二月目 其の二 今と自分と②
知子とは中層で別れ、登山道へと戻った。
誰も居ない登山道を一人登りはじめ、自分とは何だろうと再び考えてみた。
自分はいつだってここに居るのだから、余所に自分を探しに行く必要はない。
かつてそんな風に呪いを解いた男がいた。何人もの自分が人成山の中に現れ、各々が自分を探して山の中を歩き回っていた。
こんな自分であったらいい、こんな自分でいたい、そんな思いが理想の自分を生み出し、それぞれがまた別の理想を思い描く。
そんなことをしたところで、理想の自分になれるわけではないし、新しい自分に生まれ変わる事なんて不可能だ。
人は自分を変えようと努力するが、変わってしまった自分は今の自分とは別物で、結局の所自分が出来る事なんてのは、今この瞬間の自分を自分だと認めることくらいだろう。
そこにきて知佳子の呪いというのは不思議な物だ。
知子も知佳も、知佳子という少女が望んだ自分という訳ではなさそうだ。
二人居る自分。全く考えることの異なる自分。――自分とは何だろう。
考えに行き詰まり顔を上げて遠くの景色を見やると、小さな東屋のもとで少女が一人木々を見上げていた。
少女はこちらに気づくと微笑んで、声をかけてきた。
「また会いましたね」
「言葉遣いを正しても、知子のまねをするなら背筋を伸ばさないと意味ないぞ」
知佳はばれると分かると舌打ちし、どすんと椅子に腰を落として姿勢を崩した。
「お前なあ、別に怒っちゃいないが、知子まで置いて一人でどっか行くこともないだろう。あいつ心配してたぞ」
「うっさいわね。私をどうしようが私の勝手でしょ」
これだよ。
私だと理解しているのだったらもう少し親切に接してやれば良いのに。
これはあれか、自分に厳しい自分、という奴だろうか――そんなわけもなさそうだ。よくよく考えるまでもなく知佳のこれは自分のことだけを考えた行動の結果なのだから。
「あいつ、お前のこと探してたぞ」
「別に会いたくない」
「またそんなこと言って」
「何、説教のつもり? うざいんだけど」
相変わらず相手にするのが疲れる相手だ。先程話していた知子と、元は同じ一人の人間だったというのが実はそもそも間違いだったのではと思うほどだ。
もしかして生き別れの双子か何かじゃないのだろうか。
なんて馬鹿な妄想をしてみてもきりがないか。だいたい、人成山に辿り着いている時点で何らかの呪いにかかっていることは明白なのだ。
とにかく、こいつも知子と同じように扱わなければなるまい。
「で、わざわざ一人で抜け出して、こんな所で何してたんだ?」
「森林浴よ」
確かに周りは初夏の若々しい青葉の芽生えた木々に囲まれていた。木々の作る陰によって若干ではあるが涼しく、肌では登山道の下の方から吹く緩やかな風が感じられた。
「楽しいか?」
「退屈だわ」
「だろうな」
森林浴なんて、知佳には全く似合わない。知子には似合いそうだが――なんて考えてはいけないのだった。知佳も知子も変わらないのだ。そこを違えてはならない。
「それよりちょっと登ったところにお茶屋があるんだけど」
「へー、そうなのか」
「奢ってよ」
おかしいな。さっき中層の『尾根』でワッフルとアイスティーを奢ったはずなんだが、こいつは今なんと言ったのだろうか。
まさかとは思うけれどここまで図々しい人間がいるわけないよな。まさかとは思うが……。
「ほら、さっさとしてよ」
「お前、本気で奢らせる気じゃないだろうな」
「いくら持ってる?」
「こいつ……」
財布の中身をのぞきかろうじて余裕があることを確認すると、ずんずんと先を歩いて行く知佳の背中を追いかけた。
夕食がまたカップラーメンになってしまいそうだが仕方があるまい。今度時間があるときに預金を下ろしてこなくては。
「抹茶二人分ね。払いはこいつ」
「へいへい」
五千蘊札を茶屋のばあさんに渡して、構うことなく近くの席に腰を下ろした知佳を追いかける。
朱色の傘によって日差しが遮られ、風もあるため涼しかった。
しばらく知佳は楽しげにそのあたりの風景を眺めていたが、やがてばあさんが抹茶と紫陽花をかたどった生菓子を運んでくるとそちらに夢中になった。
「抹茶好きなのか?」
「あんたは嫌いなの?」
「いや別に嫌いじゃないが――お前はどうなんだ?」
「何あんた、私の事好きなの?」
「嫌いだけど?」
「照れ隠しはいらないんだけど」
「全く隠すつもりはない」
「じゃあ何でつけまわすのよ」
「さあね。自分でも分からん」
そもそも知佳のことをつけまわした覚えはない。偶然登山道の途中で知佳を見つけたというだけで、こうして抹茶を飲んでいるのも、こいつに無理矢理連れてこられたからだ。
「何、お前こそ好きなんじゃないか?」
「一度頭の病院にいってきたらいいんじゃない?」
「忠告ありがとう。考えとくよ」
人の払った抹茶を飲んでいるくせに、知佳の態度は相変わらずだ。あまり真剣に相手にしても更にあれこれ悪態をつかれるだけなのでやめておこう。それよりも、知子の話をしないとだった。
「知子の事だが」
「何よ」
「いやお前じゃなくてだな」
「私は私よ。勝手にあんたが区別してるだけでしょ」
「それを言われるとそうなんだが……」
私は私、か。
知子も同じようなことを言っていたっけ。しかしそれにしても知佳も知子の事をちゃんと私として認識しているのか。
そういえば喧嘩するときも知佳は知子の事を私と呼んでいた。
だがそうなるとどうだろう。知佳は、知子の事を私と知りつつ、あのような扱いをしているのだろうか。私に対してあまりにもいい加減な態度なのではないだろうか。
「お前さ、知子も自分だってことが分かってるなら、自分と同じように接してやれよ」
「また説教?」
知佳はあからさまに不機嫌そうな顔をして、残っていた生菓子を楊枝で拾い上げると口に放り込んだ。
しばらく何も言わないで居ると知佳の方もだんまりを決め込んで、抹茶を一口すすってからようやく口を開いて小さな声で尋ねてきた。
「そうしたらあんたも、私に対して知子と同じように接してくれるの?」
「うむ、そうだな……」
知佳が知子のことをしっかり考えてくれるのなら、知佳に対しても知子と同じように接してあげられるだろうか。
――いや待てよ。そもそも今日は、知佳も知子も同じように接しようと心に決めて山に入ったはず。知佳のあまりに酷い横暴ぶりを目の当たりにして、いつしかその気持ちが何処か余所へ行ってしまっていた。こんな事では、知佳と知子の呪いを解除する手がかりを得られるわけがないじゃないか。
今からでも知佳を知子と同じ人間だと思って接しなければ。しかし今まで知子に対してどんな風に接していただろうか……。
「これだけ悩むって事は無理って事なのね。分かったわよ」
「あー、違う。悪い、他のこと考えてた」
「はあ? 信じられない」
知佳は顔をしかめこちらを見下すような視線で睨み付けてくる。居心地の悪いのを誤魔化そうと抹茶を口に運んだが、相変わらず知佳が睨んでいて味が分からなかった。
「今度は何を怒っているんですか」
声の方向に目を向けると、店の入り口に知子が立っていた。
問いかけに対して知佳は「別に怒ってない」と返したが、その顔で言っても説得力はないだろう。
「全く、探しましたよ」
「勝手に探さないでよ。おばちゃん、抹茶もう一つ。払いはこいつね」
知佳がばあさんに声をかけて、親指で人の事を示す。
慌てて財布の中をのぞき込むと、なんとかもう一人分は支払えそうだった。
「悪いですよ。中層でもごちそうになったのに」
「構わないよ。知佳にも奢ったんだ。知子にはなしってんじゃ釣り合わないだろう。それにお前等は二人そろって一人だからな。これで一人分ってことにしておくよ」
ばあさんに知子の分の代金を支払う。知子は申し訳なさそうに頭を下げたが、知佳に奢ったときからこうなるんじゃないかとは思っていたので気にするなといって知佳の隣の席に座らせた。
「無事再会できたようだし、邪魔者は退散するとするかな」
荷物を背負い席を立つ。
「えー、まだお団子食べてないのに」
「これ以上財布からは一蘊も出やしないよ」
知子に小突かれる知佳にそう答えそのまま茶屋を後にしようとしたが、知子が立ち上がり背中に声をかけてきた。
「今日はいろいろありがとうございました」
「気にしないでくれよ。好きでやってることなんだから」
「あら、私の事が好きだったんですか?」
少しばかり頬を染めながら、微笑んで問いかける知子のその表情は破壊力抜群であったが、ここで自分を曲げるわけにもいかなかった。せめて最後くらい、当初の目標を完遂しなければなるまい。
「嫌いだよ」
「そうですね。さっきもそう言いました」
知子ははにかんでそう答えた。やっぱり知佳も知子もなかった。二人は二人じゃなくて知佳子という一人の存在なのだ。それが分かっただけでも、金欠の中あれこれ支払いを任せられた甲斐はあるってものだ。
「では、好きになってもらえるよう努力することにします」
「そうしてくれ。こっちも好きになれるように努力するさ」
知子の視線が知佳に向くが、知佳はふてくされたような顔でそっぽを向いてその視線に答えるだけであった。
頭を下げ別れを告げる知佳に見送られ茶屋を後にし、元の山道へと戻ろうと足を進める途中、ふと茶屋にいる少女の方を見やると、知子はもちろん、知佳も相変わらずふてくされたような表情を浮かべているがそれでも小さく手を振っていた。
「何が素直な子だよ。全然素直じゃねえ」
そう一人口にして、いよいよ自分の呪い解除という本分を果たすため山道の石段を踏みしめた。




