番外編2:漆黒に輝く翼(4)
自室へ戻る為の廊下をとぼとぼ歩いていた芙美香は、数人のネーデブルグ兵が行く手を塞いでいるのに気づいた。見回りの任についているにしては不自然だと思いつつ、脇を通り抜けようとすると、その中の一人が芙美香の腕をぐいと引いた。
「おいおい、俺達の戦巫女様は、下っ端の兵には挨拶も無しかよ」
「随分と横柄な戦巫女様なんだな」
芙美香を壁際に追い詰め、三人で取り囲んで、兵達は嫌味たらしい笑みを浮かべる。
「ほら、見てみろよ。ヴァルティルカで誰かさんが戦わなかったせいで、懸命に魔物と戦ったこいつは腕をやられちまった」
一人が仲間を指差すと、示された男は、包帯を巻いた左腕を振りかざす。
「……それで?」
彼らに視線をくれる事も無く、芙美香は嘆息した。
「『すいませんでした』って謝って欲しい訳?」
「ンだあ、その態度は!?」
「まあ、待てよ」
その反応が癪に障ったらしく兵の一人が激昂するが、怪我をした当の本人がそれを制して、芙美香に顔を近づけて来る。
「それだけ言うって事は、わかってるよなあ、どうすりゃいいか。戦巫女様だって女なんだ、女なりの癒し方ってもんが……があっ!」
にやにや下卑た笑いが、急に驚きと痛みの表情に変わってのけ反った。芙美香が、ポケットに忍ばせていたシャープペンシルを兵の額に思い切り突き立ててやったのだ。小さいが鋭く突いた傷は、相手の眉間からたらりと血の筋を流した。
「てめえ、女だと思って甘く見てりゃつけあがりやがって!」
すっかり頭に血の上った男共は、芙美香の胸倉をつかみあげる。が、背後からぬっと伸びて来た更に大きな手が、その腕をねじ上げた。
「いででででっ!」
「女一人に男三人で寄ってたかって、か。まったく、ネーデブルグ兵として恥ずべき行為だ」
兵達がさーっと青ざめて、手の主を振り返る。
「げっ、大猿……」
「ほう、その渾名を本人の前で言うとはなかなか度胸の有る奴だ。何なら、無事なそっちの右腕も使い物にならなくしてやっていいんだぞ」
男達はすっかり気圧され、狼狽えて、顔を見合わせると、
「しっ、失礼いたしました!」
その相手と芙美香それぞれに頭を下げて、一目散に廊下を駆け去った。芙美香はふうと息をつき、それから、助けに入ってくれた者を視界に映す。
女性だった。長い栗毛をすっきりとまとめ、大人の落ち着きと知性を備える緑の瞳が印象的だった。そして。
「……大猿……?」
思わず口に出して呟いてしまう程、そして男にも威圧感を与える程、彼女は大柄で、余裕に満ちたたたずまいをしている。
「ははっ、助けた相手にそれを言ってしまうとは、当代の戦巫女殿はなかなか肝の座った方と見える!」
芙美香の大猿発言に、しかし女性は怒る事もせず口を開けて盛大に笑い、それから右手を差し出した。
「ネーデブルグ騎士団第二十一小隊長、クラウディア・ナーシェだ」
「あ、瀬戸口芙美香……です」
握手を返すと、見た目通り、通常の女性より一回りは大きいがっしりした手が、芙美香の手を握りしめて来る。
「そんなにかしこまらないでくれ。私は堅苦しいのが苦手でね」
「あはは、実はあたしも」
芙美香が苦笑を見せると、クラウディアは白い歯を見せてにんまりと笑った。
「ならば尚更だ、お互い気楽にいこうではないか。芙美香、と呼んでも?」
「その方が気が楽。あたしも、クラウディアでいいかな?」
「無論だ」
クラウディアは恐らく芙美香より幾つか年上だろうが、別段気を悪くした様子も見せず、芙美香の申し出を気軽に受けた。
「しかしさっきの、あいつらの額を突いたのには吃驚したな。一体どんな武器を隠し持っていたのだ?」
クラウディアが興味津々に訊ねてくるので、芙美香は手にしていたシャープペンシルを彼女に見せた。カチ、カチ、とノックすると芯が伸びてくる仕掛けに、クラウディアは驚いた表情を見せる。これが武器ではなく筆記用具である事を証明する為、持ち歩いていた紙にさらさらと文字を走らせると、彼女は更に感心して、触らせて欲しいと手を出して来た。
己の手で芯を出し、紙に文字を書く。クラウディアは、初めて文明に出会った未開の地の人間のように目を真ん丸くし、それからぱあっと顔を輝かせて、芙美香を見下ろしてきた。
「凄い、凄いな! こんな便利な筆記具が芙美香の世界にはあるのか。これさえあれば、何度もペンにインクをつける手間など無く書類を書く事が出来る!」
「今は替えの芯が無いから、使い切っちゃったらそれっきりだけどね」
芙美香が肩をすくめても、クラウディアは興奮気味のまま、シャープペンシルをためつすがめつする。
「いやしかし、これをネーデブルグでも生産できれば、この世界の事務仕事は格段に能率が上がるに違い無い」
クラウディアがあまりに熱心に見つめているので、芙美香は笑いながら彼女に告げた。
「それ、貴女にあげるよ」
たちまち、子供のように嬉々とした緑の瞳が向けられる。
「いいのか!?」
「構わないよ。元の世界に帰れば、百円ちょっとで何本も買える物だし。目一杯研究して、ネーデブルグに普及させちゃって」
クラウディアは心底嬉しそうに頷くと、シャープペンシルを大事に懐に仕舞い込んだ。芙美香はそれを微笑ましく見守っていたのだが、不意に思い立って、
「その代わり、お願い」
クラウディアの腕をがしりとつかんだ。何事かと軽い驚きを宿す彼女の瞳を見上げ、芙美香は言葉を継いだ。
「あたしに、剣を教えてくれない?」
更に見開かれる緑の瞳から視線を逸らす事無く、芙美香は告げる。
「何も出来ない戦巫女って言われたくないの。戦巫女の力が無くても充分に戦えるようになりたい」
そして、にっと笑みを浮かべる。
「あたし、自分が負けず嫌いだって事を、ちょっと忘れてたわ」




