牢と勇者
小坂真樹が魔界に赴いていた間、人間界ではある変化が起きていた。それは非常に大きく、そしてごく短期間のうちに行われた変化であった。
クーデターによる情勢変化である。
「今なお奴らは謎の奇病によって暴走し、その解決策も目処がついていない。最近では、人間界に来ていた魔族でさえ暴走するようになっている。もはやこれ以上、魔族共の横暴を黙って見過ごすことは出来ない。根本的な解決策が見つからないのであれば、彼らとの縁を完全に切るほかないのだ」
始まりはとある軍事国家の総統が発したこの言葉だった。彼は声高に魔族との「断交」を主張し、近隣諸国に理解を求めたのである。いつ起きるかもわからない魔族の暴走に恐怖していた各国、特にまともな軍備を持たない中小国家は、その総統の言葉に強い魅力を覚えた。そして人間界において、魔族と対抗できる力を持つ国はほんの僅かであった。
それ故にその勢力は急速に成長を遂げ、人間界の中で反魔族の機運は一気に高まっていった。
もちろん、全ての国家がそれに同調したわけでは無かった。魔族からの技術協力によって発展を遂げた大国や、以前から協調融和を唱え続けていた国々は、その反魔族同盟の主張に毅然とノーをつきつけた。無論彼らの言い分も理解していたし、共存路線派の面々にとっても、今や魔族は恐怖の対象となっていた。それでも彼らは、過激派のように全ての希望を捨てたわけではなかった。
「まだ全ての魔族がそうなったわけでは無い。それに今現在、人間界で魔物が暴走する事件は一件も起きていない。理性を失った魔族がゲートを越え、人間界に侵攻してきた事例も起きていない。これは全て、勇者マキが魔界に赴いて以降のことである。そうして彼女が時間を稼いでいる間に、我々は魔族と共に解決策を探しているのだ。そんな彼女の努力を無碍にするようなことがあってはならない」
反魔族連合に対抗する勢力は、そのような論調を展開した。しかしそれに対し、反魔族連合は負けじと反論した。
「それはいつになったら実を結ぶのだ?いつ終わるかもしれない計画のために、国家を危険に晒すことは出来ない。それに勇者にしたところで、いつまで魔族を抑えていられるというのだ? あの者が力尽きて倒れるより前に解決策が用意できるという保証は、どこにも無いのだ。可能性に縋って破滅を待つなど、到底受け入れられることではない」
完全に平行線だった。両社は互いに歩み寄る気配を見せないまま、ただそれぞれの言い分をぶつけ合うしか出来なかった。
それでも彼らは、ある一点においては同じ見解を抱いていた。今のままではいけない。人間は団結し、一丸となってこの問題に取り組まねばならない。一枚岩になることの重要性を、どちらも認識していたのである。
「バラバラのままでは魔族に勝てない。彼らの膂力は人間のそれを凌駕している。もし本格的に敵対したとして、単独で倒せる相手ではないのだ」
「だが、このまま話していても向こうは納得しないだろう。いつ襲ってくるかもわからない今、下手に時間を浪費するべきではない。ならば今のうちに、打てる手を打っておくべきだろう。我々に同調しなかったことを後悔させてやるのだ」
先に動いたのは反魔族連合だった。彼らはより直接的で、暴力的な手段に出たのである。
戦争だ。反魔族連合は宣戦布告と同時に、協調派に属する各国に同時攻撃を仕掛けた。この電撃戦は八割が成功した。協調派の面々は過激派がここまで思い切った手段を取るとは思っておらず、対外防備をまるで整えていなかったのである。
しかしそれ故に戦闘らしい戦闘も起きず、ほぼ全ての国が無血開城となったのが不幸中の幸いであった。
こうして世論は完全に反魔族に傾いた。それまで中立を貫いていた国々も、この戦争にもならない戦闘行為を目の当たりにして、完全に態度を反魔族側へと傾けた。こうして人間界の心は一つにまとまった。
「これで懸念の一つは片付いた。さて、それでは次の問題について話し合うとしよう」
そしてこの後、彼らの関心は別の方向に向けられた。彼らの懸念は魔界に降りた個人、自分達の手でこの世界に召喚した一人の少女のことであった。
不死身の勇者をどう扱うか。彼らは頭を悩ませた。憐憫や同情が彼らを懊悩させたのではない。この時彼女もまた魔族の毒に侵され、その身に血石を宿しているのではないかと疑心暗鬼に陥っていたのである。
「彼女は不滅の肉体と魂を持っている。生まれも非常に特殊なものだ。言ってしまえば、彼女は我々のそれとは大きく異なる特徴を有しているのだ。その彼女が、はたして今もなお人間の心を持っているであろうか。そしてこのまま、我々の仲間として受け入れていいのだろうか」
反魔族連合の重鎮達は、大真面目にそのようなことを話し合った。そして話の流れが「排斥」に向かうのに、さして時間はかからなかった。あるかどうかもわからない奇跡を期待して滅ぼされるなど、とても笑えた話ではない。
人間はどこまでも合理的で、ある意味では愚かだった。
「では、次にこちらに戻ってきた時に彼女を捕縛するという方向で」
「返還や殺害が無理なのであれば、地下牢にでも放り込んでおけばいい。とにかくこれ以上、かの者を自由にしてはいけない。最悪の場合、こちらからあの者を招聘してしまえばいいのだ」
小坂真樹を巡る反魔族連合の会議は、大した混乱も波乱も無く終了となった。この件についても彼らの意志は統一され、そしてその意志の中に小坂真樹に対する優しさは欠片も含まれていなかった。
自分達と異なっている。その時点で、小坂真樹もまた彼らの敵と認識されたのだ。
そんな彼らにとっても予想外だったのは、その小坂真樹が自分から、呼ばれてもいないのにこちらに戻ってきたことであった。
「そんな」
放り込まれた牢屋の中で看守からその事の真相を聞かされた真樹は、ただ口を開けて呆然とするばかりであった。彼女に事のあらましを説明した看守は元々協調派の人間であり、過激派の起こした戦争の際に捕虜となってこの国に連れてこられ、こうして閑職に甘んじているのであった。
「いくらなんでも、そんなこと……」
「信じられないのも無理はありません。ですがこれは本当のことなのです」
信じられないと言いたげに口を開く真樹に、看守が肩を落としながら答える。すると周りの牢から、口々にその看守に同意する言葉が飛んできた。
「悪いが勇者様、全部事実なんだぜ」
「あんたが魔界にいる間、こっちは大きく変わっちまったんだ」
「人間界は完全に魔界と絶交する気でいる。反対する奴もまだいるが、そういう奴は片っ端から牢屋に連れていくのさ。俺達みたいにな」
「本当に、どうしてこうなってしまったのでしょうか……」
憤る者もいれば、嘆く者もいた。そしてその全てが、今の状況に絶望していた。そしてそれは看守も同様であった。彼は立場上ではこの場の誰よりも上位に位置していたのだが、その彼の態度は他の者と同じように悲嘆に暮れていた。
牢獄の空気はどこまでも悲嘆と諦念に満ちていた。それが真樹には耐えられなかった。
「大丈夫ですよ。絶対に助けが来ます。誰が来るかはわかりませんけど、それでも魔界の誰かがきっと来てくれます」
場の空気を盛り上げようと、真樹が意識して明るい声で告げる。しかし結果は芳しくなかった。
「勇者よ、本当にそう上手くいきますか?」
「この国はかつては中小国家の一つでしたが、今では反魔族連合の一員として、十分すぎる軍備を整えています。いくら魔族といえど、ここまで突撃してくる者がいるとは思えませんよ」
「それにそんなことすれば、たちまち全面戦争に発展する。どう考えても悪手だ」
「そもそもあなたが今どこにいて、どのような目に遭っているのか、魔族達は理解しているのですか? 彼らと連絡はとれるんですか?」
「それは……」
四面楚歌だった。四方八方から予想外の反撃を食らって、真樹は思わず口ごもってしまった。そして彼女を攻撃した方も、やり過ぎたと思ってそれ以上何も言わなくなった。
再び空気が重くなっていく。沈黙が針のように心を刺し、心臓が委縮して息が詰まっていく。しかしそれでもなお、真樹は折れなかった。
「それでもです。彼らは必ず来ます。魔族じゃないとしても、助けは必ず来ます。それに最悪の場合は、私があなた達を逃がしてみせます」
「なんですと?」
「いけません。勇者が人間に剣を向けるなど」
「それでも、こんなことは間違っています。言うことを聞かない人を牢屋に押し込めるなんて。少なくとも私は嫌です」
真樹は譲らなかった。ただ一人いた看守も、他の牢に押し込められていた無実の囚人達も、誰もそれに反論しなかった。
彼らも真樹と同じように反魔族連合のやり方に憤りを覚えていたし、何よりここから出たかったからだ。
「とにかく、私がなんとかします。なんとかしてみせます。ですからそれまで、なんとか耐えてください。絶対に逃げ出してみせますから」
真樹が力強く告げる。その言葉は、ここにいた他の者達を勇気づけるのに十分な力を持っていた。
唯一ある牢獄の入口が音を立てて開かれたのは、まさにその時だった。
「新入りだ。こいつもついでにぶちこんでおけ」
外から高圧的な声が聞こえてくる。直後、派手な音を立ててドアが閉められ、後には新入りが呆然と立ち尽くしていた。
その場にいた全員が、その新入りの顔に覚えがあった。特に真樹以外の全員が、その新入りと真樹の顔を交互に見比べた。
そしてその新入りは真樹を見つけ、彼女を見ながら申し訳なさそうに口を開いた。
「すいません。失敗しました」
身ぐるみはがされ、質素な肌着しか身に着けていなかった小坂真樹は、既に牢に入れられていた小坂真樹を見ながらバツの悪い表情を浮かべた。
本物は心が折れそうになった。




