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人成山登山記録  作者: あゆつぼ
人成山登山記録 三月目
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三月目 序章 こころ

「十月十日の間、人成山に登り続けなければ、童貞を卒業できない呪いをかけた」



 春の終わり、病院で知り合った女が亡くなる直前に呪いをかけ、それから十月十日の登山が始まった。

 最初は童貞を卒業するため、とばかり思っていたが、最近ではすっかり人成山の毒にやられてしまったようで、かけられた呪いの真の意味するところを考えたりするようになった。


 人成山は、その名の通り人に成るための山だ。人は人として生まれてきただけでは人にはなれない。生きていく中で人から人へ生まれ変わらなければならない。


 当初こそ何を言っているのか分かったものではなかったが、段々と、人に成るということが何を意味しているのか、薄らとではあるが分かるようになってきた。


 だが、人になるためには人成山の呪いを解かなければならない。「十月十日の間人成山に登り続ける」ことが呪いの解除条件として示されているが、どうにもこれは当てにならない。結局のところ人成山が求めていることは呪いを通して人に成ることであって、条件を満たすことではない。だからといって条件を満たさない訳にもいかないというのが難点で、完璧に呪いを解くためには条件を満たした上で人に成る必要があるのだ。


 だから十月十日の登山は最低ラインとして何としてでも達成しなければならない。それこそ雨の日も、雪の日も、台風が来ようが雷雲に包まれようが、登山を途中でやめることは許されない。

 これはこれで大変であり、長らく雨の続いた梅雨の季節はそれこそ登山を投げ出したくなるような日の連続であった。それでもこうしてようやく梅雨明けが見えてきた今日この日まで投げ出さずにいられたのは、悪天候にも関わらず登山につきあってくれる物好きな人成山住人のおかげだろう。


 人成山に初めて訪れた日に出会った六宮慧乃、伊与田ハナを始めとして、人成山には物好きが多い。人成山の呪いは一人では解くことが出来ない。だから人成山の人間は妙な協力関係を勝手に築き上げたりするのだ。

 それだけでなく、呪いにかかって人成山に訪れた人間同士、どうにも互いの呪いが気になってしまう。それこそ人成山の持つ最大の呪いのような気がするが、この呪いはきっと永遠に解けることがないだろう。人成山が呪いの山である限りは。


 さて、話が逸れたが、要するに登山するのは大変だ。だがそれよりもっと大変なのは、人に成ることである。


 そのためには「十月十日の間人成山に登り続ける」ことの真の意味するところに答えを出さなければならないのだが、出せと言われて直ぐに出せるようなものなら最初から悩みはしないのだ。要するにさっぱりなのである。


 人成山に登るとは、すなわち人に成ることだ。だから、精々誰かが人に成れるように、なんて思ってお節介妬いてみたりしたが、それが本当に正しい道なのかはさっぱり知れない。そもそも、お節介妬くことに関しては六宮慧乃というスペシャリストがいて、自分がいくら努力しようともあの憎たらしい通行止め女の足下にも及ばないというのが事実である。


 だから何かしら自分にしか出来ないことを探してみようかとも思ったが、そんなの見つけろと言われて簡単に見つかるのならば最初から悩みはしないのだ。


 なんて、思考が延々と巡り初めて収拾がつかなくなったところで、あれこれ考えるのはやめてとにかく山に登ることにした。


 未だ梅雨は明けぬが、もう終わりは見えてきた。

 今朝も線のようなか細い雨がしとしとと降ってはいたが、正午までにはすっかり止んで、相も変わらず空はどんよりとした灰色だったものの、若干気持ちは明るく登山することが出来た。


 最近は登山道をあれこれ巡ってみるのも楽しみになってきた。

 人成山は標高一〇一〇メートルほどの山だが、以外とその敷地は広く、登山道も幾つも整備されている。


 今まではずっと最も整備の行き届いた登山道を使っていたが、今日のように雨の降らない日は、気分を変えていつもと違う道を進んでみることにしている。


 たまに頂上まで通じていなかったりして引き返すことになるのだが、道の一つ一つにも過去の誰かの呪いが垣間見えたりするのだから不思議なものだ。


 中層から山腹の神社へと向かう道をいつもとは変えて、中層地区の反対側から出て神社の裏手へと出る道をゆっくり登っていく。

 この道は良く開けた道で、日差しのきつい日にはつらいが、今日みたいに曇った日にはちょうど良い道であった。時折吹く爽やかな風が鬱陶しい湿気をさっと連れ去ってくれるため、気持ちよく登山できる。


 登山道の途中、断崖絶壁に突き出すように建てられた、大きなお寺へと寄り道をする。

 人気の少ない登山道の途中には似合わない立派な山門をくぐり、門の閉じられた、本殿と思われる建物の前に置かれた賽銭箱に千蘊札をそっと入れて手を合わせる。


「今日も良い風が吹きますように」


 寺の名前はどうも好凮寺と言うらしい。凮は風の旧字体だ。風通しの良いこの登山道にふさわしい名前ではなかろうか。きっと風に関するご縁があるのだろうと、訪れてはなけなしの蘊を差し出して、快適に登山できるように祈っているのだ。


 祈ったところで風が吹くかと言われたら、たぶん祈っても吹かないし、祈らなくても吹くのだろう。それでも心地よい風と巡り会えた縁に感謝する意味でもって、寺にまで足を運んでは祈るのだ。


 寺は無人らしく、境内はろくに掃除もなされず、庭の草木は好き放題伸びていた。メインの登山道から外れているし、そもそも人成山は人の出入りが激しい。呪いを解いた人間は山を出て行ってしまうし、何かしら理由があって廃寺になったのだろう。


 そんな無人の寺にお参りした後、再び登山道へと戻って登山を再開する。

 心なしか、風が気持ちよかった。

 足が自然と前に進み、軽快に山頂へと向けて進んでいく。


 途中に、小さな東屋が見えてきた。人成山の登山道にはこういった休憩所が至る所に設置されている。これも誰かの呪いの産物なのだろうか。


 東屋に視線を向けると、中に女が一人腰をかけているのが確認できた。

 彼女も何かしらの呪いにかかっていることは間違いない。

 さて、どんな呪いだろうか。話しかけて来るだろうか?

 意を決して東屋の前を通り過ぎたが、女はこちらに何のアクションも行ってこなかった。


 するとどうにも気になってしまう。こういった場合、絡んでもないのはどうも不自然である。

 振り返って東屋を見やると、女は椅子に座って、目を瞑ってじっとしていた。

 まさか体調不良であろうか。こんな場所で身動きがとれなくなったら一大事だ。

 人のいる場所まで距離はあるし、この登山道を使う人間はそういない。

 やはりどうにも放っておく訳にはいかなくなって、来た道を引き返し東屋のもとへもどった。


「おい。大丈夫か? 何かあったのか?」


 声をかけるがぴくりともしない。

 年の頃は慧乃と同じかそれより少し上だろうか。

 茶色に染めた髪をボブカットにした、大学でよく見かけたタイプの女だ。

 女は目を閉じてはいるが呼吸はしているらしく胸が小さく上下していた。意識はあるのだろうかと、閉じた目の前で軽く手を振ってみた。


「おーい。生きてるか?」


 されど女はぴくりともしない。

 これは事件かも知れない。放置して通りすぎて、後々酷いニュースをきく羽目になるのは御免だ。


 意を決して女の頬を軽くはたく。

 気をつけなければならないのは、あらかじめ雑念を払っておかねばならぬと言うことだ。

 かけられた童貞を卒業できない呪いは、異性に対する好意や下心に鋭敏に反応してこちらの体を痛めつけてくる。だからこれはあくまで善意で行っていることであり、そういった感情は一切ないのだと言い聞かせておかねばならない。


「大丈夫か? 意識はあるか?」


 女の、眉が動いた――

 ぱっちり開いた瞳は大きく、深い褐色の底に吸い込まれそうになった。


 間近でぱっと開いたその瞳に驚くが、いつもいつも慧乃のきらきらと輝く鳶色の瞳に見つめられていたせいでだいぶ耐性がついていて、身を引くのが遅れた。

 その結果、女の不機嫌そうな瞳に捕らえられて、口汚く罵られる羽目になった。


「無視してたの! 何で構うの! またやり直しだよ! バカ!」


 女は少年のような声でそこまで言うと、さっさとあっち行けと手を振って、また目を閉じた。

 口ぶりと見た目から、内気であまり人との接触を好まないが、周りの視線が気になって髪型や服装なんかを流行に合わせているタイプの女だとなんとなく察した。

 そしてこれはもちろんのことだが、あっちへ行けと言われたからにはそう簡単にあっちへ行くわけにはいかない。

 恐れることなく、女に再び話しかけた。


「で、どんな呪いなんだ?」


 女は目を開けると今度こそ呆れたようにため息ついて、うんざりした様子で話し始めた。


「人成山で無心にならないと電波が受信できない呪い」

「電波?」

「電波。ケータイとかスマホの、アンテナ立つやつ」

「ああ、その電波ね」


 また不思議な呪いだ。いや、本題はそこではないのか。呪いを解くためには無心にならないといけないと言う。


 さて、無心とは。

 人成山の呪いは一筋縄ではいかない。

 ただでさえ難しいのに、その人成山に無心になれと言われたのだから一大事だ。


 無心とは何か。

 よく時代劇なんかでは聞く台詞かも知れない。ヒーロー物の特撮だのアニメだのでも、よくよくキャラが無心になれだのなんたら言ったりしている。スポーツ選手なんかが大きな記録を打ち立てたときも、無心でやっただのと口にしているものだ。


 だが結局無心って何なんだ。


 心を空っぽに。それが本当に無心と言えるのだろうか? あれこれ思い悩むのが人間の心だというのに、それを空っぽにするだなんて可能なのだろうか。出来たとして、それは本当に無心なのか?


「そこでいつまで固まってるつもり?」

「あー、悪い。考えごとしてた」


 女に声をかけられ、はっとして考えを中断する。

 答えなんて出そうもなかったし、ちょうど良かったのかも知れない。


「一体何なのあんた。あっち行ってもらっていい?」

「名前は?」

「はい?」


 威圧するような視線を向けられたが、この程度で怯んだりしない。

 あの知佳子の性格の悪い方のドスのきいた視線に比べたら可愛いものだ。


「名前だよ。あるだろ?」

「なんで教えないといけないの」

「ここで会った縁じゃないか」


 女は不機嫌そうに顔をゆがめたが、渋々と答えた。


「――長洲こころ。満足した?」

「ながす、こころ? こころなのに無心になるのか?」

「いい加減にして! こっちはあんたとおしゃべりなんてしたくないの!」


 大声を上げたこころ。流石に悪かっただろうか? いや、これで良いのかも知れない。何しろこいつの呪いは無心になることだ。


「怒ってるのか?」

「怒ってる!」

「無心は良いのか?」

「あ、バカ、そうだった。無心。無心。何も考えない。平常心平常心」


 こころは深呼吸を繰り返して息を整えて、すっと目を瞑って大人しくなった。

 忙しい奴だ、と思ったが、呪いを解くのに必死になっている以上誰だって端から見たら変な奴なのだ。自分だって、毎日毎日よくも飽きもせず山に登り続けてられるものかと思う。


「無心って何だろうな」


 声をかけるとこころはうっすらと目を開いて、またたいそう嫌そうに返した。


「何? わたしとおしゃべりしたいわけ?」

「そのつもりだったが、そう聞こえなかったか?」


 こころは顔をしかめて、ため息をつく。怒りを通り越してすっかり呆れてしまったらしい。


「ホントなんなのあんた」

「何なんだろうな。それより、折角二人いるんだ。考えを共有してみても悪くはないと思わないか?」

「全く思わないけど、もしかしてあんた、わたしに協力したいの?」

「協力、と言えばそうなるのか? 知ってると思うが、人成山の呪いは一人じゃ解けないぞ」


 その一言で、こころは表情を変えた。


「それ、ホント?」

「知らなかったのか? いつから人成山にいるんだ?」

「十日くらい前」

「誰かに呪いについて相談したか?」

「一度だけ、役所の人に軽く――。大変そうねえ、なんて言われただけだったけど」

「ああ、役所の人はそんな対応するだろうな」


 いつぞやの花屋の女店主のことを思い出す。

 ほんわかしていそうで、以外と鋭い人だった。そしてこの人、思考というか、呪いに対しての考え方は慧乃のそれに近く、決して直接的なヒントは与えようとしない。ほんわか誤魔化しつつ、自分で考えるように仕向けてくるタイプの人間なのだ。


「だったらあんた。無心って何か教えて」

「そう言われても、分からないから聞いてるんじゃないか」

「はあ?」

「だから考えを共有しようって言ったじゃないか。無心って何だろうかって。さっきまでお前、何してたんだ?」


 尋ねるとこころは不機嫌そうに鼻を鳴らして、少し悩んだそぶりを見せてから答えた。


「無心って、つまり雑念をなくすことでしょ? だから誰も来ないような場所で、瞑想してた」

「瞑想してたのか」


 あれは瞑想だったのか。

 雑念をなくす。確かに無心と言われて思い浮かぶのは、雑念や妄想から離れること。だけれどもそう易々と消えてくれないのが雑念だ。


 坐禅なんてものもある。寺で修行する坊さん達が、窮屈そうに座って何をするでもしないでもなく座ってる奴だ。たまに後ろを歩いてた師匠らしき人に細長い棒で肩を叩かれたりするアレだが、こころの言うところの瞑想は、坐禅と同じような効果を狙っていたのだろう。


「あんたはどう思うの?」

「そうだなあ」


 逆に尋ねられて、何と答えて良いか言葉に詰まる。まだまだ答えは欠片も見えていない。

 それでも考えを共有しようと言い出したのは自分だ。何も言わないわけにもいくまい。


「お前はどう思うんだ?」

「あん?」


 こころの目がつり上がった。


「まあまあ。無心無心」

「む、卑怯だ」


 こころは深呼吸を繰り返して心を静める。感情を表に出さないのが、無心――なのだろうか? どうにもしっくりこないが、これでこころが大人しくなってくれるのならそれに越したことはない。


「何だろうな、無心って」

「分かってたら苦労なんてしない。調べたって分からないし」


 こころは携帯を取り出してなにやら操作するが、直ぐに顔をしかめて携帯をしまいこんだ。呪い解除まで電波が入らないそうだから、当然の結果だろう。


「そうだろうが。そうだな。ちょっと時間くれないか? しばらく無心について考えてみるから、今度会ったときに答え合わせと行こう」

「答えは出せるの?」

「さあね。そればっかりは分からん」


 何度も見た呆れ顔をこころは浮かべた。感情が表に出やすいタイプであることは確かなようだ。それ故、無心になるというのは難しそうでもある。


「じゃあな。瞑想、頑張れよ、こころ」

「言われなくたって分かってる」


 こころはそれだけ言うと、堅く目を瞑ってゆっくりと呼吸を始めた。


 無心になる。無心とは何か。考えただけで答えは出せるのだろうか? いやきっと出すことは出来ない。

 何しろ人成山の呪いは一人で解くことは出来ないのだ。だとしたら、誰かの助けが必要だ。


 そして、この問題に関して最も明確な答えを出せるであろう人間は、あの憎たらしい通行止め女の他には思い当たらなかった。

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