第163話 混迷の王都、弟の狂気と因縁の始まりと……
途中、ハティを見かけたがハティは何も言わなかった。
私はルシウス様の執務室で話を伺った。
彼は頻繁にため息をつき落ち着きがなかった。
しかも顔色が悪い。
これだけの事件だ。責任を問われるのは免れないだろう。
「お話を」
彼の立場に同情をする余裕がなかった私は話を促した。
ルシウス様も他言無用との前置きから断片的に話し始めた。
封印していた「悪魔」の石棺が破壊されていたこと。
装備や血の跡はあったが、兵の死骸はなかったということ。
そして、ウォルターがいたと示すものがなかったということ。
確かにウォルターはいたはずだが、その痕跡が消えていたというのだ。
「つまりは、ウォルターは無事なのかもしれないのですね」
私はルシウス様に言った。
「そうとも、いえる」
彼ははっきりと肯定できないまでも答えた。
私は、ウォルターのことで頭がいっぱいであった。
ルシウス様が何かを恐れていることにまで気が回らなかった。
「では、ウォルターを探します」
私は告げる。
「いや、待ちなさい」
彼は止めようとした。
「ウォルターが生きていたとして、姿を現さないのは……」
ルシウス様の言葉を遮るように私は言った。
「理由があるのでしょう。それも含めて調べます」
「おやめなさい。これは神殿騎士団の、ひいては王家の問題、あなたが踏み入るものではない」
ルシウス様が止めにかかる。
このときはじめて私の頭に血が上った。
「私の恋人がいなくなったのです。私の問題です、誰にも邪魔だてする権利などない!」
◇
そして、私は彼の捜索を始めた。
彼は見つからない。
数週間が過ぎた。
あまりのことに私はひとり泣いた。
愛した人も満足に探し出すことができない。
日々の仕事に追われて身動きが取れない。
この時ばかりはマクスウェルの次期当主という立場を捨て置きたかった。
でも、私はこの「居場所」を放り出すことはできなかった。
私はエリーゼ・カナン・マクスウェルという人物を……
「マクスウェル家の次期当主」であることを棄てることができないでいた。
この事実を自覚した時、愕然とした。
私は、私はこんなにも薄情なのかと。
あれだけ好きで愛を囁き合った仲なのに。
当の私は、こんなものなのかと。
すべてを投げうってウォルターを追うことができないのかと。
私は今の地位や立場に執着し、家に執着している。
私が忌み嫌う利権を貪る輩となにひとつ違わない。
奴らも貴族という地位、あわよくば上の爵位にならんと妄執をもっている。
私は愛する人を、いや人を愛することよりも、この立場の方が大切な人間なのだと。
私が焦燥と自責で鬱々とした日を過ごす中でも戦は起きる。
領内でも不穏な動きがある。
王国内で騒動があったのだからこの機に、とつけ入ろうとするのは無理からぬことだ。
◇
内外に難事を抱えるこの時期は、他の諸侯にとっても大変な時期であった。
そんな誰もが余裕のない軍議の後、アンジェとウォーロック卿が諍いを起こした。
ウォーロック卿が誰よりも先に退室し、それを足早に追いかけたアンジェ。
ふたりだけが退室した直後。
誰もこの諍いのきっかけは目撃していない。
めったに声を荒げることのないウォーロック卿の怒声で皆が廊下に出た。
私が目にしたのは、アンジェが卿の腕を掴んで離さず、卿はそれを振りほどこうともみ合っている状況だった。
ウォーロック卿はウォルターの父親だ。
ウォルターが行方不明になって憔悴しきっている卿は精神的に余裕がないのは分かる。
これ対して、アンジェは何事かわめきながら卿を連れ出そうとしていた。
私は彼女を止めに入った。
だが、彼女はいつもの口の悪さで「鈍くさい」と罵った。
これが、私には痛かった。
確かに、何もできない、何をしようにも遅々として進まない。
気づいたら彼女の頬を張り飛ばしていた。
「誰が、鈍くさいですって」
私は本当に無力で、グスで、鈍くさい―――
さらに手をあげそうになった時、ハティが止めに入った。
私を抱えてその場から逃げるように去った。
王城での諍いは禁じられている。
まして相手は守護者。
後日罰せられるであろう。
情けない姿を見せてしまった。
◇
ハティは中庭まで私を連れて来ると口を開いた。
苦言を呈するのかと思ったが、開口一番に彼は私に謝ってきた。
「姉上…ごめんなさい」
そう言った。
「こんなになっているのにっ、気づいてあげられなかった……」
ぎゅっと抱きしめてくる。
「何を」
私は動揺した。
こんなふうに抱きしめられるなんて……
「こんなに辛い思いをしてるのに。苦しんでいるのに。どっかで『姉上なら大丈夫』って思いこんでいたんだ」
背をさすってくる。
子供をあやすように、痛む場所を癒すように。
「姉上だって、一人の人間だ。好きな人がいなくなって、心配で、苦しんでいるのに。勝手に大丈夫だって、姉上はどこか特別な人だって」
彼の言葉に涙が浮かんできた。
「ごめんなさい。苦しいのに、辛いのに……」
私の苦しみを理解しようと、思いやってくれている。
私はここまで周りの人に、弟に心配をかけていたのか。
「……ずいぶん、生意気な口を利くようになりましたね」
胸が温かくなる。
押し殺していたものが喉まで上がり、じわじわと涙を押し出してきた。
堪えながら震える声でお願いする。
「じゃあ、胸を貸してくれますか」
「よろこんで――――」
彼の答えを待つことができなかった。
私は声を殺そうと胸に顔を押しつけて泣いた。
それでも、その声は漏れ出てた。
ただ、声を上げて泣いて震えている私をハティは抱きしめてくれた。
◇
泣き止んだ私をハティは別邸まで送ってくれた。
とぼとぼと力なく歩く私の手を引いて歩いてくれた。
フリードもルークも何も言わずに私たちを部屋でそっとしておいてくれた。
私は泣きながらウォルターの話をした。
そして何もできないことの苦しさを吐露した。
ハティはただ話を聞いてくれた。
時々涙をこぼしながら「辛かったでしょう」と寄り添ってくれた。
そうして落ち着くまでいっしょにいた。
ただ隣にいて寄りかからせてくれた。
本当に優しくて思いやりのある子。
赤の他人だったら惚れてしたかもしれません。
「ホント、血がつながってるのがいまさらながら悔やまれます」
ハティが帰るとき、思わず口をついて出てしまった。
彼は意図を掴みかねて首をかしげる。
「僕は姉上の弟ですよ。大切な人だと思っております」
そう言って去っていった。
―――――本当に、困った弟ですね。
◇
ハティはそれから休みのたびに私を訪ねてきた。
別邸にいない時も実家まで足を運んだ。
いろいろと気にかけてくれ、話を聞いてくれた。
つい心を許してしまい、どうでも良いことまで口走ってしまう。
あまりにも仲が良いので周囲は変な誤解をした。
けれど、私たち姉弟にはまったくもってそんな気はない。
まあ、私が人恋しさのあまりくっつきすぎるというのは否定できないのですが。
私は少しずつだが落ち着きを取り戻していった。
そんな時、王都で変な噂がたった。
私とハティのことではない。
アンジェが私を呪い殺そうとしているというものだ。
バカバカしいかぎりのことだ。
ちなみに、諍いを起こした後に下された罰は謹慎三日であった。
謹慎あけに私はアンジェに謝った。
騎士たる者、過ちを認めて謝罪をするのをためらってはいけないのです。
アンジェも口をとがらせて「アタシも悪かったわ。言い過ぎた。ごめん」と言ってきた。
何百年生きていようと、彼女は見た目どおりの精神年齢なのかと思わざるを得ない。
すぐに仲直りをしているのだから、この噂というものは勘違いもいいところなのだ。
きっと神殿が破壊されて不安になった市民の誰かが、アンジェをその捌け口にしようというのだろう。
この忙しいときに、なんともくだらないことをしてくれたものです。
だが、この噂があらぬ方向に向かった。
王都に走った二度目の激震。
「クラフト卿暗殺事件」
犯人は弟。ハティ・マクスウェル。
クラフト卿は、国軍でも諜報部を担当し、ギルド運営も行っている重鎮だ。
彼とて戦場で幾度も武功を重ねた歴戦の猛者。弱いわけがない。
それを、弟は単独で邸宅に潜入し、腕利きの護衛を含めて卿を殺害した。
短時間での犯行。
その後、私のところへ来てことの経緯を伝えたのだ。
身内の叛意、共謀者の動き。証拠も十分にあり、動かしがたい。
王国の中枢と我が家に蔓延る悪意が明るみに出た。
放っておけば、我が家は混乱の中、潰えていたであろう事態。
共謀者にウォルターの父、ウォーロック卿がいた。
私は愕然としながらも、弟が家族を思って無茶なことをしたのだとわかった。
ほんのちょっと違う理由があったことも気づいていたが、伏せておく。
弟は自分が処断されることも厭わずに動いたのだ。
今回の首謀者、伯父セドリック。
事情を聞こうと私たちの前に引き出されたが、のらりくらりと弁を弄して認めない。
証拠物を見せると、一転して私たちを糾弾した。
私の蛮行。
父が異国の下賤な女と子を持ったこと。
妹がその子供を身内として育てていること。
さんざんに悪態をついたとき、金属音がする。
ハティが剣を投げてよこしたのだ。
伯父が、拘束の縄を剣で切った。
「これで、言い訳もできないだろう」
冷たい、本当に冷徹な声。
これが、ハティの声なの?
驚いて彼を見る。
瞳の色が琥珀色になっている。
全身から立ち上る怒気と魔力。
それに反した冷たく暗い表情。
私は背筋に冷たいものを感じた。
伯父が剣を手にした時、ハティが襲い掛かった。
言葉を発する間もなく、伯父の首は胴体から離れた。
―――――誰も目では追えなかった。
「お前の罪状はひとつだ。我が家族を侮辱した」
言うと、血濡れた剣を逆手に持つ。
その場に座ると、服をはだけた。
「せめて、この穢れた血の剣で、私の穢れた魂を……」
腹に突き立てようとする。
その手を払い、剣を奪ったのは父だ。
「バカな真似を!」
「この罪を、命でもって償います」
ハティは落ち着いていた。
だけれど、私は冷静ではいられなかった。
「ハティ!だめっ」
彼に飛びついて、声を上げて泣いた。
「私の、私の弟!死なないで」
「姉上」
「私が悪いの、ハティは悪くない、私が悪いの」
子供のように泣き叫ぶ。
「は、母上、私はあなたの」
「何も言わなくていいの」
「でも、憎んでも、恨んでもいい……」
「あなたの気持ちはわかるから」
父母も泣き、弟を説得した。
弟は慙愧の念から自決を図ろうとし続けた。
この時に、「武士は切腹をする」ということを嫌というほど思い知らされた。
自身の腹の中には何一つやましいものは無く、すぐに死ねない苦痛すらも主に捧げる忠誠心を示すものだということに。
正直、怖気が走る。異常者だ。
命と意志力のつり合いがとれていない。
意志力だけが先行して自分の命など、銅貨にも足らないなど。
そんな弟をようやく言い含めて、彼を軟禁した。
フリードとルークにも絶対に弟を死なせることがあってはならないと厳命した。
母も監視を続けた。
母は母で、この家族思いの狂人である弟を愛していたのだ。
◇
父は病身をおして王都に行き、私も共に事の経緯を説明して弟に咎がないことを訴えた。
誰もが疑いようのない証拠もある。
この談判に、彼の主人である騎士、ガレス・シュタイナーが加わり、アンジェまで乱入してハティの擁護を始めた。
王国の重鎮三名が言い募るのでは、王も折れるしかなかった。
特にアンジェの熱量は高く、下手をすればことを構えかねないほどであった。
まさか……いや……う~ん。
ともかく、ハティは無罪放免となった。
この事件のせいでハティは「マクスウェルの番犬」と呼ばれるようになり、時には「狂犬」と揶揄されるようになった。
しかし、これがさらにあらぬ方向へと進むきっかけになってしまった。
将軍宅に一人で侵入して殺害したハティについて、マクスウェル家の意見が分かれるようになった。
危険な人物をはたして一族として置いてよいものか、という危惧。
これは至極真っ当であったが、中には次期当主はハティが良いのではないかと言いだす者が現れたのだ。
公爵家でありながらも武でなる一族であるマクスウェル家で第一とされるのがその“力”。
だから、今回のハティの力はこの血なまぐさい時世において最も有用性がある。
父の血を継いでいるのは確かなのだから、男子でもある彼を後継にと推しているのだ。
彼らは最短で騎士の叙勲を得、戦場で敵国幹部を多数討ち取った私と天秤にかけ始めたのだ。
私はどうしてもウォルターのことは断念せざるを得なくなった。




