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人成山登山記録  作者: あゆつぼ
人成山登山記録 三月目
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三月目 其の三 こころの鏡①

 夕飯の支度、食事の後片付け、お寺の戸締まりの確認、そして邦実様の寝る準備。

 好風寺で修行するはずだったのに、いつの間にか雑用係のようになってしまっていた。


 邦実様は自分のことすら自分でやろうとせず、あれこれこちらに仕事を投げるばかりで普段は昼寝ばかり。

 慧乃様が来るときだけは起きて対応するが、帰ると途端に昼寝を始める徹底ぶりだ。

 こちらが坐禅中でもお構いなしで雑務を言い渡して来るし、まるで無心の手がかりについて教えてくれない。


 好風寺の財政状況は芳しくなく賽銭箱はたいてい空っぽで、慧乃様やあの憎たらしい童貞が好風寺を訪れたときのみ若干の収入がある程度だ。

 わたしのわずかばかりの所持金は邦実様に巻き上げられ、一日三食、三人の食事をまかなうのに使用されている。

 このお金もいつまで持つか分からず、托鉢に行ってこいと命ぜられて兄弟子の坊主君と二人、中層地区や神社に赴いて鉢を持って恵みを求めるのだが、小銭が若干与えられるばかりできちんとした収入には結びついていなかった。


 今日の夕食当番は坊主君で、相も変わらずお粥に小松菜のお浸しと具のほとんどない汁物。

 いつまで経っても味の薄いお浸しには慣れることが出来ず、とはいえ食べるものを選んでいられる立場でもないので汁物と一緒に食道に流し込むようにしていた。


「そうだ、明日も慧乃様来るそうだから、ちゃんと掃除しとくのよ。朝に来るそうだから早起きして掃除するように。いいわね」

「はい」


 自分は手を出さないのに、命令するときだけはいっちょ前である。


「こころ、きいてた?」

「は、はい。きいてました」

「ならちゃんと返事なさい。こころは明日朝食当番だからね。慧乃様の分も作るのよ」

「はい」


 返事を返されないと邦実様は機嫌を損ねるので、何か命令されたら即座に応えなければならない。それが好凮寺のルールだった。


 食事の後片付けを終えると小方丈に邦実様の布団を用意して、続いて自分たちの寝る支度をする。

 大方丈近くの部屋がいくつか余っていたので、坊主君と一部屋ずつ割り当てられて生活している。


 わたしの住む場所は書院と呼ばれる部屋で、古びた書物が保管されたかび臭い部屋である。

 すっかり臭いには慣れてしまい、寝て起きる分にはなんの支障もなかった。


 好凮寺には電気がないため日が暮れたらさっさと寝なければならない。それでも何か作業したければ蝋燭を使うのだが、金欠な好凮寺では蝋燭も満足に使わせてもらえず、日の入りと共に寝るのがすっかり日課になっていた。


 枕元に置いた携帯をたぐり寄せて開くと、液晶画面が暗くなっていた部屋をほのかに照らす。

 誰からもメールも着信もない。ネットに接続しようとしたが繋がらなかった。当たり前だ。まだ呪いを解いていないのだから。


「電池、充電しないと」


 残りの電池容量が二〇パーセントを切っていた。托鉢に出かけたときに充電させて貰おう。と言っても人見知りするので知り合いは中層地区の山役所でボランティアをしているお姉さんだけだった。


 そういえばあの童貞は何処に住んでいるのだろうか。山に登り続けるらしいから、たぶん山の下の方にいるのだろうけど。

 思い出したら怒りがこみ上げてきた。

 無心について、相談してもまともな答えを返してはくれない憎たらしい童貞め。

 お前はどう思うんだ、だなんて、分からないから聞いてるのにそんな風に返すのは全くもって馬鹿げている。


 所詮あの童貞にとっては無心になることは他人の呪いだから興味がないのは分かるけど、そのくせあれこれ人の様子を探っては馬鹿にしたようにへらへら笑うのは許しがたい。

 どうせ無心についてなどまともに考えてはいないだろう。あいつにとって大切なことは童貞を卒業するために山に登ることであって無心になることじゃない。


 結局、頼れるのは自分だけ。

 でも、あいつは一人では絶対に人成山の呪いを解くことは出来ないと言う。

 だとしたら、わたしは誰を頼れば良いのか?


 頼りになりそうなのは慧乃様だ。役所のお姉さんも慧乃様のことはとても信頼しているようで、無心のことについて相談したとき、真っ先に慧乃様の名前を挙げたほどだ。

 でも、慧乃様はわたしの相談にはのってくれない。

 わたしは邦実様の弟子だから、そっちに相談しなさいと言う。

 邦実様に相談しても有耶無耶に誤魔化されるばかり。それどころか、そんなことを考えているのは暇だからだと、大して重要そうでもない雑務をやらせてくる。


 数少ない知り合いの中で、他に頼れる人は――。

 一人だけいた。そうだ、こんなにも近くにいたのに、何故気がつかなかったのだろうか。

 意を決して立ち上がると、既に真っ暗になっていた好凮寺の廊下を、携帯の明かりを頼りに歩いた。



「入っても良い?」


 戸を叩いて尋ねると、部屋の中から「どうぞ」と声が返ってきた。

 静かに戸を開けて中へと入ると、坊主君はぼうっと灯った蝋燭を明かりにして本を読んでいた。


「蝋燭使うと、邦実様に怒られるよ」


 ついつい気になって注意してしまったが、相談しに来たのだから明かりがあったほうが都合は良かった。


「そうですね。ですから、邦実様には内密にお願いします」

「まあ、わざわざ言ったりしないけど。隣いい?」

「ええ、どうぞ」


 坊主君が押し入れから出してくれた座布団の元へ腰を下ろして、先ほどまで坊主君が読んでいた書物らしきものを見る。

 古びた書物で、表紙にはかすれた墨文字でタイトルらしきものが記されていた。


「ぜんかん――さく、しん?」

「はい。禅関策進です。書院にあった物を拝借してしまいました」

「ふうん。難しそうな本だね」

「確かにそうかも知れないですね。ですが、とても面白い本ですよ」


 自分にはたぶんその面白さは理解できそうにない。そんなことよりきくべき事をきこうと、意を決して質問を投げかけた。


「坊主君。無心についてだけど、どうしたら無心になれるのか、思いつくこととかないかな」

「無心ですか」


 坊主君は何か思考を巡らせてくれているようで、俯いて時折小さく頷く。

 若干の後、顔を上げた坊主君は質問の答えとは違う言葉を返してきた。


「どうしてお師匠様に尋ねないのです?」

「どうしてって、邦実様にきいても答えなんて返って来ないから。君の方が絶対そういうの向いてるよ」

「そのようなこと言うものではありませんよ、長洲様」

「その呼び方勘弁してよ。気恥ずかしいし、実際の年齢はともかくここでは君の方が兄弟子なんだから普通に呼んで」


 長洲様だなんて呼ばれ方されたことはないし、されたいとも思わない。自分はそんな立派な人間じゃないし、それが分かっているからこそ呼ばれる度情けなくなってしまう。


「そうですか。では長洲さんとお呼びさせて頂きます」

「こころで良いのに」


 この小さな少年は、こういったところで妙に相手を立てる。そのせいか邦実様からも気に入られていて、わたし以上にこき使われているのだ。


「君は邦実様が師匠で本当に良いと思ってる?」


 意地悪な質問だっただろうか。

 しかし坊主君は質問に対して即座に答えを出した。


「はい。自分の師匠は、お師匠様の他にはあり得ません」

「それ本気?」

「さて、どうでしょうね」


 呟いて薄い笑みを浮かべる坊主君の心は分からなかった。この子は本気で邦実様を慕っているようにも見えるし、時折そうでないように振る舞うときもある。未だにこの子の本性はつかみ切れてはいなかった。


「ですが、長洲様――長洲さん。あなたは無心になりたいとおっしゃる割に、いろいろと考えすぎなような気がします」


 その言葉は全くその通りで、反論しようにも言い返す言葉が出てこなかった。口を開いて声にならない声を吐き出し損ねて詰まらせていると、そんな様子を見てか坊主君は先を続けた。


「短い間で良いですから、お師匠様のことを信じてみませんか?」


 それだけの言葉で、好凮寺に初めて訪れた日のことを思い起こした。

 無心についての手がかりが少しでも欲しくて、意を決してこのお寺に飛び込んできたあの日。


 憎たらしい童貞がやめた方が良いと忠告する中、それでも一度決めたことだからと、考えをあれこれ変えていたらいつまで経っても無心にはなれないから、何かつかめるまでここで修行すると、啖呵を切ったのは他でもない自分のはずだった。


 だと言うのに、ほんの少しの間好凮寺でこき使われただけでその信念すら忘れてしまっていた。

 邦実様に本気で相手にされていなくて、悔しいと感じたあの気持ちすら――


 こんな自分が、本当に無心になどなれるのだろうか?

 自分は、本気で無心になろうと手を伸ばしていたのだろうか?

 答えは、明白だった。


「そうだった。元々そのつもりでここに来たんだった」

「はい。長洲さんが初めて好凮寺を訪れたときは、そのような顔をしていました」

「それってどんな顔?」

「さあ、どんなでしょうね」


 坊主君は含みを持たせた笑みを浮かべると、机の上に置かれていた書物を開いた。

 古びたその本の中身は漢文で、とてもではないが読めそうにない代物だった。


「慈明引錐という話があります。その昔、慈明和尚というかたが悟りを開こうと苦寒の中で坐禅をするのですが、慈明和尚は眠気を覚ますため自分の股を錐で刺して坐禅を続けたという話です」


 きくだけで痛そうな話に思わず顔が引きつった。眠気を覚ますために自分を刺すだなんて、とてもではないができっこない。


「そこまでして修行するべきだ、と言いたいのではありません。ですが、修行を続けても得られるか分からない悟りというものを手に入れるため、そこまでの覚悟で臨んでいた人がいると知って欲しかったのです」

「痛そうな話だけど、でもそれくらいの気持ちで挑まないと駄目ってことだよね」

「かも知れないですね」

「またそうやってあやふやに答える」


 存外この坊主君も意地が悪い。きっぱりと答えを教えてくれてもいいのに。


「その本、読み終わったらでいいんだけど、借りていっても良い?」

「どうぞ。元々は書院にあった物ですから、長洲さんが持っていてください」


 坊主君は禅関策進をそっと閉じるとこちらへと手渡す。

 思わず両手でそれを受け取って、かすれた墨文字で書かれたタイトルを軽くなでる。


 漢文は難しそうだけど、少しずつでも読んでみよう。まずは自分から、邦実様に認められるような人間へと近づかないと。


「そうだ。代わりといってはなんだけど、これ預かってて」


 ポケットから取り出した携帯を坊主君へ手渡すと、坊主君はなれない手つきでそれを受け取った。


「よろしいのですか?」

「うん。手元にあるとどうしても気になるし」

「分かりました。では、大切に預からせて頂きます」


 これで引き返すことは出来なくなった。

 携帯を手放すことは、自分にとって錐で股を刺すような行為だ。

 でもそうでもしなければここから先へは進めない。無心になるためには、人成山の呪いを解くためにはそれくらいの覚悟が必要だ。


「相談にのってくれてありがとう。明日からも、よろしく」

「はい。こちらこそありがとうございました」


 丁寧に両手を合わせて頭を下げる坊主君に再び別れを告げると、部屋の外へ出た。


「あ、そうだった」


 戸を閉めて部屋から漏れる蝋燭の明かりがなくなると、廊下は真っ暗になってしまった。

 少しの間だけ携帯を返して貰おうと、部屋の戸に手を掛けかけたがすんでの所で引っ込めた。


「駄目。そんな意思が弱くてどうするの。携帯なんてなくたって大丈夫。無心、無心。心の目で見るの」


 自分にそう言い聞かせると、意を決して廊下を進んでいく。

 道順はしっかり分かっている。あとは距離感をしっかりしておけば大丈夫。

 何度も通った道だ。暗闇の中でも、心の目にはまるで昼間のようにその姿が映って――


「いった――」


 何かを足の小指で蹴っ飛ばした。

 あまりの痛さに膝を抱えて片足で飛び上がってしまい、そのままバランスを崩した。思わず手をつこうと右手を壁のあるだろう方向へと伸ばすと、何かに触ったと思った次の瞬間にはそれを貫通して、そのまま大きな音を立てて倒れてしまった。

 恐らく障子を突き破ったのだろうが、足の小指と倒れた拍子に打った右手が痛くてそれどころではなかった。


「こころー! うるさいわよ何時だと思ってんの!」

「ごめんなさい邦実様!」


 小方丈からの怒鳴り声に慌てて答えて、そのまま立ち上がろうとすると倒れた障子戸に引っかかってまた倒れる。

 障子戸の木枠が脇腹をしこたまうって叫びたくなるほど痛かったが何とか悲鳴を飲み込んで、ともかく落ち着こうと呼吸を整える。

 そんなところに火の付いた蝋燭を掲げて坊主君が現れた。


「大丈夫ですか? 長洲さん」

「大丈夫じゃない」


 明かりを頼りに立ち上がって、やらかしてしまった惨状に思わず息をのんだ。

 障子を突き破り、障子戸を倒したばかりか、木枠はひしゃげて曲がっている。


「ごめん。明日、これ片付けるの手伝って貰って良い?」

「はい。お手伝いします」

「ありがとう。君って本当に優しいね」


 坊主君が手伝ってくれると言うから気持ちは少し軽くはなったが、それでも朝からあの惨状の片付けをしなければならず、きっと邦実様にも怒られるだろうと考えると気が重く、また先ほど転んだ時にひねった右手がじんじんと痛んで寝付けなかったが、それでも日中の雑務による疲れが勝ったのか気がついたときには朝を迎えていた。

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