短編 カモは何処へ行ったか?①
ある夏の暑い日のことであった。
さんさんと日の降り注ぐ炎天下の最中に山頂まで登り詰め、引き返して中層地区にたどり着いたところで、あまりの暑さから少しばかり休憩していこうと喫茶「尾根」に入った。
店内はよく冷房が効いていて、そんな店の中でアイスコーヒーを飲んでいると次第に汗も引いて行った。
会計を終えると空になっていた水筒に水をいれてもらい店の扉を開ける。
何事かマスターが話しかけてきたため意識をそちらに向けながら外へと出たため、前をしっかりと見てはいなかった。
こんなことが以前もあったような気がする。そのときはこの後どうなっただろうか?
前に視線を向けると、目前を何かがすごい勢いで通り過ぎた。
その何かは羽をばさばさと振ってぎりぎりで衝突を回避し地面に降り立つと、抗議のつもりかこちらへ向かって大きな声で鳴き始めた。
「悪かったよ。そんな怒るなって」
しゃがみこんで怒り狂うそいつをたしなめようと声をかけてみたのだが、分かっちゃいたけれど何にも伝わっていないようだった。それもそうだ。相手はカモなのだから人語を理解できるわけもない。
「お前だって前方不注意だからな。お互い様だぞ」
手を差し出すと黒褐色色のメスのカモは声を荒げて飛び跳ねて、その手に激しくかみついた。
カモの柔らかなくちばしでつつかれた程度では痛くもなかったが、いやはや乱暴なカモもいたものだ。一つこいつはキッカと名付けよう。
「あ、おい、何処へ行く」
これから友好を深めていってやろうかと思っていたのに、カモ(キッカ)は捨て台詞の如く、くわわっと一鳴きすると、飛び上がってどこかへ行ってしまった。
気になる。
というのはどこかの通行止め女に毒されたせいであろうか。
たいていこういう場合、ついて行ってもろくな目に合わない。
なにしろここは人成山で、明らかに野生とは思えない謎のカモの後について行ったとなれば、何かに巻き込まれない訳がないのだ。
しかしそれゆえ好奇心が揺さぶられ、気が付くとカモの飛んでいった方向へ足を進めていた。
カモは中層地区のはずれのほうへと飛んでいき、途中で見失ったものの、その方向にある家に住む女に心当たりがあったため、そのまま真っ直ぐそいつの家へと向かった。
何やら儀式を執り行っているのかとすら思われる真っ赤な塗装の家にたどり着くと、案の定例のカモが、家の窓に張り付いて何事かわめいていた。
どうやら中へと入りたいらしい。あいにく窓のカギは空いていたのでカモが通れるくらい窓を開けてやると、カモは礼も言わずに家の中へと飛び込んでいった。
「ちょっとあんたなんではいってきたの! はいってくんなって言ってたでしょ!」
中から何やらにぎやかな声が聞こえてきた。良いことをした後は気分がいものだ。きっとあのカモは感謝してくれているだろう。もしかしたら鶴の恩返しならぬカモの恩返しを期待してもいいのかもしれない。
馬鹿な考えは置いておいて、自分は窓から潜入するわけにいかないので、玄関へと回るとその扉を二つ叩いた。
「橘花いるか?」
声をかけると、家の中からどたどたと騒がしい音が響き、すぐに扉が開かれた。
飛び出してきたのは体操服にハーフパンツ姿の橘花である。
「あんたか! このアホ鳥うちにいれたのあんたか!」
「別に礼ならいらないぞ」
「ふざけんな!」
何を思ったのか橘花は左手に持ったシャベルで襲いかかってきた。
後ろに跳びのいて何とか攻撃をよけると、橘花は玄関まで走ったのがよほど疲れたのか、それ以上攻撃しては来なかった。
しかしそんな橘花に容赦なく背後からカモがとびかかると、器用に橘花の頭の上に乗った。
「乗るなって何度言ったらわかんのよ! ああ、もうさっさとおりなさいって!」
橘花は頭を振ってカモを振り落とそうとするが、カモは頭の上にしがみついてついに橘花が疲れきるまで耐えしのいで見せた。
「そのカモ、飼ってるのか?」
「飼ってるわけないでしょ! こいつが勝手に住み着いてんの!」
いったい何が違うというのか。見方によっては、橘花とカモはとても仲がいいようにすら見えた。
しかし困ったこともある。カモにキッカと名付けてしまった。それが橘花のペットとなると、非常に紛らわしい。どちらも橘花では大変だし、何よりカモのことをキッカと呼んでいることがばれたら人間の方の橘花はきっと怒るだろう。
「じゃあそいつのことはタチバナと呼ぼう」
宣言すると、タチバナを頭の上に乗せた橘花はさぞかし不機嫌そうに顔をしかめてこちらを睨みつける。
「勝手に名前付けないでよ。しかもなんでそんな名前つけるのよ」
「いやだって橘花の上に乗ってるから」
「好きで乗せてんじゃないっての!」
橘花はシャベルを構えたがそれをふるうことなく、目線は上を向き、見えてはいないが確かに頭の上にいるであろうタチバナを睨もうとした。
「あんたも、あたしが優しくしてるうちに降りなさいよ。さっさと降りないとご飯あげないわよ」
「やっぱり飼ってるじゃないか」
「飼ってない。残飯処理させてるだけよ。ほら、さっさと降りろ」
不機嫌全開の橘花は頭の上へ手を伸ばすと、タチバナのくちばしの下を指で弾いた。
タチバナは抗議の声を上げて橘花の頭の上から飛び上がった。しかしすぐに戻ってきて橘花の頭の上へと舞い降りた。
「ずいぶんなつかれたようだな」
「超迷惑なんだけど。あんたの家はこっちだっつの」
橘花は家の外に出ると、置かれていたトタンを組み合わせた箱のようなものの中へタチバナをいれようと奮闘したものの、タチバナは良くこらえて頭の上を離れなかった。
「さすがにそこに住めってのは厳しくないか。犬小屋の方がまだましな造りをしてると思う」
「鳥なんだから犬より下等で十分でしょ。ああもう全く! 一度乗ったら降りやしないわねこいつは。だから家の中に入れたくなかったのに」
橘花は恨みのこもった目でこちらを睨みつけた。
「窓の鍵がしまってなかったから」
「あそこの窓、鍵が壊れてんのよ!」
ついに我慢が出来なくなったのか、橘花は蹴りを繰り出した。あまり怒りを買いすぎても後々怖いので、ここは甘んじて蹴られてやろう。橘花のすね蹴りくらいなら二、三発もらったところで涼しい顔だ。
「あんた、責任とってこいつ一旦預かってて」
一発蹴ったら満足したのか橘花は頭を突き出して、タチバナをこちらへ仕向けてきた。
「こいつ手出すと噛むから嫌いなんだけど」
「勝手に人の家の窓を開けた罰よ。分かったら黙って持ってて」
有無を言わさぬ物言いだったので、渋々とながらタチバナを抱きかかえようと手を伸ばすと、案の定暴れられて手を幾度もつつかれたが、なんとか確保することに成功した。
「ちょっとそのまま持ってなさい」
「まて、そのまま戻って来ないなんてのはごめんだぞ」
「すぐ戻ってくるわよ」
橘花はそれだけ言い残して家の中へと入っていった。どたん、と音を立てて閉じられた扉が怖い。
まさかタチバナを押し付けて逃げたりしないだろうか?
いやいや大丈夫。橘花は人づきあいは苦手なようだが、そこまで悪い奴でもない。戻ってくると言った以上、しっかり戻ってきてくれる奴だ。たぶん。
手の中で暴れていたタチバナもやがて疲れたのか静かになり、これなら預かっていてもいいかと思い始めたところで、扉が開き橘花が出てきた。
橘花は赤いベレー帽をかぶっていて、橘花を見たタチバナは手の中で暴れて勢いよく飛び出すと、ベレー帽の上にすっぽりと収まった。
「よくなついてるじゃないか」
「なつかれたくはないっての。こいつ、人の頭の上に乗ってくるんだもの。直に乗られるくらいならこの方がましってだけ」
「何時から住み着かれてんだ?」
尋ねると、橘花は指折り数えて、それから答えた。
「十日くらいかしら? 突然現れて、好き勝手するから困ったもんよ。どっかの誰かさんも勝手に家の中に入れるし」
「そりゃ悪かったね」
「悪いと思うなら、今日の分の畑仕事手伝ってよ。どうせ暇なんでしょ」
「いや、暇じゃないけど、まあそうだな。手伝い位ならするよ」
今日の分の登山は下りを残すのみだったので、ちょっとくらいこいつの土いじりを手伝ってやってもいいだろう。
頭の上にタチバナを乗せた橘花に続いて、家の裏にある橘花お手製の無明花農園へと赴くと、以前にもまして装飾に赤が増した棚に、真っ赤な鉢に入った真っ黒な無明化がこれでもかといわんばかりに咲き誇っていた。
「黒率が増していないか?」
実際は以前からほぼ一〇〇パーセントだったので横ばいだろうが、現時点ではぴったり一〇〇パーセント黒だから、厳密に言えば増していた。
「うるさいわね」
「このあいだハナに青い花を渡してたよな。どうしてまた一面真っ黒に戻っちまったんだ」
「うるさいわね」
橘花は静かに声を発する。こういう時はたいてい怒っている時なので、これ以上おちょくるのはやめておいてやろう。
「で、何すればいいんだ?」
「あたし水あげるから、あんたそこの空の鉢植えに肥料と土いれといて」
示された空の鉢を確認して、近くにあった肥料袋と園芸用腐葉土を引き寄せるとしゃがみ込む。それから黙々と園芸用の移植ごてを使って肥料と土を鉢に詰める作業を始めた。
空の鉢が四つきりだったのですぐに終わってしまう。橘花の方は雑草取りも行っているらしく、まだ時間がかかりそうだった。
「種はどこだ? あるなら植えちまうけど」
「そこのビンの中。気を付けてよ」
「分かってる」
分かったとは答えたものの、一体何に気をつけろというのか。
ただ無明化は育て方によって花の色を変える不思議な花なので、種をぞんざいに扱うわけにもいかなかった。
言われた通り、気を付けて種を一つ一つ慎重に鉢へと植えていく。
最後の種を植えていると、橘花の頭の上からタチバナが飛び立って、鉢の隣へと軟着陸した。
「どうしたお前。ご主人様の頭の上に帰れよ」
タチバナはこちらの言うことなど全く聞き入れず、何を思ったのか鉢を覗き込むと、埋めたばかりの無明化の種を掘り返して食べてしまった。
「お前種とか食べるんだな」
タチバナは残りの鉢へ向かうかと思ったが、何故かこちらへと視線を向けて低い声で鳴き始めた。
何かと思って視線の先を確かめてみると、どうも手にしていた無明化の種の入ったビンが気になるらしい。
「こいつが欲しいのか?」
ビンの中から種を一つつまみ出して目の前まで持っていくと、タチバナは種の動きに合わせて首を振って、さっさとよこせと鳴き声を上げる。
「カモって植物の種食べるのか。まあ雑食だからそれもそうか。ほら、一つだけだぞ」
タチバナは与えてやった種をおいしそうに飲み込んだ。そんなタチバナは幸せそうであったが、残念ながらその幸せは長く続かなかった。
鬼の形相をしたご主人様が、タチバナの細い首を締め上げたのだ。
「あんた、何食べてんのよ! 貴重な無明化の種を! 吐き出しなさい、早く! このアホ鳥!」
橘花は締め上げたタチバナの首を激しく振ったが、既に飲み込んでしまったのか無明花の種は吐き出されなかった。
「なんてことしてくれるのよ! 気をつけてっていったじゃない!」
「ああ、タチバナに食べられないよう気をつけろってことだったのか。それならそうと先にしっかり言ってくれよ」
「この種が貴重なのはあんたも知ってたでしょ!」
怒り狂うご主人様の隙を見てその手から逃れたタチバナは、恐れを知らないのかそのままご主人様の頭の上へと舞い戻った。
「あんたもいい加減にしなさいよ!」
橘花はすかさず指を弾いて、タチバナのくちばしの下を強く打った。タチバナは抗議の声と共に舞い上がり、しかしそれでも元の居場所へと戻るとその場でお尻をぺたんとつけて座り込んだ。
「こいつ、絶対反省してない」
「仕方無いだろ。鳥なんだから」
「あんたも少しも反省してないでしょ」
「悪いとは思ってる」
言葉を返すと橘花は「どうだか」と短く口にして、種の植えられた鉢へと着色料で真っ赤に染められた水を与えていった。
「そいつ、普段は何してるんだ?」
「普段って何よ」
「いや、ここに来る前、そいつ喫茶『尾根』の前にいたんだ。どうしてあんな場所にいたのかと思って」
「あたしがそんなこと知ってるわけないでしょ」
「そうなのか? いや、お前はさっきまで何してたんだ?」
「なんでそんなこと教えないといけないのよ」
「いいじゃないか。何してたんだよ」
重ねて問いかけると、橘花は不満一杯そうな顔をしながらも答える。
「寝てた」
「寝てた? 今の今まで?」
「そうよ、悪い?」
「悪いとは言ってない。けどどうして夕方まで寝てたんだよ」
問いに橘花は手にした如雨露をわなわなと振るわせ、挙げ句の果てに空になっていたそれを投げつけてきた。
「うっさい! 暑いからよ!」
「そりゃまあそうだろうけど……。いや多くは言うまい」
飛んできた如雨露を受け止めて、元あった場所へとかけ直してやる。
こいつときたら、家の中で一日寝て過ごしていたというのか。確かに中層には電気が通っていて、冷房を効かせておけばそれはもう快適なことだろう。
「で、その間タチバナは?」
「だから知らないって。朝になると出て行って、夕方になるまで帰ってこないのよ」
「ふーん、そうなのか。お前、何処行ってんだ?」
橘花の頭の上に乗るタチバナに問いかけるが、タチバナはそっぽを向いてこちらの問いかけなど知った風ではないと言った感じだ。
「どうだって良いでしょ、こんなアホ鳥のことなんて」
「気にならないか? こいつが昼間一体何処で何をしてるのか」
「全く気にならない――って訳でもないけど、そこまで気にすることでもないでしょ」
少なからず気になってはいるが、たぶん橘花にとってそんなことより夏の昼間に外に出たくはないという気持ちの方が大きいのだろう。
「そうかもしれないが、ちょっくら確かめてみないか?」
「あんまり気乗りしないけど、どうやって確かめる気よ」
「朝外に出て行くんだろ。だからその後をつける」
「お断りだわ」
当然とばかりに橘花は提案を断った。
「何でだよ」
「暑いからよ」
即答である。暑いからという理由で昼間寝ている人間なので、当然と言えば当然だ。
しかしそんな自堕落な生活を一体何時まで続けるつもりだろうか。秋になって涼しくなるまで? それまでの間、あの無明花農園は夕方にしか手入れして貰えず真っ黒な無明花を延々と生み出し続けるのだろうか。
「一日くらい暑いの我慢できないか」
黒い花を咲かせ続ける無明花があまりに不憫で提案する。
「はぁ? 我慢できないから家に居るんでしょ」
橘花はあまり乗り気ではなさそうである。
しかし頭の上にタチバナを乗せた間抜けな格好をした橘花を、じとっとした眼でただただ見下していると、面倒くさそうにため息一つついて答えた。
「……一日だけならね」
「よし、じゃあ明日の朝――こいつが外に出るのは何時頃だ?」
「だいたい七時くらい?」
「七時だな。少し前には来るよ」
「はいはい。勝手にして」
橘花はうんざりした様子でそれだけ返すと、園芸道具を荒々しく片付けて頭の上にタチバナを乗せたまま家に戻っていった。
さて、突然現れて橘花の家に――というより橘花の頭の上に住み着いた一羽のカモ。一体これはただの偶然だろうか? それとも、人成山の引き起こす現象の一つだろうか?
何にしろ現状では考えるにも材料が足りない。
全ては明日。タチバナが橘花の知らないところで何をしているのかを明らかにしてからだ。




