人間と勇者
ホープはどこまでも迅速だった。彼女はすぐさま自分のアイデアを他の三人の魔王に提示し、同時に自分の姉にもその案を打ち明けた。彼女の配下は全員素直に指示に従い、天使と勇者が口を挟む余地は無かった。
「あら、いいんじゃない? 私そういうの好きよ」
魔王の中で真っ先に反応したのはホープの実姉、メナスだった。彼女の返答は簡潔でわかりやすかった。さらに彼女に続くように、他の魔王も次々と賛成意見を返してきた。
「反対ゼロ。いい感じね」
「やはり魔族は根っからの戦闘種族ということですね」
「それが魔族だからね。別に変とは思ってないわ」
その結果を見たホープは満足げに頷き、ミューゼルの皮肉めいた言葉にも平然と答えてみせた。そして残されたアドメレクと真樹は、その展開の速さについてこれずにいた。
「それで? 天使達はどうするの? 降りる?」
「私は参加してもいいと思います。ですが他の者達がどう出るか。戦いを野蛮なものと考える、潔癖な者もおりますからね」
「説得は出来る?」
「最善は尽くします」
ミューゼルもまた乗り気だった。しかし天界は魔界ほど単純には行かないだろう。そのことはアドメレクも承知していた。
そんなアドメレクに真樹が問いかける。
「戦いたくないって人もいるんですか?」
「それなりにいます。そもそも、そう言う派閥の者達が、天界では多数派を占めています」
「説得は難しそうですか」
「ミューゼル様の言葉を真っ向から否定できる者はそうはいませんが、まあ抵抗は起きるでしょうね」
アドメレクの言葉を聞いた真樹は戸惑いを見せた。天使だから結束力も格別だと一方的に思っていたのだが、実際は天界もまた一枚岩では無いということか。
そう考えていた真樹に、不意にホープが声をかけた。
「ところでマキ、あなたには別の仕事をしてもらいたいの」
「あ、はい。なんですか?」
「ちょっと人間界に戻ってもらいたいのよ」
「えっ?」
きょとんとする真樹に、ホープが続けて言った。
「私の案を、向こうのお偉いさん方に話してきてほしいのよ。私が直接話すより、勇者のあなたが言って伝えた方がずっと通りやすいと思うしね」
「ああ、なるほど」
真樹は納得した。既に勇者という肩書きも形骸化した感じもしていたが、まだ利用価値はあるようだ。
「今すぐ行ってきた方がいいですかね」
「そうしてくれると助かるわ」
「でも門は?」
「今用意する」
そう言いながらホープが指を鳴らす。直後、彼女の横の空間が縦に裂け、奥に闇色の渦が蠢く不気味な穴が出現した。
「ここを通れば人間界に戻れるわ。早速で悪いけど、行ってきてくれるかしら」
ホープが告げる。拒否権はなさそうだった。真樹は観念したように口を開いた。
「じゃあ行ってきます」
「ええ。行ってらっしゃい」
「……あんまり期待しないでくださいね?」
「大丈夫よ。あなたならうまくやれるわ」
穴に足を踏み入れる一瞬、真樹は渋い顔でホープに言った。しかしホープは気にすることなくそう返し、それを見た真樹は観念したように穴の中へと入っていった。
そうして吸い込まれるように真樹が穴の中へ入った直後、空間の裂け目は音もなく塞がっていった。そして一秒もしない内に空間の傷が完治した後、アドメレクが不審げな表情を見せながらホープに言った。
「本当に大丈夫なのですか?」
「平気だって。心配しすぎ。あの子は仮にも勇者なのよ?」
「勇者になる前は普通の人間なんですよ」
「それでもよ」
ホープはどこまでも楽観的だった。アドメレクとミューゼルは微妙に渋い顔を見せた。
本当に大丈夫だろうか。
「考え過ぎよ。まさかこっちにいる間に革命が起こって、政体が丸ごと変わってるとか、あるわけ無いじゃない」
そんな苦い空気を察してか、ホープが明るい声で言い放つ。それでも二人の天使は苦い顔のままだった。
人間界への帰還は、ほんの一瞬の出来事だった。裂け目を潜り、渦の中に足を踏み入れた次の瞬間には、もうそれまでとは異なる風景が目の前に広がっていた。
空には夕日が浮かび、夕日の周りには雲が集まり、雲の後ろに橙色の空が広がる。空気は透き通り、頬を凪ぐ風は冷たく、大地はよく足に馴染む。
人間の世界に帰ってきたのだ。元いた場所とは違っても、やはりここは人間のいるべき世界であった。どこまでも肌に合うその感覚を前に、真樹は感動すら覚えた。
「動くな!」
その時、不意に声が聞こえてきた。自分の背後から、敵意に満ちた怒鳴り声が。
驚きながら真樹が後ろを向く。そこで彼女は初めて、自分の背後に王城があることに気づいた。
「貴様、小坂真樹だな?」
そしてそのすぐ後ろにある王城の正門前、そこに立っていた守衛の一人が、こちらをきっと睨みつけていた。
その守衛は驚く真樹を睨みながら、こちらに向かって剣を抜きつつ声を上げた。
「自分からのこのこやってくるとはいい度胸だ。動くな! 逮捕してやる!」
「え、なにが」
「黙れ! 人間の分際で魔族の肩を持つ裏切り者め! 神妙にしろ!」
「え、え?」
何が何だかさっぱりだった。しかし守衛はそんな真樹に近づき、無抵抗な彼女の両腕を縄で縛り上げた。
「動くな! じっとしてろ! 弁解は王にするんだな!」
「え、あの、え?」
守衛が本気で怒った声をぶつけてくる。
真樹はまったく状況を理解できず、ただ流れに任せるままであった。




