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何も知らなかった勇者

 魔王を鎮めた真樹はその後、国賓並の待遇を受けた。夜の宴席は非常に豪勢なものとなり、彼女の前には大量の料理が所狭しと並べられた。本来ならば数十人規模で利用する筈の大食堂はたった一人の勇者の貸し切りとなり、そこに置かれていた長テーブルの全てが料理で埋まっていたのだ。


「さあさあ食べて。遠慮しないでどんどん食べて。これはあなたへの感謝の印なんだから、たくさん食べてね」


 少女、もとい地の魔王セスタが真樹に告げる。今ここには真樹とセスタ、そしてセスタの娘であるセシルスがいた。後は料理を運ぶコックが定期的に部屋を行き来するだけで、この無駄に広い食堂内に人気はさっぱり無かった。

 宴と呼ぶには、ここは余りにも寂しかった。


「ほらほら、お客人も遠慮しないで。今夜は無礼講、好きなだけつまんでいってよね」


 セスタが青年に向かってそう告げ、にこやかに笑う。ここには地上からやってきた自称勇者の青年もおり、彼もついでとばかりに歓待を受けていた。

 しかし彼の顔は曇ったままだった。


「どうしたの? せっかくだから食べなさいよ。残したってどうにもならないんだし」


 その彼を見ながらセシルスが言った。この時彼女は自分の皿の上にこれでもかと料理を盛りつけ、平然とそれらを口の中に運んでいた。


「これは真樹のためのイベントじゃ無かったのかよ」


 それを咎めるように青年が口を尖らせる。セシルスは口の中にあった食べ物を飲み込み、それから全く悪びれる素振りも見せずにそれに答えた。


「いいのよ。これだって本当は、お父様がマキのご機嫌をとりたいがためにやってる事なんだから。鎮めてくれた云々はただの建前よ」

「じゃあ何でお前はここにいるんだよ。お前なんもしてないだろ」

「私はいいのよ。私は魔王の親衛隊長なんだから。ここにこうしている事で、魔王の身辺警護を行っているのよ」


 セシルスは平然と答えた。青年はなおも何か言いかけたが、口を半分開いたところでそれを閉じた。これ以上言っても無駄だと察したのだ。


「ねえマキ。どう? おいしい? 口に合うかな?」

「はい。とても美味しいですよ。ここの料理はいつ食べても美味しいですね」

「本当? 良かった。気に入ってもらえて嬉しいな」


 そして魔王は魔王で、べたべたと真樹にアプローチをかけていた。そうまでして真樹の力が欲しいのだろうか。青年は怪訝な眼差しで魔王を見た。

 魔王はその彼の視線に気づかなかった。真樹もセスタの対応に忙しく、代わりにセシルスが青年の言動に反応した。


「いくら魔界にも、不死身の兵隊って奴はいないからね。マキはいわば、超貴重な大戦力ってわけ。血を取り込んだ相手の能力を使いこなせるっていうのも大きいし」

「真樹は自覚してるのか? その、自分の力とか、立場とか」

「全部自覚してるわ。魔王全員から狙われてることもね。そして彼女は、それを全部受け入れてる。諦めてるのか、覚悟を決めてるのかは、わからないけどね」


 セシルスがセスタを見る。青年もつられてセスタを見る。

 セシルスの父は今なお真樹にくっついていた。しかしその姿は勇者を懐柔しようと策を弄する魔王ではなく、年上の姉貴分にじゃれついている童女のようであった。


「どっちにしても本人がいいって言ってるんだから、別にいいんじゃないかしら」


 そのある種微笑ましい光景を見ながら、セシルスが他人事のように言った。青年はなおも釈然としない風であったが、それでもただ何も言わずに目の前の二人を見つめていた。


「そもそも私達が口出しできる話じゃないんだけどね。さ、この話はこれでおしまい。今は楽しみましょ?」


 その青年を横目で見ながら、セシルスはそう続けた。そして彼女は相手の反応を待たずに食事を再開した。


「……」


 青年はそれでもなお、料理に手をつけようとはしなかった。何もしていないのにこんな豪勢なタダ飯にありつくなんて。料理に手をつけるのは、そんな誘惑に対して負けを認めたような気がして嫌だったのだ。

 しかしそれから数分も経たずして、彼の腹は目の前の料理を前にあっさりと白旗を揚げた。


「どうしたの? おなか空いてるの? ここにあるものは何でも食べていいんだからね?」


 青年の腹の虫が盛大に存在を主張する。目敏くそれに気づいたセスタが青年に声を掛ける。青年は気まずい顔をしたが、それでも楽しく食事をしている他の三人を見ている内に、自分だけが我慢しているのを馬鹿らしく感じ始めた。


「皿と食器はそっちにあるから、好きに使ってね。遠慮しないでいっぱい食べてね?」


 セスタが青年にトドメの一撃をお見舞いする。青年はそれが決め手となり、言われるがまま食器を取りに歩き始める。

 こうして、四人全員で食事を楽しむことになったのだった。





 それから彼らは数十分かけて、用意されていた料理を全て平らげた。もっとも、料理の大半はセスタの胃に入り、他三人はほんの少しつまんだ程度であった。


「ところで、まだあなたの名前を聞いてなかったわね?」


 そうして食事を堪能した後、セスタは満ち足りた表情で青年に問いかけた。同じテーブルの前に座って茶を飲んでいた青年は、彼もとい彼女からの問いを受けてそちらに顔を向けた。

 そんな青年にセスタが続けて尋ねる。


「もし良ければ、あなたの名前を教えて欲しいんだけど。いいかしら?」

「俺の名前ですか?」

「ええ。ここで会ったのも何かの縁だろうし、バチも当たらないと思うわよ?」


 セスタが笑う。子供のような無邪気な笑みだった。一方でその笑みを見た青年は困惑し、目を逸らした。

 セスタの隣に座っていた真樹がそれに気づく。そして彼女は青年の方を見ながら彼に尋ねる。


「どうしたんですか? 何か言えない事情があるんですか?」

「ああ、いや、うん、そうじゃないんだけど、うん」

「?」


 青年はしどろもどろに答えた。真樹と、青年の隣にいたセシルスは、揃って頭の上に「?」を浮かべた。見るからに怪しかったが、何故そんな反応をするのかまではわからなかった。

 疑問を抱いたままセシルスが尋ねる。


「どうしたのよ。そんなに言いたくないの?」

「いや、違うんだ。別に言っちゃいけない訳じゃないんだけど、ここで言うのもちょっとあれっていうか、気まずいかなって言うか」

「何よそれ。意味わかんないわよ」


 はぐらかす青年にセシルスが口を尖らせる。真樹も怪訝な表情を浮かべ、横にいたセスタに問いかける。


「どうしたんですかね。何か理由でもあるんでしょうか?」

「多分ね。ま、向こうが困ってる理由はこっちでもわかってるんだけどね」

「えっ?」


 セスタの返答に真樹が驚きの声を上げる。セシルスと青年も同時にセスタの方を見る。

 特に青年の顔は、真樹とセシルス以上に驚きに満ちていた。彼は額から汗を流しつつ、恐る恐るという風にセスタに問いかけた。


「俺の事、気づいてるのか?」


 青年がセスタに問いかける。セスタがその青年の顔をまっすぐと見つめる。


「まあね。あなた、もう少し気配隠すの上手になった方がいいわよ?」

「いつから気づいてたんだ?」

「最初に会った頃からかな」


 セスタが平然と答えていく。真樹がセスタに問う。


「どういう意味なんですか? あの人は人間じゃないとか?」

「その通り。でも魔族でも無いわよ。もっと神聖な存在ね」

「神聖?」


 真樹が首を傾げる。セスタはその素振りを見て「愛らしいな」と思い微笑んだ後、改めて青年を見ながら口を開いた。


「彼は天使よ」


 一瞬、場の空気が凍り付いた。セシルスは驚きのあまり両手で口を塞ぎ、青年は険しい表情を浮かべ、真樹は「え、そうなの?」と純粋な興味の眼差しを青年に向けた。


「正確には天界からの使者、って感じかしら。マキを天界に招こうとして、わざわざ魔界にやってきたんじゃないかしらね」


 セスタが淡々と告げる。真樹とセシルスが青年を見る。

 青年は表情を堅くしたままだった。が、やがて青年は観念したように肩を落とし、大きく息を吐いた。


「やはり魔王は騙せませんでしたか」


 小さく青年がこぼし、ゆっくり立ち上がる。同時に彼の背中から光が止めどなく溢れ出す。しばらく光は無秩序に放射されていたが、やがて緩慢に動きながら一カ所に収束を始めていく。

 集まった光が形を取っていく。やがて光は三人の眼前で、一対の光る翼となった。おおよそこの場にふさわしくない、汚れ一つ無い光輝の翼だった。


「あなたの言う通りです」


 出来た翼を左右に広げながら青年が告げる。真樹とセシルスはただ息をのみ、セスタはただ面白そうにニヤニヤと青年を見つめる。

 そのセスタのニヤけ面を見ながら、青年が口を開く。


「私は天界よりの使者、アドメレク。小坂真樹を天界に連れて行くためにここに降り立ちました。以後お見知り置きを」


 雰囲気と言動まですっかり変わってしまっていた。真樹とセシルスはただ息をのむだけだった。

 これを見越して、セスタは誰も呼ばなかったのか。真樹とセシルスは心の中でそう思った。


「ええ、よろしくね」


 そしてまともに応対出来たのはセスタだけだった。しかし彼女も彼女で、目は全く笑っていなかった。

 青年、アドメレクは改めて、自分が敵地の真っ只中にいることを認識した。

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