2.
話は一年半ほど前に遡る。十一歳の私は男爵夫妻に連れられ、姉のメアリとともに王都に滞在していた。十二歳になったメアリの祝福のため、大聖堂を訪れるのだ。
古く貴族の成人年齢が十二歳だった時代の名残で、現在でも上流階級の子女は十二歳になると大聖堂で祝福を受ける。その際に魔力鑑定を行なうのが通例となっている。魔力が多いものや珍しい属性のものは、十三歳から王立学園に進学することを勧められる。とはいえ貴族の女子は一年生から三年生を飛ばして四年生から、しかも普通科ではなく家政科に入学することが多かったので、十二歳での魔力鑑定は形式的なものだった。
祝福式の後、そのまま鑑定が始まった。小礼拝堂を貸し切っていたので、居合わせたのは担当祭司とその助手数名、それにヒーバー家の面々のみだった。メアリが水晶に手を置くと、水晶は淡い水色に光った。
「メアリ・ヒーバー嬢。水属性」
淡々とした祭司の声が響いた。傍らの書記がそれを帳面に書き留めた。男爵夫妻が満足そうにうなずいた。ヒーバー家は代々水属性が多く生まれる。初代ヒーバー男爵も水属性だった。
メアリがしずしずと壇上から降りると、祭司が重たげなまぶたを上げて私をしかと見据えた。
「アン嬢は魔力鑑定をなさいますか」
わたしは目を瞬かせた。まさかそんなふうに声をかけられるとは思ってもみなかったからだ。
「アンはまだ十一歳です。鑑定をして問題ないのでしょうか」
男爵が尋ねた。
「問題ございません。来夏、小礼拝堂は改修工事に入りますので……」
その後は言わずとも分かった。男爵家は貴族ではあるが、貴族の中ではあまり幅を利かせているほうではない。小礼拝堂が使用禁止になると、ほかの部屋を押さえなくてはならなくなる。しかしより大きな礼拝堂はより高位の貴族が使うことも多い。祝福自体は祭司がいればどこでもできるが、鑑定は水晶玉がある礼拝堂でないと行なえない。となれば、部屋が押さえられずに魔力鑑定が遅れるよりは早めにやってしまったほうがよいということなのだろう。
男爵は少し迷っているようだった。子どものころから魔力を使うのはあまりよくないと言われていた。これは縁起の問題ではなく、子どもの心身の成長に悪影響を及ぼす可能性があるからだった。大人と同等の体力がついたと判断されるのが十二歳であり、だから祝福の後に鑑定を受けることになっているのだ。
私は何も言わなかったが、男爵が断ってくれることに一縷の望みをかけていた。小礼拝堂が改修工事に入ることはもとより把握していた。そのために私の魔力鑑定自体がうやむやになってくれることこそ望みだったのだが。しかし男爵はふむ、と一度言ってから、私の期待と正反対のことを言った。
「それではお願いいたします」
私の表情は変わらなかったと思う。しかし口元に少し力が入ってしまったかもしれない。祭司は私の顔をまだ見ていた。私は一度深呼吸をしてから礼をした。
「慎んでお受けいたします」
間近で見る水晶玉はまるでガラス玉のようだと、私はそんなふうに思った。中身が空っぽの、漁網の浮きによく似ている。しかし私が右手を置いた瞬間、空っぽの中身には色とりどりの煙のようなものがうずまきはじめた。
じゃじゃーん、と場違いな音がした。明らかに水晶玉からだった。そして追い討ちをかけるように声まで聞こえた。
「おめでとうございます。全属性です!」
明らかに合成音声である。さすがゲーム、こんな細部まで変わらないとは。これをみ告げだと呼ぶのだからそれこそおめでたいものだ……と思ってあたりを見回すと、男爵夫妻が真っ青になっていた。いつも淑女の鑑然とふるまうメアリの口がぽかんと小さく開いている。珍しいものを見たな、と思いながら、私は「アン・ヒーバー嬢。全属性」と告げる祭司の声を他人事のようにぼんやり聞いていた。
『薔薇窓』本編での私が魔力鑑定を受けるのは十五歳になってからのことだ。孤児となった私は止むにやまれず大聖堂の厄介になることとなり、そこで生まれて初めて魔力鑑定を受ける。たぐいまれな全属性持ちであることのみならず、追跡調査でヒーバー男爵の私生児であることまでが明るみに出て、半ば強制的に学園に編入することとなるのである。
翻って実際の私がどうであるかというと、出生時に母を亡くしたことからしてゲームのストーリーと外れている。本編での説明によると、妊娠した母は私の将来を悲観し、ひそかに男爵家を出て出産することを決める。そして実に十五年もの間、男爵家と接点を持たずに王都で私を育てる。男爵家は母が私を妊娠したことすら知らずに過ごす。そのはずだったのだ。
前書きでご説明したように(お読みでない読者諸賢におかれては今一度ご高覧願いたい)、私は男爵家の離れで出生し、以来ずっと男爵家の庇護下で養育されてきた。出生の瞬間からして本編ストーリーに外れているのだから、このまま本編が始まらないことが私の望みだった。ゲームとしての『薔薇窓』はもちろんおもしろかったが、自分がそのストーリーを体験したいかというと話は別だ。恋愛に関心がないわけではないが、ゲームのような駆け引きを実際にしたいわけではない。災厄をもたらす魔界の窓が封じられるべきなのは分かっていた。しかし私が本当にその役を担うべき全属性持ちだと、どうしてわかる? というのが、十一歳までの私の主張であった。恐ろしかったのだ。聖女は栄えある存在かもしれないが、その責は重かった。憶病者とあざ笑っていただいて構わない。しかし私はその任に堪えうる自信がなかった。
しかし十一歳の時点で全属性持ちだと判明してしまっては話が別である。一年生からの学園進学を拒否することはもはや不可能だった。進学直前の夏、魔界の窓が王都に開く。その存在は秘匿される。本編ストーリー開始は二年後。進学から本編開始までの空白の二年間、私はいったいどうすればいいのか。魔力鑑定後の私の関心はそちらに移った。
一年半後。今朝の私は新聞を右手に、帳面を左手に持ったまま、身の振り方について真剣に悩んでいた。もはや本編ストーリーの影も形もない世界で、私は一体どのようにふるまえばいいのだろうか?
もはやゲームの強制力は消滅したのだ、と思い込むことも可能だ。本編ストーリーは開始前から終了し、脅威は去った。私は自由で、好き勝手に学園生活を楽しめばよい。むしろそう思いたかった。しかしそれでは私はどうして全属性持ちなのか? ほかに聖女が誕生するなら、私が特別である必要は何ひとつない。ただの水属性でも、何となれば魔力持たずでも、よかったはずなのに。
私が聖女になる運命は変わらないとしたらどうか。その場合、アラゴン公爵令嬢もまた聖女なのだろうか。それとも…… それとも、アラゴン公爵令嬢が本当は聖女ではなかったとしたら? 新聞の勘違い? 本人の詐称? もしくは。
悪い可能性を考えるときりがなかった。最悪なのは、何らかの理由で私が聖女を詐称したと、そのように糾弾される未来だ。ありえない話ではなかった。悪役令嬢ものの小説では、本編ヒロインが逆に悪役になるのが通例ではなかったか? 私は裏の裏を掻いて、この世界の憎まれ者となるのだろうか?




