雫をこぼれ落としそうな想いだった。
ここはかの西の大帝国の遥かな上空。
物理的にも次元的にも、私は軽やかに上昇している。
階段を踏みしめている感覚に近いけれど、足はとてもとても軽いわ。
くるんくるんと右手の人差し指を力を抜いて一回し、二回し発動
ーー心実常 ひとつ
世治。
この魔法のおかげでラナンでありアオナであり、
ハツミリア・ルイデだと認識される。
私は世界のすべてを騙せているかもとときどき思う。
そろそろ父と母に会う準備をしないと。
これまで生きた転生前の私は心も体も再現できる。
大切で大事に、過去の私達に深い愛を意識している。
心は永遠に紡がれている。
髪の色、背丈、血管の太さ、骨の強弱に瞳の色など、
どれだけ身体の細かな情報が変わっていこうとも。
ふと、不思議に囚われる。
いた、何かかがいた、それは人の一種類。
柔和な笑みで私に気付く、殺意も戸惑いもない。
私を歓迎するような笑みを持って。
こちらへ彼は微笑んだ。
紅い瞳に紅い髪、紅い刀、どこまでも紅が際立っている。
「この様な場所で、人語を理解できそうな
誰かに出くわすなんて。そんな奇跡の様な出会いがあるんだなぁと、
驚いたよ。私はルージュ。…私の名を聞くと驚くかな?」
優しい様な、人懐っこい様な、重みを深く呑み込んだ様な声で
子供の様に無邪気に笑っている。とても長身で、恵まれ過ぎている体格。
同時に隠しきれない武の重みが気となって波動となって私を貫く。
「私はラナン。何を驚くというのかしら
研ぎ澄まされた武にでも?」
彼はルージュは、明らかに目を丸くして驚いていた。
心底驚いている、こちらの感覚にとても近いほどに。
それは刹那の表情だった、すぐに無邪気な笑顔に戻った。
「貴女の様な武と無縁の御方が、
私の武に興味を持っていただけるとは」
あぁ、そういうことね。
名前は有名なのだろう。
「名を知らないなら良かった。私の敵ではないようだ」
そう言って視線を西の大帝国に一瞬落として戻す。
私は次の言葉を滑らせるのを控えた。
西の大帝国を見つめる瞳には炎が感じられた、憎悪のような。
「かつてここから更に西の地には、
美しい人々が仲睦まじく暮らす尊い種族があった。
信じられるかい?白い太陽によってすべて塗りつぶされてしまった……」
白い太陽、か。
重い、言葉が重い。
込められた思いが沈みを与える。
「人の営みは儚い。
一瞬の輝きを燃やし尽くす様に生きるわ」
私の言葉に彼は笑みをこぼした。
「あぁ、彼らは儚かった、一瞬だった、輝いて燃え尽きた。
貴女の言葉のとおりだ、ラナン」
涙が零れ落ちる。
彼はルージュは泣いた。
天を仰ぎ見ながら、死を尊ぶ様に。
「時は過ぎなかった。そう言えるほどに短い時間を
貴女と過ごせた。この時間はとても有意義だった。
貴女の道に幸と栄光と祝福を」
ルージュはそれから微動だにしないまま
西の大帝国を見つめていた。
私が通り過ぎる時に横目で見ているのにも気づかずに。
彼の力量なら気付きそうだと思った。
思いに囚われている。強く太く頑丈でそれでいて柔軟性に弾力性が強く
強い変化を与えても千切れない、そんな鎖の様な思いに。
私は彼を背後に感じながら、
次元の上へ上へと昇って行った。
お父さんは最上位に頂点にいるのだから。
そして憶えておこうかしら。
彼の燃え盛るような魔力を。
西の大帝国を見つめるあの紅い瞳を。
そのルージュという名を。
そして服の隙間から垣間見える
全身を蛇の様に這う、濃と薄の赤の絵画を。




