実験と勇者
「魔族は文明的になりすぎた」
風の国の魔王、偉大なるジーラントは開口一番にそう告げた。それから彼は周りにいる聴衆を見渡し、全員が固唾を飲んでこちらの動向を見守っていることを確認した後で、再び口を開いた。
「人と協調し、本能のままに暴れるのを止め、理性的で文化的な生き方を始めることを選んだ。殺し合いではなく共存を選択した。それはいい。これもまた一つの進化だ。しかし魔族にとって、この選択は決して簡単な問題ではないのだ」
「どういう意味ですか?」
勇者真樹が問いかける。ジーラントは一つ頷き、彼女を見ながら言った。
「魔族は本能的に暴力を求める生き物だということだ。血と肉を、殺戮と破壊を渇望し、それを行うことに無上の喜びを感じる。そうなるように、遺伝子の奥底に刻み込まれているのだ。しかし今、魔族はその抗いがたい本能を理性で押し留め、人間と同じ目線に立とうとしている。暴力の欲求を汚らしいものと断じ、道徳的な生き方こそ素晴らしいものだと思い込もうとしている」
「それが何かまずいのですか?」
「当然だ。これこそが、問題の根本といってもいいくらいだ」
アドメレクからの問いにジーラントが首肯する。するとその後を継ぐように、今度は彼の横にいたローブ姿の真樹が口を開いた。
「魔族は本当は暴力を求めてる。でも彼らはそれを無理やり否定して、理性的な生き方を目指そうとしている。そこに無理があった。魔族の欲求は、それ自身の理性で抑え込められるほどヤワなものじゃなかったのよ」
「最初の頃は何とか抑えられていた。でも共存を始めて道徳的に生きる内に、抑えつけられていた本能が悲鳴を上げ始めた。そしてある時、とうとうタガが外れた。限界まで押し込められていた暴力衝動が爆発し、理性の蓋を吹き飛ばした」
「それまで抑圧されていた反動からか、解放された衝動は凄まじいものだった。理性はもちろん、同族意識や知性すら吹き飛ばすほどの、どうしようもない破壊欲求が全身を支配した。ただ暴れるだけの獣になり果てたのよ。同時にその破壊欲は、二度と自身が束縛されないよう、体内に新たな器官を生み出した。本能が理性を抑え込み、死ぬまで暴れられるようになるためのね」
「それが血石だ」
真樹とジーラントが交互に言葉を述べる。勇者真樹と天使はちんぷんかんぷんだった。
「つまり、どういうこと? 血石は具体的にどういう能力を持っているんですか?」
「血石とはつまり、血を媒体にして生み出された、欲の塊だよ。生み出したのは、それまで抑圧されていた本能そのものだ。そしてこの血石という器官は、破壊衝動を絶え間なく対象の脳に送り込み、理性を本能で塗り潰す。もう嫌だとか、もう十分だとか言った言葉すら思い起こさせず、死ぬまで暴れさせる」
魔族の本懐を遂げるために。ジーラントはそう締めくくった。初めてその話を聞いた二人はただ呆然とするだけだった。
「それで、その話とこの国の状況、どういう関係にあるのですか? 国が壊れて人がいなくなったのと何か関係が?」
「前にも言っただろう。我々は民を解放したのだ」
「まさか」
ジーラントの言葉を聞いた勇者真樹は顔を青ざめさせた。それを見た王の真樹は慌てた調子で言った。
「違う違う。解放って言っても、国民全員を暴走させたとか、そんな酷いことはしてないわ。やったのはもっとマイルドなことよ」
「ちゃんと教えてください」
「わかってる。そう急かすな」
必死の面持ちで問い詰める真樹を、ジーラントが片手をあげて制す。勇者真樹は踏みとどまり、それを見たジーラントは一つ咳払いをしてから彼女に答えた。
「我々はここで長いこと研究をしていた。血石のことや、それによる暴走のことなどについてを、この真樹達と一緒にな。馴染みの配下でなく彼女達を選んだのは、突然血石が発生して暴走される心配がないからだ」
「ホープはそういう風に作ってくれたからね」
「そしてその研究の結果、魔族が今の生き方を続ける限り、血石の発生は避けられないものと結論付けた。全ての魔族は例外なく、この血石を自ら生み出してしまうだろう。あるのは早いか遅いかの差だけ。最終的には本能が理性を上回り、抑圧された衝動が暴走を始めるだろう」
「止める手段は無いと?」
「無い。むしろ抑えれば抑えるほど、反動も大きくなる。下手に手を出せば、それだけ痛いしっぺ返しを食らうことになるのだ」
アドメレクの問いに、ジーラントはそう答えた。アドメレクは沈黙し、ジーラントは続けて口を開いた。
「だから我々は、逆転の発想を取ることにした。欲求を抑えつけるのではなく、こちらから解き放ってしまうのだ。抑圧の果てに重傷を負うのではなく、いっそ自意識のあるうちにやりたい放題やらせて、軽傷で済ませようとしたのだ」
「そしてそのアイデアが正しいかどうか、ジーラントは自国で実験することにしたの。被験者は国民全員。実験内容は簡単。一番強い国民に大量の賞金と名誉を贈るという勅令を出して、全ての民を戦わせたの。手段は不問。ただし殺しは厳禁。リングは風の国全域。外に出るのはご法度。そして最後に王は、理性を捨て、本能のままに戦えと命じた」
ローブ姿の真樹が言葉を継ぐ。ジーラントはうんうんと同意するように頷き、話を続けた。
「ブレーキ役にはここにいる真樹のレプリカ達を使った。配下にも戦わせてみたかったからな。もちろん私も参加した。一人の魔族として、大いに暴れた。今まで彼女を買い占めてきたのは、全てこの日のためと言っても過言ではない。まあ鑑賞目的なところもあったが」
「なんということを」
アドメレクは唖然としていた。まさに開いた口が塞がらないという体であった。穴だらけにもほどがある。
その横にあって、真樹は興味津々と言わんばかりの顔をしていた。天使と正反対の表情を浮かべた彼女は、その顔のままローブを羽織った偽物の自分に問いかけた。
「それで、実験結果はどうなったんですか?」
「結論から言えば、成功ね。みんな体が軽くなったとか、前よりすっきりしたって話してくれたし。それに魔力の波長も、今まで見たことがないくらい穏やかになっていた。皆暴れたかったのよ」
「その代償として、国が焦土と化したがな」
ジーラントが笑って言った。ローブの真樹もつられて笑みをこぼした。
アドメレクは彼らが何故笑っていられるのか理解できなかった。
「それで、国の人達はどこに行ったんですか?」
そんな釈然としないアドメレクを差し置いて、真樹がジーラントに問いかける。勇者に問われた風の魔王は少し考え込んだ素振りを見せた後、迷いのない顔できっぱりと言い切った。
「知らん」
「知らん?」
「ただ成り行きに任せた、と言えばいいのかな。実験が終わった後、私は彼らに二つ選択肢を与えたのだ。一つは理性を取り戻し、国に残るか。一つは本能のまま国を出て、好きに生きるか。強制はしなかった。ただ民の意志に任せることにしたのだ」
一度本能を曝け出し、本性と向き合い、その上でまた文化的な生活を送る意思はあるか。魔王は民達にそう問いかけたのだ。
「それで、全員国を出ていった?」
「全員ではない。ほんの数百人ほど、我が下に残ってくれたよ。今はこの王城の地下で生活している。だが殆どは国を出た。まあ悔いはない。それが彼らの選択なのだからな」
そう答えるジーラントの顔は、どこか寂し気だった。真樹が複雑な表情を見せると、それに気づいたジーラントは彼女に笑って言った。
「だが所詮、魔族に人並みの生活は出来んのかもしれんな」
やっぱり魔王は寂しげだった。




