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人成山登山記録  作者: あゆつぼ
短編 人成山探訪記
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短編 人成山探訪記①

 曇り空に包まれた、生温い風の吹く夏の終わりのある日のことだった。

 昼頃に中層地区にたどり着き、行きつけの定食屋で昼食を済ませ、腹ごなしにと中層地区を適当に歩き回っていた。


「やあ馬謖、ちょうどいいところであったね」


 なにやら声をかけられた。それもあまり心地よいとは言えない種類の声である。


「これから山に登るんだ。悪いが他をあたってくれ」


 きっぱりとその声をかけてきた男――クソメガネの誘いを断る。こいつの誘いにのるとなんだかんだ面倒なことに巻き込まれるのだ。


「まあまあ、そう言わずに話だけでも聞いてくれよ。っと、素晴らしいタイミングだ。やあ門番ちゃんいいところであったね」


 こんな時に限って路地からひょっこり六宮慧乃が、今やすっかり妹と化している伊与田ハナを伴って顔を出すのだから、まったく人成山というのは恐ろしい。


「あら? 私に何か用かな?」


 そしてこの六宮慧乃と来たら、クソメガネの持ってくる得体のしれない話に対してまったく警戒心というものを持ち合わせていないのだ。


「四人用のゲームを見つけてね、どうしてもやりたいからメンバーを探していたのさ」

「へえ。面白そうな話だけれど、私、あまりゲームの類は得意ではないんだ。それでもいいのかな?」

「大丈夫大丈夫。ゲームといっても双六みたいなものだろうし」

「双六かあ。懐かしいなあ」

「わたし、そういうの得意ですよ!」


 クソメガネのあやふやな言い回しがどうにも気がかりであるが、慧乃の方はというとそんなことお構いなしのようである。あろう事かハナまでも乗り気だ。これはいけない流れだ。


「よっし。門番ちゃんもハナちゃんも参加だね。これで無事に四人集まったよ――で、馬謖はいったいどこへ行くつもりだい?」

「どこって、決まってるだろ。山頂だ。山に登らなければならん」


 当然のことだ。かけられた呪いを解くためには、十月十日の間人成山に登り続けなければいけないのだ。まだ今日の分の登山を終わらせていないというのに、双六なんてやって遊んでいいわけがない。


「はっはっは。面白い冗談だね。何、双六なんてすぐ終わるさ。それに君はさっきご飯食べたばかりで、これからすぐ登山って訳にもいかないのだろう? 少し時間をつぶすなら持って来いじゃないか」

「なんでそれを知ってるんだ」

「君が定食屋から出てくるのを見ていたからね。ほら、断る理由もなくなっただろう? 僕は一回遊べたらそれで満足だから、付き合ってくれよ」


 こいつと来たら、本当に食えないやつだ。

 言いくるめられたようで癪ではあるが、双六遊びくらい付き合ってやってもかまわないだろう。


「一回だけならな」


 答えると、クソメガネは指を弾いて喜んだ。


「流石は馬謖。僕の見込んだ男だ。よーし、それじゃあ早速うちへ来てくれよ」


 結局何もかもクソメガネの思惑通りになってしまった。

 こいつと来たら自分の思い通りに話を進めるのが本当に得意なのだ。そういった意味では慧乃よりも恐ろしいかもしれない。

 細い路地を抜け、鳥居のある小さな神社の境内にある小屋のような家へと辿り着くと、そのまま居間へと通された。

 クソメガネは一応来賓をもてなすつもりはあるらしく、よく冷えた麦茶を人数分お盆に乗せて持ってきた。


「それにしても、どうしていきなり双六なんだ?」


 あまりに唐突な話だったので、いったい何があったのかと探りを入れてみると、クソメガネはよくぞ聞いてくれましたと言わんばかりで(言った)、自慢げに古びた木造りの大きなカバンのような物体を持ってきた。


「この時期に神社の蔵の虫干しをするんだけど、そのとき出てきたのがこいつさ。だれが作ったのだかわからないけれど人成山に関連するものらしくて、興味を惹かれてしまったわけさ」


 クソメガネはカバンの閂を外してそれを開いて見せる。確かに中身は双六のようで、しかも人成山を模したようなつくりをしている。


「人成山探訪記。確かに、人成山を題材にした双六のようだね」


 大きなマス目が二つ。登山道入り口と、人成山山頂。いわゆるスタートとゴールだろう。道は一本道で、マス目は細かく区切られているものの、マスの中には何も書かれていない。ただマス目の外に、一合目とか二合目といった文字が並び、金属を削って作られたらしき寺と神社の上にはそれぞれ、人成山寺と人成山神社と表記されていた。


「これが駒と賽子。スタートは登山道入り口だね」


 クソメガネは付属していた木箱を開けて、中から簡素なつくりの駒四つと、くすんで色あせた賽子を取り出す。

 クソメガネは相変わらずだし、慧乃も乗り気のようだ。ハナに至ってはわたしはこれにしますと、早速駒の一つを選んで手に取った。

 嫌な予感がしているのは自分だけなのだろうか?


「なあメガネ。この双六、神社の蔵から出てきたんだよな」

「その通りさ」


 こともなげにクソメガネは答える。


「つくりからして相当古いものだし、どこのだれが作ったか分からないが、人成山の住人が作ったものには違いないよな?」

「まあそうだろうね」


 またしてもクソメガネはあっけらかんと答えた。

 どうにも緊張感が足りていないというか、ここが呪いの山であることをすっかり忘れているのではないだろうか。


「ジュマンジって知ってるか?」

「映画?」

「アニメ?」

「絵本でしたっけ?」


 尋ねると三者三様の答えが返ってくる。どうにもまったく知らないというわけではなさそうだ。


「ふーん。それで、いったいそれがどうだって言うんだい? あ、これ、馬謖の駒ね」


 渡された駒を一応受け取って、もう一度この双六の危険性を訴える。


「どうもこうも、人成山の神社の蔵で発見された出所不明の双六なんて、遊んでただで済むわけないだろうって話だよ。悪いこと言わないから今すぐ蔵に仕舞い直して来い――」


 言い終わったところで、握っていた駒が不意に掌の中から零れ落ちた。

 双六の箱の枠にぶつかったそれは、吸い込まれるようにスタート地点の登山道入り口のマス目へと落下して、見事に直立した。


「おい、見ただろこれ、絶対普通の双六じゃないって。今すぐやめたほうが――」


 今度は、最後まで言い切ることもできなかった。

 突然体がえも言えぬ浮遊感に包まれたかと思うと、地面の上にそっと着地した。

 中層の、クソメガネの住む小屋の、和室の畳の上に座っていたはずである。それがどうして突然地面の上に移動したのか。

 そんなこと、考えたって分かるわけなかった。

 少なくとも言えることは、あの双六は間違いなく、人成山の呪いが産み出した産物だということだけだ。

 見事に四人まとめて移動させられたのだが、件の双六盤だけは忽然と目の前から消えていた。


「あれ? 賽子を手にした瞬間なんか浮かなかった? というかここは何処なんだろうね?」


 とぼけた顔のクソメガネがさぞかし楽し気にそう言い放つ。

 あの時確実に、双六のスタート地点には四つの駒が並び、そしてクソメガネが賽子を手にしていたわけだ。つまり、双六を始める条件が全て揃っていたわけである。


「人成山登山道入り口、みたいだね」


 慧乃が見上げた先には、そう記された石造りの鳥居がある。

 毎日のように見てきたその鳥居だが、明らかにいつも見ていたものとは違う。

 そこに立っていたのは、古ぼけて苔むした鳥居ではなく、真新しくよく磨かれてぴかぴかと輝く鳥居であった。


「おー、昔の人成山ってことか。良く出来たつくりじゃないか」

「そんな呑気なこと言っていられる場合じゃないだろ! 言わんこっちゃない! 明らかに人成山の呪いに飲み込まれてるじゃねえか!」

「まあまあ、落ち着きたまえよ馬謖。どう転んでも双六は双六さ。そんな慌てる必要もないって。要するに、登山道入り口がスタートで、山頂がゴール。賽子を振って出た目の数だけ進めば良いだけさ、簡単だろう?」

「落ち着くのはお前だ。早まるな!」


 何とか引き留めようと声をかけたのだが、すでにクソメガネは賽子を地面に転がしていた。


「ありゃ、一だね。ま、ゆっくりのほうが楽しめるからいいか」


 どこまでも楽天的なクソメガネは賽子の数字を確認すると。鳥居を潜り抜けて登山道を進んでいく。


「ここが一マス目だね」


 少し行ったところで立ち止まると、クソメガネの周囲が鈍く光り、重々しい声が響いてきた。


『前ヘ進ムノナラバ行キ詰マラナケレバナラヌ。行キ詰マリモシナイノナラバ草木同然。其方ノ目ハ一ノミトナル』


 重々しい声が途切れると、鈍い光は消え失せた。


「あちゃあ。一のみかぁ。ゆっくりの方が楽しめるとは言ったものの――いや、逆に考えればこれで全てのマスを行ける訳か。少し得した気分だよ」


 クソメガネは何処までも楽天的で、そんな風に笑っている。

 確か、双六盤のマス目には何も書いていなかったはずだ。しかしこうして止まったマスに対して何らかのイベントが発生するとなると、それこそタダでは済まされない。


「おい、吸血コウモリやらライオンやらと戦わされるのは御免だぞ」

「はっはっは。何を言っているんだい馬謖。人成山には吸血コウモリもライオンもいやしないよ――いや、昔ライオンは見たことあるな」


 一マス先でクソメガネはそう笑うが、何が起こってもおかしくないのが人成山という場所だ。しかもこんな、得体の知れない双六盤によって作られた世界の中で、一体どうしてそれが起こりえないと断言できるだろうか。


「次はわたしですね!」

「待てハナ。人の話を聞いていたか?」


 何故かやる気満々のハナは意気込んで両手を握りしめている。


「はい! 賽子を振って出た目の数進んで、山頂に辿り着いたら上がりです!」

「そういうことを言っているんじゃない」

「でも、これが手の中に」


 ハナは言って、握っていた右手を開く。

 そこには先程クソメガネが地面に転がした賽子があった。


「何時拾ったんだよ」

「拾ってないですよ? 気がついたら手の中にありました! たぶんですけど、わたしがメガネさんの次に駒を置いたからだと思います」

「いやいや。そんな――だとしてもそれを振ったら――」


 言っている途中に、ハナは賽子を地面へ転がしてしまった。恐れを知らないとはこのことである。


「なんてことを……」

「出来たら一以外が良いです!」


 ハナの祈りが通じたのかどうかは定かではないが、賽子の目は二だった。


「二ですね。お先に失礼します!」


 ハナは駆けだして、鳥居をくぐるとクソメガネを追い抜いて更に上へと登山道を進んでいく。

 少し行ったところで立ち止まると、やはり鈍い光がハナを包む。やがて重々しい声が響いた。


『其方ハ因果ニ落チルカ、落チナイカ』

「いんが? 落ちる、落ちない? ええと、確か因果は、昔お兄ちゃんに教えて貰った気がします。原因があって結果が生じるって法則ですよね? でしたらわたしは――落ちます!」


 答えた瞬間、紫色の煙が吹き出すと共に、ハナの姿は地面に吸い込まれるようにして消えてしまった。


「お、おいハナ!? どうした、ハナ!」


 駆け寄ろうとするも、見えない壁のようなものがあって前へは進めない。


「因果に落ちたって訳かな? うーん、なかなか出来た造りの双六のようだね」

「そんなこと言ってる場合か。ハナが消えちまったんだぞ」


 脳天気な慧乃に対して声を荒げたが、慧乃はそんなことお構いなしである。


「消えたのではなくて、因果に落ちたのさ。ハナちゃんは答えを誤ってしまったようだね。私としては正解をあげたいくらいの良い答えだったけれど」

「なんでそんなに脳天気なんだよ。現状を理解してるのか――」


 尋ねた瞬間、慧乃は白く細い人差し指をピンと立ててこちらの眼前につきだした。

 その指先を睨むと、答えるように慧乃が鳶色の大きな瞳でこちらを見つめる。


「現状を理解しているかどうか? では聞くけれど、君は今どういう状況なのか、理解しているのかな?」


 問いかけに対する答えは決まっていた。


「出来るわけないだろ。分かってるのは、あのクソメガネのせいで人成山の訳の分からん呪いにまた巻き込まれたって事だけだ」

「だろうね。さて、もう一つ尋ねるけれど、君は因果に落ちるかい? それとも落ちない?」


 次の問いかけには直ぐには答えることが出来なかった。

 因果に落ちるか落ちないか。

 ハナは落ちると答えて、答え通り因果へ落ちてしまった。

 だとしたら落ちないと答えるのが正しいのか? しかし因果とは、原因と結果の生じる法則で有り、落ちたり落ちなかったりするものなのか――。


「難しい問いかけだったかな? でも、少なくとも私たちはこうして人成山探訪記という名の因果に落ちてしまっているのさ。だとしたらやるべき事は何かな? 君は双六を中断したいようだけれど、その方法は分からないだろう?」


 慧乃は掲げた右手で、本来何も無いはずの空間を叩いた。

 そこはマスの境界線らしく、コンコンと見えない壁を叩く音が響いた。


「途中で止められないのだとしたらどうすべきか? どうしたら双六が終わるか、それは君も分かっているだろう?」

「……誰かが上がるか、全員が上がるか」

「そういうこと。ただ厄介なのは、この双六は題名の通り人成山を模したもののようだね。遊ぶ人たちが人成山で何を学んだのか試してくるようだよ」

「それこそどうしたらいいんだ」

「どうもこうも、君がこれまで人成山で学んできたことを正直に活かしたらいいのさ。因果というのは、そういうものだよ。さて、そろそろ賽子を振らせて貰うけどいいかな?」


 慧乃は指先でつまんだ賽子をこちらへ見せて微笑む。

 答えてくれるとしても、問いは一つきりだろう。だとしたら、今一番気がかりなことを聞いておくべきだ。


「慧乃、お前は因果に落ちるのか? 落ちないのか?」


 問いかけに、慧乃は意地悪そうににんまり笑って答えた。


「因果次第さ」


 なんだよそれ。重ねて問いかけようとするも慧乃は賽子を振ってしまっていた。


「六だね。うーん、ハナちゃんにこそふさわしい気もするけれど、これも因果かな。では行ってくるよ」


 慧乃はそれだけ言い残して鳥居をくぐる。一マス先に立つクソメガネを追い越して更にその先へと進んでいって、最早スタート地点からはその姿は見えなかった。


「因果に落ちるか落ちないかなんてのは問うだけ無駄なことさ。目の前に穴があったらとりあえず落ちる。後のことは落ちてから考えたらいいのさ」


 一マス先のクソメガネが偉そうにそんな風にのたまう。


「お前に巻き込まれて落とされたことを忘れちゃいないからな。終わったら一発殴らせろ」

「またまた、心にもないことをいって。ほら、君の番さ。さあ因果に落ちようじゃないか」


 気がつくと手のひらの中に、古ぼけた賽子が一つ握り込まれていた。

 慧乃は果たしてどうなったのか?

 いやあいつのことは心配いらない。今考えるべきは、自分がこの先どうするかだ。


「ああ、落ちてやるよ」


 賽子をそっと地面に落とす。

 数回跳ねた賽子は、五の面を上にして止まった。


「五か。悪くないが――」


 望むべきは六であった。だが、多くは望むまい。賽子を振ってしまった以上、その示す数字に従わなければならない。


「じゃあな、先行ってるぞ」

「ああどうぞ。僕は次で因果に落ちるさ」

「お前は地獄へ落ちろ」


 それだけ言い捨ててクソメガネを追い抜いて先へと進む。

 遠くに慧乃の背中が見えて、進んでいくとこちらに気づいた慧乃が手にした花束を見せて微笑む。一体何があったのか、問いかけようとしたがその前に足下が鈍く光り始めた。


「ここが五マス目か……。さあ来るなら来い――」


 辺りには霧が立ちこめ、次第に濃くなる霧が太陽の光を遮る。やがて辺りが真っ暗になったかと思ったら、突然体が宙に浮いた――いや、落ちてる!?


「ちょ、問いかけも無しに急に落とすか!?」


 必死に手を伸ばすと、右手の指の先が何かを掴んだ。これ幸いと左手もそれを掴もうとしたが、掴んだ何かがぽっきり折れてしまったようでまた落下を始める。


「――うおっ」


 覚悟を決めて、落下の衝撃に備えようと歯を食いしばったら、何かを噛んだ。

 何だか分からんが、ともかく得体の知れない何かを噛んだ。そしてその何かに噛みついた状態で、宙ぶらりんになっている。


 必至になってその何かを掴もうと手を伸ばそうとしたものの、どういうことか腕が全く動かない。

 辺り一面闇の中で、どうすることも出来ず、ただ何かに噛みついて宙に浮いている。

 これが絶体絶命でなければ何がそうだと言うのか。

 しかし、そんなことにお構いなく、重々しい声がどこからか響いてきた。


『其方ニ問ウ。人成山山頂ハドチラノ方角カ』


 方角? 知るか! 真っ暗なんだよ!

 そもそもこの状態で、どうやって答えろというのか。

 答えようとして口を開いたらどうなるのか? どうなるんだ? 因果へ落ちるのか? それとも別の場所に落ちるのか? まさか落ちないとか? さっぱり予想できない。


『其方ニ問ウ。人成山山頂ハドチラノ方角カ』


 答えを催促するかのように、重々しい声が重ねて問いかけてきた。

 指をさそうにも腕は動かないしそもそも方角も分からない。

 こんな状況でどうするか――。

 落ち着け、落ち着いて考えろ。これは人成山を模した双六だ。だとしたら、問いかけられる問題にも人成山と同じように思考しなければならない。


 今の自分はどうだ。因果どころか地獄の一歩手前である。

 身動きがとれず、口だけで何とかこっち側につなぎ止められている。

 しかし何処の誰だか知らないが人成山山頂の方角を尋ねてくる。

 答えるために口を開いたのなら、そのまま何処とも言えぬ空間に落ちてしまうだろう。

 だけれど答えないことも許されない。

 さてどうするか――?


『其方ニ問ウ。人成山山頂ハドチラノ方角カ』


 再び問いかけられた言葉に、思わず口を開いた。

 闇の底へと落下しながら、腹の奥から声を絞り出す。


「知るか! 自分で考えろ!」


 どすん。

 見事に落ちた。

 背中から落ちて、肺の中の空気をたまらず全部吐き出した。


「いってえ……。ん? 何処だここは」


 見上げる空はどんよりと曇っていた。動かなかった腕も何のことなく動いて、上体を起こすとその先には慧乃の姿があった。


「あら、お早いお帰りだね」

「戻ってきた、のか?」


 今自分が居るのは、どうやら先程の五マス目の位置らしい。どれだけの時間落ちていたのか定かではないが、慧乃の表現を借りるのならば『お早いお帰り』だそうだ。


「何か得るところはあったかな?」

「にっちもさっちもいかない状態の人間にあれこれ問いかける奴は地獄に落ちた方が良いんじゃないかとは思うようになった」

「あらまあ、なかなか出来ない経験をしたようだね」

「したくもない経験だ。で、その花束は?」

「貰ったのさ。どんなときでも笑顔は大切だねえ」


 慧乃のほうはどうやら良い思いをしたようだ。こっちは奈落に落とされて口一つでぶら下がっていたというのに、向こうは笑って花束を貰っているのでは釣り合いがとれん。

 とはいえ双六とはそういうものだ。マスによって良いマスもあれば悪いマスもある。しかもこの人成山探訪記はたちの悪いことに、良い悪いはこちらの受け答えによって変わり得るのだ。


「あ! お兄ちゃん、お姉ちゃんも!」


 そんな風に話していると後ろからハナが駆け足でやってきた。


「因果に落ちたんじゃなかったのか?」


 やってきたハナに問いかけると、ハナは満開の笑顔で答える。


「はい! キツネさん、もふもふでした!」

「うん? どういうことだ?」

「六が出たので、お先に失礼しますね!」


 いまいちよく分からなかったが、ハナは何らかの方法で因果から帰ってきたようだ。果たして因果とは何だったのか。キツネとは、もふもふとは。謎が謎を呼ぶが、それは実際に体験したハナにしか分からないことなのだろう。多分。


「お姉ちゃんも、お先に失礼しますね! あ、そのお花、とっても綺麗です!」

「だろう? これはハナちゃんにあげるよ」

「え、良いんですか!」


 ハナは足を止めて慧乃から花束を受け取る。何をどうして貰った花束か分からないが、そんな気軽に渡してしまって良いものなのか。


「きっと、次のマスで役に立つから」

「そうなんですか! ありがとうございます! 大切にさせて貰いますね!」


 ハナは受け取った花束の香りをかぐと、大切そうに両手で持って、そのまま先へと進んでいった。


「次のマスでどう役に立つんだ?」


 ハナが遠くに行ってから慧乃へと尋ねてみると、慧乃は目を細めてにやりと笑って答える。


「何の役にも立ちはしないさ」

「さっきと言ってることが違う」

「そう思うかい? まあ、どっちに転ぶもハナちゃん次第さ。さて、私の番だね」


 見ると慧乃は右手に賽子を持っていた。そしていつの間にやら、進んでいったはずのハナの姿も消えていた。


「少しばかりこの双六について分かった気がするよ。でも、知らない方が楽しめるかもね」

「楽しめなくて結構だから教えて欲しい」


 素直にそう告げたが慧乃はやはり意地悪そうに笑って返す。


「そんなこと言うものではないよ。遊戯なのだから楽しまないと。さて、賽子の目は三だね」


 いつの間にやら振っていた賽子は三の目を出していた。慧乃はこちらの反論など全く聞く気もないようで、一つ微笑むと先へと進んで行ってしまった。

 どうせ反論したところで軽くあしらわれるのは火を見るより明らかだ。

 人成山探訪記という因果に落ちたことは間違いない。

 しかし、原因をどんな結果に結びつけるかは人次第。もしかしたら、落ちた先がキツネでもふもふかもしれない。


「仕方無い。折角だから楽しんでやるか」


 手のひらの中に現れた賽子を握り直して、そっと地面へと転がす。

 示された行き先は五。

 双六なんてのは所詮お遊びだ。

 だが遊ぶ以上、楽しませて貰おうじゃないか。

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