中編 好凮寺奇譚⑤
「いらっしゃい」
中層にある喫茶店『尾根』のマスターは、店の扉が開いたのを見て挨拶する。
出るところは出て、引っ込むところは引っ込む、女性らしい魅力を備えた邦実の姿にマスターは思わず二度見してしまう。
夏の日差しにやられたらしく汗だくで、釣り上がった目つきはきついが、それでも尚分かる程美しい顔立ち。マスターがそう思うのも無理はなく、見事につるつるに磨かれた頭を除いた見た目なら、邦実は完璧な美少女であった。
注目を集めることには慣れていた邦実はマスターの視線を特に気にすることもなく、店内に入り込むとカウンターの一番近い席に腰を落とす。
「暑いったらないわ」
「そうでしょうね。ここの所真夏日続きでしたが、今日に至っては猛暑日だそうです」
「そんな情報ききたくなかったわ」
うんざりした表情を返した邦実は被っていた帽子を脱いで、カウンターの上に置く。
現れたつるつるの頭に、マスターは思わず驚いて声を出してしまう。
「何か?」
「いえ、あまりにお美しい女性だったので」
「そんなこと言われなくたって分かってんのよ。それより、お金ないから水だけ貰って良い?」
「ええ勿論。ですが、初めてのお客様には一杯奢らせて頂いているので、どうぞ自由に注文してください」
「そりゃ感心なことね」
邦実は差し出されたコップ一杯の水を一気に飲み干すと、机に置かれたメニューをちらと見てからマスターへ声をかける。
「アイスカフェオレ。死ぬほど甘い奴」
「畏まりました」
邦実はコップに再度注がれた水を半分程飲み、ハンドバックから取り出したタオルで汗を拭う。普段外に出ない邦実にとって、猛暑日の山道は地獄同然で有り、そのせいで頭はぼんやりとしていてここに訪れた目的も半分頭から消え去っていた。
そういうわけでアイスカフェオレが出てくるまで、冷房の効いたひんやりした空気を浴びながら、ただぼーっとしていた。
「お待たせしました。アイスカフェオレです」
「どうも」
邦実は出てきたアイスカフェオレを早速一口飲んでその味を確かめると、マスターに注文をつける。
「ガムシロップ貰って良い?」
「あまり入れすぎると体に毒ですよ」
言いつつも、注文通りガムシロップの入ったガラス製の入れ物を差し出すマスター。
受け取った邦実は躊躇なくその中身をアイスカフェオレに注ぎ込んだ。
「毒なんて邦実ちゃんの魅力で浄化されるから良いのよ」
「あれ、邦実さんだったのですか?」
「そうよ。美少女アイドル邦実ちゃんとはこのあたしのことよ」
邦実はガムシロップの大量投与されたアイスカフェオレを一口飲むと、胸を張って自慢げに答える。糖分を過剰に摂取したためか、すっかり頭は冴え渡っていた。
「アイドル……? お寺の住職と伺っていますが」
「そっちか。まあ間違っちゃいないわ」
アイドルとしての自分の知名度が低かったことに若干肩を落とす邦実。
そんな様子を見て、フォローするようにマスターは呟いた。
「住職としてもとても立派な方だそうですね」
「そんなことを言う奴は人を見る目がないわ」
「そうですか? 自分はそうは思いませんよ。他の誰かならともかく、慧乃さんがそうおっしゃっていましたから」
「慧乃様が? 本当に?」
出てきた名前に邦実は思わず尋ねてしまう。
「ええ。勿論。それに、お弟子さんからも良く信頼されているようで。こころさんも、邦実さんのことはとても良い人だとおっしゃっていましたよ」
「こころが言うと突然嘘くさくなるから不思議だわ」
ため息ついた邦実がアイスカフェオレのコップに手を伸ばすと、からんころんと鈴を転がす音と共に、店の扉が開かれた。
「すいません、忘れ物を――げ、邦実様!?」
「今なんつったこころ。げって言った?」
やってきたこころはカウンター席に座る邦実の姿を認めて、思わず半歩後ずさる。
されど逃げ帰るわけにもいかないず、こころは観念して店の中へと入る。
「い、いえ、そんなこと言ってないです。ただちょっと邦実様が好凮寺の外に出ているのを見るのが珍しくて、びっくりしただけです」
「あたしだって出なくていいなら出なかったわよ」
こころに続いて入ってきた知佳子の二人は、邦実の姿を見て頭を下げる。
「初めまして邦実様。瑞岩知佳子です。こころさんからお話はかねがね伺っています」
「初めまして。こころの友達の瑞岩知佳子よ」
やってきた二人を邦実は交互に見定めて、それから素っ気なく返した。
「ご丁寧にどうも。弟子のこころと遊んでくれて助かってるわ。早速だけど、好凮寺でちょっとしたトラブルがあったから、こころを借りていってもいい?」
邦実の言葉に、こころが問いかけた。
「トラブルですか?」
「トラブルよ。何故か分からないけど、クソガキ共が大挙して押し寄せたのよ」
「好凮寺に?」
「好凮寺に」
こころは何事かと思案したが、人成山でよく分からない事件が発生することは何もおかしくなく、邦実がわざわざ好凮寺を降りて中層までやってきたことからも事は急を要すると理解できた。
「ごめんなさい知佳子さん。ちょっと用事が出来てしまったようなので……」
「そうみたいね。残念だけど」
「手が足りないようでしたら、私もお手伝いしましょうか?」
知佳子の提案に、邦実は手を打って喜ぶ。
「それはいいわ。来る者は拒まないからいらっしゃい」
「ちょっと、勝手に決めないでよ」
「一日暇で退屈していたのだから丁度良いと思います」
「退屈してたのは私でしょ! 私はそんなことないのよ!」
「退屈だと愚痴を言っていたのは他でもない私です」
いがみ合う二人の知佳子がどうにも結論にたどり着かないのを見て、邦実は残っていたアイスカフェオレを飲み干すと、ため息ついて声をかける。
「それで、来るの? 来ないの?」
互いを見つめ合う知佳子。同時に邦実へと向き直ったが、一瞬知佳子が声を発するのが遅れ、知佳子だけが答えた。
「今日の所は遠慮しておきます」
「そ。ま、強制はしないわ」
素っ気なく邦実が返すと、知佳子が発言しなかった知佳子へ向けてねっとりとした笑みを向けた。
「ふふん。たまには私も私の言うことをきくもんよ」
「別に私は私の意見に賛成したわけではありません。ただ、行ってはいけないような気がしただけです」
「同じよ同じ。それじゃこころ。今日はお別れね。今度は好凮寺に遊びに行くわ――って、遊びに行っても良かった?」
「来る者は拒まないから好きにしなさい。来るときは寺の掃除にかりだされてもいい格好してくるのよ」
どや顔で鼻高々に答える邦実にこころは呆れて深くため息ついた。
「こき使う気満々じゃないですか」
「当然でしょ。好凮寺は何時だって人手が足りてないのよ」
邦実の一切悪びれる様子のない態度に、知佳子も苦笑して返す。
「あんまり私掃除は得意じゃないけど、少しくらいなら手伝っても良いわ」
「私はいつも掃除しないではないですか」
「私がしてるから私がしなくてもいいのよ」
「私がするのですから私もやってください」
知佳子は自分同士でいがみ合った後、邦実の視線に気がつくと各々別れを告げて、喫茶店『尾根』を後にした。
邦実は水を一杯飲み干すと席を立つ。
「ごちそうさま。たまには甘い物もいいもんね。今度はもう少しガムシロ足して貰えると嬉しいわ」
「は、はあ……」
マスターは口元を引きつらせ冷ややかな視線を向けていたが、邦実は全く気にもせず、こころに先に店を出るよう促した。
「あ、こころさん。これを」
「はい? あっ! すっかり忘れてた! 忘れ物とりに来たんだった!」
「相変わらずおっちょこちょいねあんた」
マスターが差し出した携帯電話をこころは慌てて受け取りに戻り、両手で受け取ったそれを大切そうに鞄へとしまい込んだ。
喫茶『尾根』の出口で待っていた邦実の元へかけよったこころに対して、邦実は先程携帯電話をしまい込んだ鞄をじとっと見て呟く。
「電波入らない携帯電話なら、持ってても意味なくない?」
邦実の言葉に、珍しくこころは不機嫌そうに唇を突き出して反論した。
「電波は入らなくても、大切な友達の連絡先が入っているんです」
こころの返しに邦実も納得して、非礼を詫びるよう、さりとて直接謝ったりせず返した。
「帰ったらあたしの連絡先も教えて上げるわ」
「え、えぇ……」
連絡先の交換などしたら、何時呼び出されてもおかしくない状況が出来上がってしまうと、こころは恐怖半分、拒絶半分といった表情を浮かべて抗議するが、そんなもの我が道を行く邦実には通用しなかった。
「もっと喜んだって罰は当たんないのよ」
「うーん、それ喜んでも大丈夫ですかね……?」
「あったりまえでしょ! 美少女アイドル邦実ちゃんの連絡先なんて、石油王でもなきゃ手に入らない代物よ。そこんところ理解してしっかり喜びなさい」
「は、はぁ。そうですね。とても嬉しいです」
連絡先を交換したところで今のところは電波が入らないので無害だと結論づけて、こころは力なく頷いた。




