二月目 其の一 私と私①
「すっごい怒ってたな」
「当たり前だよ。むしろあれくらいですんで良かった方だと思うよ」
あの後起き上がった知佳に散々批難され、暴力沙汰こそ何とか回避されたものの未だに耳と心が痛む。
知佳は怒鳴り疲れたのか一人ずんずんと山道を進んで行ってしまい、知子もそれを追いかけたので今は慧乃と二人、小さな休憩所で切り株に腰を掛け足を伸ばしていた。
「しかし知子にまで怒られるとは思いもしなかったな」
「君はあの二人が同一人物だということを忘れてはいないかい」
「そういえばそうだったな」
あまりに性格に差があるためすっかり忘れてしまっていたが、知佳も知子も元は知佳子という一人の少女なのだ。
だがそれにしては、やはり性格の違いが気になるところだ。
「さて、これから君は登山するんだろう? なら一緒について行ってもいいかな?」
「ああ、是非そうしてくれ。知佳子の呪いについてききたいこともあるしな」
立ち上がりザックを背負うと、準備を整えた慧乃と二人山道を歩き始める。
気になることは幾つかあったが、やはりまずは性格の違いが問題じゃないだろうか。
「なあ、知佳と知子が元々は知佳子という一人の存在だったということは間違いないのか」
「それは間違いないと思う。本人もそう言っているもの」
慧乃は肯定したが、どうも得心いかない。
「浮かない顔してどうしたんだい? 何か気にかかることがあったのかい?」
慧乃に尋ねられたので、意を決してきいてみることにした。
「知佳と知子が本当に同じ人間だったのかと思ったんだ。どうにもあいつらは、性格に差がありすぎるんじゃないかと」
慧乃は口元を押さえ、小さく笑った。
「何がおかしい」
「君はさっき私が言った言葉を覚えているかい?」
何のことだろうと記憶をたどり、それらしい言動を見つけ出した。
「性格が良いとか悪いとかっていうのは自分にとって都合が良いか悪いかってことか?」
「そうそう。それを踏まえてもう一度考えてごらんよ。知佳ちゃんと知子ちゃん。何か違うところがあったかい?」
ふむ。そう具体的に考え内容を示してもらえるとありがたい。
性格が良い悪いを余所に置いておいて、知佳と知子の違いを探してみよう。そうだな……。
「知佳は目つきが悪い」
「そういうことを言っているのではなくてね」
「知佳は姿勢が悪い」
「良いところをついているようだけれどもそうでもないよ」
「知佳は印象が悪い」
「君は何を言っているんだい」
「なんだろうな……ああ、きっと声のせいだ。あいつの声はこう威圧的というか自分中心と言うか、なんだかいつも不機嫌にきこえるんだよな」
「そういうことでもないのだけれど、確かに声の違いは印象に大きな影響を与えるだろうね。知佳ちゃんも知子ちゃんも同じ声のはずなのに、話し方一つで相手に与える印象も違う――ってそういう話をしたかったんじゃないんだよ」
「要するに言いたいことは、知佳と知子が同じ人間とは思えないって事だよ。どうにもこう、別人なんじゃないかという考えがぬぐいきれないというか……」
そこまで説明すると慧乃はなんだか困ったように頷いて、ぴんっと白く細い人差し指を立ててこちらに問いかけてきた。
「さて、自分って何だろう」
「自分、ねえ……」
考えようとしたが、一つ思い当たることがあって考えを中断し口を開く。
「それについては以前の自分探し男の時にいろいろと考えたじゃないか」
「だとしてもね、良い機会だからもう一度考えてみようよ」
慧乃が諭すように言ったので、断り切れず頭を働かせる。
自分とは――ここで言う自分とは一体何だろうか。
今問題なのはもちろん知佳と知子のことである。
この二人は性格が大きく異なるが、それでも二人は同一人物なのだという。
二人の呪いは人成山で暮らすことで、その行動に対する”答え”を導き出さなければ二人は知佳子という一人の人間に戻れない。
ここまでを前置きとして、さあ自分とは何かもう一度考えてみよ、と言われたときにどんな考え方をすれば良いのだろうか――
「気が散るからその目の前でにこにこするのやめてくれないか」
「そうかい? それは申し訳ないことをしたね。でもやっぱり私は君に話しかけて欲しいんだよ」
そうだろうなと胸の中で呟いて、今まで考えたことを話してみる。
「――うん。そうだね。確かにそうなのだけれど、一つ修正が必要なところがあるね」
「そうか? それは是非教えていただきたいね」
「知佳子ちゃんの呪いだけれど、人成山で暮らすことじゃないんだと思うんだよ」
「え? そこか? それはだって、知子から直接きいたんだぞ」
「私も知佳ちゃんから呪いは人成山で生活することだってきいたよ」
「その二つは違うのか?」
尋ねると慧乃は小さく微笑んで答えた。
「暮らすことと生活することの違いを指摘しているのでなくてね、根本的にそういう呪いじゃあないんじゃないかってことさ」
「――分からないな」
慧乃が小首をかしげ先を促してくる。
知子が呪いは人成山で暮らすことだと言った。それが違うとしたら――それが嘘だとしたら……。
「そこを誤魔化す理由って何だ? 何かそれで得るところがあるのか?」
「そうじゃないんだよ」
慧乃はまた微笑んでゆっくりとした口調でもって説明をした。
「何か理由があって誤魔化しているんじゃないんだよ。おそらくだけれどね、知佳子ちゃんは自分にかけられた呪いの内容について、正しく把握していない――いや、理解しきれていないんだろうね」
「理解しきれてない――って、じゃあ本当はどういう呪いなんだ?」
その問いには慧乃は恥ずかしそうに口元で笑って小さな声で答えた。
「さてどうだろう。それがまだ私にも分かっていなくてね」
「なんだそりゃ」
「本当に、何だろうね。おそらく知佳子ちゃんの呪いの本質はここにあるんだと思うけれど」
何とも要領を得ない答えである。
もし知佳子の呪いが人成山で暮らすことではないのなら一体何だというのか。そこが分からなければ答えの出しようがないじゃないか。
「とまあそれは全部私の推測に過ぎないのだけれどね」
「おいおい、当てずっぽう――じゃあないよな」
慧乃とは短いつきあいだがこいつのこういったことに対する知識、思考能力の高さは十分に承知している。だから何か必ずそう思うに至る理由があるはずだ。
「もしかしたら勘違いかもしれないなあ」
「勘違い?」
尋ね返したが、慧乃はその問いに答えず目の前の鳥居を示し早足でかけていった。
「もう山頂に着いたね。ちょっと知佳子ちゃんが居ないか探してくるよ」
有無を言わさず走り去った慧乃の背中を追いながら、少しばかり先程の言葉について考える。
勘違いねえ。
ま、慧乃だって人間だ。そりゃあ勘違いすることもあるだろう。深く考えることでもないか。
ザックを背負い直し、気持ち早足になって人成山山頂の石碑を目指した。




