第5章:抗戦 ――こうせん――(5)
スティーヴ・マクソンは王太子の護衛騎士筆頭とはいえ、身分はあくまで一騎士で、ファルスディーンの乳母であった母親も引退して久しいので、国葬は行われず、曇天の下、城下街の外れの墓地にその遺体はひそやかに埋葬された。
「この者の魂が、女神アリスタリアの元で永遠の安息を得ん事を」
真新しい墓石の前で神父が口上をあげるのを、黒い喪服に身を包んだ未来は、ファルスディーンの隣でぼんやりと聞いていた。本当に、女神がいるのなら。自分達戦巫女を選んだのがアリスタリアなら。どうしてこれだけの世界の危機に、自ら人々を救いに降りて来ないのだろうか。いや、今、女神に思う事はひとつだけだ。何故、スティーヴの命があの残酷な少女に奪われるのを止めてくれなかったのか。
右側に、眉ひとつぴくりとも表情を動かさぬままのファルスディーン。左側に、悲嘆に暮れる芙美香。二人の間に挟まれると、そう考えずにはいられなかった。
やがて葬儀は終わり、参列者達がぞろぞろと帰り始める。スティーヴの両親が、王太子がわざわざ街にまで降りて来てくれた事に深い感謝を述べ、芙美香の肩を優しく抱いてその場を去ると、後には未来とファルスディーンだけが残された。
「ファル、行こう」
それなりの時間が経った後、墓石を見つめたまま動かないファルスディーンに未来は声をかけた。
「風邪ひいちゃう」
ファルスディーンがようやくのろのろと振り返った。そこに表情は無い。ゆっくり歩き出して、彼はいきなり苦痛に顔を歪めて転びかけた。右足の傷を治していないままだった。咄嗟に未来が支えて抱きとめる形になる。
「ファル、怪我を治さないと」
「平気だ」
やはり感情の欠落した、抑揚の無い声が返って来る。
「あいつが受けた苦しみに比べたら、この程度の傷など」
「駄目」
未来は強く言い含め、自分の中の銀色の光に命じた。
「治して」
たちまち光がファルスディーンの身に吸い込まれる。これで身体の傷は癒されたが、心の傷が癒される事は無いと、未来も痛いほどわかっていた。
また沈黙が落ちた、しばしの後。
「スティーヴは」
ファルスディーンが口を開いた。
「何かと口うるさい奴だが、俺の事を本当に心配してくれる数少ない相手だった。俺が無茶をしたら真っ先に止めるが、周囲の連中がとやかく言えば、迷わず俺の味方についてくれた」
思わず顔を覗き込むと、ファルスディーンは薄い笑いすら浮かべていた。
「俺の唯一の、理解者だった」
その笑顔があまりにも痛々しくて、未来は、ファルスディーンを支えていた腕を彼の首に回して、その顔が見えないように抱き締めた。
「泣いていいよ」
相手が戸惑う気配がしたので、告げる。
「昔、私がもっと小さかった頃、家で犬を飼っていたの。家族皆で可愛がっていたんだけれど、病気で死んじゃって。家の裏庭に埋めてお墓を作った時、私と利久は、泣いたらその子が哀しむと思ってずっと我慢してた。そうしたら」
ファルスディーンを抱く腕に少しだけ力を込めて、未来は先を続ける。
「お父さんがこうやって私達を抱き締めて、哀しい時には我慢せずに哀しいと声に出して泣いた方がいいんだって、そう言ったの。それで私達はわんわん泣いた」
「……同じだな。あいつも似たような事を言っていた」
ファルスディーンが言った。
「母上が亡くなった時だ。未来の王になる者が涙を見せるべきではないと、俺を嫌っている父上や心を許せぬ臣下達の手前、尚更だと思って我慢していた。だが、あいつだけは、泣いていいのだと、自分の前では王子でなくて構わないと、言ってくれた」
未来の背中にファルスディーンの手が回され、強く服をつかむ感触がする。
「だが、あいつはもういない」
「私がいるよ」
即座に、自然に、その言葉はこぼれていた。
「私が言ってあげる。私の前では泣いていいよ」
ほんの少しだけ間があった。しかしすぐに、くいしばった歯の間から洩らすような呻きがあったかと思うと、それは嗚咽に変わった。子供のように未来にすがりつき、ファルスディーンが声をあげて泣く。いつか利久の事で自分が泣いた時と立場が逆だ。思い出し笑いをしようとして、未来は失敗した。その頬を温かいものが伝う。
他に誰もいない墓地で、二人は抱き合ったまま、互いに涙が涸れるまで、はばかる事無く慟哭した。
葬儀から帰った未来は、一人、カーレオンの元を訪ねた。フォルカが襲撃された事もファルスディーンの側近中の側近が死んだ事も耳に入っているだろうに、この王は客室で優雅に茶なぞ飲んでいるのだ。怒りすらこみ上げる。
「やあ、未来。ファルスディーンは大変だったね。我が国の戦巫女が酷く落ち込んでいた。私も哀しく思うよ」
一体どこまで本気か。芙美香の代わりに首根っこをひっつかんで問い詰めてやりたい衝動が襲ってきたが、今は喧嘩を売りに来たのではない。さり気なく向かいの席を勧めるカーレオンに応じず、未来は彼の傍に膝をついて頭を下げた。
「カーレオン様、お願いがあります」
「どうしたんだい、いきなり? 私にできる事ならば遠慮無く言ってくれたまえ」
カーレオンは相変わらず上辺ばかりの笑顔を浮かべている。その顔が次の瞬間怒りにすり変わっても構わない覚悟で、未来は言葉を継いだ。
「では」
傷は未来の力で完治したが、大事をとって床についている叔父の元へ行き、見舞いの言葉と、スティーヴの葬儀がつつがなく終わった報告を述べたファルスディーンは、国王の寝室を退出してしばらく歩くと、廊下の向こうから駆けて来る者がいるのに気がついた。
「ファル」
未来は両手で重たげに何かを抱えて、時折よたよたしつつ向かって来る。ファルスディーンの前まで来ると、
「これ」
手にしていた物を王太子に託した。腕の中に入った重みの正体を己の目で確かめて、ファルスディーンは驚きの声をあげる。
「グランシャリオ?」
カーレオンに返したはずのネーデブルグの秘剣だった。
「カーレオン王に頼んで借りて来たの。今度の決戦ではファルが持っていた方が絶対いいと思って」
「お前が頼んだのか?」
「うん」
未来が頷くと、ファルスディーンが怪訝そうに見返して来る。
「……何の見返りも無しにか?」
「うん」
未来は笑顔で応えた。
「そうか」
ファルスディーンは鞘に収められた剣の重みを再度確かめ、腰にたばさむ。
「俺の為に、ありがとう」
「ううん、いいよ、お礼なんて」
お互いに笑みを交わし、
「じゃあ、明日ね」
未来はファルスディーンに軽く手を振ってその場を立ち去った。しかし、廊下の角を曲がって彼の姿が見えなくなった途端、抑えていた感情が形になって零れ落ちる。
未来はファルスディーンに嘘を吐いた。グランシャリオをファルスディーンに貸し与えてくれと言った途端、カーレオンはぴきりと顔を引きつらせ、それから精一杯笑顔で誤魔化しつつ視線を彷徨わせたのだ。
「いや、いくら未来の頼みでもな、この剣はネーデブルグの……」
「それはわかっています」
未来は退かなかった。その剣があれば、ヒューリと相対した時の結果は変わっていたかもしれない。スティーヴの命は失われなかったかもしれない。そして、この先の戦局さえも左右するだろうと。
未来の強い視線に、カーレオンは気圧されてすらいたのだが、不意に改めて笑みを浮かべると、未来の手を取った。
「では代わりに、私の願いもひとつ、聞いてもらって良いかな?」
ファルスディーンの力になれるのならどんな難題もこなしてみせよう。未来が力強く頷くと。
「では言おう」
カーレオンは未来の手に口づけて、宣う。
「この戦が勝利に終わった暁には、私は君を妻として迎えたいと思っている。勿論、君が異世界から来て、そちらに帰りたいという郷愁があるのもわかるが……考えておいてくれるね?」
考えろと彼は言ったが、それは強制だった。未来が肯んじなければ、カーレオンは決してグランシャリオを手放しはしないだろう。
それは未来に全てを諦めろという宣告だった。利久と共に元の世界に戻る事。家に帰って両親に再び会う事。今までの生活。数は少ないが確かにいた大切な友人達。そして何より、この胸に生まれたファルスディーンへの想い。全てを捨て去らなければならない。未来がカーレオンの后になれば、必然的に邪魔者はいなくなる。サフィニアは心置き無くファルスディーンに嫁ぐだろう。ネーデブルグの、いや、カーレオンの思いのままに世界は動く。
それでも未来は、その無茶苦茶な条件を首を縦に振って受けるしか無かった。ファルスディーンと分かたれるよりも、彼が命を落とす事の方が、ずっと哀しくずっと辛い。
ファルスディーンに知られる訳にはいかない。彼には最後の最後まで黙って笑顔で別れれば良いと、未来は既に腹をくくった。
それでも、涙は後から後からとめどなく溢れて来て、未来は廊下の端に倒れ込むようにくずおれると、膝を抱え、声を殺して泣いた。




