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人成山登山記録  作者: あゆつぼ
人成山登山記録 中編 一滴の水
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中編 一滴の水②

 翌日、朝食にトーストを一切れ口にしてから登山の準備を整える。

 なるべく荷物を減らそうと小さな鞄を用意したが、登山道を登って下るだけならそこまで道具もいらないのではないかと気づき、最低限の物だけ持って行くことにした。

 隣の部屋の扉をノックすると、同じ考えなのか夏用の登山ウェアに小さなウエストポーチだけ持った慧乃が出てきた。


「随分と身軽になったねえ」


 人を上から下までまじまじと見つめてそんな台詞を口にした慧乃に言い返す。


「お前こそ、薙刀持ってないと迫力無いな」

「言ってしまったね。私もどうもあれがないとしっくり来ないのだけれど、泣く泣く置いてきたのに」

「泣いたのか……」

「それはもう」


 冗談で言っているんだろう。へらへらと笑っている慧乃の頭を小突きたい衝動に駆られたが、自分も荷物を置いてくる際なんだか後ろ髪引かれる思いがしたのでとやかく慧乃のことを責められない。


「ま、とにかく中層まで向かうか」

「そうだね。何も持っていないと落ち着かなくて早く歩きたい気分だよ」

「もうそれなんか病気だよ」


 落ち着かない気持ちは分かるが――とにかく中層へと向けて歩き始めた。

 身軽になって歩く登山道は新鮮であった。

 舗装された登山道は物足りなくて走り出しそうになる。

 そんな気持ちを抑えつつ、慧乃のおしゃべりに付き合って足を進めていくとあっという間に中層に辿り着いた。


「もうついてしまったねえ」

「全く、荷物がないと楽なもんだな」

「ここからは荷物が増えるけれどね」


 慧乃はそう言ってはにかむと、先を歩いていった。

 後ろをついていくと、役所前にある公園に辿り着いた。


「やあ門番ちゃん。っと、案の定馬謖も来たね。やっぱり門番ちゃんに声をかけておいて正解だったよ」


 待ち構えていたのはひょろひょろとした体躯の男だった。中途半端な長さの髪をメガネにかけたそれはそれは憎たらしい風体をした男だ。


「慧乃、まさかこの仕事、クソメガネの依頼なのか?」

「そうなるねえ」


 慧乃は「なにか問題でも?」なんて言い出しそうな表情で淡々と答えた。


「嫌な予感がしてきた……」

「安心してくれよ馬謖。僕は依頼主の仲介役だからね。依頼主は山頂で待ってるよ」

「あれ、そうだったのかい?」

「お前、もう少し話をちゃんときいてから引き受けろよ」


 慧乃は恥ずかしそうにして笑ったが、こいつのことだから二つ返事で適当に引き受けたんだろう。


「とにかく荷運びは引き受けてくれるってことでいいよね」

「危険物じゃあないだろうな」

「大丈夫だって。日の出前にハナちゃんも荷物を持って行ってくれたよ」

「へえ、ハナちゃんが」

「ハナでも運べるのか――いや、ハナの手も借りないといけないくらい切羽詰まってんのか」


 あんな見るからに力のないハナに荷運びを依頼しなければならないほどの事なのだろうか。もっと適任な奴らがたくさんいるだろうに。メガネとか。クソメガネとか。


「梅雨入り前に出来るだけ多く運んでおきたいらしくてね。ああ、こっちこっち。これだよ」


 クソメガネが示す先を見ると、そこにあったのは空のポリタンクやペットボトル。


「これって、こんなもん持って行ってどうすんだ?」

「ああ、そういうことか」


 慧乃は納得したらしいが、未だ何をしたいのだかよく分からない。


「どういうことだ?」


 尋ねると、慧乃が微笑んで質問に答えた。


「山頂までは水道が届いていないんだよ。貯水塔に雨水は溜めているのだけれど飲料水は下から運ばないといけなくてね。定期的にこうして運んでいるというわけさ」

「飲料水か。言われてみれば山頂に水道なんてなかったな――あれ、でもばあさんがいつも水をくれるじゃないか」

「だから依頼主がグランマってことさ。お二人とも理解できたかい?」


 クソメガネが憎たらしく細めた目をこちらに向けて尋ねる。

 一、二発殴ってやりたい衝動に駆られるが、とにかくやるべき事は分かった。空のポリタンクに水を入れて、山頂のばあさんに届ければ良いのだろう。


「運ぶ量は任せるよ。当然多い方が報酬も上がるけど、無理しない範囲で頼むよ。ちなみにハナちゃんは五〇〇ミリリットル持って行ってくれたよ」

「無理しなさすぎだろ……」

「出来る範囲でいいのさ。それじゃあ私はこれくらいにしておこうかな」


 慧乃は五リットルのポリタンクを手に取る。

 さて、自分はどうしようか。

 いつもの荷物がない分余裕はある。それに金欠を脱するためにも出来るだけ多くの水を運びたい。

 ともすればなるべく大きいポリタンクを選ばなければ。

 しかしあまりに大きすぎて山頂まで運びきれないとなると問題だ。それだけでなく怪我なんてしてしまったら今後の登山にも影響が出てしまう。無理にならない範囲で、出来るだけ大きなサイズとなると……。


「背負子もあるから自由に使ってくれ」

「至れり尽くせりだね。それじゃあ使わせて貰おうかな」


 慧乃が水を入れたポリタンクを背負子に紐で固定し始める。

 うむ、この方法ならば大きめのポリタンクでも大丈夫そうだ。


「それじゃあこれで」


 二十二リットルのポリタンクを手に取った。


「頑張るねえ。ま、馬謖ならやってくれると思ってたよ」

「流石だねえ」


 それはどうもと二人に軽く返して、水道の水でポリタンクを満たしていく。

 口から水が溢れた所で蛇口を閉め蓋を固く閉めた。

 水が一杯に入ったポリタンクはずっしりと重い。

 それでも両手で持ち上げ、背負子に乗せると紐とゴムベルトで動かないように固定した。


「よっと」


 腰を落とし、背負子を肩にかけ持ち上げる。

 立ち上がるときに力がいたが、持ち上げてしまうと何てことはない。いつもの荷物と同じ要領で持てそうだ。


「大丈夫そうかい?」

「ああ、問題ない」


 慧乃に答え、軽くジャンプして背負子の位置を整えた。


「準備万端だね。それじゃあ、山頂のグランマに水を渡してくれ。無事運んだら報酬が支払われるはずだよ」


 にっと気持ち悪い笑みを浮かべてこちらに手を振るクソメガネがなんだか憎たらしかったので出発前に一つ尋ねた。


「お前は行かないのか?」

「僕の仕事場はここだからねえ。持ち場を離れるわけには行かないのさ」

「そりゃご苦労なこって。次はそっちの仕事が良いな」

「駄目駄目。馬謖にはそっちがふさわしいよ。ねえ、門番ちゃんもそう思うだろう」


 何故慧乃に振ると思ったが、慧乃はクソメガネの言葉にやんわり微笑んで同意した。


「そうだねえ。君は山に登っているほうが良いよ」

「なんだそりゃ。ま、どうせ一日一度は山頂に行かなきゃならない呪いだからな。ついでに水くらい運んでやるさ」

「その意気だよ。では出発しようか。また帰りに寄るよ、メガネ君」

「そりゃあ楽しみだ。ああとっても楽しみだよ」


 寄りたくはないが、仕事の報告も必要なんだろうか。

 どちらにせよ、慧乃が行くというのだからついていく羽目になるのだろう。



 中層では気にもならなかったが、高低差のある山道で慣れない荷物を背負って歩くのは意外と骨の折れる物であった。

 いつにもまして眩しい太陽のせいもあって、山腹の神社に着く頃には額から汗が噴き出していた。

 そんなわけで二人休憩することにして、神社の傍らの茶屋に駆け込んだ。冷茶を二つ注文して荷物を下ろすと、朱色の絨毯がひかれた席に腰を落とす。


「なかなか疲れる物だねえ」

「ああ、そうだな」


 同じように汗をかいた慧乃がハンドタオルで額を拭う。普段小さな鞄と薙刀を手にして登山している慧乃にとっては五リットルのポリタンクでもきついのだろう。


「それにしても君は私の四倍以上の水を持っているのにまだ余裕がありそうだねえ」

「男だからな。それに登山に関してはお前よりも慣れてるつもりだよ」

「それは違いないね。私も小さい頃は兄様たちのようなたくましい体に憧れた物だよ」

「今は違うのか?」


 ちょっと意地の悪い質問だったかも知れない。しかし慧乃は笑顔で答えた。


「今は違うね。私はどちらかというと、部屋の中で静かに本を読んでいるほうが性に合うのさ。最近は外に出ることの楽しみも知ってしまったけれど、私には私がやるべき役目があるのさ。君が山頂を目指すようにね」

「ここを通りたければこの私を倒してからにすることね! って奴か」

「それじゃあ駄目だよ。全く気持ちがこもっていない。ほら、もう一度やり直してごらんよ」


 慧乃が笑いをこらえるようにしてだめ出しをする。

 そもそも似せようとも演じようとも思っていなかったのだ。それに対してだめ出しするなどとは、全く性の悪い女だ。


 だがしかし、やり直せと言うからにはやり直してやろう。

 立ち上がり足を肩幅に開く。

 少し俯くようにして片手で眉間を押さえるポーズをとり、大きく息を吸い込むと静かな低い声を響かせた。


「ここを通りたければ、この俺を倒してからにすることだな」

「なにやってんのよ気持ち悪いわね。倒して欲しいならぶん投げてあげるけど」


 振り返ると茶屋の店員が盆に冷茶をのせて運んできていた。しかもとびっきり性格の悪い店員だ。おまけに口も悪い。

 じとっとした目で睨まれて居心地が悪くなったので、適当に誤魔化して席に座り直した。


「ちょっと演じようって気持ちが強すぎるねえ。でもなかなかかっこよかったよ。知佳子ちゃんもそう思うだろう?」

「時々あんたのセンスが分からないわ。ほら、お茶」


 店員――瑞岩知佳子の性格の悪い方――は冷茶と砂糖菓子を席の上に並べていく。手つきが荒々しくいつこぼれるのかと冷や冷やしたが、お茶はなんとか湯飲みの縁でこらえた。


「あらどうも」

「もっと丁寧に運べよ」

「うっさいわね。あんた以外の客には丁寧に運ぶから良いのよ」


 相変わらず口が悪い。

 知佳の横暴っぷりには慣れたものだし、こいつの本心――というより自己である知子の方はおしとやかで誠実な人間だと言うことを知っているので腹も立たない。


「にしても知佳が働くとは、どういう風の吹き回しだ」

「何、あんた喧嘩売ってるの」


 胸ぐらをつかんでくる知佳。客に対してこの行動はどうなのだろうか。

 助けを求めるように隣に座る慧乃に視線を送ったが、こいつへらへらと笑っていて事の重大性に気づいていない。知佳が本気になったら投げ飛ばされるのだ。しかもそれに抗う方法を未だに見いだせていない。

 しかし知佳のほんの少ししかない良心がそうさせたのか、すっとその手が離された。


「ま、自分でも変だとは思うわよ。こういうのは私の仕事じゃなくて私の仕事なのよ。でもね、私の収入だけだと私が食べていくのに足りないのよ。だから私だけじゃなくて私も働くことになったって言うわけ。分かる?」

「分からん」

「なんで分からないのよ」


 知佳が睨みをきかせてくるが構わず冷茶をすする。

 疲れた体にしみこんでいく。知佳の接客はともかくお茶は本物だ。慧乃に金を借りただけの価値はあった。


「そういやここの水はどうしてるんだ? 水道は中層までなんだよな?」

「話逸らしたわね。っていうかホントあんたって何にも知らないわよね。ここにはわき水があるのよ」


 あきれたようにしながらも律儀に説明してくれる知佳。


「へーそうなのか。しかしあれだな。それなら中層からじゃなくてここから水をくんでいった方が効率良いじゃないか」


 思ったことをそのまま口に出すと、知佳が「はあ、あんた何言ってんの」とため息をはいてまたあきれたような顔でこちらを見つめてきた。


「ここの水は門外不出の神聖な水なの。そもそもね、山において水って言うのはとても大切な物なのよ。そりゃあ今は中層まで水道が伸びてるせいでありがたいって思う気持ちも少なくなっただろうけどね、昔は登山中に水一杯飲むってだけでそれはもう贅沢なことだったのよ」


 珍しく説教をたれる知佳に、思い当たる節があって良く考えもせずに一つ尋ねた。


「知子の受け売りか?」

「茶屋のばばあの受け売りよ!」


 盆の角で額を打たれたがそれほど痛くはなかった。だいぶ手加減してくれたようだ。というか手加減できるようになったのか。ようやく知佳にも人間らしい心が芽生えたようだ。


「君、何か失礼なことを考えていないかい?」

「考えてない。全く根拠のない言いがかりはやめてくれ」


 表情を読んだのか慧乃が微笑む。


「それで、知子はどこだ?」

「こ、ここにいるでしょう」


 手のひらで胸を押さえてそう主張する知佳であったが、その主張はあまりに根拠に乏しいのではなかろうか。


「で、知子は?」


 重ねて尋ねると知佳は顔を赤く染め、怒ったように声を上げた。


「私なら厨房でお茶入れてるわよ!」

「知佳に接客を任せて知子が厨房?」


 逆じゃないか? と口にしそうになったが、慧乃が視線で「やめなさい」とメッセージを送ってきたので口をつぐんだ。


「なんか知らないけど茶屋のばばあが私に厨房をやらせてくれないのよ。私には初日からやらせてたくせに私は一週間経って一度も厨房に入れてもらえないのよ。酷いと思わない?」


 そうだな。まったく酷い話だ。こんな奴に接客をさせるなんて確実に配置ミスだ。その茶屋のばばあとやらは人を見る目がないんじゃなかろうか。


「なんだか私はそのおばあさんの気持ちが分かる気がするけどねえ」


 慧乃が柔らかく微笑んでそう言うと、知佳は不服そうに唇をとがらせた。


「なによそれ。どういうことよ」

「さあどういうことだろう。きっとだけれど、知佳子ちゃんは分かっているはずだよ」

「分からないからきいてるのに」


 不満一杯の知佳は喉の奥で低いうなり声を発していたが、慧乃は微笑むばかりでそれ以上は何も答えなかった。

 そんな慧乃にしびれを切らしたのか知佳は、「ごゆっくりどうぞ」と捨て台詞を残して厨房の方へと戻っていった。


「で、どういうことだったんだ?」


 尋ねると慧乃は目の前にぴんっと白く細い指を一本立てて嫌らしい笑みを浮かべた。


「さてどういうことでしょう」

「分からないからきいているんだ」


 知佳と同じように返したが、慧乃は微笑むだけでなく一つの答えを口にした。


「だろうね。君はまだ分かっていないみたいだよ。でもきっと、近いうちに分かってくれると信じているよ」

「なんだそりゃ」


 口にしながらも慧乃の言葉の意味を考える。

 知子が厨房で知佳が接客。

 あの口の悪い知佳が接客に向いているとは思えない。現に先程盆の角で殴られたわけだし、その前には胸ぐらを掴まれている。

 でも慧乃はその判断を下したばあさんの気持ちが分かるという。

 その意味を、知子は知っていて知佳は気づいていない。そしてここに全く分かってない奴が一人。


 これは人成山の呪いとは関係のない話だ。

 だが、どうにもこの慧乃の言葉の裏には、何か人成山の呪いのような意思があるように感じた――


「――顔が近い」


 気がつくと下から覗き込むようにして慧乃がその鳶色の瞳でこちらの顔をまじまじと見つめていた。思わず身を引くが慧乃はやんわりと微笑むばかりである。


「なんだよ」

「少し気になったようだね」

「だいぶ気になった」

「だとしたら、答えが出るのは早そうかな? でもその前に、今はやるべき事をやろうじゃないか」


 慧乃は飲み終わった湯飲みを椅子の上にそっと置くと、傍らに置かれた水を示した。


「ああ、そうだった。それじゃあとりあえず山頂までもうひとがんばりするか」


 背負子を背負い直し立ち上がる。

 茶屋を後にし、肩に掛かる重みを感じながら金欠脱出と呪い解除に向けて山頂へと足を進めた。

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