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人成山登山記録  作者: あゆつぼ
人成山登山記録 中編 好凮寺奇譚
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中編 好凮寺奇譚⑦

 こころが持ち込んだ食材のおかげで、子供達の夕ご飯の材料に困ることはなかった。

 子供達の面倒をこころが見るため坊主と邦実が食事の準備を担当し、大方丈に長机を並べての食事となった。

 子供達も一緒に食事五観の偈を音読して、手を合わせてから夕ご飯にする。

 寺のお風呂は基本的に一人用で有り、子供達全員を入れるのは難しかったため今日のところは諦めて、明日も残るようであれば中層の銭湯まで連れて行くことにした。


 食事も終わり、片付けも一段落したが、子供達は帰る素振りを見せない。

 こころは子供達が泊まっていくのだろうと覚悟を決めて、長机を片付けると大方丈に布団を用意した。


「はーい、皆きいて。今日はこの好凮寺でお泊まり会です。お姉さんも一緒に寝るから、夜におトイレ行きたくなった子は一人で行かないで、お姉さんに声をかけてね」


 こころの呼びかけに子供達は元気に返事をする。返事だけは立派なものだとこころは感心して、まくらを投げて遊ぶ子供に優しく注意して大方丈に蚊帳を張る。

 着替えもないのでそのまま寝かせるしかない。長引くようならどこからか子供服を調達してくる必要があった。

 こころは山積みになった課題にうんざりしながらも、子供達には笑顔で接して、一人一人布団に入らせていく。


 日は沈んでいたが、外はぼんやりと明るい。

 蝋燭を準備して、子供達を寝かしつけるために坊主が本を読み聞かせた。何でも『倩女離魂』という中国の昔話だそうだ。子供の相手ですっかり疲れていたこころは坊主にその場を任せて、部屋の隅で邦実と会話する。


「結局、あの黒髪の女の子、その時の会話を覚えてないみたいです」

「ふーん」


 邦実は興味なさそうに返事をしたが、こころは話を続ける。


「昼寝の後は今まではきはき話してくれたのが嘘みたいに大人しくなって、子供としては落ち着きがあって良い子なんだろうけど、凄い引っ込み思案というか、口数も減ってしまって、ちょっと不安でもあります。って、邦実様、聞いてます?」

「聞いてるわよ。要するに、為す術はないってことでしょ。だったらもう、あたしらが出来ることはないでしょ」

「それはそうですけど、邦実様は不安ではないのですか?」

「不安よ。だってこのクソガキ共に住み着かれたら仕事が増えるだけだもの。少なくともあと四、五年成長してくれてたら労働力として使えるのに、たまったもんじゃないわ」


 邦実の言葉に、こころは一人ため息をつく。こんな事を言っている邦実でも、本当はちゃんと見るべき所を見ていてくれることをこころは知っていたので責めなかったが、少しは協力して欲しいという気持ちもあって、邦実に聞こえるように声に出して思案を進める。


「黒髪の子の話だと、子供達は皆一様に何らかの記憶がなくなっているようなんです。それは大切な記憶らしく、でも一人だけ記憶があると」


 言葉を切って、意見を求めるようにこころは邦実へと視線を送った。

 邦実はだるそうにしながらも手をひらひらと振りながら応じる。


「ちっさい頃の記憶なんて曖昧なもんよ」

「それを言ったらお終いです」

「だったらあんた、幼稚園くらいの頃、余所に泊まったことどれくらい覚えてる?」

「え、そりゃ、ほら――」


 こころは両手を頭に当てて必死に思い出そうとしたが、当時の記憶は霧のように霞んでしまい、いくらうなっても出てくるのは雲の断片のようなものばかりであった。


「その、もの凄く不安だったというか、あ、でも楽しかったですよ。その、宿泊先の人がとっても優しくて――あれ、でも怖かったかも。いや、違う、なんか変な話するし、その――」

「何時何処に何泊したのよ」


 再度頭を抱えてみても、邦実に突き出された問いかけのどれにもふさわしい答えを出せず、こころは長机に突っ伏して力なく答えた。


「分かんないです」

「ほらね。何時だって邦実ちゃんの言うことが正しいのよ。あんたも弟子なら、それくらい理解しときなさい」

「むぅ……。でもあの黒髪の子はちゃんとしてるし……」

「誰の事よ」

「はい? だから黒髪の子ですよ。あの綺麗な長い黒髪で、鳶色の瞳の――」

「だからそれが誰かってきいてんの」


 邦実の問いかけに、こころは邦実が記憶喪失にでもなったのではないかと疑って、自身の顔を指さして問いかけた。


「邦実様。わたしの名前、分かります?」

「こころ。あんたもしかしてあたしのこと馬鹿にしてる?」

「あれ、ちゃんと覚えてた……。じゃあどうしてあの子のことは思い出せないんですか?」

「あの子とか黒髪の子とか、それが誰かって聞いてんでしょ。あんたが質問を理解できないのをあたしがぼけたことにして解決しようとすんじゃないわよ」

「む、むう」


 珍しく真っ当に怒られたこころは、邦実の言わんとしていることを理解しようと頭脳を高速回転させた。

 黒髪の女の子とは誰か? そんなの黒髪の女の子としか答えようがないじゃないか。一体他に、何と呼んだら納得するのか――


「名前だ!」


 突然大きな声を出したこころに、坊主の話を聞いていた子供達は視線を集めた。


「あ、あはは。何でもないの。お話の続き聞きましょうね」


 ぱたぱたと手を振って誤魔化して、こころは邦実との距離を詰めると小声でまくし立てる。


「子供達、皆名前がないんですよ! 何でわたし気がつかなかったんでしょう! 教育実習行ったときでも、まず最初に子供の名前聞くのに!」

「だからそれが人成山の呪いなんでしょ。あんた本気で気づいてなかったの?」

「なんで邦実様は気づいていたのに教えてくれなかったんですか!」

「あたしの弟子ならそれくらい自分で分かるはずだって信じてたのよ」

「嘘くさい……」


 こころの非難の視線を無視して、邦実は長机に積んであった子供達の絵から一枚を引っ張り出す。既にすっかり大方丈は暗くなっていたので、邦実は蝋燭の明かりで絵を照らして見せた。


「これ、あんたがお友達の絵を描きましょう、なんて言ったときの絵よ」

「ああ、覚えてます。これは確かあのおかっぱの女の子が描いた絵ですね」


 見ると、建物らしき四角の中に、人間のような物体が一三体並んでいる。


「そうそう。ここに居る皆を描いたんですよ」

「問題はこれよ。ぼうず、くにみ、こころ――名前があるのは三人だけ」

「本当だ。わたしたちの名前しか書いてない」


 実際には”ろ”の字が反転してしまっていた”こころ”だけは書き直したため二つ書かれていたが、名前のあるのはそれだけであった。


「他の子が書いたのもそう。誰も自分の名前を書いてないでしょ。寺の人間の名前だけ書いて、自分たちの名前は書かないっておかしくない? 子供にとって、自分の名前なんて一番最初に書けるようになる字だもの。隙あれば書きたいと思うでしょうよ」

「なんで気づかなかったんだわたし――あ、でも待ってください! ということは、この中から名前の書いてある絵を見つけたら、誰が名前を覚えているか分かります!」

「そうね」


 邦実は答えるだけ答えると、机に肘をついてそこに頭をのせた。面倒だから自分はやらないぞ、という意思表示である。


「手伝ってくれたりは?」

「あんたのミスでしょ」

「連帯責任では?」

「そんなのあたしの辞書にはないわ」

「可愛い弟子が頼んでいるのに」

「ならもっと可愛く振る舞ってみなさい。今日だけでどれだけ師匠に対して無礼な発言をしたか、その貧相な胸にきいてみろっつうの」

「ひ、貧相じゃ――。もういいです。自分でやります」


 貧相じゃない全国平均だ、との主張を展開しようと目論んだこころだが、邦実の前ではそんな主張はあまりに馬鹿馬鹿しい。アイドルよりグラビアモデルの方が向いていたんじゃないですか、なんて陰口も思いつきはしたが、口にした後のことを考えるとするべきではないと判断し、口をつぐんで黙々と絵を見ていった。


「これも違う。あ、これは――おしか? ――あ、おしゃかさまか。違う。こっちも違う。これは――はげ。これは邦実様だ」


 文字を探して片っ端から読んでいくが、結局書いてあるのは好凮寺の人間の名前だけで、それ以外の名前は見当たらなかった。


「一人一人聞いて回るしかないですかね」

「ようやっと寝かしつけたのに起こして聞いて回るつもり? あたしはそんな馬鹿なことしない方がいいと思うけど」

「むぅ」


 坊主の話は終盤に差しかかり、子供達はすっかり寝静まっていた。

 このタイミングで起こして回るのが良くないことだというのは明らかである。折角寝たのに起こされた子供は、眠れなくなったり遊び始めたり泣いたりと、大概ろくな結果にならない。


「じゃ、あたしも寝るから。後はよろしく」


 邦実は立ち上がり、蝋燭を手に、蚊帳の出口を探す。


「ちょっと待ってください。何処へ行くつもりですか?」

「小方丈よ。寝るって言ったでしょ」

「え、いや、ここで一緒に寝てくださいよ」

「嫌よ。それはあんたの仕事でしょ。あたしにはあたしのやることがあるの」


 当然とばかりに答えた邦実に、納得いかないこころは食いつく。


「なんですか、やることって」

「決まってるでしょ。クソガキ共が明日も帰らなかったとき、慧乃様になんて泣きついたらいいか考えるの」

「ここで考えたらいいじゃないですか」

「邦実ちゃんの脳は繊細なの。クソガキと一緒じゃ思いつくものも思いつかないのよ。あんたはあんたの仕事を果たしなさい。夜中にクソガキ共が騒いであたしの睡眠を妨げたら今度こそ坊主にするから覚悟しときなさいよ」


 言うだけ言って、邦実は蚊帳を脱出して小方丈へと向かってしまった。

 残されたこころは、ようやく話の終わった坊主の元へと静かに移動する。


「邦実様は見ての通り。とにかく二人でなんとかするしかないよ」

「分かりました。では自分はこちら側で眠ります」

「うん。よろしくね。何かあったらわたしを起こしてくれて構わないから」


 二人は逆方向に移動して、空いていた布団に入って横になった。

 電気のない好凮寺では暗くなったら布団に入るのが日課だ。久しぶりに好凮寺に戻ってきたこころにとっては寝るには随分早い時間であったが、子供達が全員眠りにつくまでは起きているつもりなので都合が良かった。

 何度かトイレに行く子供達に付き添い、すっかり夜が深まる頃には子供達はぐっすりと寝静まっていたので、こころも目を閉じて眠りについた。




 夜も更けて、小方丈には中庭にある池から聞こえてくる水の音だけが静かに響いていた。

 貴重な昼寝の時間を子供達の世話に当てたにも関わらず、邦実は寝付けず今だ薄く目を開けて、蝋燭の明かりに照らされる天井をぼんやり見上げていた。


 そんな折、廊下から人の足音が聞こえる。

 坊主でもこころでもない、その小さな足音は子供のものだと直ぐに分かった。

 足音は段々と小方丈に近づいてきて、やがて戸の前で止まった。

 若干の間を置いた後、小方丈の戸がそっと開かれて、中に子供が入ってくる。

 子供は小方丈に入ると後ろ手に戸を閉めて、こっそり邦実の布団までやってきた。


「一人で出歩くなって言ったはずよ」


 邦実は深夜の来客を睨み付けて不機嫌そうに言った。


「だって、お姉さんが一人だと、寂しいかなって思ったの」


 やってきたおかっぱの女の子は、悪びれる様子もなく答えると、邦実の布団に入り込む。


「あたしは子供じゃないのよ。それで、なんで布団に入ってるのよ。これはあたしの布団よ」

「あのね、いつもはね、お母さんが一緒に寝てくれるの」

「そんなこと聞いちゃいないのよ」


 かみ合わない会話に邦実は苛立つがおかっぱの女の子はそんなことお構いなしであった。


「お姉さんお姉さん、お歌、歌って」

「あんた図々しいにも程があるわよ」

「あのね、いつもはね、お母さんが歌ってくれるの」

「だからクソガキは嫌いよ」


 邦実はうんざりして、無視しようかと考えたが、どうにもおかっぱの女の子の方も歌うまで一歩も引かない覚悟のようだったので、諦めて一つ問いかけた。


「歌ったら眠るのね」

「寝る!」

「すぐよ。すぐ寝るのね」

「すぐ寝る!」

「一曲だけよ」

「うん!」

「どんな歌がいいのよ」

「あのね、聞いたことないのがいい」


 おかっぱの女の子があまりに素直に答えるので、邦実は観念して仰向けのまま呼吸を整えると、小さな声で歌い始めた。

 穏やかな曲調のしっとりとした歌。本当はCDを出す予定だったけれど、人成山の呪いのせいでタイトルも決まる前に販売中止になってしまった歌。元々歌手を目指していた邦実は、これでようやく真っ当な歌の仕事が出来ると喜んだものだが、結局その機会が訪れることはなかった。

 そんな歌を間奏まで歌うと、邦実はおかっぱの女の子をちらと見て、キラキラと瞳を輝かせて邦実の方を見つめているのを確認すると目を細めて睨み付けた。


「歌ったら直ぐ寝るって約束だったわ」

「お姉さんお歌上手なんだね! もう一回歌って!」

「話が違う」


 顔をしかめて睨み付けたところでおかっぱの女の子は微動だにせず、更に独自の主張を展開する。


「あのね、いつもはね、ここちゃんも一緒に歌うの。でも今のお歌、知らないお歌だから、もう一回始めからきかせて欲しいの」

「ここちゃんの事情なんか知ったこっちゃないんだけど」

「早くー」


 キラキラした瞳で邦実を見つめて体を揺さぶるおかっぱの女の子に、邦実はどう対応すべきか思案したが、ここで突っ放したり暴力を振るったりした場合、泣き叫ばれて安眠の妨げになる算段が高く、やむなくもう一度最初からゆっくりと歌を歌った。


「はい、ここまで覚えた?」

「ううん。もう一回」

「このクソガキ……」


 わなわなと拳を握りしめて見せたが、おかっぱの女の子は相変わらずマイペースで答える。


「あのね、難しい言葉は分からないの」

「あー、分かったわよ。じゃあこうしましょう。鼻歌にするから、あんたも音だけ合わせなさい」

「鼻歌?」


 問いかけるおかっぱの女の子に、邦実は歌の最初の部分を鼻歌で歌ってきかせた。おかっぱの女の子は手を打って、分かったと示す。


「じゃあ最初から行くわよ」

「うん!」


 もう一度最初から、今度は二人で一緒に歌った。ひとまず途中で一旦切り上げて、邦実は率直な感想を述べる。


「あんた相変わらずへったくそね」

「そんなことないもん。お歌上手だねって、いつも言われるもん」

「褒めても伸びない奴は伸びないってことね」

「それよりお姉さん、続ききかせて。覚えてね、一緒に歌うの」

「分かった。あんた寝る気ないでしょ」

「歌ったら寝るもん」


 あきれ果てた邦実だが、覚悟も決めて、とりあえず満足するまで付き合ってやろうとそれから幾度も鼻歌を歌った。

 最初の方はなんとか覚えたようだったが、中盤以降段々と怪しくなり、眠くなってきたのかうとうととし始めた。


「眠いなら寝なさい。明日また練習すればいいでしょ」

「ううん。駄目なの。明日はね、帰らないとだから」

「明日帰るの?」

「うん。明日の朝ね、ご飯食べたら、帰るの」

「そ。だったら尚更寝なさい。寝ぼけてたら帰るに帰れないでしょ」

「でもお歌覚えて、お母さんにきかせてあげたいだもん」


 強情な態度に邦実も遂に折れて、眠い目をこするおかっぱの女の子の手を取ると、優しく声をかける。


「じゃ、最後に一回だけよ。これでもう眠るのよ」

「うん!」


 おかっぱの女の子の返事を確認すると、邦実は最初から鼻歌を歌っていく。おかっぱの女の子もしばらく一緒に歌っていたが、段々とあやふやになって途切れてしまう。それでも邦実は歌を止めずに最後まで歌い続けると、おかっぱの女の子はすやすやと寝息を立てて眠りについていた。


「全く、勝手なもんね。だからクソガキは嫌いよ」


 灯っていた蝋燭の明かりに火消しを被せて消してしまうと、おかっぱの女の子の手をとったまま、邦実も眠りについた。

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