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第5章:抗戦 ――こうせん――(4)

 未来を部屋に送り届けて自室に戻ろうとしたファルスディーンは、部屋の前に小さな人影を見つけて、足を止めた。ネーデブルグの王妹サフィニアは、供の者もつけず、暗くなってかげりの落ちた廊下で灯りも持たず、扉に寄りかかっていたのだが、ファルスディーンの姿をみとめると、

「ファルスディーン様」

 まっすぐにファルスディーンの胸に飛び込んできて、やや赤くなった目ですがるように見上げた。

「ファルスディーン様、何故でございますか。何故あの戦巫女なのですか」

 この姫に飛びつかれるのは初めてではない。だが今回は気迫が異なるような気がした。

「サフィニアはファルスディーン様をお慕い申しております。ファルスディーン様、サフィニアを妻として選んでくださいませ。ファルスディーン様は、サフィニアの事がお嫌いですか」

 好意を寄せられているのがわからなかったと言い切れるほど、ファルスディーンは子供でも、物わかりが悪い人間でもない。しかし。

「すまない、サフィニア」

 サフィニアの肩に手を置き距離を取りながら、ファルスディーンは、幼い姫の灰色の双眸をしっかと見返して、宣告した。

「サフィニアの事は嫌いじゃない。だがそれは恋や愛といった感情とは違う」

 円らな瞳が大きく見開かれ、そして見る間に潤む。

「何故でございますか。どうせいずれ異世界へ別れる者を」

「そういう問題ではないんだ」

 最早何を言ってもファルスディーンの心が揺らがないと、流石に気づいたのだろう。サフィニアはファルスディーンの手を振り払うと、ばっと背を向けて駆け去った。


 ふっと、燭台の炎が消えた。まだ真っ暗ではないが、灯りが無いのは不便だ。新しく火をもらおうと思ったが、生憎侍女は退出して久しく、部屋から廊下に顔を出してみても見当たらなかった。何事かと不思議そうに見てくる衛兵に事情を説明すると、「自分が取ってまいります」と言われたのだが、

「いえ、私が自分で誰かを探しに行きます。きっとこの城で一番暇なんですし」

 と、未来は応えて、灯をつけてくれそうな人物を探して廊下を歩き始めた。すると、しばらく行った頃、向こうから顔を手で覆って駆けて来るサフィニアを、かわしきれずに真正面からどんとぶつかり、尻餅をついた。

 未来は幸いどこも打ちつけなかったので身を起こし、サフィニアがうずくまったまま動かないのに気づいた。打ち所でも悪かっただろうか。

「サフィニア姫? 大丈夫ですか」

 屈み込んでいるサフィニアに未来が声をかけると。

「嘘つき!」

 乾いた音と共に差し出した手を打たれ、泣きはらした灰色の瞳がぎんと睨んできた。

「ファルスディーン様を取らないでと言ったのに。嘘つき!」

 未来は唖然と立ち尽くして、そのままばたばたと走り去るサフィニアの背を見送る事しかできなかった。

 取るな。

 自分はそう言われたあの時、是とも否とも応えなかった。嘘つきも何もあったものではない。それに今更、抱いてしまったこの想いを欺く事もできない。なのに未来の胸は、鋭い刃でざっくりと切り裂かれたように、打たれた手よりもずきずきと痛んだ。


 フォルティアとネーデブルグ連合軍の出立の日が刻々近づく。出発の三日前、ファルスディーンはスティーヴを従えてフォルカ王の元へ挨拶に赴いた。いつものように狡猾な家臣達が両脇を固めているが、以前ほど気にならない。

「頼むぞ、ファルスディーン。本来ならば私が前線に立つべきなのだろうが」

 フォルカはもう四十の齢を越えた。戦士としての最盛期はとうに過ぎている。更に、若い頃からあまり身体が頑丈とは言えない。ファルスディーンが彼の代わりを務めるのは当然だと周囲は思っているだろうし、ファルスディーン自身の考えもそうであった。

「フォルティア王族としての務めを果たし、必ずや吉報をお届けいたします」

 深々と頭を下げ、一拍置いて、ファルスディーンは呼んだ。

「叔父上」

 フォルカ王は驚いたように目をみはり、それから相好を崩す。

「変わったな、ファルスディーン。この数ヶ月で。戦巫女殿に感謝すべきか」

「叔父上」

 からかわないでください、と紅潮した顔を上げかけ、不意に謁見の間に吹き込んだ不吉な風に、ファルスディーンは表情を固くした。危機感に疎い家臣達も、流石に異変を感じ取り、ざわざわと囁き合う。

 次の瞬間。音も無く、一筋の光線がファルスディーンのすぐ脇をかすめて、幾らかの髪を散らし、その先に座するフォルカ王の左肩を貫いた。王は呻いて玉座から崩れ落ちる。

 臣下達が驚き慌てふためいてフォルカの元へ殺到するより先に、ファルスディーンは腰の剣を鞘から抜いて、紫の瞳で反対方向をぎんと睨みつけた。

「これで、おあいこ?」

 転移能力を有しているのだから、警備の兵も意味が無い。ヒューリ・リンドブルムは、先日斬り飛ばしたはずの左腕もすっかり元通りになり、いつもの無邪気にすら見える残酷な笑みを浮かべて、腹が立つほど可愛らしく小首を傾げていた。

「……拒空!」

 その名を呼ぶと、ヒューリは一瞬動揺した素振りを見せたが、すぐにその色の薄い瞳を細める。

「ああ、あの婆、そこまで言いやがったんですの」

 やけにゆったりとした動作で、少女は右手を王太子に向けて突き出した。

「余計な事を知っているなら、死んでもらいますったら」

 以前の光弾より強力な光線が謁見の間を駆け抜けた。間一髪で避けるが、後方の床がじゅっと音を立てて瞬時に蒸発し、大きく穿たれた。前回相対した時より遙かに強力な――いや、今までが本気を見せていなかっただけかもしれない攻撃に、ぞわりと総毛立つ。

 ヒューリは時折笑い声さえ織り交ぜながら、執拗にファルスディーンに攻撃を仕掛けた。グランシャリオを持っていれば、易々とそれらをかわし距離を詰める事ができたのだろうが、今握っているのはただの鋼鉄の剣で、光線の直撃を食らわないように逃げ回るだけで精一杯だ。幾度目かの攻撃をかわしてよろめいた所に、多少威力を抑えた光弾がファルスディーンの右足を撃ち抜いた。襲い来る痛みを、奥歯を食いしばって悲鳴をあげるのだけは避けたが、痛む足では体重を支えきれず、床に不様に転がる。間近に迫った殺気にはっと顔を上げると、ヒューリが眼前に現れ、にたりと口を歪めた。

「残念。これで、終わり」

 頭を吹き飛ばされる事さえ覚悟したが。

「かっ……は!」

 血を吐き苦痛に満ちた表情を見せたのは、ヒューリの方だった。

「ファルは、やらせない!」

 スティーヴだった。ファルスディーンとヒューリの間に走り込み、敵の胸に深々と剣を突き立てている。

 人間ならば即死の一撃に、しかしそれでもヒューリは倒れなかった。

「きっ……さまあああ!!」

 激昂し、スティーヴを蹴り飛ばすと、体勢を崩した彼目がけて左手を突き出した。

 どん、と。

 鈍い音と共に、光線が、スティーヴの身を貫く。目を見開いて固まってしまうファルスディーンに、スティーヴの視線は穏やかに向けられていた。

「……あなたが、王になる姿を」

 見たかった。

 最後までを言葉にできず、スティーヴはゆっくりと床に倒れ伏した。

「あああああああっ!!」

 絶叫が、謁見の間に響き渡る。ファルスディーンははじめ、自分が叫んだのかと思った。だが、かん高いその声は、ヒューリの口から発せられたものだった。

「ああ、楽しくない! 本当に、楽しくない、楽しくないったら!」

 胸に埋まり込んだ剣を引き抜き、ぎっとファルスディーンを睨みつけながら、彼女は呪詛のように繰り返す。

「いいよ。そんなに苦しみたいならエズリルまで来い。そこで必ず、戦巫女共々、消し飛ばしてやる!」

 その姿が揺らぎ、ある瞬間にふっと消え失せる。

 報せを聞いて戦巫女達が駆けつけたのは、その頃だった。謁見の間に満ちる血の臭いに、未来は思わず入口で立ちすくんでしまったのだが。

「戦巫女様! 陛下を、陛下をお早くお救いください!」

 王の側近達に手を引かれフォルカの元へ駆け寄る。国王は、出血は激しかったが意識ははっきりしていたし、命に別状は無さそうだった。

「フォルカ様、しっかりしてください。大丈夫です、大丈夫ですから」

 未来が傷口に手をかざして声をかけると、銀色の光が発せられ、瞬時に血を止め傷を塞ぐ。それから、ファルスディーン達も傷を負っているはずだと振り返り、未来は、信じがたい光景を目の当たりにして完全に凍りついてしまった。

「……スティーヴ?」

 足から出血するのも忘れて立ち尽くす王太子の視線の先には、更に床に血をまき散らした護衛騎士の姿があった。芙美香が目に見えるほど震えながら屈み込み、服が赤く汚れるのも構わずにその身を抱き起こす。

 既に事切れている。遠目でもわかってしまった。ふらふらと近づいて顔を覗き込む。その表情に苦痛は無く、穏やかで、己の主の命を守りきった充足感に満ちて、笑んでいるようにさえ見えた。

 芙美香が、乱れて顔に張りついてしまったスティーヴの髪をそっと除けてやる。その手までもが激しく震え、ぽたり、ぽたりと、雫が彼の頬に落ちた。

「……馬鹿」

 芙美香の口元は笑っていた。しかし目からは際限無く涙がこぼれる。

「楽しみにしてたのに。騎士に二言は無いって、言ったのに」

 涙は堪えきれず、やがて号泣に変わる。

 未来は耐えられずに二人から視線を外し、それからファルスディーンを見た。きっと彼も泣くだろうと思ったからだ。

 しかしファルスディーンは泣いていなかった。感情を失ってしまったのではないかというくらい冷めた無表情で、兄とも慕った者の亡骸を見下ろしていたが、やがて踵を返すと、

「スティーヴの家族に連絡を。そして、葬儀の用意を」

 傍にいた兵にそれだけを告げ、足を引きずりながら、謁見の間を出て行ってしまった。

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