第42話 姉と弟の姉弟げんか ~「騎士道」と「武士道」と~
それから、奇妙な生活が始まった。
帰国した父はハティを伴い、領内を案内した。
そこには、エリーゼを必ず同行させている。
父との小旅行は今までならば楽しいものであっただろう。
しかし、今となっては決して面白いと思えるものではなかった。
父への疑心と影のように正体の知れないハティの存在のせいである。
無論、ハティが来た翌朝には事情を説明されている。
異国の地、東の島国へ王の勅命で派遣されていた。
そこで一人の女性と出会い関係を持ってしまったこと。
エリーゼの母も知っていることであり、いずれ共に暮らすことになっていたこと。
今回の海外派遣での目的は外交であったが、同時に国へ連れ帰ろうと決めていたこと。
到着して知ったのは、その女性がハティを残して他界していたこと。
彼の窮状を見かねてついに引き取るという挙に踏み切ったということ。
「ハティ、この森を見てどう思う?」
「鳥獣が多く潜み、狩猟をするには適していますが、旅人や一般人が通るには危険を伴うものと思います。また、食せる植物は少ないようです。地形は、王都の西側にありますのでこの場所のおかげで気候が安定しているのでしょう」
「ふむ」
父のこの寵愛ぶりが面白くない。
そして、何よりもエリーゼはこのハティの知識に嫉妬を覚える。
「ハティは、なぜそのようなことがわかるのです?ここに来るのはまだ、初めてでしょう?」
挑戦的な言葉にハティは感情の読み取れない顔で異母姉を見る。
「はい、姉上。ですが、私は山で育ちました。ここまでの道すがら、森の様子をみておりましたら、そこかしこに獣の痕跡がありました。また、植物ですが枝に実っているものは図版にあるものでは人の口に合わないものです。また、きのこの類は食せるものもありましたが、わずかです。気候については地理学を学んだゆえのものです」
「む……」
「エル、ハティはな、異国の騎士として育った。私という父を持ったせいで山に潜み暮らしていたのだが、そこで培ったものは大きい」
「く、そうですか」
◇
「ハティ!」
「はい、姉上」
「あなた、確か騎士見習いでしたね。では、武術の心得はあるのでしょう?」
「はい。ですが、まだまだ未熟です」
「なら、私が手ほどきをしてあげます。来なさい」
「姉上のお気持ちは嬉しいのですが、私のそれはお見せできるほどのものではありません。もう少し上達してからご披露したいと思います。」
「下手だから練習するのです。私が指導します。それとも、私では不満ですか?」
「いえ、お申し出は私にはもったいないことと思います。無論、訓練にも励んでおります。しかし……」
「いい加減になさい、マクスウェル家の人間になろうというならば、口で逃れようとするのではありません!」
「……わかりました」
◇
「では、行きますよ!」
そういうなり、木剣を振りぬく。容赦のない一撃。
速度は申し分なく、ハティの左肩めがけて落ちていく。
今のエリーゼはその辺にいるゴロツキでは足元に及ばない。
下町に出かけて乱闘沙汰になったときも数人がかりのヤクザ者を叩きのめしていた。
父が不在の間も騎士団と共に鍛錬をこなしていた。
翌年の士官学校入りとて問題ないだろう。
ならば至極当然、騎士見習いで成人前の少年に為す術はない。
利き腕ではない左を狙ったのは慈悲であった。
しかし、ハティはわずかに身を引いただけでかわす。
エリーゼは返す剣で胴を払う。
それも回り込むようにしてハティは外した。
(この子……)
剣を繰り出す中でエリーゼは気づいていた。
彼の自身とは異なる質の強さを。
そしておそらく、現時点では彼の方が強い。
フェイントを交えようともすべてを見切られている。
そうしているうちに、騒ぎを聞きつけてギャラリーが増えてきた。
(まずいわね)
一方的に攻撃をするエリーゼ。それに対して避け続けるハティ。
息は弾んできたがまだまだ動ける。
それはハティも同じでまだ余裕がある。
このままどちらかが根負けをするまで続けるか……とにかくやめるタイミングが掴めない。
そう思った矢先だった。
「あっ」
ハティが小さく声を上げる。
ちょうどエリーゼが剣を振り下ろした時であった。
彼は何かに足をとられるように体勢を崩す。
そして、彼女の剣をハティがはじめて受けた。
だが、触れた瞬間、木剣を取り落とす。
「参りました。姉上。さすがです」
そう言って、自らが落とした剣を拾い上げ、一礼をする。
「稽古をつけていただきありがとうございました。私のわがままを聞いていただき、ありがとうございます」
呼吸を乱すことなく、流暢に言う。
「これで失礼いたします」
そう手短に伝えてその場を立ち去る。
◇
「ハティ、ちょっと来なさい」
「はい。姉上」
エリーゼはハティの腕を掴むと、納屋に引っ張っていく。
「あなた、どういうつもり?」
「何のことでしょうか?」
「わざとでしょう?」
「私にはわかりかねます」
「さっきのことよ!手を抜いて、そのうえ、わざと負けてっ!バカにしているの」
「違います」
「何が違うの!逃げるだけで打ち合わない。打ち合う価値もないわけ?最後はわざと打たれるだなんて、バカにしている以外にないでしょう」
「誤解です。私の生まれた国の剣術は打ち合いません。この国の剣とつくりが違うので避けながら攻撃をするのが主な方法です。反撃の機会を探っておりましたが、姉上の剣の冴えに有効な太刀が出せませんでした。」
たどたどしい言葉を気ぜわしく紡ぎながら弁明する。
「では、転んだのはなぜ?剣を落としたのは?」
「私が疲労したからです。腕に力が入らなくなり、耐えられませんでした」
「うそでしょう!」
「そのような……」
「ハティ、あなたはいつもそう。本当のことを言わないわよね。私がわからないほど間抜けだとでも思っている?体面を取り繕って、感情は表にださない。私にはよそよそしい態度で、他の者にも近づこうとしないし、自分から話しかけもしない。何かあれば自分の力を見せつけるわよね?存在を示すみたいに。なにそれ、余裕を見せてるの?」
「え?」
「あなたは、何を考えているの?ぜんぜんわからないし、そういう態度がバカにしているというのよ」
「……」
「それに、時々どこかに行っているわね。一人で。どこに行っているの?人に言えないところなの?」
「……」
「何よ、黙って。図星で言い返せないの?」
嫌な沈黙が落ちる。
自分よりもまだ背の低いハティの顔には帳が下りたように影が差している。
だが、その奥には濡れたような光を宿す瞳が並んでいる。
普段はダークブラウンの瞳が、こうして時折琥珀色になる。
エリーゼはこの弟の眼光に負けまいと視線をそらさずに見つめ続ける。
自分が情けないことをしているというのは分かっている。
おそらく、弟に嫉妬しているのだ。男だというだけで。
「姉上は、そこまで私のことを憎んでおいでなのですね」
真っ直ぐに見るハティの顔に初めて表情が浮かんだ。
落胆したような、悲しそうな顔をしていた。
エリーゼは、自分の気持ち見透かされていたことに思わず赤面した。
「な、なによ」
「突然、私のような者が来たのです。嫌悪するのは当然です。ですが、私は『姉上の弟』をやめるわけにはいきません」
「その、訳知り顔と物言いをやめなさい」
「やめたいのです。やめたい。けれど、やめればここにはいられない」
「やめなさい!」
「やめたら、僕には・・・もうどこにも行くところがない」
「っ」
「姉上は、僕に居場所を取られると思っているのでしょう?でも、居場所がないのは僕も同じです。こんなところにまで来たら逃げられない。出て行っても野垂れ死にするしかない」
「なにを言っているの…」
ハティがエリーゼの腕をつかむ。初めて見る表情。それは恐れであった。
表情があまり読めない子供。
でも、今は瞳の奥に恐れがあった。
掴んでいる腕はわずかに震えている。
初めて、本当に初めて間近で彼の顔を見たのだった。
群れからはぐれた獣が、怖れと孤独で警戒のあまりに目を光らせている。
あの瞳と同じだ。
「僕はこの国の言葉を知らない。あまり話せない。自分の気持ちを伝える方法を知らない!はじめからマクスウェル家に興味はなかった。故郷で生きていくための生活の保障をしてもらうのだと思っていた。だから、この国に連れてこられるなんて、分からなかった」
「うそ……」
「うそじゃない」
ハティは続ける。
「生まれてからずっと鬼の子、異人の子として嫌われて、生きる場所がなかった。身分のある家柄の母上が死んでからは、家からも見放された。ひとりで山で生きていた。言葉もほとんど通じない父が訪ねてきて、父上には『当主にならない』という約束をさせられた。母の家の当主だと思った。食べ物に苦労をしなくていいなら、と約束した。そうしたら船に乗せられたんだ」
初めて知らされた事実。
所々聞き取れない単語が交じっていたが、それでも誤解が生じていたのだけは分かった。
父は騙すような不誠実な真似はしない。
つまり、未熟な文化理解と、言語の通訳によって起きた不幸であった。
だが、もう、どうしようもないのだ。
「僕だってこんなところに来たくなかった。でも、出て行って、どこに行けばいい?山でまた暮らせばいいのか」
エリーゼには返す言葉がなかった。
「父上は、この国の武士だと言われた。僕も武士だ。もののふだ」
ハティが必死に続ける。
「人として生きて、武士として死ねるなら、何も望まない。仕える国だって」
少年は吐露する。これが本当のハティの言葉だった。
「だから、話す言葉をいつも練習した。寝ないで」
逃れられないという諦観とそれでもあがこうとしていたのだ。
「聞かれること。話さなければならないこと。父上に恥をかかせないように。武士として仕えるために」
このときはじめてエリーゼは気づいたのだ。
ハティのあの、感情の伺えない表情は考えていたからなのだと。
そして、どれだけの状況を事前に想定していたのだろうか。
「僕は、腐っても武士だ!『もののふ』だ!誇りがあるっ、礼節も、忠義もだ!僕は人間だ!武士の子なんだ!それを奪うなら戦う。誇りを汚す者があれば許さない。獣、鬼などというものは許すものか!」
「武士」「もののふ」その言葉の意味をエリーゼは知らない。だが、彼の言葉に嘘はなく、その響きには「騎士道」の「誉」を強く感じた。
(ああ、そうか、この子は・・・)
まぎれもない父の子だ。
そして、私の弟。
だって、こんな似ているもの。
生まれた国や目の色などどうでもいい。
「僕は、どうしたら良かったんだ?またどこかに放り出されるのか、追い出されるのか。だったら、どうして僕をこんなところにまで連れてきたんだよっ」
魂が同じなのだ。心が同じなのだ。
私たちが尊ぶのは「騎士の道」なのだから。
力がなくては民を守れない。
愚か者では民を導けない。
だから、騎士は命がけで力と知恵を求める。
正しき道を歩もうとする。
過ぎれば主すら敵にしてしまう。
それでも、その在り方を求めずにはいられない。
「みんなで僕を要らない子だって言う。僕を嫌う。僕が何をしたっていうんだ、僕がいてもいいってところがどこにもないのはなんでだよ」
ハティの見せた武術の腕や山野の知識は尋常ではない。
そしてここまで話せるようになった語学力もそうだ。
いずれも並々ならぬ経験と努力を要したはずだ。
それは必要に迫られたことでもあったかもしれない。
だが、先ほどの言葉が真実なら、「武士」というものへのあこがれが彼をそうさせた。
そして、今は新たな地で必死に「武士」となろうとしている。
「僕だって頑張ってるんだ、頑張っているんだよ、皆に嫌われないように、なのに何で」
父は彼に「本当の名前を捨て」させたという。
その真意は自身の息子として受け入れ、新たな人生を歩ませるためであった。
だが、ハティは捨てきれていないのだ「武士」「もののふ」の生き方へのあこがれを。
「ハティ……」
エリーゼはハティの腕に触れる。
ハティは自分が姉の腕を掴んでいたことに気づき、身を引こうとする。
「ハティ!」
もう一度強く呼びかける。
強く、その存在を刻み込むように。
「今、分かったわ。あなたは私の弟よ。そして、マクスウェル家の子です。先ほどの無礼は許して。姉がバカだったわ。」
「姉上?」
「その心、その魂を持つ者は、我が家名を持つに相応しい。だから、恥じないで胸を張って。私の弟。人がバカにしたら私は許さないから」
いつの間にか頬を涙で濡らしていた。
「姉上?」
「ヴゥシュイ(武士)とは騎士のことね?モノノフというのは騎士道の誉?あなたの言葉に嘘がないことは分かったわ。でも、私はヴゥシュイもモノノフの生き方も知らない。だから、教えて!その代り、私は騎士の何たるかを教える。騎士の誉についても教える。そして、マクスウェル家についても教える。だから、あなたはマクスウェルの人間になるの。本当の意味で」
誰も裏切ってなどいなかった。父は父であった。母は母であった。
そして、血を分かつ弟は、やはり自分の弟であった。
自らの目が曇っていたことが悔やまれる。
彼は独り孤独なままでおびえていたのだ。
それでも、強く在ろうとした。
おそらく、武士という名前の騎士の道をよすがにして。
それは、騎士の誉を第一とするマクスウェル家の魂そのもの。
私たちは分かり合えるし、共有できる。
「ハティ」
エリーゼは静かに告げる。
胸が高鳴っている。頬が熱い。涙も止まらない。
「あなたの……あなたのほんとうの名前を教えて」
私は彼にお願いをした。
「わたしと一緒の時だけでも、ほんとうのあなたに戻ってほしいの」
自身の覚悟を示すためでもあった。
「だから、わたしと共に歩んで。いっしょに強くなりましょう、わたしの弟」
その時の少年の顔は今でも忘れられない。
きっと、死の間際でも思い出してしまうだろう。
あの、彼の見せた初めての本当の顔を……




