短編 一瞬より早く⑤
「と、言うわけだ。あいつの呪いは、ゴールしたタイムの一〇〇分の一秒先を毎回指定するそうだ」
後日、今だ梅雨は明けぬどんよりとした曇り空の元、共に登山する慧乃に事の顛末を伝えた。
慧乃はにんまりと笑って答える。
「そうみたいだね」
「知ってたのか?」
「本人からきいたからね」
だとするとこいつは、以前から刹那の呪いについては当たりがついていたのだろう。こんな重要なことを黙っておくだなんて、酷い女もいたものだ。
「タイムを見たら答えあわせするって話だっただろう」
重要な事実を隠されていたことには目をつぶって、かつての慧乃の言葉を突きつけて、慧乃の考えを話すように要求する。
君はどう思うんだい? なんて返されるのではなかろうかという不安もあったが、事前に約束を交わしていたせいか、慧乃は素直に答え始めた。
「タイムというのは一度確定してしまったら、どうしても書き換えは出来ないものさ。後になってから、あのときああしておけばよかった、こうしておけばよかったと悩んだところでどうにも出来ない。だからその時のほんの一瞬でも気を抜いたら駄目で、一瞬一瞬で全力を尽くし続けないとならないものなのさ」
続きを期待していたのに慧乃の答えはそれきりで、あまりのあっけなさに拍子抜けしてしまった。
「待てよ。それくらいなら刹那だって分かってた」
「だろうね。だってこの答えは、誰だって行き着くし知らず知らずのうちに気がついているものだもの。いわゆる相対的思考法の内側での答えでしかないのさ」
相対的思考という単語に一瞬思考が奪われたが、考えてみればそれは一般的な物事の考え方のことだ。
タイムが速かったり遅かったり。勝負に勝ったり負けたり。良いとか悪いとか正義だ悪だと、とかく世の中のことは相対的な物事として捉えられて思考される。
一瞬一瞬で全力を尽くせばタイムは縮むし、尽くさなければ伸びていく。それは当たり前の話であって、だからどうだという内容でないことは確かであった。
「だったらお前は――」
問いかけようとした矢先に、口元へと、慧乃がぴんと伸ばした人差し指を近づけてきて、思わず言葉を句切った。
「私が何を言おうとしているかわかるかな?」
「君はどう思うんだい、なんて戯言以外なら歓迎するつもりだ」
答えに慧乃は小さく笑う。
「歓迎されなくていいよ。君はどう思うんだい?」
「結局言うよこいつは」
相変わらず慧乃は肝心な場面でこれである。
しかし最後は自分で考え抜かねばならないのが人成山の呪いだ。
慧乃は相対的思考法の内側の答えだと言った。
だとすれば、真の答えを出すには相対的思考法の外側の思考をしなければならない。
ゴールしたタイムの一瞬先を目標タイムに設定された。
相対的思考法でいけば、もっと速く走って一瞬タイムを縮めろということになるのだろう。ではその外側の思考法は?
相対的の反語は絶対的だ。
果たして絶対的思考とはどんな思考だろうか。そしてその思考法によってこの問題を捉えたときに、どのような答えが導き出されるのだろうか。
思案するため頭を切り換えようとしたが、大切な約束を思い出して思考を中断。顔を上げて、真っ直ぐに憎たらしい笑顔を浮かべる慧乃の顔を見やった。
「あら、いつになく早いけれど、もしかして答えが見つかったかい?」
問いかけに、かぶりを振って答える。
「いいや。刹那には二度と付き合わないと約束したからな。あいつの呪いについて考えることはしない」
きっぱり言い切ると、慧乃は口元を緩めて声を出して笑った。
「全く君は、そうやって心にもないことを言うのだから」
「今回のは本心から言ってる。二度とあいつの無茶には付き合わないと決めたんだ」
思えば刹那には毎度毎度、散々な目に合わされた。これ以上あいつの無茶に付き合うのは御免だ。呪いの方も、是非とも自力でなんとか解いて欲しいものだ。
「おや六宮殿! それに我が好敵手も! 相変わらず二人は仲が良いようだな」
そんなことを考えていた矢先に登山道の向こうから声をかけてきたのは、よりにもよって刹那であった。
「あ、お姉ちゃん! お兄ちゃんも! 今日もお二人は仲良しですね」
更にどうしたことかハナまでついてきた。慧乃は二人と出会えたことを喜んでいるが、どうにも嫌な予感がしてきた。
「我が好敵手よ、丁度良かった。こちらの伊与田殿が掴んだ情報によると、下層地区の近くにまだ飛行機があるらしい。しかも疾風よりもずっと早い、なんとコメートだそうだ!」
「コメート」
突然湧いてきた名前を思わず復唱する。嫌な予感はどうやら的中してしまったらしい。
「安心したまえ。今回機体はほぼ完全な状態だそうだ。燃料さえ入れてやればすぐ飛べる。そこで相談なのだが、我が好敵手に燃料を調達してきて欲しい」
「慧乃、行くぞ。ハナも、馬鹿なことに付き合うもんじゃない」
刹那の横を通り過ぎて登山道を登っていくと、案の定追いかけてきた刹那がしつこく声をかけてくる。
「過酸化水素とヒドラジンというのが必要だそうだが、なんとか手に入らないか。――おいおい無視することはないだろう。お前もコメートが空を飛ぶ姿を見たいだろう」
尚も無視して足を進めたが刹那はしつこく、早足で歩いてもどこまでもついてきた。
あまりに不毛なので立ち止まると、振り返って正面から刹那の姿を見据えた。
「ついにやる気になってくれたか! それでこそ俺が好敵手と見込んだ男だ!」
「ふざけるな! 言っただろ、二度とお前には付き合わんと! いくらつきまとっても絶対にそんなものの入手に手を貸したりしないからな!」
「またまた。本心じゃないのだろう。分かってる分かってる。さあ馬謖よ、少しは素直になるといい」
憎たらしく笑う刹那に対して指を突きつけ、声を荒げて言い放つ。
「本心だ! いいか、何があっても付き合わないからな! 絶対に! 絶対に! 絶対にだ!!」




