二月目 其の一 私と私③
「日も傾いてきたね。ゆっくりと下山しようか」
「ハナはもう大丈夫か?」
問うとハナは元気いっぱいに返事をして、もう大丈夫だとアピールした。
空元気――でもなさそうだ。慧乃の対応のおかげだろうか、ハナはすっかり元気になったようだ。
それでも山では何が起こるか分からない。下山――ハナは中層までだが――するまでは最後まで気を抜いてはならない。
「荷物は持ってくよ」
「お水は私が持ってるからね」
置いてあった小さな鞄を持つと、慧乃も先程貰ってきた水をタオルでくるんで自分の鞄へとしまった。
「むー。もう大丈夫ですってば」
ハナはむくれたが、慧乃にたしなめられると受け入れて歩き始めた。
途中で幾度か休憩をとりながら下山していると、中層に辿り着く頃には太陽が遠くの山の際に沈みかけ、低い空に広がった綿状の雲に山の陰を映し出していた。
「今日はいろいろと迷惑をかけてしまいました」
「別に気にしてないさ」
「そうだよ。でも明日からはあんまり無理したら駄目だからね」
これから日差しも強くなっていくだろうし、一日中あの場所で花を見つめ続けるのは大変だろう。日傘程度じゃあ気休めくらいにしかならないだろうし、本当に炎天下の中呪いの解除に挑戦するのだったらパラソルでも用意した方が良いのではないだろうか。
「はい! 次からは気をつけます! それでは、今日は本当にありがとうございました!」
ハナはもう一度大きくお辞儀して、別れを告げると振り返り走り始めた。
「わう」
「ちょっと、何処見て歩いてんの!」
そのハナが細道から出てきた少女にぶつかってしまい尻餅をついた。
ぶつかられた方の少女はそんなハナを見下ろして怒鳴り散らしている。
「そんな風に言う物ではありません。私だって大して前を見てなかったではないですか」
続いて細道から出てきた少女がそう言うと、怒鳴っていた方の少女はむくれて抗議した。しかしそんな抗議など聞く耳持たぬと言った風で、少女は倒れていたハナに手を差し出した。
「大丈夫ですか? お怪我はありませんか?」
「は、はい! 大丈夫です……えーっと、双子さん?」
ハナは二人の少女にそう尋ねた。どうもハナは、知佳子とは初対面のようだ。
「呪いでふたつに別れちまったらしい」
知子に代わって教えてやると、ハナは立ち上がって知佳と知子の姿を交互に見比べた。
「へー、そういう呪いもあるんですね」
「慧乃さんのお知り合いでしたか」
知子が傍らに居た慧乃に視線をやる。
「うん。可愛いでしょう。私の自慢の妹だよ」
慧乃がそう答えると、知子はハナに向き直り、お辞儀をして自己紹介をした。
「瑞岩知佳子といいます。あなたは?」
「わたしは伊与田ハナです。先程はぶつかってしまってごめんなさい」
ハナが知佳に頭を下げるが、知佳の方は相変わらずの態度でいたので、代わりに知子が応えた。
「お気になさらず。気にしていませんから」
「ですが――」
ハナは未だにむすっとした様子の知佳のことを気にしているらしい。
「私の事でしたら気にしないでください。恥ずかしながらいつもあんな調子なのです」
「はあ!? 誰が恥ずかしいですって」
「私のことです」
「私のくせに私にそんなこと言って良いと思ってんの?」
「私こそ私のくせに私にそんな口をきいて」
「私が私に何を言おうが私の勝手でしょ!」
しばらく自分同士で喧嘩する知佳と知子の様子を眺めていたが、いよいよきくに堪えなくなったので仲介に入った。
「まあまあ、こんな通りで喧嘩することも無いだろう」
「そうですね。私としたことが、こんな人通りのあるところでみっともないことをしてしまいました」
「ふんっ! 私のくせに良い子ぶっちゃって」
知佳は毒を吐いたが、知子に無視されるとそれきりそっぽを向いて何も言わなくなった。
「それにしてもあなたはしっかりしてますね。少なくとも私よりは」
知子がハナにそう告げると、知佳は「なんですって」と抗議の声を上げたが、知子がきこえないふりをするとぷいっと視線をそらしまた黙り込んだ。
「伊与田さんはおいくつですか?」
「わたしですか? わたしは今年から中学三年生で――」
答えかけた途中で言葉がぷつりと途切れ、今まできらきらと輝いていたハナの瞳から光が消えた。
慧乃も知子も、知佳でさえもその様子に呆気にとられ、ハナの顔を凝視した。
何事かとハナの表情を見つめていると、突然瞳が光を取り戻し、ハナははっとして、続いて首をかしげ、言葉を発した。
「……えーっと、何の話をしていたんでしたっけ?」
ぽかんとしているハナの様子を見て、そういえばハナは呪いを解くまで自分の帰る場所が思い出せないのだと思い出した。
帰る場所の手がかりになりそうな言葉を発してしまったせいで、この短期間の記憶があやふやになってしまったのだろう。
「ハナちゃんは帰る場所が思い出せない呪いにかかっていてね。人成山に来る前のことを思い出そうとするとちょっとね」
「そうなんですか。それは大変そうですね」
知子が優しく声をかけたが、ハナのほうは先程自分が発した言葉をすっかり忘れてしまっているせいで、何のことかと首をかしげるばかりであった。
しかしあれだ。ハナが中学三年生だとは思いもしなかった。
初めて会った日にセーラー服を着ていたから中学生だと分かったが、それがなければ小学生だと思ったかも知れないくらいの背丈なのだ。そんなハナが後一年も経てば高校生になるだなんて、全くもって予想できない。
「伊与田さん。私に出来ることでしたら手を貸しますから、困ったことがあったら何でも言ってくださいね」
「はい! 瑞岩さんも、わたしが力になれることがあったら是非何でも言ってください」
知子とハナは互いに頭を下げて微笑んだ。
「一人で勝手に変な約束するのやめてくれる」
傍らでむすっとしていた知佳が抗議すると、知子は振り返り反論した。
「勝手も何も、一人でふてくされていたのは私ではないですか」
「何よ! 私のせいだって言うの!」
「私のせいに間違いないでしょう」
「あー言えばこー言うわねえ、全く! もういいわ。今日は気分も悪いし帰るわ。何してんの、帰るって言ってるでしょ」
知佳は丁寧に頭を下げて別れの挨拶をしていた知子の手を引いて、中層の大通りを歩いて行ってしまった――と思ったら、知子をその場に残し、一人だけ戻ってきた。
「さっきは悪かったわね」
「いえ、こちらこそごめんなさい」
知佳はハナの正面に立ってそう告げると、右手を差し出した。
ハナは差し出されたの手意味を理解すると、ぱあっと明るい笑顔を咲かせてその手を握った。
「瑞岩知佳子よ。知佳子で良いわ。よろしくね、ハナ」
「はい! よろしくお願いしますね。知佳子さん」
ハナの手を握る知佳は嬉しげで、いつも見せている不機嫌そうな顔が嘘のように微笑んでいた。
「珍しく「待ってて」などと言うかと思えば一人で勝手に何をしているのですか」
「別にいいでしょ、私が何しても。ほら、さっさと帰るわよ」
戻ってきて抗議した知子の言葉になど耳も貸さず、知佳は一人で大通りを向こうへと歩いて行った。
「今度こそお別れですね。それでは、きっとまた会いましょう」
頭を下げた知子に対して各々別れの挨拶をすると、知子は知佳の後を追いかけて小走りで駆けていった。
「私もここでお別れですね」
「ハナちゃん。今日はゆっくり休むんだよ」
「はい。そうします。それではお姉ちゃん、お兄ちゃん。また明日、会えますよね」
「うん。きっと会えるよ」
「縁があったらな」
ぺこりと頭を下げたハナは、しばらくこちらを見ながら手を振って、自宅の方へと歩いて行った。
慧乃と二人、ハナが角を曲がって見えなくなるまでその場で見送った。
「さて、私たちも下山しようか――って、なんだい君その顔は。またよからぬ事を考えているね」
「別に、たいしたことじゃない」
「それじゃあそのたいしたことないことを教えておくれよ」
にんまり微笑む慧乃の顔は相変わらず憎たらしい。
しかし考え事をしていたことなど表情に出ていただろうか。そんなつもりはまるでなかったのだが。何にせよ慧乃に対して隠し事をしたってすぐにばれるに決まっているのだから、本当にたいしたことないことだし素直に白状するとしよう。
「知佳も笑うんだなって思っただけだ」
「そりゃあ笑うよ。君は知佳子ちゃんをなんだと思ってるんだい?」
「知佳子はどうだか知らないが、知佳に関してはいつも不機嫌そうなひねくれた顔をしてるじゃあないか」
「それは君が嫌われるようなことするからじゃないのかい?」
そう言われると反論できない。
しかしどうだ。頭をぶつけて昏倒させる前から知佳はずっとひねくれた態度だったように思う。
「なんて、私が言って良いことじゃあないよね。でも一つ確かに言えることは、知佳ちゃんは素直な子ってことだよ」
「素直? 素直、ねえ……」
果たして本当にそうだろうか。
知佳に素直なんて言葉が似合うとは思えない。自己中心とか傍若無人とかのほうがしっくりくる。
「直に分かるさ。それより、真っ暗になる前に下山しないかい?」
「それが良い」
中層を後にして、ヘッドライトを付け薄暗い山道を下り始めた。
あれこれ話しかけてくる慧乃に適当に相づちをうちながら、いよいよ緩やかな舗装された道に辿り着いた。
設置された街灯が比較的真っ直ぐな道を照らしている。人成山の出口までもうすぐだ。
「ようやく今日のノルマ達成だ」
「今のところは順調そうだねえ」
「まだ九ヶ月以上残っているから順調かどうかは分からんがな……。冬は雪も降るらしいし」
「それはまた難儀だねえ」
人ごとのように言いやがって、と思ったが事実人ごとなのだ。慧乃には慧乃の、解かなければならない呪いがある。
そんなことを思い出してふと慧乃の呪いはどうなっているのか気になった。
「お前は順調なのか?」
「生憎さっぱりなんだよ。こればっかりはなかなかねえ」
慧乃は肩をすくめてそう答えた。
確かにこればっかりは思い通りにならない。人成山で未だ会っていない人間に会うことが出来なければ慧乃の呪いは進展しないのだ。縁がなければどうしようもない。
「ハナのほうもしばらくは足止めだろうな」
「だろうねえ。これから梅雨や夏になったらもっとだろうねえ。一つ小屋でも建てた方が良いんじゃないかとも思うよ」
「そりゃ建てられるなら建てた方が良いだろうが、山頂だぞ」
「山頂にだって家を建ててすんでる人は居るわけだからね。ちょっと苦労するかも知れないけれど、その方が近道だったりするものさ」
そういえば、グランマだって山頂の家に住んでいるわけだし、山頂には休憩所や神社、小さなお寺も建っていたりするので、家を建てること自体は無理なことではもないのかも知れない。
「それで、君はまだ知佳子ちゃんのことが気になっているのかな? 君は考えていることがすぐに顔に出るねえ」
「お前もしかして人の思考を読んでるんじゃないだろうな」
「君の考えていることがわかりやすいからだよ」
単純ってことだろうか。これは馬鹿にされているのではないだろうか。しかしまあ、知佳子の呪いのことが気になっていたというのも事実ではある。
「それにしても、君にこれは言うまでない事だろうけれど、知佳子ちゃんの呪いが気になるって事はね――」
「分かってるよ」
誰かの呪いに対して興味を抱いてしまうと言うことは、すなわちその呪いを自分の物として受け止めてしまったということだった。
ハナが以前抱えていた、何処かへ行かなければならないが、何処へ行ったら良いのか分からない。その悩みは確かに今でも自分の中にある。
ただ慧乃のおかげで、良い方向に悩んでいるとは自分でも思う。
しかし今回はどうだろうか。
知佳子の呪いを、自分も抱えてしまっているのだろうか?
「悩んでるねえ」
慧乃は目の前で優しく微笑んでいた。その笑顔はまた随分と嬉しそうで、憎たらしいったらない。
「誰のせいだよ」
「さて悩んでるのは誰だろう」
ああ言えばこう言う奴だ。
全く、適当なことを口にするのではなかった。この悩みが自分の物である以上、悪いのは自分に決まってる。
「分かってくれたようで嬉しいよ」
表情を見てこちらの考えを理解したらしく慧乃は大きく頷いた。
だがやはり、この悩みをもたらしたのは慧乃の言葉がきっかけなのだ。
少しくらいヒントを貰っても罰は当たらないのではないだろうか?
そう思い、一つ慧乃に懇願してみることにした。
「今回は何かヒントはないのか?」
「ヒント?」
「自分探し男の時の、『第一問』って奴」
「ああ、あれかい。あれは初回限定特典だから二回目からはないんだよ」
「そういうシステムだったのかよ……」
道理でハナの時は始終何も教えてくれなかったわけだ。
となるとやはり、知佳子の呪いについては自分で考えなくてはならないのか。
「なんて、冗談だよ」
「何だって」
真剣に悩んでいたのに慧乃はおちゃらけていて、おそらくこちらが間抜けな顔をしているのを見て喜んでいるのだろうとあらぬ妄想にとりつかれたりもした。
「ヒントならもうあげたはずだよ。自分って何だろう? もう一度考えてごらんよ」
「自分、か……」
そういえば、すっかり忘れていたが登山中にそんなことを言われていたのだった。
そしてその問いに対する答えをまだ出していない。
この問いに答えを出さなければ先へは進めぬと言う訳か。
「それにしても、やけに熱心だねえ」
慧乃が嬉しそう呟いた。
「別に、気になったから気にしてるだけだ」
「そうかい? 私には君が積極的に他人に関わろうとしているように見えるなあ」
「……参ったよ。お前は何でもお見通しなんだな」
慧乃の勘――いや、人の心を読む力を侮っていた。
慧乃は本当に、こちらの考えていることなど全てお見通しなのかも知れない。
「何か考え事かい? なら是非教えて欲しいよ」
慧乃が鳶色の瞳を夜陰でも分かるくらいに爛々と輝かせてこちらの顔を見上げていた。
今や慧乃の興味の対象がこちらに移行したのだ。こうなってしまったらもう逃げることは出来ない。
「考え事ってことでもないさ。単純に、自分なりに人成山に登ることの意味って奴を少し考えてみたってだけだ」
慧乃はその回答に何回か小さく頷いて、そしてにんまり笑った。
「そっか。そうだね。確かにそれは当たってそうだね」
「お前がそう言ってくれると安心するよ」
「ただそれを正解にするのも不正解にするのも君次第だってことを忘れたらいけないよ」
「……肝に銘じとく」
自分次第ってことか。
自分の呪いは自分で解かなくてはならない。いくら慧乃でも、他人の呪いを解いてしまうことは出来ないのだ。
慧乃に出来るのは呪いの解除に繋がるヒントを与えることだけ。最後に呪いを解くのは、いつだって呪いを掛けられた当人だ。
「ん、カウントされた」
気がついたら人成山登山道の入り口である鳥居をくぐっており、ぴこーんと間抜けな音がしたと思うと目の前に残り日数が表示される。
「何事も積み重ねが大切だねえ」
「十月十日も積まなきゃならんのは苦行だがな」
「苦行、ね。まあ考え方次第だよ」
「お前に言わせたら何だって考え方次第なんだろう」
「あはは、よく分かったじゃないか」
時々こういう言動をされて、本当に何も考えずに話しているのではないかと思う時がある。全くもって侮れない奴だ。
辿り着いた木造の古くさいアパートの二階で慧乃と別れ自室へと入る。
やかんをコンロにかけ、湯が沸くまでの間椅子に腰掛け思案する。
自分って何だろう。
慧乃は知佳子の呪いを解くヒントはそこにあると言う。
自分とは何かだなんて、その問いに明確な答えを出せる人間は存在するのだろうか。
だがそれでも考えないわけにはいくまい。これが慧乃からの問いかけである以上、この問いの答えは自分の呪いを解くためのヒントでもあるのだ。
知佳子は知佳と知子の二つに分かれてしまった。
どちらも瑞岩知佳子という人間であることは間違いない。
だが知佳は性格が悪く――いや、慧乃が言うところの素直な性格であり、知子はおとなしくまじめな性格をしている。
まるっきり正反対の性格の二人。だけれども二人は同一人物。自分なのに違う。この矛盾が何を意味するか。
あるときは自由奔放で、あるときは礼儀正しい。そんな支離滅裂な”自分”が居るだろうか?
……居るかも知れないな。
思い返してみれば、知佳と知子。性格の悪い知佳と、性格の良い知子。それぞれに対して自分は接し方を変えていたように思う。
そういえば知佳も、慧乃には心を許しているようだし、ハナに対しては笑顔すら見せていた。相手にとって態度を変える”自分”。
それが知佳子の呪いにどういう関係があるのか考えようかというとき、やかんが音を鳴らし湯が沸いた事を知らせた。
立ち上がりコンロの火を止め、ひとまず夕食にすることとした。
知佳子の呪いについてはこれ以上考えても進展がなさそうだ。
ひとまずは明日、もし会えたのなら、知佳と知子。どちらも同じ知佳子として接してみるか。
二つの別の性格を、同じ人間として扱ったのなら、何か発見があるかも知れない。
そういうことにして、買いだめしていたカップラーメンの封を開け、湯を注いだ。




