023 旅立ち
「ただいま。」
「おかえり。」
家に帰るとすぐにイリアの母親の声が返ってくる。どうやら家にはいたようだが、イリアのことを心配したようなものではなかった。朝帰りした娘にそれだけ?って感じではあるけれど、放任主義であるのは助かるのも事実だ。
特に今みたいにどうしようか迷っている時とかはな。ミザー宅からここまで思考しながら歩いていたとはいえ、やはりそう簡単に解決する問題でもないのだ。
「……どうしかした?」
「……え?」
「何か話があるんでしょ。」
それなのに、なんで。いつもなら特に何も言わないイリアの母が、今日という日に限って優しい顔を浮かべてこちらを見ている。
どうしてだろうか。イリアの母にそういう顔をされると心の奥からこみ上げるものがある。本当のイリアが感じ取っているのだろうか。
「な、なんで?」
「何でって。娘のことを分からないほど冷血漢ではないわ。」
「……はは、は。」
何で、何でだろうか。本当に重要なところではちゃんと気づく。イリアの母にどこまでも敵う気がしない。これが親の愛というものなのだろうか。
だからこそ、思うこともある。本当のイリアから奪っていいものなのだろうか。神と俺のエゴで巻き込んでしまったと。俺が言えた義理ではないが、こうなるとは思っていなかった。
瞳から雫が垂れる。何年ぶりだろうか。我慢しようにも止まらない。
「あんた、何泣いてるの。」
「……どうしてだろうね。」
イリアが泣いているのかな。それとも俺は泣いているのか。やはり、元の身体を取り戻さなければならない。もちろん、自分の身体を取り戻したいというのもあるが、何よりもイリアに身体を返さなければならない。
だから、旅にも出なければならない。多少の無茶も押し通さないといけない。
「話があるんだ。」
「聞くよ。」
「……。」
話そうと覚悟を決めたはずなのにどうしてかな。口が閉じて開かない。重い心に引っ張られるように視線は自然に下を向くけれど、今はイリアの母をきちんと見ないといけない。伝えようと思わないと伝わらないのだから。
「旅に出ようと思う。多分、長い旅になると思う。いつ帰ってこれるかも分からない。それくらい長い旅。」
「知っているよ。イリアは最初から旅に出るって、そう思っていたからね。」
「……ありがとう。それと……。」
旅。これは呆気なく許可が下りる。それにびっくりしつつも、確かな納得感を感じる。そう言えばイリアさんは思いのほかヤンチャであったのだ。それを考えるとこうなってもおかしくないだろう。
けれど、本当のイリアではないなんて、そんなことを言うのはやはり躊躇われることだった。重い口を何度か開け閉めするが、言葉を発するには至らない。
「言わなくていいよ。きっと、事情があるんだろうね。」
「……え?」
「いつか話せるときに話してくれたらいいよ。」
「どうして?」
どうしてだろうか?こんなにもイリアの母が優しい理由が分からない。きっとイリアの母もある程度は勘づいているのだろうけれど、それでも何も言わないでいてくれたようだ。
それが不思議で仕方ない。本来であれば、罵り詰られてもおかしくないのに。どうしてなのだろうか?
「イリアは私の娘だからね。あなたも私の娘よ。」
「……。」
「今日はよく泣く日だねぇ。」
「ごめん、なさい……。」
涙が溢れてくる。これはきっと俺の涙。誰のものでもない自分のもの。申し訳なさとか、色々な感情が混じり合って、よく分からない。だけど、涙が溢れて止まらない。
「いいんだよ。さぁ、今日は寝なさい。」
翌日。目が腫れるまで泣いていた昨日だが、夜を明かした頃には目の腫れもおさまり、いつも通りのイリアの顔に戻っていた。昨日のことが嘘のようにいつも通りの日常。
「……今日旅に出るから。」
「ああ、分かっているよ。」
「今まで、ありがとうございました。」
でも、その日常ももう終わり。今日、俺は確かに旅に出るのだ。自分の肉体を取り戻す旅。イリアの意識を取り戻す旅。果てしなく遠い道のりであっても俺は道を進む。
「ははは、うん。気を付けていってらっしゃい。」
「ありがとう。行ってきます。」
「寂しくなるねぇ。」
「……。」
イリアの母の声が聞こえる。でも、振り返らない。振り返ってしまえば泣いてしまいそうだから。旅立ちは笑顔でいたいから。
「イリアちゃんいいの?」
「うん。アリスちゃんこそ。」
「私はもっと前からこうなるって分かっていたから。」
「そう。ありがとう。」
ずっとアリスちゃんはイリアさんの道を一緒に歩む覚悟を決めていたのだろう。そんなアリスちゃんのためにも誓う。
絶対にイリアの意識を取り戻すと。達成困難であっても絶対に。なんと言っても前世が英雄なんだからな。英雄であるならこれくらいの困難は乗り越えて当然だろう。
だから、イリアの母も、アリスちゃんも安心してくれ。この英雄様に任せておけば幸福な未来に導くから。
「ふふ。こちらこそだよ。」
「じゃあ、しゅっぱ~つ!!」
先にあるのは光輝く道だ。燦燦と輝く未来に向かって一歩踏み出した。
「あ、熊公の討伐報酬受け取ってない!!それに広場の剣のことも忘れてた!!うっ、迂闊!!」
「……イリアちゃん。」
「あ、いや、ごめん。つい。報酬貰ってないなぁって。あはは。」
我ながらタイミングを間違えた。冷たい氷のようなアリスちゃんの視線が突き刺さる。感動的な空気は霧散しており、俺の顔には愛想笑いが張り付いている。
ごめんね。ついなんだ。思い出してみたら意外とやり残していそうな事とか、あったりなかったり。でも、今更引き返してなんてカッコ悪いこと出来やしない。このまま強引に出発だ。
「もう、仕方ないなぁ。」
「ははははは、じゃあ、しゅ、しゅぱ~つ。」




