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人成山登山記録  作者: あゆつぼ
人成山登山記録 三月目
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三月目 其の一 好凮寺⑧

 翌日も爽やかな天気だった。

 すっかり梅雨は明けて、青々と空が輝く。

 しかし人成山の登山道は朝から風の通りが良く、登山にはちょうど良い日和であった。日差しは強いが、時折涼やかな風が吹いては、額に浮かんだ小さな汗の玉をすっと引かせていく。


 さて、十月十日の登山はもちろん続けるのだが、今はそれとは別に、無心とは何か、だなんて宿題を受け取ってしまった。

 人成山の呪いは一人では決して解決できない。

 だからこの宿題に回答するため、六宮慧乃というお節介通行止め女の協力を得ようとしたのだが、どうにも六宮さんは意地悪モードだったらしく明確な答えは受け取れずじまいだった。


 それでも何とか貰ったヒントは、十月十日続けるくらいの気持ちで坐禅を続けてみろ、とのことであり、当初こころがやっていた瞑想とは当たらずとも遠からずな方法をとることになった。


 やると決めた以上、最後までやりとげよう。

 それこそ、この十月十日の登山と同じ気持ちだ。

 そういうわけだから、今朝は朝からのんびりと登山を始め、山頂で軽く昼食を食べてから下山し、途中でまた好凮寺へと寄り道をした。


「足が痺れませんように」


 なんだか若干癪に障るところはあるが、好凮寺の賽銭箱に千蘊札を突っ込み手を合わせる。

 邦実はともかく、あの坊主が餓死してしまうのはなんだかいたたまれない。

 お祈りを終えて顔を上げると、背後に人の気配があった。

 誰かが好凮寺にやってきたのか。足音から女性のようだった。


 振り返ると、そこにいたのは茶髪のボブカットをした女だった。何故かランニングウェアのような軽装をしていたが、長洲こころに違いはない。


「こころか。慧乃かと思った」

「慧乃?」

「知らないのか? まあそれなら知らないままの方がいいさ。きっと初めて会うときはびっくりさせられる」

「何それ。ま、いいけど。ちょっとそこどいて」


 賽銭箱の真ん前に立っていたことを指摘され、一歩横にずれる。

 こころは財布から五千蘊札を取り出して賽銭箱に放り込むと、二つ手を打って頭を下げた。


「無心になれますように」

「ここ神社じゃねえぞ」

「知ってる。お寺でしょ」


 こともなげに返すこころだが、だったら何故手を打った。生憎そんな細かいことなどまるで気にしないどころか、お釈迦さんを阿弥陀仏と呼ぶような人間が現管理人なので怒られたりすることはないだろうけど。


「ここで修行させて貰おうかと思ったんだけど」

「やめたほうがいい」

「なんで」


 こころの発言に間髪入れずに口を挟むと、こころは不機嫌そうに唇をとがらせて問うてきた。


「今の管理人がろくでもない奴だから」

「嘘。役所の人にきいたよ。新しく好凮寺の管理を任された六宮って人ならきっと無心になれる手伝いをしてくれるって」

「そりゃ六宮って人は手伝ってくれるだろうが――」


 生憎六宮って人は管理人を余所から来た馬鹿者に譲っているのだ。今はまだ仮の状態だが、どうにもあの態度を見ていると本気で邦実に任せてしまう可能性もあり得る。


「だったら問題ないでしょ。ここ、臨済宗のお寺でしょ。臨済宗って坐禅するんだから、きっと無心になる方法も教えてくれる。それにね、もう決めたの。あれこれ考えを変えてたらいつまで経っても無心になんてなれないから、何かつかめるまでここで修行するって」

「素晴らしい考えだとは思うが、一回ちゃんとここの管理人を見てから決めた方が良い。絶対そうした方が良い。むしろ今から引き返して欲しいくらいだ」


 全くの親切心からの忠告だったが、こころは首を横に振った。周りに流されやすそうな見た目のくせに強情だ。


「一人だと呪いが解けないって教えたのはあんた」

「誰でも良いって訳じゃない」

「ならあんたは? 無心について、何か分かった?」


 難しい質問だ――なんて考え込むまでもない。分かっていないから好凮寺を訪ねたのだから。


「さっぱりだ。だからここで坐禅しようと思って」

「やろうとしてることは一緒じゃん」


 言われてみればその通りだ。しかし大きな違いは六宮慧乃に坐禅してみたらどうかと勧められて坐るか、南陽邦実の元で坐るかだ。この差はあまりにも大きい。


「こっちかな?」


 こころは人の制止もきかずに道を逸れて大方丈の方向へと向かって歩いて行く。

 こころのためにも止めてやりたいのだが、何と言ったらこいつは分かってくれるだろうか。


「すいませーん。どなたかいらっしゃいますか」


 考えている間にこころは大方丈の戸を叩いて声を上げていた。


「おいおい、やめとけって。寺は他にもいくらでもある。何もこんな場所じゃなくたって」

「ここじゃないと駄目。そう決めた」

「強情な奴め」


 話していると戸が開いた。

 戸の向こうに立つ作務衣を着た少年は、こちらの姿を確認して頭を下げた。


「どのようなご用件でしょうか?」

「ここで修行したいの」

「言っちゃったよ」


 坊主は首をかしげてこころの表情を確かめて、その後にこちらへと視線を向けてきた。


「こいつの早とちりなんだ。邦実のことを全く知らないからうまいこと分からせてやってくれ」

「そうですか。お名前をよろしいですか?」

「長洲こころ」

「では長洲様。一つ確認をしておきますが、自分のお師匠様は南陽邦実という名です。こちらでお間違いありませんか?」

「六宮ってきいてたけど」


 こころは首をかしげて尋ねた。


「六宮様はお師匠様に好凮寺の管理を委任しています」

「つまりその南陽様ってのは六宮様に認められてるってこと?」


 こころの質問に、坊主は一瞬言葉を詰まらせる。坊主も慧乃が邦実のことを認めていないことなど理解している。それでも寺を任せている理由は慧乃しか知らない。


「残念ですが、六宮様は未だお師匠様を認めてはいません。それを見極めるため、一時的に好凮寺の管理を任せているに過ぎないのです」


 坊主の答えは正解だった。

 しかしいまいち事情を把握できていないこころは首をかしげる。


「ややこしい」

「だからやめたほうがいいって言ってるだろ」

「でも、ここで修行するって決めたし。早く無心になりたいから」

「無心ですか」


 こころの言葉に坊主が頷く。


「長洲様。お寺で修行すると言っても二通りの選択肢があります。自分のように師匠に弟子入りして出家しお寺に住み込むものと、普段は普通の生活を送りながら定期的にお寺に赴いて指導を受けるものです。長洲様には、後者がふさわしいと存じます」


 坊主の言葉に、こころも頷いた。


「うん。言われてみればそうかも」

「ではそのように伝えておきます。さあ、どうぞ中へ」


 坊主が先導し、こころは大方丈へと入っていく。仕方なく後を追いかけて、大方丈へ入った。坊主は師匠を呼んでくるとその場を後にして小方丈へと向かった。


「何度でも言うけど他行った方がいいぞ」

「何度でも言うけどここで修行するって決めたの」

「後悔しても知らないからな」


 隣の小部屋の押し入れから座布団を二つ取り出してこころへ押しつけると、自分用にも二つ取り出して大方丈へと戻る。

 そこに寝起きらしい邦実が着崩れた作務衣を直しながらのそのそとやってきた。


「今度は女の子か。あんた、料理は出来るの?」

「はい。少しなら」

「よろしい。弟子入りを許可しましょう」

「待てよ邦実」


 勝手に話を進める邦実に対して待ったをかけた。


「あんたまた来てたの」

「慧乃の指示で来てるんだ。それより邦実。こころは弟子入りしに来たんじゃなくて、好凮寺で修行するためにここに来たんだ」

「同じ事じゃないの? 好凮寺で修行するってことは、好凮寺の管理人であるこの邦実様の下僕になるってことでしょ?」

「そうじゃない。あくまで一般人として、たまにここで修行させて貰うってだけだ」

「んー? いまいちピンと来ないわ。どういうことよ」


 邦実は斜め後ろに控えていた坊主に尋ねる。

 坊主が邦実の耳元でいくつかささやくと、邦実は納得したようで首を大きく振った。


「あー、そゆこと。分かった分かった。通いで修行するのね。でも好凮寺にいる限りはあたしの指示には従って貰うわ。もちろん修行させるのだってタダじゃないんだから、それなりの労働もして貰うことになるけど、問題ないわよね?」

「はい」


 こころはあろうことか即座に肯定してしまった。

 答えを聞いて、邦実は満足げに微笑んだ。


「素晴らしいことだわ。今後ともよろしく――こころ、だったわね」

「はい。よろしくお願いします。南陽様」

「あー駄目。駄目よ。駄目だわ。南陽様なんてのは駄目。美少女アイドル邦実ちゃんの呼び名としてまるでふさわしくないわ。邦実でいいから、今後はそう呼ぶこと」

「はい。邦実様」


 邦実は様付けで呼ばれたことにいまいち納得いかないようであったが、「まあいいわ」なんて偉そうに口にして、小方丈の方へと歩き始めた。


「じゃ、こころ。山門から大方丈までの境内の掃除しといてね」


 当然とばかりにそう命じた邦実に、こころもいよいよ邦実を呼び止めた。


「あの、邦実様! 無心になりたくてここに来たのですが、修行の方は何をしたら」

「無心? ああ、無心ね。ほら、よく言うでしょ。清い心は清い環境からって。だからまずは掃除。分かるでしょ?」


 とってつけたような理屈に、こころははっとして頷いた。


「直ぐに掃除してきます!」

「よろしい。あんたらもこころを見習いなさい。大方丈と廊下の掃除。やっとくのよ」


 いつの間にか数に入れられていた。坊主は即座に頷いて返したが、こちらは別に邦実の雑用を手伝いに来たわけじゃない。


「何あんた。返事は? あたしが掃除しとけって命令したのよ。分かったら「はい」でしょ」


 無視したことに腹を立てたらしくふんぞり返った邦実がこちらに歩み寄ってきてガンを飛ばす。

 言い返してやりたいところだが、場所を借りて坐禅させて貰おうと思っていたのだから、仮とはいえ管理人の邦実に逆らうわけにも行かなかった。


「分かったよ。掃除すりゃいいんだろ」

「分かってるなら返事しなさいよ。馬鹿たれ」


 それだけ言うときびすを返して小方丈へと歩いて行く。

 しかし何か思い出したらしく途中で立ち止まり振り返ると、


「明日慧乃様に掃除について少しでも指摘されるようなことがあったらあんたたちの責任だからね」


 と大きな声を上げた。


「返事は?」

「分かったよ」

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