中編 好凮寺奇譚①
七月の終わり。
大学の夏期休暇に突入したわたしは、今一度人成山を訪れた。
去ったのが七月中旬の事だったので大した期間離れていたわけではないが、久しぶりに訪れてみるとどことなく以前見た景色と違って感じてしまう物だから不思議だ。
人成山は人成山の呪いにかかった人間しか立ち入ることの出来ないこれまた摩訶不思議な山で、わたしも突然携帯に届いたメールによって電波を受信できない呪いにかかっていたのだ。
その呪いはなんやかんやあって気がついたときには解けていたのだが、これもまた人成山の気遣いなのか、山の入り口に立って携帯の画面を確認してみると、見事に圏外となっていた。
「まあ別に使うつもりはないから良いけどね……。いやよくない。この荷物どうしたらいいって言うの」
父親に手伝ってもらい何とか車から担ぎ出した荷物の山を見てため息をつく。
わたしが離れていた数週間でおそらく好凮寺はとんでもないことになっていることだろうと予想をつけ食料品やらを買い込んできたのだが、当然呪いにかかっていない父親は人成山には入れないので、このとても一人では持てない量の荷物は誰かに手伝って貰わないといけないのであった。
しかし携帯が通じないとなると困ったことだ。
山役所に電話をかけて誰か人を寄こして貰う作戦が、あっという間に崩れてしまった。
父親ももう帰してしまったのでどうしようもなく、途方に暮れるほかなかった。
「なんだ、こころか?」
背後から声をかけられ、振り向くとそこにはわたしが登山童貞と呼ぶ男が居た。
すっかり夏使用に衣替えした登山服を着込み、大きなザックを背負い両手にストックを握ったその姿はいかにもこれから登山するのだろうといった格好である。
こいつは十月十日だが人成山に登り続けないと童貞を卒業できないという情けない呪いをかけられているのだが、それはこの際どうでも良い。
「見ての通りこころだけど。ちょっと頼み事なんだけど――」
荷運びを頼もうとしたら、突然登山童貞はくるりと回って背を向け、元来た道を戻っていった。
「ちょっと、頼み事があるって言ってるでしょ」
その背中に声をかけると、登山童貞は首だけこちらに向けて、ため息つくと答えた。
「それ運ぶんだろ? ちょっと荷物減らしてくるから待ってろ」
それだけ答えると早足に歩き去ってしまったので、わたしは特にすることもなく、登山童貞が戻ってくるのを待った。
荷物の山の側に立って深い緑に染まった木々の葉を仰いでいると、登山童貞が戻ってきた。
見ると二人、見覚えのある女の子を連れている。栗色の髪を横で一つにまとめた、同い年くらいの子だ。
「途中で会って暇そうにしてたから連れてきた」
「だーれが暇そうにしてたって? これでも忙しかったんだけど」
「私は仕事がない日はやることなさすぎて暇だとか、あくびしながら言っていたではありませんか」
「あ、ちょっと! 私のくせに私についてあれこれ勝手に話すのやめなさいよ!」
「えーっと……?」
言い争う二人の女の子は双子のようにそっくりで見分けがつかない。
そして見覚えは確かにあるのだが、その名前がどうにも出てこなかった。
「それにしてもこころ、しばらく見ないうちに血色良くなったわね」
「あ、どうも」
双子の片方の、快活で元気な方が声をかけてきたので思わず適当に返してしまう。
「こころさんが元気そうで何よりです」
「いえいえ」
もう片方の、落ち着きのある礼儀正しい方にも同じように相づちを打つ。
若干の間。
誰も口を開かず気まずかった。しかし登山童貞がわたしと双子の間に割って入って、双子を手のひらで示した。
「瑞岩知佳子。人成山神社の茶屋で仕事をしてる」
「あ、ああ! いつもお水を分けてくださった!」
ようやっと思い出した。
好凮寺に湧き水を提供してくれる人成山神社で働いていた子だ。しかし双子だったとは初耳だ。確かに今思えば会う度に口の利き方とか態度が違っていたように思うが、会うのはどちらか一人のみだったので気がつかなかった。
「ええと、どちらが知佳子さんで?」
問いかけると双子は顔を見合わせて、明るい性格の女の子がにやりと笑った。
「どっちだと思う?」
「え、ええ?」
戸惑っていると、落ち着いた性格の女の子がため息交じりに答えた。
「こころさんをからかうものではありませんよ。すいません私が変なことを言って。私も私も、瑞岩知佳子です。人成山の呪いでこうなってしまったのです」
「へえ……。そんな呪いもあるの」
自分が二人になってしまう呪い。
そして二人になった自分はどうにも性格がばらばらのようだ。
片方は明るく真っ直ぐで、片方は冷静で礼儀正しい。まるで正反対の二人の自分が同時に存在する。
「いいなあ。そっちの呪いが良かった」
「いやいや、良くはないでしょ。私のくせに私の説教してくるし」
「そうですよ。自分勝手で私のくせに私の言うことなんてききやしませんし」
そこまで言うと二人は顔を合わせて、片方は怒りを露わにした表情で、片方は冷ややかな表情で互いを睨み付けた。
「まあまあ。ともかく無駄に二人居る分労働力も倍だ。ちょうど中層に戻るところだって言うし手伝って貰おう」
「誰が無駄だって」
「あまりに失礼だと思います」
知佳子さんの怒りの矛先は迂闊な発言をした登山童貞に集中し、片方に胸ぐらを掴まれた登山童貞は情けなく両手を挙げ小刻みに首を振っていた。女の子に掴まれた程度で一体この登山童貞は何をそんなにびびっているのか。あまりに情けないその姿に、面倒ではあるが助け船を出してやることにした。
「あの、知佳子さん? 荷物運びを手伝ってくれるというのは本当ですか?」
「はい。もちろんです」
冷たい眼で登山童貞を見つめていた知佳子さんが振り向いて、こちらに柔らかな笑みを向けて答えてくれた。少し遅れて、登山童貞を解放した知佳子さんも答える。
「ま、今日は仕事もないし、構わないけどね」
知佳子さんは了承してくれて、荷物の山の元までやってくると中くらいの荷物を持ち上げた。
「結構重いわね。何が入ってるの?」
「それはお醤油とお味噌とお塩です。好凮寺の調味料事情が良くなかったので」
「そういうこと。これ、私ね」
知佳子さんはもう片方の知佳子さんに調味料の入った紙袋を押しつけると、同じくらいの大きさの荷物を抱え込んだ。
「こっちはそこまで重くないわね。これ持ってくわ」
知佳子さんは野菜の入った紙袋を持ち上げると、知佳子さんの荷物からお塩の袋を取り出して自分の持つ袋へと詰め込み「まあこんなもんでしょ」と鼻をならした。
「で、これ持てば良いのか?」
残された大きな袋を指さして登山童貞が尋ねる。
「うん。よろしく」
登山童貞はしゃがみ込み袋を持ち上げようと抱え込んだが、軽く浮かせただけで下ろしてしまった。
「まてこころ。中身は何だ」
「お米」
「米?」
「お米だって。知らないの? 稲科の植物で――」
「そういうこと言ってんじゃない。何キロあるんだ」
「三〇キロ」
回答に登山童貞はしかめっ面してわざとらしく大きくため息をつくと、野菜の袋を持った知佳子さんへと視線を向けた。
「知佳」
「駄目だわ。か弱い知佳子ちゃんにはとてもじゃないけど持てない」
半笑いの知佳子さんがそう答えると、登山童貞は調味料の袋を持った知佳子さんへと視線を移した。
「知子」
「申し訳ありません」
「まあ、そうだよな……」
登山童貞は若干の間を置いて、また大きくため息をつくと、くるりと背を向けてこの場を立ち去ろうとした。
「あ、ちょっとちょっと。どこ行くの!」
その背中に声をかけると、登山童貞は振り返りもせず片手を上げて見えて、いかにもだるそうな声で答えた。
「背負子とってくる。ちょっと待ってろ」




