中編 好凮寺奇譚⑧
日が昇り、好凮寺に朝の光が差す。
自然豊かな好凮寺では夜が明けると鳥がさえずり、その鳴き声があまりに大きいので目覚まし時計がなくても起きられる。
久しぶりの好凮寺の朝だけれど、今日はいつもの書院ではなく大方丈だ。
目を覚ますと起き上がり、同じく起き上がった坊主君と子供の数を数える。
「あれ、一人足りない」
どう数えても九人しか居なかった。どこかに紛れてしまっているのかと、子供達を起こしながら一つ一つ布団をめくって確かめていったが、結局九人しか子供は居なかった。
押し入れの中にも姿はなくこれはまずいと焦っているところに、のっそりと邦実様が大方丈にやってきた。
「おはよう」
寝起きの邦実様はとろんとした目をこすりながら挨拶をする。
「あ、あの邦実様! 大変です!」
「それよりあんた、あたしがおはようっつったのよ。まず言うことがあるでしょうよ。それとも何、まだ寝てるの?」
「お、おはようございます」
邦実様は朝挨拶をしないと機嫌を損ねるのだった。すっかり忘れていた。すかさず挨拶を返して、それから居なくなった子供について報告する。
「邦実様大変です! 子供が一人居ないんです! おかっぱの女の子なんですけど」
「この子?」
邦実様が袖を振ると、その袖をぎゅっと掴んでいたおかっぱの女の子が邦実様の背中からひょっこり姿を現した。
「おはようございます」
おかっぱの女の子も邦実と同じように眠い目をこすって、大きくあくびをしながらも挨拶をした。
「ああ、良かった! 邦実様の所にいたんですね」
「良かないわよ。あんたのせいであたしの睡眠時間が大幅に削られたわ。どう責任とるつもりよ」
「え、いや、わたしのせいですか?」
全くいわれのない非難に思わず問いかける。確かに子供が勝手に出て行ったのはわたしの監督能力不足かもしれないが、そもそも邦実様が出口の前で寝ていてくれたらこんな事にはならなかったのだ。
「あんた以外に誰が居るのよ。全くこの邦実様の睡眠時間を削っておきながら図々しいことばっかり言って」
「あの、邦実様? 全く身に覚えがないです」
「ホントに都合の良い頭してるわね。ま、いいわ。さっさと朝ご飯の準備をしなさい」
「え、ええ? 本当に覚えがないのですけど……」
「朝ご飯の準備をしなさい」
「はい」
重ねて命じられたので、もう返事をするしかなかった。邦実様は返事をしっかりしないと機嫌をそこねるのだ。ただでさえなにやら機嫌が悪いようなので、それだけは避けなければならなかった。
「あんたはいい加減その手を放しなさい。ほら、全員整列」
邦実様はおかっぱの女の子をふりほどくと子供達に号令をかける。寝起きの子供達の反応は薄かったが、とりあえず足の不自由な女の子以外は立ち上がっているのを確認して邦実様は声をかける。
「おはよう」
邦実様の挨拶に、何人かが返し、数人が小声で何事か呟き、残りは黙りであった。
当然邦実様は機嫌を損ね、太鼓の元まで行くと二回強く叩いて音を立てた。
驚いた子供達が跳ね上がり全員が邦実様に注目した。
「あんたらまだ寝てんの? 起きてるなら言うことがあるでしょーよ。このあたしがおはようっつってんのよ」
邦実様の言葉に、子供達はばらばらではあったが大きく挨拶を返す。ひとまず満足した邦実様は子供達に再び号令をかける。
「起きてるならついてきなさい。外に出て運動するわよ。一日家の中にいるとカビが生えるんだから。ほら、聞こえてんの? 聞こえたら返事する」
子供達は返事をして、先頭を行く邦実様に続いた。
何がどうしてこうなったのかさっぱり分からないが、どうも邦実様は子供達の世話を引き受ける気になったようだ。
「大丈夫そうだけど、念のため一緒にいてあげて。わたしは朝ご飯用意してくる」
「そちらは長洲さんお一人で大丈夫ですか?」
「任せといて。料理はそこそこ自信あるから」
大人三人と子供一〇人分くらいなら一人でもなんとかなるだろう。幸い朝食だからそこまで作り込む必要もない。何より、やる気になっている邦実様に水を差すのは避けて置いた方が良さそうであった。
ともかく一人炊事場に赴きまだ食材が十分にあることを確認して、庭から聞こえてくる人成山放送局のラジオ体操と子供達の元気な声をBGMに、鼻歌なんか歌いながら皆の朝ご飯を準備した。
朝食を終え、大方丈に並べた長机の片付けも済ませると、子供達が一カ所に集まって、何かひそひそと話を始めた。
「何事ですかね?」
「さあね。クソガキの考えることなんて分かったもんじゃないわ」
邦実様の言葉は乱暴であったが、声はどこか優しい。今朝からどこか様子が変だ。昨晩は子供達の世話を放り投げて一人で小方丈で寝たというのに、一体どんな心境の変化だろうか。
そんなことを気にしていると、子供達は話が終わったらしく二列に整列して並んだ。
「ええと、みんな、どうしたのかな?」
尋ねると、子供達は一斉にお辞儀をして、元気よく声を上げた。
「邦実様、お姉さん、お兄さん、ありがとうございました」
「どういたしまして。でもどうしていきなりお礼を言うの?」
「帰るんでしょ」
子供達に問いかけたのに、答えたのは隣にいた邦実様だった。
「帰る? もしかして、元の場所に戻るの?」
今度は子供達が一斉に肯定を返した。どうにも子供達は元の場所に戻ることが出来るらしい。いつの間に呪いを解除したのか、そもそも呪いになんてかかっていなかったのか定かではないが、戻れるというのだからきっと戻れるのだろう。
「じゃあな、はげ」
「懲りないわねあんた」
一番生意気だった男の子が邦実様に別れを告げる。男の子は別れを告げると、座り込んでいた足の悪い女の子の元へと駆け寄って、その子をおぶってあげていた。
わたしの所にも、子供達が別れを直接告げにやってきた。遊んでくれたお礼を述べる子供達と目線を合わせて、一人一人に気をつけて帰るように言いつけていく。
別れを告げた子供達は各々玄関へと向かって行った。最後にわたしの元へやって来たのは、あの黒髪の女の子だった。
「お別れのようですね長洲様。短い間でしたがお世話になりました。このご恩はいつか必ずお返しいたします」
黒髪の女の子は人成山に記憶を奪われる前のしっかりした性格を取り戻したようで、綺麗な鳶色の瞳の奥に、穏やかな感情をたたえてわたしを見つめる。
「そんなにかたくならなくても、わたしも楽しかったから気にしなくていいよ。あと長洲様なんて大げさすぎるからこころでいいよ」
返答に黒髪の女の子は鳶色の瞳を細めて穏やかに笑う。
「そうですね。ではこころさん。また今度、好凮寺に遊びに来てもよろしいでしょうか?」
「それは勿論! 是非遊びに来て!」
「はい。いつかきっと。約束です」
黒髪の女の子が差し出す小さな手をぎゅっと握る。子供とは思えない大人びた不思議な女の子。
もしまた会えるのならば今度は慌ただしくないときに、二人でゆっくり話してみたい。この子は何か、わたしが探し求めるとても大切なものを持っている気がするのだ。
黒髪の女の子は深々とお辞儀をすると、とても小柄な女の子の手をとって、一緒に玄関口へと歩いて行った。
大方丈に残っていた最後の子供は、邦実様と何か話している。どうしてか知らないが、すっかり邦実様のことが気に入っていたあのおかっぱの女の子だ。
「あのねお姉さん。まだね、お歌覚えられてないの」
「あれだけ親切に教えてやったのに覚えないあんたが悪いのよ」
邦実が突き放すとおかっぱの女の子はしゅんと表情を曇らせたが、直ぐに明るい表情に戻った。
「あのね、お姉さんみたいにお歌上手になりたいの。だからね、お姉さんの弟子にして欲しいな」
「お断りよ」
子供相手だろうが邦実様は情け容赦なく突っぱねる。流石におかっぱの女の子が可哀想なので間に入ろうかと思ったが、邦実様は後を続けた。
「好凮寺は人手が足りてないのよ。あんたみたいなガキがいる場所はないの。大きくなってから出直してきなさい」
「ホント? 大きくなったらお姉さんの弟子にしてくれるの?」
褐色の瞳をキラキラとさせて、おかっぱの女の子は飛び跳ねる。
「ただ大きくなるだけじゃだめよ。ちゃんと邦実ちゃんの役に立てる人間じゃないと。最低限、料理とガキの子守りくらいは出来るようになってから来なさい。いいわね」
「うん! 絶対、お姉さんのお役に立てるようになる! そしたら、お歌の続き、教えてね。約束だよ」
おかっぱの女の子は手を差し出した。
邦実様はその小さな手を一瞥して、若干の間を置いてから、すっと手を出して握った。
「ちゃんと役に立ったらね」
「うん! 頑張る! またね、お姉さん!」
おかっぱの女の子は満面の笑みで、邦実様と、それからわたしと坊主君に向けて手を振って、玄関口へと走って行った。
「相変わらず子供こき使う気なんですね」
「当たり前でしょ。このあたしの弟子になるって事はそういう事よ。それともあんたは、あたしの方針が気にくわないの?」
細めた目でゆらりと睨み付けてきた邦実様。そんな邦実様を、真っ直ぐに見つめて言い返す。
「いいえ。わたしも邦実様の弟子ですから。邦実様の方針は正しいと信じています。邦実様のお役にたてるのならば何だってしますとも」
「どうだか。あんたが言うと嘘っぽいわ。――でもそこまで言うなら早速あたしの役にたってもらおうかしら」
言葉にしてから流石に言い過ぎたかと後悔したが、そんなわたしに向けて邦実様はにやりと怪しい笑みを向けて、顎で大方丈の玄関口を示した。
「あの子達、ちゃんと帰れるか見送ってきなさい」
ああ、やっぱり邦実様は邦実様だ。少し素直じゃなくて怠け癖があるけれど、なんだかんだ根は本当に優しい人なのだ。
「こころ返事」
「はい! 直ぐ行ってきます!」
子供達を追って好凮寺の山門から外へと出ると、中層へ向かう山道に子供達の姿が認められた。元気に声を上げて、一〇人仲良く下山している。
何処へ向かっているのかは分からないけど、とにかく追いかけなければ。
夏の太陽は眩しいが、朝早い時間だったので日差しはそこまで苦にならない。それに加えて好凮寺のご加護か、涼やかな風が山道に吹いていた。
子供達との距離を詰めようと駆け足で追うが、子供達は元気が有り余っているらしく、どんどん下山して行ってしまう。
なんとか追いつこうと駆ける目の前で、子供達は角を曲がって崖の裏の死角へと入り込んでしまった。
曲がった先は真っ直ぐな道だけれど、見失わないようにしないと!
地面を蹴って走り勢いよく角を曲がる。
「おっと――」
「おうっ」
前方不注意の結果、曲がった先にあった何かにぶつかり、はじき飛ばされてその場に尻餅をつく。
「おい、危ない奴だな。山だからって曲がり角を駆け抜ける奴があるか」
「ごめんなさい急いでて――ってあれ、登山童貞」
目の前に居たのは例の登山童貞であった。登山童貞と呼ばれたことに腹を立てたらしく何事か苦情を申し立てていたが、今はそれどころではない。
尻餅をついたまま、登山童貞の正面から体をずらして道の先を見つめる。
しかし、そこには子供達の姿は影も形もなかった。
「ちょっと、ここに子供がたくさん来たでしょ! 何処行ったか教えて!」
「子供? 何言ってんだ?」
「何って、幼稚園児くらいの子供よ。一〇人くらいこの道を通ったでしょ!」
問いかけたのに登山童貞は肩をすくめて背後の道を振り返り、それからこちらに向き直って答える。
「この道じゃ誰にも会わなかったぞ」
そんなはずない、と主張しようと口を開きかけたが、それより早く、登山童貞が声を発した。
「人成山に化かされたか?」
その一言で、ここは呪われた人間しか訪れない山、人成山だと思い出した。
あの子供達も呪いによって人成山にやってきた。そして、呪いによって元の場所へと戻ったのだ。
立ち上がろうとしていた体は途端に力を失って、その場にぺたんと尻餅をついて仰向けに身を投げ出した。
「あー、そうみたい。見事に化かされた」
「ご愁傷様。水でも飲むか?」
「飲む」




