三月目 其の二 自分を観る②
大方丈では邦実が戸という戸を開け放って大の字で寝転がっていた。
こいつは何を考えているのかと、隣まで歩み寄ると真上から声をかける。
「おい。大方丈で寝っ転がってると慧乃に怒られるぞ」
「知ってる。だから慧乃様出て行ってから寝転がってるじゃない」
慧乃がいなくなると途端にこれだ。全くみていられない。
「ここ寝転がると気持ちいいのよ。涼しい風が吹いて快適だわ。小方丈も悪くないけど、ここには勝てないわねえ」
「お前なあ、仏前だぞ」
「あんたそゆこと気にするタイプだったっけ。いいじゃない。仏さんも邦実ちゃんの可愛い姿を見られてきっと喜んでるでしょ」
呆れて物も言えなかった。
こいつに何かこう宗教的な感情というものを期待したの自分が馬鹿だった。
「あんたも寝転がってみなさいって」
「誰がするか。坐禅するから、端っこで寝てくれ」
「お断り。あたしが先にここで寝始めたの。坐禅なんて隅っこでやってなさい」
「はいはい」
反論するのも馬鹿らしいので、軽く返して座布団を取りに行く。
隣の部屋の押し入れから座布団を二つ取り出すと、大方丈の入り口が開けられる音が聞こえてきた。
こころだろうか? と思ったが、どうも慧乃のようだ。聞き慣れた少し癖のあるソプラノの声で「お邪魔します」と聞こえた。
「忘れ物をしてしまったよ。あら、邦実さん」
ちょうど座布団を持って大方丈に戻ったとき、慧乃もその場にやってきた。
当然、視線は大方丈のど真ん中で寝転がるアホな女に向くわけである。
精々きつく怒られるが良い。っていうか追い出されろ。
内心そんな風に考えていたが、慧乃はこちらの意に反して、申し訳なさそうに小さく微笑んだ。
「お昼寝中でしたか。お邪魔してしまいましたね」
「いいのいいの。気にしないで」
「今日は風が気持ちいいですからね。では、忘れ物だけ回収したいので小方丈に入ってもよろしいですか?」
「勿論。慧乃様なら自由に入って頂いて構いません」
「ありがとうございます。それでは」
慧乃は礼をして小方丈へと歩いて行った。
邦実と慧乃の不思議なやりとり。
何故慧乃は怒らなかったのか?
普段からそんなに怒ったりしない奴だが、無意識に水を無駄遣いしたり、人の悪口を言うようなことがあると、じとっとした鳶色の瞳で睨み付けられて、ああだこうだとぐちぐち説教を食らうのだ。
それなのに恐らく大目玉級である大方丈の仏前で服を着崩して寝っ転がるという馬鹿をやらかした邦実には何も言わないどころか、昼寝を邪魔したことを謝った。これは一体何事だろうか。
「おい邦実。起きないのか?」
当事者である邦実のもとに歩み寄って声をかけると、邦実は悪びれた様子もなく答えた。
「今更起き上がって体面だけ繕ったってむしろ心証が悪くなるだけでしょ。もうばれちゃったし、開き直ってた方があたしらしいわ」
「そりゃお前らしいっちゃお前らしいな」
そこに関しては全く異論を挟む余地はない。邦実はこういう奴なのだ。短いつきあいだが、これだけは自信を持って言い切ることが出来る。
「忘れ物ありました。ご迷惑をおかけしてしまい申し訳ありません。それでは今度こそ失礼しますね」
小方丈から戻ってきた慧乃が邦実へ声をかける。邦実は寝転がったまま片手を上げてそれに応えた。
「あ、君。あまり邦実さんの邪魔をしたらいけないよ」
何故かこちらが怒られた。
あまりに理不尽なので言い返してやろうとした時には、慧乃は既に大方丈を後にしていた。全くもって納得いかない。
「昼寝してるアホの邪魔をするなと言うのは理不尽な話だ」
「だーれがアホよ誰が」
邦実は口ではそう言いながらも怒った感じはなく、のっそりと立ち上がってため息をついた。
「慧乃は邦実に甘すぎると思う」
「そりゃあ邦実ちゃん可愛いから」
「寝ぼけたこと言ってんなよ」
敵意を隠さず返すと、邦実は何が嬉しかったのか口角を上げて笑った。
「あんたさ、あたしが好凮寺の管理人にふさわしいと思う?」
「全く思わない」
繰り出された質問に、間髪入れずに答る。
だってそうだろう。こいつほど寺の管理人という肩書きが似合わない人間もそうはいない。唯一それらしい点と言えばぴかぴかに輝く坊主頭くらいのもので、それ以外の点では全くだ。微塵もそれらしさを感じない。
しかし邦実はその答えが随分お気に召したらしく再び笑う。
「でしょー。あたしさ、そういうの向いてないのよ。でもさ、こんなあたしがよ、あの坊主みたいに頭下げて、他の寺に弟子入りしたり出来ると思う?」
「全く思わない」
次の問いにも即答する。
あの坊主のように師匠に弟子入りして師匠の思いのままに働く邦実など、空想の世界ですら存在を許されないほどにあり得ない。
されど邦実はまたしても笑った。
「そうなのよ、絶対無理。ほんっと無理だわ。だからね、寺に住み込むなんて呪いを解くとなったら、無人の寺を見つけて住み着く他ないわけよ。そういう理由だからさ、この好凮寺が無人で放置されてたのはあたしにとっちゃ天の助けみたいなもんで、ここを追い出されたら他に行く場所もないまま、一生このはげ頭で生きていかなけりゃならなくなったわけよ」
「そうなるな」
まずないだろうが邦実が頭を下げて他の寺に弟子入りしたとしても、邦実のような奴が長くその場に留まっていられるとは考えづらい。
「だからさ、こんなあたしを何の情けだか知らないけど好凮寺に残らせてくれてる慧乃様には感謝してるつもりよ」
「だったらもう少し態度に表したらどうだ?」
「だからそういうのが無理だって言ってんの。考えてもみなさいよ。あたしが外面だけ取り繕ってさ、慧乃様がごまかせると思う? あたしだってただのアホ女じゃないんだから、慧乃様がどんな人かくらいは分かるわよ。絶対ごまかせないでしょ。違う?」
「言われてみれば、それもそうだ」
邦実の言うとおり、外面だけ良い子を取り繕ったところで慧乃にはあっという間に看破されてしまうだろう。
「だからっつって開き直るのはどうなんだよ。追い出されたら困るんだろ?」
「そりゃ困るけど仕方ないでしょーよ。出来ないもんは出来ないのよ。邦実ちゃんはそういうタイプなんだから」
一切取り繕うことなく開き直るその態度は賞賛に値するほどすがすがしかった。
されど人成山はきっと、その出来ないことを出来るようにすることを望んでいるんじゃないだろうか? 自我にまみれた邦実の本性が、少しでも自己へと歩み寄ることを期待しているのではないだろうか?
だってそうだろう。寺に住み込むという呪いはすなわち、社会を取り巻く自我の渦から這い出せということじゃないか。
「そういうわけだから慧乃様に感謝はするし言うことはきくつもりだけど、あたしは自分を曲げる気はないの。あんたはあたしにここから出て行って貰いたいみたいだけど、そこんところだけはっきりさせといてね」
邦実は言うだけ言って満足したのか、体を伸ばして大きくあくびをすると、のそのそと小方丈へと歩いていった。
「自分を曲げないくせに、大方丈で寝るのはやめるのな」
さっきまで開き直って寝ていたくせに素直に小方丈へ戻ろうとする邦実の背中へと声をかけた。
ゆっくり振り返った邦実はどこか侮蔑的な表情を浮かべていた。
「言ったでしょ。慧乃様の言うことにはきくって」
「慧乃は別に大方丈で寝るななんて言わなかっただろ」
その言葉に邦実はいよいよ呆れたのか大きくため息をはいて、じとっとした瞳でこちらを睨み付けてうんざりした様子で答えた。
「あんたあたしのことアホだアホだ言うけど、あんたの方が相当アホでしょ。そんなの、言わなくても分かることだから言わなかったに決まってるでしょ。慧乃様はそういう人なの。怒らないときの方がずっと怖いったらもう」
言われてみて、いくつも思い当たることがあった。
一番最近でいうならば、慧乃の胸がぺったんこだのと余計なことを口にしてしまったとき。
慧乃は怒るだろうと思っていたのに、結局怒らなかった。何で怒らないのか尋ねたとき返ってきた答えは、自分で考えろであった。
これは紛れもなく邦実の言うとおり、怒らなくても分かることだから怒らなかったのだ。
それだけではない。坐禅の時まるで集中出来ずいたのに、慧乃はこちらが自分から頭を下げるまで罰棒を振るわなかった。対して邦実には容赦なく振るったが、これは邦実が半分寝ていて、自覚なく集中していなかったからだろう。
怒ったり怒らなかったり、慧乃の考えは分からないと思ってばかりいたが、そうではなかったのだ。慧乃は慧乃なりに、きちんと一つ一つの行動には行動を起こすべき理由が根底にあり、怒ったり怒らなかったりしていたのだ。
人成山に来てからの慧乃とのやりとりを思い出してみれば、悪いことをしたと自覚しているときに限って、慧乃はにんまり笑って鳶色の瞳でこちらの顔をまじまじと見つめるばかりで、説教臭い小言は最小限であった。対して自覚なく良からぬ事をしていたときは、ああだこうだと説教を食らってきた。
「あんたも邦実ちゃんを見習って、たまには人の気持ちになって考えてみなさいよ。じゃああたしは寝るから。帰るときは賽銭入れてくのよ」
邦実は何も言わないでいたこちらにそれだけ声をかけて、小方丈へ向かって歩いて行った。




