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第5章:抗戦 ――こうせん――(6)

 フォルティアとネーデブルグの連合軍がステアへ出発する朝を迎えた。

 いつも通り馬車に乗り込む前に、未来はファルスディーンの姿を探し出し、駆け寄る。

「ファル。あのね、昨日言い忘れたお願いがあるの」

「何だ、藪から棒に」ファルスディーンは一瞬きょとんとし、それから軽く笑む。「言ってみろ」

 ファルスディーンはカーレオンのようにさもしい対価を求めたりはしない。それを有難く、愛おしくすら感じながら、未来は己の希望を彼に告げた。聞いていたファルスディーンは、はじめは難色を示す表情をしていたが、やがて、自分がグランシャリオを有しているからこその役目なのだと理解すると、深く頷く。

「お前の望みはわかった。俺にできうる限りの事をしよう」

 これがまだ出会ったばかりの頃なら、『フォルティア王族は戦巫女の言葉を聞く』と、しぶしぶだったろう。態度の軟化が嬉しくて、くすぐったくて。しかしこの先の事を考えるとただ素直に喜ぶ事もできず、未来は笑顔になりそうなのを抑え、

「ありがとう。じゃあ、よろしくね」

 ちょこんと頭を下げると、ファルスディーンと別れて自分のいるべき場所へと戻った。


 連合軍は快進撃を続けた。戦巫女二人を擁した彼らの士気は高く、魔物を前にしても揺るがない。鬼神のごとく黒の長剣を振るう芙美香と、言葉ひとつで味方を守り敵を討つ未来の姿に、ステア正規兵は恐れをなし、セルマリア女王の怒りに触れる事さえ忘れ、あるいは敗走し、あるいは降伏した。

 カーレオン王は快勝にすっかり気を良くして、彼らの追撃、あるいは処断を命じたのだが、未来がそれをさせなかった。どの道先には死が待つばかり、と怯えるステア兵の手を取り告げる。

「あなた達をむげに殺したりはしません。セルマリア女王を、優しかったという元の女王様に戻して、皆が怯えなくていい世界にしてみせます。フォルティアとネーデブルグだけじゃなくて、ステアも救ってみせます」

 常時なら、小娘一人が何をと笑い飛ばされる台詞だったろう。しかし未来の言葉は、戦いの時のように不思議な力を持って彼らの心に沁み入った。実際、何らかの作用を持っていたのかもしれない。

 フォルティアの戦巫女の噂は、その言葉と共に瞬く間にステア国内に浸透し、やがて、正規兵で連合軍の行く手を塞ぐ部隊は無くなった。ある街では、兵を率いる将が丸腰で直々に未来に面会を求めて、

「どうかセルマリア陛下をお救いください」

 と、がっしりした手で握手されたりもした。またある街では、配備されていた魔物の群をステア兵も加わって討伐する事さえあった。

 敵はステア全てではない。最早連合軍にもその認識が生まれつつあった。もっとも、利己的なカーレオンあたりは、己の予定に無いとほぞを噛んでいたのだが。何にせよ、既に行く先を塞ぐ障害はほとんど無く、連合軍はステア首都エズリルに肉薄した。


 連合軍の接近が報告されても、エズリル城の謁見の間は、相変わらず陽の差さぬ暗さと重苦しい緊張に満たされていた。

「陛下あ。虫けらどもが、ぞろぞろとやって来ましたってよ」

 左腕と同じく、スティーヴに受けた傷もやはり何事も無かったかのように完治したヒューリが、相変わらず尊大な態度で女王に進言する。

「やっちゃいましょ」

 その言葉にセルマリアはやけにゆったりと頷き、いつも通り感情というものの微塵もこもっていない声色で、己の前にかしこまる将軍に告げた。

「バロック、残っている全戦力を用いて首都防衛にあたれ。最後の一兵まで退く事を許さん」

 それはつまり、死んで来いとも同義だった。表情を凍りつかせるバロックには気を留めず、女王は更に後方の利久に命じる。

「戦巫女はバロックを助けて遊撃にあたれ。その中で、敵の戦巫女なりフォルティアの王太子なりを討ち取れればそれで構わぬ」

 遂に訪れた姉との対決に、利久の横顔が強張るのが、バロックにもわかった。しかし利久は感情を抑え、無言で低頭する。

「陛下の御身は」

 いまだ残る忠誠心でバロックは問うた。だが。

「ヒューリがいる」

 女王からはやはり温かみの欠片も無い応えが帰って来るばかりだった。応じるように銀髪の少女がにやりと笑う。それ以上の問答は最早無意味と悟り、バロックは女王に頭を下げると、利久を促して謁見の間を退出した。

 重たい足取りで廊下を歩きながら、バロックは思い返す。

 セルマリアは常に冷静で、時に冷徹ではあったが、国民には大変慈悲深い女王であった。彼女がいつから豹変したのか。考えて、ひとつの事件に思い当たる。

 もう一年前だ。ステアの旧い神殿の奥から魔物が発生したと報告を受けたセルマリアは、王都の守りをバロックに託し、自ら兵を率いて討伐に向かった。しかし兵は全滅した。あの、ヒューリ・リンドブルムと名乗る娘が、瀕死の女王だけを連れて忽然と城に現れたのだ。傷が癒えた女王は、命の恩人としてヒューリを取り立て、不遜な態度にも関わらず重用し、彼女の意見以外を聞かなくなっていった。魔物が数を増し、反乱鎮圧の名の元に各地のほぼ無抵抗な都市を滅ぼす非情な命令を女王が下すようになった時期も重なる。

 ヒューリ・リンドブルムが全ての元凶。

 若い頃には戦馬鹿の名を戴いたほど戦いしか能が無いバロックでも、その結論には辿り着いていた。恐らく、隣を歩く少年もとっくに同じ考えに至っているだろう。

「姉君と戦うのは辛かろう」

 自分の子供とほとんど変わらぬ歳にして深い業を背負ってしまった戦巫女に、バロックは声をかける。

「エズリルは陥ちるだろう。これ以上ステアに義理立てする必要も無いのだぞ」

 首都を防衛する将としては万死に値する発言だろうが、目前に迫った事実に、バロックはこの少年を救う方法を模索していた。しかし利久からは、自嘲気味の言葉が返って来る。

「それができたらとっくにしています」

 彼の背後には、いまだにアルテムの人々の命がのしかかっている。どこまで誠実で、そして、不器用な少年か。苦渋に満ちた表情をするバロックに、利久は笑いかけた。

「もしそれをする時には、刺し違えてでもあの女(ヒューリ)を倒しますよ」

 バロックは目をみはり、この数ヶ月で息子のようにすら感じ始めた少年の背を、やや強く叩いた。

「では共に赴こう。最後の戦場に」


 エズリルでの決戦の火蓋は切って落とされた。フォルティアの青、ネーデブルグの白、ステアの赤。三国の色の鎧が入り乱れ、斬り結ぶ。最前線に飛び込んでグランシャリオを振るうファルスディーンの後から、黒の長剣を握り締めた芙美香が続く。

「皆を守って」

 未来の言葉はそんな彼らを敵の刃から守り、

「動きを止めて」

「武器を、折って」

 時に敵兵の戦力を無効化しながら、進み続けた。

 しかし戦況は唐突に変わった。連合軍がステア側を押し、エズリル城下に突入してしばらくした頃だ。誰かがそれに気づいて声をあげた。翼持つ魔物が城から放たれ、戦場に向かって来た。しかも彼らは、連合軍だけでなくステアの兵にまで、敵味方の区別無く襲いかかり始めたのだ。

「拒空の仕業か!?」

 飛びかかってきた魔物を斬り捨てながら我鳴るファルスディーンの声に、未来も表情を固くした。ヒューリ・リンドブルムが拒空と呼ばれる存在である可能性が高い事は、既に未来も聞いていた。彼女はいまだ城に――恐らくは女王の傍近くにいて、この戦いをせせら笑って見ているに違い無い。

「皆を守って!」

 未来は銀色の光に命じた。先ほどよりも強く。求める範囲も広く。途端に銀の壁が現れ、連合軍のみならず混乱し始めていたステア兵をも魔物の急降下から守る。

「殺させない!」

 きっと空を睨み、未来はいつに無く強気な調子で言葉を紡いだ。今まで以上に勢いのある銀の炎が空を走り、鋭い刃が放たれ、魔物達を焼き払い、あるいは貫く。攻撃を逃れた何匹かが慌てて飛び去ったが、追う余裕は無かった。すっかり戦意を喪失してしまったステア兵の間から、しかしいまだ尚戦う気概を無くしていない二人が進み出て来るのに気づいて、未来は息を呑み、ファルスディーンと芙美香が油断無く武器を構える。

「久しゅうございます、ファルスディーン王太子、そして戦巫女殿」

 こちらに敬意を払いながらも、あくまで大剣を手放さないバロック。そして。

「利っくん……」

 金色の双槍を手にした、利久だった。


 その頃、後方の本陣でどっかと腰を下ろし、近侍が淹れる茶さえ口にしながら、ネーデブルグ王カーレオンは、次々入って来る芳しい戦況報告に満足げに頷いていた。

「うむ、うむ。ステアの兵は一人たりとも逃がすなよ。最後の一兵まで根絶するのだ」

 奇しくも、敵女王と同じく、しかし全く異なるだろう思惑から、ステア兵の全滅を望む男は、次の瞬間、護衛の兵が空を見上げて発した声に、悠然とすすっていた茶を吹き出した。

「陛下、魔物です! 魔物がこの陣に向かって来ます!」

 皮肉な事に、未来が取り逃がして追わなかった残党がこんな後方にまでやって来たのだ。王の傍仕えとして、形ばかりごてごてしい白の鎧に身を包んだ、実戦経験もほとんど無い兵達は、慌てふためきながら各々の武器を手に取る。しかし、無駄に重い防具が邪魔をして思うように動けない。身軽に飛び回る魔物に翻弄されて、ばたばたとつんのめった。厚い装甲のお陰で、命まで奪われる事は無かったが。

 身辺を守る者がいなくなったカーレオンは、剣を抜く事も忘れ、座ったままがたがたと震えた。そこには最早、総大将どころか王族としての威厳も無かった。

 魔物が自分目がけて舞い降りて来た時、動く事を思い出したカーレオンが取った行動は、敵に背を向けて情けない悲鳴をあげながら走り出す事だった。しかし魔物がそれで狙うのを諦めるはずが無い。あっという間に行く手を塞がれ、鋭い爪がざっくりと喉から脇腹までを斬り裂いた。

 身体に走る熱を感じ、しかし急速に冷えてゆく。血を吹き倒れ込みながら、カーレオンは己の身を救う方法を必死に考えた。

 サフィニア。サフィニアはどこだ。あのろくに役立たぬ腹違いの妹。下っ端の兵など治していないで、この尊い兄の傷を癒せ。

 それから考える。グランシャリオがあれば。あの秘剣が今手にあったのなら、この場から逃げ出して事無きを得られただろうに。フォルティアの戦巫女を確実に手中に収める為だったとはいえ、ファルスディーンなどに渡すのでは無かった。

 がりがりと爪で地面を引っかき、永遠に意識が途切れる寸前まで、愚鈍な王は声にならない怨嗟の言葉を吐き続けた。

 呪われろ。セルマリアも、サフィニアも、ファルスディーンも、戦巫女も。我が覇道を塞いだ者は皆、呪われるが良い、と。

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