第5章:抗戦 ――こうせん――(7)
「バロック将軍、既に大勢は決した」
グランシャリオを握る手をだらりと下げたまま、ファルスディーンはバロックを見すえた。
「最早これ以上の戦闘は無意味だ」
「確かにそちらには意味は無かろう」
その大柄な身の丈ほどもある刃を構えながら、将軍は、ファルスディーンに決して劣らぬ――むしろ凌駕さえする眼力を返す。
「しかし我らは、最後の一兵まで戦えと陛下から命を下された。私はこの軍を預かる者として、命令に逆らう訳にはいかぬ」
「セルマリア女王を止めようとは思わないのか!」
激昂するファルスディーンに、バロックはゆっくりと首を横に振った。
「私は長年、陛下とステアに忠義を尽くして来た。陛下がどのようになろうとも、最後まで従うのが我が道義。だからこそ」
大剣の切先がぴたりとファルスディーンに向けられる。
「この戦いを最後にしようぞ。そしてそなたが勝った暁には、我が命と引き換えに、部下達の命を保証してくだされ」
それは己の死を覚悟した男の台詞だった。そしてファルスディーンは、刃を交えずして、この頑徹な将軍の意志を覆す事は自分にはできぬと悟る。彼にできたのは、周囲の兵を下がらせ、グランシャリオを油断無く握り直して対峙する事だった。
「いざ!」
アイゼンハースでかなわなかった王太子と将軍の対決の火蓋が、切って落とされた。
たちまち繰り広げられる命を賭した剣戟に、最早誰も入り込む事ができない。ただ立ち尽くして見つめるばかりの未来の前に、利久が歩み寄って来た。
「負けてくれ、姉ちゃん」
微妙な距離を保ったまま弟は告げた。
「フォルティアの戦巫女が最強じゃないってわかれば、女王ももう姉ちゃんを狙わないはずだ。姉ちゃんはもう戦わなくていい。姉ちゃんは俺が守るから」
一度は決別してしまった弟の、いつも聞いていた、しかし含めるものの大きく異なってしまった言葉に、未来の心は揺らぐ。だが、そんな姉弟の間にすっと入り込む者がいた。
「気に入らないね」
芙美香だった。黒の剣をびしりと利久に突きつける。
「姉ちゃん姉ちゃん姉ちゃん。未来ちゃんを守るふりして一番甘えてんのは、あんたの方じゃない」
「あんたに何がわかる!?」
「わからないよ。あたしはあんたを未来ちゃんの弟だって以外、これっぽっちも知らないんだから」
声を荒げる利久をやけに冷めた目で見つめ、
「ただ、これだけは言っとく」
ゆっくりと体勢を整えて芙美香は言い放った。
「押しつけがましい弟の愛情振りかざす馬鹿。あたしがグーで殴り飛ばす!」
たちまち黒と金が火花を散らした。
ファルスディーンとバロックの戦いは続いていた。常人には重たくて持ち上げるのも精一杯だろうという大剣を、己の腕の一部のように軽々と振り回して、バロックはファルスディーンに迫る。ファルスディーンは、その斬撃をかわしグランシャリオで受け流すが、防戦に追い込まれ、なかなか反撃に転ずる事ができない。重厚な攻撃に手がじんじんとしびれる。
何とか一撃を叩き込み、バロックを多少なりともよろけさせて間合いを取った時、それまで戦いに集中して耳に入って来なかった、周囲の味方のざわめきが聞こえて来た。
「カーレオン陛下が?」
「亡くなられた……?」
総大将の死に不安と恐怖がじわじわと伝播するのを、ファルスディーンは感じた。バロックも一時手を止め、周囲を見渡している。将が討たれては連合軍の負けが決まったようなものだ。しかし最早ステアにも、バロックと、芙美香と打ち合いを続ける利久以外、戦意のある者はいない。勝者の定まらぬ戦いに落ち込んでしまう。
しかしその時、ファルスディーンがグランシャリオを掲げて、辺りに響く大音声をあげた。
「躊躇えるな! まだ終わりではない!」
紫の瞳に強い光を宿して彼は宣言する。
「まだ、皆がいる。ネーデブルグを、フォルティアを繋ぐ者は大勢いる。全てが終わってはいない。そして」
その場の全員の注視の中、一拍を置き、ファルスディーンは先を続けた。
「このファルスディーン・ファルト・フォルティアが、カーレオン王の遺志を継いでみせよう。その為にも、この戦いを、三国の争い全ての終わりにする!」
兵達はしんと静まり返った。それは異端とされてきた王太子への反感ではなく、心底からの感服であった。そこに異論は発生しなかった。
バロックも満足げに頷き、再度大剣を構え直す。
「そなたの心意気、私もしかと受け取った」
次で決まる。誰もがそう予感した。二人は向かい合ったままじりじりと時間が過ぎ、先に動いたのはバロックの方だった。
大きく踏み込み、全体重を乗せた一撃をなぎ払う。ファルスディーンはグランシャリオの横腹で受け止めたが、重量の差に弾き飛ばされ、地に投げ出される。勝利を確信してバロックは大剣を振り下ろした。しかし、武器がファルスディーンの身体に食い込む直前、その姿が七色の光に包まれて消え、大剣はどがんと地を穿つのみ。
「グランシャリオの能力か!」
バロックは焦り、それから、左斜め頭上から襲って来た殺気にはっと振り仰いだ。空中に転移したファルスディーンは、大上段に振りかぶったグランシャリオを手加減無く振り下ろす。秘剣は敵将の胸を大きく斬り裂いて、バロックは呻き、遂に大剣を取り落としてどうとあおのけに倒れた。
「見事」
短い中に敬意を込めた言葉に、ファルスディーンは肩で荒い息をしながら首を横に振る。
「いや。グランシャリオを使わなければ斬られていたのは俺だ」
「しかし、そなたの勝ちは勝ちだ」
バロックは薄く笑み、満足げに目を閉じる。
「ステアを、お頼み申す」
「――未来!」
ファルスディーンは咄嗟に叫んでいた。未来も何を求められているのか即座に悟り、バロックの元へ駆け寄ると、膝をつき傷口に手をかざした。
「あなたを死なせない」
その一声で、銀色の光がバロックに吸い込まれ、傷を完全に癒した。バロックは閉じていた目を驚愕に見開き、未来とファルスディーンを交互に見やる。
「何を。私に生き恥をさらせとおっしゃるか」
「そうではない」
ファルスディーンはグランシャリオを鞘に収め、誇り高きステア騎士に手を差し伸べる。
「勝負はついた。あなたは一度死んだ。同じ死する覚悟なら、この後は、セルマリア女王を救う為に命を賭けて欲しい」
バロックは更に驚愕するしか無かった。未来を見やる。
「もうこれ以上、人が死ぬのは無しにしてください」
自分より遙かに幼い、しかし言葉が威力を持つ戦巫女の台詞は、バロックの胸に沁み渡ったようだ。ゆっくり身を起こすと、彼は吐き出すように、しかしはっきりと応えた。
「わかり申した。この命、いかようにもお使いくだされ」
未来はほっと息をつき、そして、この場で今だ続く最後の争いに目をやった。
しかしその時には、利久と芙美香の戦いにも決着がつこうとしていた。きん、と高い音と共に、利久の槍の片割れが宙を舞う。芙美香は、そちらに気を取られる利久の、もう片方を左手でつかんでもぎ取ると、右手の長剣を捨て、予告通り利久に殴りかかったのだ。通常の女性の腕力なら、利久はびくともしなかっただろう。しかし、戦巫女の能力を抑える事無く発揮した芙美香の一発に、利久の身体は吹っ飛び、ごろごろと地面を転がった。
「目は覚めた?」
仁王立ちになって芙美香は利久を見下ろす。利久は身を起こしうつむいていたが、やがて、引きつれた泣き声がその口から洩れた。
「やだちょっと! この歳で年下の男を泣かせたくなんかないわよ!」
予想外の反応に芙美香が躊躇える。それには応じず、利久はひくひくとしゃくりあげながら言った。
「俺が、俺が戦わないと、皆が……アルテムの人達が」
「アルテムならもう大丈夫だよ、利久」
唐突に告げられた言葉に、利久は思わず泣くのも忘れ、声をかけた主――姉の顔を見上げた。
「アルテムを見張ってる竜は倒したの」
ただ一度だけ利久がこぼした地名を明確に記憶していた未来は、ファルスディーンに頼んで、ステア国内に入った時、二人で密かに戦列を離れアルテムの村を探し出した。そして、いつでも村を凍りつかせるように山の上から睨み下ろしていた蒼竜に挑み、それを倒したのだ。
『この村を守ってね』
未来は己の中の銀色に命じ、それでアルテムは外敵から守られた。そしてグランシャリオの転移能力で部隊に帰還していたのだ。
「利久、リックって子が利久と仲直りしたいって」
利久の前に膝をつき、未来は弟の顔を覗き込む。
「お母さんの病気は治ったから、謝りたいって」
利久はしばしぽかんと口を開いて、途方に暮れているようだった。しかしやがて、赤くなった顔を背けると、涙と、芙美香に殴られて切ったらしい、口元の血と、流れてしまった鼻水を、順々に拭う。
「……どうせなら、殴られる前に言ってくれよ」
腫れてきた左頬を押さえながら、泣き笑いのような声で利久は少しむくれて言う。ようやく氷解した弟の心に、未来は笑みを返し、しかし不意にその笑顔を打ち消して、がばりと立ち上がった。
未来が、ファルスディーンが、芙美香が利久がバロックが、周囲の兵達も、皆が空を仰ぐ。
「駄目、守って!」
未来は咄嗟に叫んでいた。それとほぼ同時に、上空から放たれた強烈な光線が彼ら目がけて降り注ぎ、辺り一帯を轟音と白い光で包み込んで、聴覚と視覚とを塞ぐのだった。




