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人成山登山記録  作者: あゆつぼ
人成山登山記録 三月目
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三月目 其の二 自分を観る③

「人の気持ちだなんて、邦実に言われるとは思わなかった」


 今まで短い間ではあるが人成山で過ごし、人成山の住人の呪いにふれてきたつもりだったはずなのに、まさかあの傍若無人なアホ女であるところの邦実にそんな当たり前なことを指摘されてしまうとは何とも情けないことか。

 結局のところ自分では出来ていると思っていたことが、他人からしてみれば全く出来ていなかったわけだ。


 どうにも心の奥にずきりと来る。

 無心になろうとしていた矢先に、他人の気持ちを考えるという悩みを追加されてしまった。


 気持ちとはつまり心だ。他人の心を考えるというのは無心とは相反することだろうか?

 そういえばハナは、お寺でしっかり修行したお坊さんは誰にでも優しいと言っていた。

 確かにそういった人間は、慈愛というか何と言うか、他人に対して一般の人にはない優しさのような物を持っているように感じる。

 坊さんは修行して無心を目指していたはずである。その坊さんが他人の気持ちを理解することにも秀でているとしたのなら、この二つは相反する事柄ではないのだろうか?


 どうにもすっと理解できない。

 恐らく少し考えたくらいでは分からないだろう。

 しかし考えないわけにはいかない。これが人成山の呪いの延長線上にある悩みな以上、この先にはきっと、自分の呪いにとって良い方向に働く何かがあるはずだ。


 それに、あの慧乃の高慢ちきな鼻っ面に、たまにはズバリ答えを叩きつけてやりたい。いやその前にまずは邦実だ。あのアホ女に面と向かって、お前こそ人の気持ちを考えろと言ってやるのだ。そのためにも答えを出さなければならない。


 どうやって答えを出そうか。

 その答えは既に貰っている。

 人成山に抜け道やショートカットは存在しない。

 楽をして登ろうとすればあれもこれもと重しを増やされて、挙げ句の果てに谷底にたたき落とされる。

 遠回りだろうと、苦労して一歩一歩進んでいくしか道はない。

 だから、今はとにかく坐るほかあるまい。


 手にしていた座布団をいつもの場所に置く。そして薄らと半分目を開いて大方丈を見下ろしているお釈迦様へと向かって手を合わせた。


「南無釈迦牟尼物。頼むよお釈迦さん。寝ぼけた顔でこっちみてるだけじゃなくて、たまには知恵を貸してくれ」


 話しかけても仏像は何も返しちゃ来ない。それでもこうしてお釈迦さんの見下ろす大方丈で坐禅することは、何か御利益のような物があるような気がした。



 足を組み、姿勢を整えて、呼吸をゆっくりと整えていく。

 準備は完了。


 ひとまず集中出来る限り続けてみようと、視線をそっと下へと向けて呼吸を数えていく。

 しかしどうにも、呼吸を数えるというのは落ち着かない。

 数を数えることに集中しようとしても、次々と考えが浮かんできては消えていき、思考は一向に静かにならないのだ。


 ならばいっそ考えることに集中してみようと気持ちを切り替えて、無心について考える。

 無心とは何か。

 幾度も繰り返してきた問いかけだが、今度はこうして坐ってただ考えることにだけ専念してみよう。


 無心とは何か。

 そもそも何故こんな問題に取り組むことになったのか。


 きっかけはこころの呪いだ。

 無心にならなければ電波が受信できない。

 正直なところ電波が受信できなくなることがどうしてそんなに必死になってまで解決しなければならない問題なのかは分からないが、こころはどうしても解きたいと言う。


 大学生くらいの女性には必須なのであろうか? 高校卒業して大学入学前に人成山にやってきた六宮慧乃が全くそういうそぶりを見せないので必ずしもいる訳ではなさそうだが、思えば通っていた大学でも女どもは勿論、男どもまで携帯を常に手放さないような奴ばかりだった。


 少し思考が逸れた。

 さて、問題を解くきっかけは、既に与えられているはずだ。

 そこに気がつけるかどうかを、人成山――というより六宮慧乃に試されている。


 無心がどうしても気になるのならば、十月十日山に登り続けるような気持ちで坐禅してみろと言われた。

 十月十日の登山はすっかり身近な存在になってしまって、義務というよりか習慣になってしまった。

 それと同じように坐禅するということは、坐禅を生活の一部にしろということだろうか。


 しかし坐禅とは、何処の誰だか知らないがよくもまあこんなものを思いついたもんだ。足が痛むせいでからっきし集中なんて出来やしない。しばらく続ければ足が慣れるそうだが、そうでもしないと慣れないというのは自然な姿にあらがっているように感じてしまう。


 どうにも自分には坐禅は向いていないような気がする。体が堅いせいかきちんと足も組めないし、長時間坐っていると死ぬほど足が痛くなってくる。これを生活の一部にするのは無理な話じゃないか? されど、無理なことをやれというのが人成山の呪いのルールというか常套手段だ。


 そういえば慧乃が今日、食事の後に話していたことを思い返す。曰く、良く悩め。どうしてこころの呪いを自分のものにしてしまったか。答えの先に何があるのか。考えるのは誰か?

 慧乃はただ意地悪がしたくて「君はどう思うんだい?」なんて憎たらしい台詞を吐いているはずはない。だとしたら、この答えの中にヒントは隠されていたのではないか。


 考えるのは誰だい?

 慧乃の最後の言葉が頭の奥で幾重にも重なって響き渡る。

 答えは明白だ。考えるのは自分だ。


 しかし考えるということは意識することだ。それはつまり無心とは正反対の位置にいるはずである。

 ともすれば無心とは、考える自分というのを消してしまうことになるだろうか?

 無心になろうとする自分から、自分という存在を差し引いてしまったら一体何が残るのだろうか。


 ――また自分だ。


 人成山に初めて訪れたその日から、慧乃から与えられる宿題にはいつもいつも自分が登場する。

 自分を捜し、自分を見つめ、自分を知ろうとする。かと思えば、今度は自分をなくせと突きつけられている。


 どんなことがあっても自分から離れることは出来ない。自分が自分である以上、自分というのは何処までも着いてくる。だからこそ自分は大切で、誰もが自分に執着してしまう。


 ふと知佳子の事を思い出した。

 自我を主張して自分の思いのままに振る舞う知佳と、社会の中での自己という存在を認識して自我の暴走を押さえ自分を正しい方向へと導こうとする知子の二人に分裂してしまった少女だ。


 無心というのが自分を――すなわち自我をなくしてしまうものだとしたら、知佳子から知佳の存在を消してしまうことになる。知子だけが残ってしまったとして、それが正しい姿だと言い切れるだろうか?


 知子は好きだ。落ち着きがあって礼儀正しく、いつも誰かの為に尽くそうとする。

 でも別に、知佳が嫌いなわけじゃない。好き放題やってはいるが、時には知子の言葉に耳を傾けるし、まれにだが知佳が知子を導くことだってある。

 知佳をまるまる消してしまうだなんて、それが無心の正しい姿だとは思えない。

 自我と自己は二つそろって初めて自分を成り立たせているのだ。

 自我を持たぬ人間などいない。あの慧乃にだって、自我は必ず存在しているはずだ。


 慧乃はどんな答えを出すだろうか? もし自分が慧乃だとしたら、この問いに対してどのような考え方をするだろうか――


 カンッ――


 乾いた拍子木の音が響いた。

 その音に意識が現実に引き戻されて、はっと顔を上げる。


「十五分経ちました。今日はここまでにしましょう」


 気がつくと隣には坊主とこころが坐っていた。こころは足を解いて体を伸ばしている。


「何だ、いつ来たんだ?」


 尋ねるとこころは間の抜けた表情を浮かべた。


「気がついてなかったの?」

「全然」


 素直に答えると、こころは不思議そうにこちらの顔を見つめてふーんと小さく呟いた。


「何か得るところがあったようですね」

 坊主が声をかけてくる。

 何か得るところがあったのだろうか? 自問自答してみるが、その答えは出せそうにない。


「分からん。結局数も数えてなかったしな」

「悩みは人それぞれですから、答えの出し方も人それぞれで良いと思います」


 坊主はそれだけ答えると、仏像に向かって頭を下げた。

 同じように、仏像へと頭を下げる。

 いまいち実感はないのだが、坊主からみたところ何か得るところがあったそうだから、そんなきっかけをくれたお釈迦さんには感謝せねばなるまい。


「それで、何か無心について分かったの?」


 こころの問いかけに、何と答えたら良いものか思案する。

 いまいち分かってないのは確かだ。しかし、今までと違い何も分かっていないわけではないような気もする。

 こころはどう考えているだろうか? 無心について。それ以前にこの呪いについて。

 そこまで思案したら答えるべきは自然と浮かんできた。


「さっぱり分からん。お前はどう思うんだ?」


 こころは苦虫かみつぶしたような表情になって、こちらを一睨みすると顔を背けて立ち上がり、座布団を片付けに行った。


「やはりあなたは不思議な人です」

「さあ、どうだろうな」


 坊主のつぶやきに素っ気なく返す。されど坊主はどこか含みのある意地の悪い笑みを浮かべて答えた。


「こころさんにとってあなたは、あなたにとっての六宮様のような存在なのかも知れませんね」

「まさか。こころが何か気づくところがあったとしたら、そりゃこころが勝手に気がついただけさ。だいたいそういうのは兄弟子のお前か、師匠の邦実の仕事だろ」

「そうかも知れません」


 坊主は小さく微笑むと、座布団を持って片付けに向かう。

 結局のところ自分は無心についてなにか進展があったのだろうか?

 いまいちよく分からなかったが、得るところはあったみたいだ。


 坊主とこころに礼を言って大方丈を後にすると、若干躊躇しながらも賽銭箱に一万蘊札を放り込んで好凮寺を後にした。

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