三月目 其の一 好凮寺④
登山道を山腹の神社まで下り、そこから道を外れて好凮寺へ向かう登山道へと入る。
「変わった道ですね」
「開けた道で風通しが良いんだ。日差しの強くない日は登りやすい」
「へえ。お兄ちゃん、物知りです」
「毎日上り下りしてるからな」
ハナの呪いも何度も中層と頂上を往復するはずだが、この少女ときたら自分の呪いなどそっちのけで他人の呪いにばかり興味を示しているせいかその辺りにあまり詳しくはないようだ。
そもそも日の出前に登山するハナにとっては、登山道をあれこれ選んでいられる余裕などないのかも知れない。慣れた道を行くのが一番安全なのは間違いないのだ。
それからしばらく、ハナとあれこれ互いに近況報告をしながら歩いて行った。
昨日の好凮寺の出来事を話すとハナは邦実に興味を示したらしく、お友達になれるかな、だなんて口にしていたが、それはやめた方が良いと薄めのオブラートに包みつつやんわりと伝えておいた。
いよいよ好凮寺にたどり着くと、その立派な山門にハナは案の定驚いて声を上げた。
「わあ! こんな立派なお寺があったんですね!」
「びっくりするよな。初めて見たときは突然転位させられたのかと思ったくらいだ」
「そうですね! 確かに、山の中にいるとは思えないです!」
ハナはその立派な山門を下から見つめながら門を抜ける。通り抜けて見上げていた顔を下げて参道を見やると、そこにいた人物に再び驚いて声を上げた。
「お姉ちゃん!」
「あらあら。今日はまた素敵なお客さんがやってきたね」
竹箒で参道を掃除していた慧乃は、妹の登場に掃除の手を休めてこちらへと歩いてきた。
「えへへ。お姉ちゃん、お久しぶりです」
「そうかな? 一昨日会ったような気がするけれど」
「お姉ちゃんとは、毎日でも会いたいんです」
「ハナちゃん! 私も同じ気持ちだよ!」
駆け寄った二人はひしっと抱き合った。
寺の参道ど真ん中でやることじゃないだろうと、つかつかと歩み寄ると一つ咳払いをした。
慧乃はそれをきくとゆっくり抱擁を解いて、こちらを見つめるとにやりと笑った。
「やっぱり、来てくれたね」
「気になったからな」
「だろうね。邦実さんなら小方丈にいるよ。ハナちゃんも挨拶していくかい?」
「はい! 是非お会いしたいです! あ、でもその前に!」
ハナはカバンから財布を取り出すと、五〇蘊硬貨を賽銭箱へ入れて、手を合わせて祈り始めた。
「もったいないことを……」
「またまた君はそういうことを言う」
「だって――。いや、いいけど」
この賽銭箱に金を入れると言うことは、あの邦実の財布に金を入れているのと同義なのだ。あの憎たらしい駄目女が何もしないくせにこうして収入を得ているというのは、何とも腹立たしい限りだ。
「ハナちゃんは何をお祈りしたのかな?」
お祈りを終えたハナに慧乃は優しく問いかける。
問いかけに、ハナは満面の笑みで答えた。
「えへへ。今日こうしてたくさんの嬉しい出会いがあったことに、ありがとうって」
「嬉しい出会いだけで済めば良いけどな」
問題は邦実である。
あの邦実が、純真なハナにどのような態度をとるのか。
あろうことか金品を要求したり、最悪の場合無理矢理弟子入りさせてしまう可能性すらある。それほどまでにあの邦実という人間は恐ろしい。
「君はまた、よからぬことを考えているね」
気がつくと眼前にきらきらと輝く鳶色の瞳が迫っていて、いつも通り驚いて半歩後ずさった。
「お前はハナが心配じゃないのか?」
「どうしてかな? もしかして邦実さんのことかい?」
「分かってるじゃないか」
怪訝な表情で慧乃の顔を睨んだが、慧乃は全く笑顔を崩さない。
「大丈夫だよ。邦実さんは好凮寺に選ばれた方だもの」
「勝手に住み着いただけだろ」
「そういう縁だったのさ」
「お前に言わせたら何だって縁だろう」
「よく分かってるじゃないか」
慧乃は相も変わらず笑っていて、どうにもことの重大性が分かっていないようである。
邦実は今でこそ慧乃に従うそぶりを見せているが、慧乃がとんでもないお人好し野郎だと知ってしまったらどんな行動に出てもおかしくない。
「では小方丈へ行きましょうか」
お祈りが終わったハナと共に、大方丈へ上がりそこから小方丈へと向かう。
今日もやはり内庭側の戸は開放されていて、添水の音が心地よく響いていた。
小方丈の前にたどり着くと、慧乃は戸を叩いて声をかけてから、すっと戸を開けた。
「ん? 何?」
布団にくるまっていた邦実はとろんとした目をこすりながら寝転がったままこちらへと視線を向けた。
「あら、慧乃様。何かご用ですか?」
邦実は布団を蹴り飛ばすと布団の上に正座して、うやうやしく慧乃を迎えた。全く手遅れな気がするのだが、慧乃はそんなこと気にしなかったし、邦実も何の問題もないとばかりの態度をとっていた。
「私の妹を紹介しようと思ってね」
「初めまして、伊与田ハナです」
慧乃に促され、ハナは邦実の前で膝をついて挨拶する。
邦実も丸坊主の頭を下げて、ハナに挨拶を返した。
「ハナね。あたしは南陽邦実よ。邦実でいいわ」
「はい、邦実さん。よろしくお願いします」
二人は握手して微笑みあった。
ハナは誰とでも仲良くなれるとは思っていたが、まさか邦実とすら仲良くなれるとは。全く末恐ろしい。
「って、あんたも来てたのね。今日の分のお賽銭置いてきなさいよ」
「絶対置いてかねえよ。服直したらどうだ。見えちまったらどうする」
「服? ああ、直すわよ。うっさいわね」
邦実は着崩れていた衣服を着直して整える。あと少しで胸元が見えてしまうところだった。全くこいつは仮にも寺の人間とは思えない。
「見たいなら見せてあげてもいいのよ。タダじゃないけどね」
「勘弁してくれ。失明しかねない」
「何よそれ、どういうこと」
呪いのせいで本当に失明しかねないのだが、そういった事情を知らない邦実は何か馬鹿にされたと感じ取ったらしく、眉をつり上げて睨み付けてきた。見た目は完璧にその辺にいる不良女である。
何と返したら良いか思案していると、外から少年の、アルトソプラノの良く通る声が響いてきた。
「たのみましょう」
その声に邦実は慌てて立ち上がる。
「来た来た。今日は逃がさないわよ!」
「邦実さんが出迎えるのかな?」
「勿論! あたし自ら捕獲してやるわ」
「お前弟子をなんだと思ってるんだ」
息巻く邦実は人の言葉には一切耳を貸さず、大股で廊下を歩いて行く。
仕方なくその後に続いて少年の元へと歩いて行った。
「たのみましょう!」
邦実が門を開けると、少年はひとたび大きな声を上げた。
「良い度胸だわ。あたしの弟子になりたいのね」
「はい!」
少年は頭を下げて大きく返事をする。
「おいお前。悪いことは言わない。やめた方がいいぞ」
「あんたは黙ってなさい。こいつはこのあたしに弟子入りするためにここに来たの。間違ってないでしょ?」
「はい!」
邦実の質問に少年は答える。
心の底から勧められないし、出来ることなら余所の寺に弟子入りして欲しい。きっと邦実の弟子になってもろくなことはない。延々と雑務にかり出されてしまうのが目に見えていた。
「よろしい。覚悟があるなら特別に弟子入りを認めてあげるわ。ほら、着いてきなさい」
「はい! ありがとうございます!」
少年は今一度邦実を仰いで頭を下げて、仰々しく感謝の言葉を述べた。
こうして少年は邦実に弟子入りすることになり、少年から坊主になってしまった。頭の方はまだ刈っていないが、寺の人間になってしまったことに変わりはあるまい。




