悪い勇者
魔界に落ちてきた小坂真樹は、やがて自分が大きな台座の上に座っている事に気がついた。周りは暗闇で覆われ、自分を載せたその台座だけが頭上から光で照らされていたのである。
「気がついたか」
闇の奥から声がした。真樹は思わず身を強ばらせ、するとその彼女の恐怖を察したのか、闇に潜む者は声色を穏やかなものに変えて言葉を続けた。
「怖がらせてすまない。どうかそのまま、落ち着いて聞いて欲しい」
その声は威厳のある響きを持っていた。しかし同時に、本当に申し訳なさそうに響いて聞こえた。政治を知らない純真な真樹は、それを聞いて簡単に安堵した。
その真樹に向かって、今度は違う方向から違う声が響いてきた。
「君が小坂真樹か。話は聞いている。さて、まずここはどこか、君はご存じかな?」
その声はたおやかで、親しげだった。真樹は縋るような目で頷き、そして答えた。
「魔界、ですよね?」
「その通り。君は人間界から魔界へとやって来たのだ。ある目的を果たすために」
「そしてその目的は何なのか。君は覚えているかな?」
「三人目」の声が聞こえてきた。真樹は前を向いたまま頷き、それに答えた。
「ここで発生している、原因不明の病気を治すため、ですよね?」
「その通り。正確には病気ではないが、まあいい。そういう認識でいいだろう」
「三人目」が微妙に訂正してくる。この人はちょっと付き合いにくそうなタイプだな。真樹は心の中でそう思った。
「そう。君には我々の奇病を治して貰うためにここに来て貰った。それがここでの君の役割だ」
四人目。それまでの三人とはまた違う方から聞こえてくる。ここに来て真樹は、自分が目に見えない四人に取り囲まれている事を理解した。
その真樹に四人目が語りかけてくる。
「……君は本来、こことは違う世界に生きている人間だ。そんな君をこのような事に巻き込んでしまい、本当に申し訳ないと思っている」
その声は本当に申し訳なさそうだった。心の底から謝罪されているような感覚を味わい、真樹は少しくすぐったい思いをした。
「もちろん我々も、君に対して援助は惜しまない。君一人に全てを背負わせるつもりはない。もし望みの物があれば、我々に出来る範囲で揃えよう」
四人目が説明を続ける。360度からへりくだられて、真樹はすっかり落ち着きを取り戻していた。高圧的に迫られるよりも、下手に出られた方がずっと気分がいいものである。
「それって、本当に何でもいいんですか? 私が欲しい物は何でも?」
気持ち楽になった心で真樹が問いかける。それに対しては二人目が答えた。
「本当に何でも、と言う訳ではない。いくら我々でも、用意できる物には限りがあるからな」
「魔王といえど、万能ではないからな」
そこに三人目が合わせてくる。それを聞いて初めて、真樹は今自分が誰と顔を合わせているのかを理解した。
「そこにいるのは魔王様なんですか?」
「そうだ」
「四人とも?」
「そうだ」
彼らはあっさりそれを認めた。いきなりの大物登場を前にして呆ける真樹に、魔王の一人が彼女に声をかける。
「君にいらぬ負担をかけぬように、姿を見せぬようにしていたのだ。怖がらせてしまったのなら謝ろう」
「いえ、そんな」
「良いのだ。正直に言ってくれて構わない。我々に気を遣う必要は無いのだからな」
四人目だ。相変わらずの平身低頭ぶりである。
それを聞いた真樹は思わず苦笑したが、そこに三人目が声をかけてきた。
「まあ、そういうことだ。さて、状況が理解できた所で本題に戻ろう。我々は君が望む物を何でも用意できる。我々に出来る範囲のものでならな」
「金でも、配偶者でも。家でも土地でもいい。とびきり美形の男子を、お前のお付きの者として用意する事も出来る。選り取り見取りだ」
そこに最初の声が聞こえてくる。相変わらず風格のある声だったが、その内容はどこか俗っぽかった。
真樹はそのギャップに親しみを感じた。厳めしいだけの魔王では無さそうだ。
「さて、そういうことだ、小坂真樹よ。君はまず初めに何を望む?」
そこに二人目が柔和な声をかける。いきなりそんなことを言われて真樹は戸惑ったが、その彼女に件の一人目が追撃を掛けてきた。
「やはり男か? 新たな人生を飾るために、一生を遂げるパートナーを所望するか?」
どこまで異性の話題にこだわれば気が済むのだろうか。厳かな雰囲気の声を聞いた真樹は内心ため息をついた。そして真樹はそんな一人目の声のする方へ体を向け、控えめな口調で闇の奥へ声をかけた。
「お気持ちは嬉しいんですけど、私はその、男の人は特に欲しいとは思っておりません。それにこれから欲しいと思うことも無いと思います」
「なんと、そうなのか」
「馬鹿者め。会ってすぐの者にそんな話を振る奴があるか。節度を弁えよ」
驚く「一人目」に「三人目」が声をかける。この時初めて、真樹は「三人目」に好意を抱いた。
その「三人目」はその後、改まった口調で真樹に言った。
「今すぐ決めろとは言わぬ。気が向いた時にでも言ってくれれば良い。無論、男でも構わぬがな」
「ありがとうございます。でも本当に、私は男の人はいらないので」
「気になるな。何故そうも男を避けるのだ? 何か理由があるのか?」
三人目が尋ねる。
真樹は流されるまま、口を滑らせた。
「私、男が大嫌いなんです」
「え」
「女の人にしか興味ないんです」
魔王四人が性転換を決めた瞬間だった。
「意味わかんねえよ」
真樹からそこまで話を聞いた青年は、隠すことなくしかめ面を浮かべた。そして彼はそのまま、セシルスの方を見ながら口を開いた。
「何をどうしたらそうなるんだよ。何でそれだけの理由で魔王が女になるんだよ?」
セシルスは真樹の体に引っ付いていたセスタを引き剥がそうと奮闘していた。しかし娘の努力も虚しく、少女化したセスタは両手足を目一杯広げて真樹の腹に貼り付いていた。
誰も青年を見ていなかった。
「俺の話聞けよ」
「聞いてるわよ」
イライラし始めた青年に対し、額に汗を浮かべながらセシルスが返す。セシルスはそのままセスタに腕をかけたまま、青年に話を続けた。
「簡単に言うとね。皆マキに気に入られようとしたのよ。何せマキは不死身の勇者だからね。もし
自分の陣営に迎え入れることが出来たら、途轍もない戦力になる。だから少しでもマキに良い印象を与えて、自分の側に引き入れようと考えてる訳なのよ」
「それ本人の前で言っていいのか」
「いいのよ。マキも知ってる話だし」
セシルスは素っ気ない態度を見せた。青年は続けて真樹を見たが、真樹もセスタに困惑するだけでそれ以上の感情を見せなかった。
「お前もそれでいいのかよ」
呆然と青年が尋ねる。真樹は困り顔になりながら、青年の方を見て言った。
「いいんです」
「いいのかよ」
「女の人に言い寄られて、悪い気はしないですからね」
真樹は普通に笑って見せた。魔王セスタはそんな真樹に貼り付き続け、セシルスがなおもそれを剥がそうとしている。
「もう、お父様! いい加減にして! そんな事してもマキは靡かないわよ!」
「いいの! 私がしたいからしてるだけなの! セシルスの方こそ余計な事しないで!」
「お父様! それ以上ワガママ言うんだった怒りますよ! マキも困ってるんだから!」
青年は自分一人が場違いな世界にいるのではないのかと思い始めた。
彼にとって、ここは異常な空間であった。




