短編 一瞬より早く④
着陸用滑走路は、山頂まで一〇分ほどでたどり着ける、見晴らしの良い開けた場所であった。
有志一同の協力で無理矢理に平らに整えられた自称滑走路は疾風が着陸するには最低限の物で有り、当然オーバーランする可能性もあったので、追突用に土嚢を積み、緊急時に使う消火器も準備してあった。
「あ、お姉ちゃん! 待ってました!」
「お待たせ。いよいよだね」
滑走路脇にはハナをはじめ、数人の野次馬が待機していた。どこから噂が広まったのやら、上層地区に住む人間にも疾風の情報が流れていたらしい。
しかし下層地区で見なかったクソメガネがこちらにも見当たらず、どうにもあの無責任男は疾風の場所を教えておいて、自分は中層に引きこもっている算段のようだ。
野次馬共に事故の可能性があるから十分距離をとるように、そして事故った場合にいかなる怪我をしても自己責任でなんとかするように言い含めると、持ってきた無線機の電源を入れて、下層で待機している疾風へ向けて通信を入れた。
「こちら山頂滑走路。下層滑走路応答願う」
若干の間が開いた後、無線機からしゃがれた声が返ってきた。
『こちら疾風。感度良好、通信問題なし』
声の主は自称元零戦・雷電パイロットの松じいさんであった。刹那の奴はスタート地点で待機しているのだろう。
「こちら山頂滑走路。通信問題なし。刹那の準備は出来ているか?」
『確認中――問題なし。山頂滑走路の状態はどうか』
「風速問題なし。滑走路異常なし。残念ながら状態は非常に良い。そっちのタイミングで始めてくれ」
『了解』
松じいさんが交信を終了したので、無線機を受信に設定して、下層の滑走路があるであろう方向へ視線を向けた。
いよいよこの時が来てしまった。無事に疾風は空を飛べるだろうか。
思案に暮れていると突然空で何かが弾けて煙の塊が出現し、遅れて大きな爆発音が響いてきた。
「スタートしたみたいだね」
こともなげに言ってのける慧乃の顔を見つめて、今の爆発音について問いただす。
「花火打ち上げるなんて聞いてないぞ。一体誰が用意したんだ」
「えへへ」
笑って答えたのは慧乃の隣に座っていたハナである。一体どこからこんなものを調達してきたのか。問いただしたい気持ちもあったが既に事は始まってしまったようなので無線機の方へと集中した。
スタートしてから疾風に乗り込むまで、刹那の足なら三分とかからないだろう。
無線機の前で待ち構えること数分、ようやく通信が入ってきた。
『こちら刹那。これから離陸する』
「こちら山頂滑走路。間違ってもへまするなよ」
『何だ馬謖、この俺のことを心配してくれるのか』
「冗談はやめてくれ。集まった野次馬達を心配してるんだ」
『心配ない。きっとうまくいくさ』
どこからその自信が湧いてくるのかさっぱり分からないが、乗り込んでしまったのだから山頂から何を言おうが止められない。止める気も既に失せていたし、ここまで来たのだから好きにしたらよろしい。
これから離陸する旨を滑走路に集まった野次馬達に伝えると、彼らは歓声を上げて下層の滑走路のあるであろう方向を見下ろした。
「危ないっつってるのに」
「君がこれから離陸するって教えたのと違うかい?」
「いや、違わない。近づいてきたら待避するように言うさ」
慧乃の問いかけに答えながら、野次馬達と同じく、疾風が上がってくるだろう方角へと視線を向ける。
やがて遠くから発動機の音が聞こえ始め、空に小さな点が舞い上がった。
段々と大きく見えてきたそれは、どこかの誰かさんが妙にこだわったせいでピカピカの塗装をされた、四式戦疾風に間違いなかった。
「ほらハナちゃん! 四式飛行機が飛んでるよ!」
「お姉ちゃん! 四式戦闘機ですよ! わあ、でも凄いです! 飛んでるところ初めて見ました!」
隣の姉妹だけでなく、野次馬達全員が疾風の勇姿に歓声を送った。
修理に携わった身としても、あの骨董品が本当に空を飛ぶ姿をこうして見られたのはぐっとくるものがあった。しかし問題はここからだ。
「君の修理した飛行機が空を飛んでいるのだから、もっと喜んでも罰は当たらないよ」
「専門家の指示を受けたとおりに直したんだから飛ぶのは当たり前だ。問題は着陸だ」
「そうかい? でも離陸が出来たのだから着陸も――」
「お姉ちゃん! 飛行機の操縦で一番難しいのは着陸なんですよ!」
「そうだった。素人があまり適当なことを言うのではなかった。すっかり忘れていたよ」
ハナにまで指摘された慧乃はしゅんとしぼんで見せたが、直ぐに笑顔を作って遂に滑走路と同高度にまで到達した疾風へと手を振った。
「その時は近いみたいだけれど、大丈夫なのかな?」
「さてね。最後は刹那次第だ」
疾風は更に高度を上げると、速度を保ちつつ人成山の周囲をぐるりと回る。
そこで用意していた発煙筒をたいて、滑走路の場所を教えてやった。
『こちら刹那。滑走路の場所を確認した。これより着陸態勢に入る』
「こちら山頂滑走路。着陸了解。くれぐれも無茶な着陸はするなよ」
念のため釘を刺し、拡声器を手に野次馬達に滑走路から離れるよう警告する。
疾風は滑走路の真上に到達すると、速度を緩めながら旋回する。やがて着陸用のタイヤを繰り出してフラップを展開し更に速度を落とすと、真っ直ぐに滑走路へと向かって来た。
疾風の姿に野次馬は歓声を上げたが、速度計を確認するとどうにも事前に聞いていた疾風の着陸速度と比べて速度が出ていることに気がついて、無線機を取り上げて刹那へと声をかける。
「おい、速度が出すぎてる。もう一回旋回して仕切り直せ」
直ぐに軌道を修正すれば難なく仕切り直せる位置取りだ。だというのに、疾風は一向に機首を上げず、真っ直ぐ滑走路へのコースをとっていた。
「仕切り直せ。その速度じゃオーバーランするぞ」
呼びかけても尚突入してくる疾風。いよいよ無線機に向かって怒鳴り声を上げる。
「今すぐ機首を上げろ! 聞こえてるのか! 刹那! 機首を上げろ!」
『大きな声を出さなくても聞こえている』
「だったら直ぐ機首を上げろ! まだやり直せる!」
『このまま着陸する』
「何言ってんだ! ただでさえ短い滑走路なんだ。馬鹿言ってないでやり直せ!」
声を荒げて命令するも、疾風はただ真っ直ぐに滑走路を目指す。
「今無茶する必要なんてない! タイムが気にくわないなら下の滑走路に降りてやり直せば良い! さっさと機首を上げるんだ!」
『やり直しなんてあり得ない』
「は? お前何を言って――」
『タイムってのは神聖な物だ。一度決まったタイムは、後でどんなに後悔しても書き換えることは出来ない。その時に出せたタイムだけが唯一のタイムだ。俺はもうスタートを切った。この一回で、たとえどんな悪条件だろうと最高のタイムを出さなければならない。だからやり直しはなしだ。このまま着陸する。心配無用、きっとうまくいくさ』
既に疾風は滑走路突入間近の場所まで降下していて、最早やり直せる距離ではなくなっていた。
刹那が一方的に無線を切ったので、手元の拡声器を拾い上げて最大出力にすると声を張り上げた。
「全員逃げろ! 不時着するぞ!」
歓声を上げていた野次馬達はそれで異常事態だと理解してくれたようで、一目散に滑走路から距離をとった。
「お前達も危ないから離れてろ」
慧乃とハナにも声をかけたが、慧乃は近くにあった消火器を持ち上げて微笑む。
「事故となれば人手が必要だろう?」
「わたしも、お手伝いしますよ!」
慧乃を真似して消火器を担ぎ上げたハナ。二人は顔を見合わせて微笑むと、さあどうだと言わんばかりにこちらに視線を投げてくる。
「飛行機が完全に止まるまで絶対近づくなよ」
二人に備えてあったヘルメットを被るよう示して、自分も一つ頭に被る。
「分かった。約束するよ」
「はい!」
工具箱とロープを担いで立ち上がると、拡声器のサイレンスイッチを入れて滑走路の端へと走る。
整えられた平らな滑走路の向こうは木の根がむき出しの不整地で、その奥には最終手段として堆く土嚢が積まれてはいたが、これは二次被害を押さえるためのものでパイロットを助けるためのものではない。
ふらふらと低速で滑走路へ突入した疾風は、速度を更に落としながら滑走路に沿って飛行して、遂にタイヤを滑走路につけ、機体を揺らしながら走り始めた。
フラップをいっぱいに開いて、機首を上へ向け機体を滑走路へ押しつけるようにして減速をかけるが、疾風は滑走路の端でも尚止まらず、不整地へと突入する。
駆け寄りたい気持ちを抑え、一〇メートルほどの距離をとって体を低くして見届ける。
不整地を走る疾風はがたがたと大きく揺れながらも倒れずに減速を続けたが、最後には土嚢に追突し、プロペラが折れ曲がりエンジンから煙が吹き出す。
ようやく完全に停止したのを確認すると、立ち上がって疾風へ駆け寄る。ついてきた慧乃とハナがエンジンに消火器を向けてこれ以上の惨事にならぬよう勤めてくれた。
急いで翼によじ登り工具を使って風防をあけると、操縦席では刹那がぐったりとしていた。意識があるか確認するため何度か刹那の頬をはたく。
追突がエンジン部分だけだったためか、刹那は生きているようだった。しかしヘルメットの隙間から血が流れているので頭を打ったのだろう。
刹那がうっすらと目を開けると、その目の前に指を三本立てた右手を突き出した。
「ほら大丈夫か。何本に見える」
「四――いや、三だ。三だよ。大丈夫だ。意識はしっかりしている」
答えた刹那の頭を軽く引っぱたく。
「おいおい、怪我人になんてことを――」
「馬鹿言ってんな! 大丈夫ならぼやっとしてないでさっさと走れ! 最高のタイムを出すんだろうが!」
刹那は痛みで歪めていた顔に、にっと笑顔を作った。
「それでこそ俺の好敵手だ。悪いがベルトを外してくれ」
「ああ、さっさと降りろこの疫病神」
操縦席に体を固定していたベルトを外すと、刹那の体を機体の外へ引きずり出し、地面に足がつくまで体を支えてやった。
「ゴールはあっちだ。早く行け」
「分かってるとも。それじゃあ行ってくる」
刹那は意識が完全にはっきりしていないのか、おぼつかない足取りで、されど真っ直ぐ山頂を目指して走り始めた。
エンジンの煙は収まりつつ有り、山火事やら大爆発の危険性はまあなくなったであろう。
ここは慧乃とハナに任せて、下層のじいさん達へと連絡を入れようと無線機の方へ一歩歩み出すと、その背中に慧乃が声をかける。
「どこへ行くつもりだい?」
「無線機だ。下にも着陸したことを伝えないとだろ。サイレン何時までもならしてるわけにも行かないし」
当然の答えをしたつもりなのに、慧乃はどこか含みのあるような笑みを浮かべて見せた。
「どうした」
「あまり素人が適当なことを言うものではないと学んだつもりではあるけれどね、怒られるのは承知で一つだけ言わせて貰っても良いかな?」
「何でも言ってくれ」
問うと慧乃は一瞬だけちらと刹那の背中へ視線を送って、それからこちらに向き直って答えた。
「ここは私たちに任せて、君は君にしかできないことをやるべきではないかな?」
自分にしか出来ないこと。
確かに今ひとつだけ、自分にしか出来ないことがあった。
「任せても良いか?」
問いかけると、慧乃は見開いた鳶色の瞳の底にこちらの姿を大きく映して、満面の笑みで頷いた。
「勿論。心配はいらないよ。きっと何もかもうまくいくさ」
持っていた物を全て下ろして、一目散に山頂を目指して走り始める。
気のせいかいつもよりずっと体が軽い。
全速力で山道を駆け抜けていくと、向こうの方に刹那の背中が見えた。
やはり本調子でないらしく、走ってはいるが以前のような勢いがない。
その背中に向けて距離を詰める。あっという間に距離が縮まり、簡単に追いつけてしまい拍子抜けした。
こちらに気がついた刹那が視線を向けてきたが、それを無視して地面を蹴ってかけていく。
刹那の横を通り抜けて、それでも足を止めずに走る。
目指すはゴールだけ。刹那を突き放して走って行くと、向こうに山頂の鳥居が見えてきた。
ここから先は舗装された道。勾配はあるが走りやすい。
いよいよ最後の直線にさしかかると、距離をあけていたはずの刹那が一気に速度を増してきて、こちらとの距離を詰めてきた。たった数分の全力疾走だったというのに、もう膝が悲鳴を上げている。
それでも無理矢理足を一歩前に踏み出して、地面を蹴るとまた一歩前へと踏み出す。限界を超えて、無理矢理最高速度で走り続ける。
だが刹那との距離は見る間に縮んでいく。
それでも最後まで諦めない。ここまで来て、追い抜かれてやる気持ちは微塵もない。
ゴールの瞬間は併走する形で、鳥居へと突入した。
最後まで勝つつもりだった。
――それでも、一瞬早く、刹那の体が鳥居をくぐり抜けていた。
二人揃って『人成山山頂』の石柱の元に体を投げ出して、青々と澄み渡る空を見上げる。
勝つつもりで走って結局勝てなかったが、それでも不思議と悔いはなかった。
「あー、さっき大丈夫と言ったが、どうも大丈夫でもなさそうだ。きっと頭を強く打ったのだろう。相当キてる」
手を伸ばしてそれをぼーっと見つめながら刹那がそんな台詞を吐いたので、返すのもだるかったが仕方無く返答してやった。
「そうか。静かになるな。葬儀は呼ばなくて良いぞ」
「勝手に殺すな。仮に命を落としたとしても、化けてでてやる。永遠につきまとうから覚えておくがいい」
「お断りだ。素直に成仏するか苦しんで生き続けろ」
軽口を返して、本当に大丈夫かちらと刹那の方を見やったが、顔色もそこまで悪くないしたぶん少し立てばけろっと元気になるだろうと適当に判断した。詳しいことは分からんが、たぶんなんとかなるだろう。ならなかったとしても知ったことではない。
「それよりお前、タイムはどうなった」
言われて刹那は握りしめていたストップウォッチを目の前に持ってきて、その数字を読み上げた。
「一八分一二秒七六。最高のタイムだ。だが今回も駄目だったようだ」
まあそうだろうな。何しろ飛行機を使って無理矢理ひねり出した無茶苦茶なタイムだ。人成山がそんなタイムをおいそれと認めてくれるわけがなかったのだ。
「だが不思議と悔いはない。実に爽やかな気分だ」
「そうかい。そりゃ良かったな」
先程自分も同じようなことを考えていた。そのせいか自然と口元が笑っていて、刹那に見られる前にと無理矢理真一文字に結んだ。
「しかし不思議と言えば、この設定タイムだ」
「そういえば前回あと一歩だったとか言ってたな。今回はどうだったんだ?」
問いかけると刹那はにやりと笑って、自慢げに答えるのであった。
「前回も今回も、というより毎回一緒なのさ。毎度毎度、タイムの一〇〇分の一秒先を指定される」
「一〇〇分の一――?」
「そう、一〇〇分の一秒」
――前回、確認しておくべきだった。
人成山の設定タイムが毎回同じ。しかもそれがゴールしたタイムより一瞬だけ早いタイムとなれば、こいつの呪いにとってタイムはそう重要な事ではなかったのだ。
飛行機を使ってタイムを縮めようが、結局到達タイムの一〇〇分の一秒先を指定されるだけだったのだ。
「おま、お前それ、今回の完全に無駄骨じゃねえか」
「そうか? そうとも限らないだろう? 何しろ、どんなことでもやってみるまで分からないものだ」
どこかで聞いたような台詞を聞かされて、いよいよ我慢できなくなり痛む体にむち打って立ち上がり、今だ寝転ぶ刹那に捨て台詞を吐く。
「二度とお前には付き合わないからな」
「おいおい馬謖。いや我が好敵手よ。口角が上がってないぞ。そうやって自分の癖を無理に誤魔化すものじゃない」
「本心から言ってんだ。二度と付き合わないからな」
それだけ言い捨てて、寝転ぶ刹那を置き去りに、その場を立ち去った。
背後から助けを求める声が聞こえたような気もしたが、きっとそれは疲れからくる幻聴か何かだったであろう。




