短編 一瞬より早く③
それからまた三日が過ぎ、前日は昼前に雨が止み、人成山放送局のラジオによると今日は一日晴れ間が出るそうだ。
朝から珍しく顔を出している太陽を仰ぎ、とうとうこの日が来てしまったと内心太陽を恨んだりしたものだが、どうせいつかこの日は来てしまうのだと諦めて、下層地区にあるガレージへと向かった。
既にガレージ前は疾風の勇姿を一目見ようと野次馬が詰めかけていて、一体人成山のどこにこんな数の人間がいたのだと驚かされる。
人混みの間をすり抜けてガレージへ入ると、刹那はどこから調達したのか飛行服にゴーグル付きのヘルメットを装着していて、準備万端といった具合だった。
「とうとうこの日がきたようだな」
「全くだ。とうとうこの日がきちまった」
これからこの骨董品の飛行機を飛ばそうというのだ。未だに正気とは思えない。
「止めたって聞かないんだろうな」
「分かっているなら止めてくれるな。俺はこれからこいつで飛ぶ」
本当に、言っても聞くつもりなんてないだろう。それに、もう今更止めるつもりもなくなっていた。
「飛ぶからには最高のタイムを出せよ。やり直しなんて御免だからな」
「今日は本気で言っているようだな。何、言われなくても、何時だって目指すのは最高のタイムだ。馬謖は上で待っていてくれ。こっちの準備は手が足りてる」
刹那の示す先では、元自動車工の源じいさんと、自称元零戦・雷電パイロットの松じいさんが機体に燃料を入れていた。操縦席では元計器メーカー技術者の小野じいさんが計器の最終点検をしている。
「分かった。無線機の調子だけ確認したら上に向かう。ついたら向こうから連絡する」
「ああ頼むよ」
刹那が頷くのを見て、測定器片手に疾風の翼の上によじ登ると、小野じいさんの横で無線機の点検を行う。
積んであった無線機があまりにあんまりで、直したところで軽い振動で駄目になるので思い切って全く新しい無線機に積み替えていた。飛行機は素人だが無線機は専門分野だ。下層地区のジャンク屋でもらい受けてきた中古品だが、修理のおかげでしっかり動作している。ついでに計器の情報を外からでも参照できるように手を加えていたが、そちらの昨日も問題なく動作していた。
それだけ確かめると受け側の無線機を持ってガレージを後にした。後のことは素人が口出しするよりじいさん達の方がうまくやってくれるだろう。
山頂付近に設営した着陸用滑走路へ向かおうと登山道を歩き始めると、遠くに良く見知った女の姿があった。
「ここを通りたければ、この私を倒してからにすることね!」
いつも聞いているようで、実際の所久しぶりにきくそのアホ丸出しな台詞に思わず笑みがこぼれる。
「それ、布教してんのか? 刹那も同じようなことを言ってた」
「そのつもりはないけれどね。ああ、でも刹那君は登山道を走っているときにやってしまったせいで、結構落ち込まれた覚えがあるなあ」
「タイムアタック中だったのに止められたら落ち込むだろうな。何より一度止まるとどっと疲れる」
「まあ過去のことは忘れようじゃないか」
慧乃はのほほんとした調子でそう言って微笑む。全く、自分に都合の悪い過去をもみ消そうとしやがって。
「それより山頂に向かうのだろう? 一緒に行ってもいいかな? ハナちゃんも上で待っていることだろうし」
「ああ、ご自由にどうぞ」
慧乃と二人、人成山の登山道を上っていく。
人成山神社を通り過ぎるまで他愛ない話ばかりしていたが、頂上が近くなると、思い出したように慧乃が問いかけてきた。
「そういえば君は、刹那君の呪いがどんなものなのか、考えてみたことはあるかい?」
「お前はどうなんだ?」
「質問を質問で返すのは意地が悪いなあ」
「だろうね。それに関しては完全に同意するよ」
「それで、どう考えたのかな?」
どうにもこちらの意見をどうしても聞きたいらしく再び問いかけられる。このままでは埒が明かないので、少しばかり考えていたことを口にしてみる。
「刹那の呪いは、目標タイム以内に山を登ることだ。あいつにとって走ることは特別な意味があるようだがそのあたりはとりあえず置いといて、競争相手との勝ち負けを競うわけでなく目標タイムを達成するとなると、結局は自分との闘いって事になるんじゃないか」
「自分との闘いね。確かに、そういった一面もありそうだ。それで?」
「続きはない。今まで考えてたのはそれだけだ」
その言葉に慧乃はふふんと鼻を鳴らして微笑んで見せた。
「なんだよ」
「ごめんごめん。ちょっと面白かったものだからついね。深い意味はないから気にしないでおくれ」
どうだか。こいつのことだから、口ではこう言っていても内心ではこちらの考えも及ばないようなことを思っているのかも知れない。
「では君は今回の、四式飛行機だったかな? あれを飛ばすことについてはどう思っているのかな?」
「馬鹿げてると思ってる」
問われた新たな質問に、素直に意見を述べた。
「それはどうして?」
「呪いが自分との闘いなら、自分の足で走るからこそ意味があるんじゃないかと思った。特に刹那にとって走るってことは特別なことだ。それを飛行機に乗ってタイムをいくら縮めたところで呪いが解けるとは思えない」
思った通りの答えを述べてやると、慧乃はまたふふんと鼻を鳴らす。
なんだよ文句あるのか、と睨みをきかせても慧乃は微笑むばかりである。
「どうして君はそうやって私の顔を睨み付けるのかな?」
「憎たらしい顔をしてるからだ。鏡を見てみたらきっと分かる」
「それには及ばないよ。どれほど憎たらしい顔なのか、君の顔に映っているからね。言いたいことがあるのならにやにやしてないで素直に言ってみろって顔をしているよ」
「分かっているなら素直に言ってくれればいいんだ」
「そうは言っても、君は私が何を言いたいのか分っているだろう?」
そんな風に問いかける慧乃の憎たらしい笑顔を見てまた腹を立ててみたものの、実際慧乃が何を問いたいのかなんてのは始めから分かっていた話だった。
「飛行機飛ばすことが馬鹿げてると分かっていたなら、どうして修理に手を貸したのかってききたいのか?」
「ほらね、分かっていたじゃないか。誰かさんの言葉を借りるとすれば、分かっているなら素直に言ってくれればいいのさ」
全くその通りではあるが、毎度毎度こうして聞かれたくないことをこちらから告白するように背けやがって。分からないふりをして尋ねてくれたらまだ幾分か答えやすいというものだ。
しかし慧乃はそんな考えすら見透かしているかの如く、鳶色の瞳に透明な笑みを浮かべてじっとこちらを見つめてくる。
その瞳からは逃げることが出来ず、顔を背けて仕方なしに答える。
「いつかお前が言っただろう。あれこれ試行錯誤してる途中の人間に、横から野暮なことを言いたくないとかなんとか」
「確かにそんなことも言ったね。でも、明らかに間違った道を進んでいると分かっていても、君は止めないのかい?」
「もしかしたら間違っているって考えが間違っているのかも知れないだろ。何にしたってやってみないと分からないことはあるさ。特に、人成山の呪いは解いてみるまでどんな呪いだったのかすらわかりもしないんだ」
慧乃はまた微笑んだが、今度の笑みは今までのとは違う、憎たらしいとは感じない和らげなものだった。
「そうだね。結局、何が正しいかなんてものは、最後の最後まで分からないことなのかも知れないね」
珍しく同意を返してくれた慧乃。それを素直に受け取るのもなんだか気恥ずかしくて、ぴんと人差し指を立てた右手を慧乃の前に突きだして見せた。
「もう一つ、刹那を手伝った理由があるが、これはお前には分からないだろうな」
「ほう。それは一体どんな理由かな? 是非教えて欲しいよ」
はにかむ慧乃に対して、こればかりは堂々と胸を張って答えてやった。
「馬鹿げた登山タイムアタックにかり出されるより、機械いじりしてたほうがずっとましだからだ」
慧乃はまたもやふふんと鼻で笑って見せた。どうせ本気で言っていないとでも思っているのだろう。だが残念ながら、山頂まで競争なんてリスクの高い行為は二度と御免被りたいのは事実なのだ。
「それで、お前はどうなんだよ」
当然の問いかけをしたのにもかかわらず、慧乃は首をかしげて、何をききたいのかさっぱり分からない、みたいな仕草をして見せた。
「お前は刹那の呪いについてどう考えているか聞いているんだ。こっちが答えたんだから、教えてくれたって良いだろう」
「ああ、そういうこと」
慧乃は今分かった、みたいにぽんと手を叩いて見せて、それから胸を精一杯に張って自信満々に答えた。
「それは今回のタイムを見てから考えようかと思っていたのさ」
「なんだよそれ」
答えに全く納得がいかなくて非難するように視線を向けたが、慧乃は全く意に介さないといった様子で、人を追い抜いて登山道を先へと進んでいった。少し行ってから立ち止まった慧乃は、振り返ると手招きして呼びかける。
「ほら。きっと下で皆、君の合図を待っているよ。早く行くとしようじゃないか」
「はいはい。おっしゃるとおりだよ全く」
今度慧乃が何か問いかけて来たときは同じような返答をしてやろうと心に誓ってから、慧乃の背中を追うように小走りで登山道を駆け上がった。




