二月目 序章 二人の自分①
「十月十日の間、人成山に登り続けなければ、童貞を卒業できない呪いをかけた」
春の終わり、病院で知り合った身寄りのない女が死に際に放ったその一言によって、十月十日の登山が始まった。
人成山に登るようになってから三週間あまりが経過し、いつの間にやら山の景色は一変していた。
若々しい透き通るような青葉の色は次第に深くなっていき、山一面が優しい緑色に染まっていた。土がむき出しだった登山道にも新たに草が芽を出し、木々の間から時折顔を出す太陽へと向かって、賢明にその手を伸ばしていた。
草木のたくましい生命力を感じさせるそんな風景だが、草木に力を与える太陽は日を追うごとにその輝きを増し、発せられる光と熱は登山者から情け容赦なく体力を奪って行くのであった。
しかしこの程度で音を上げている訳にはいかない。
なぜならば、なんとしてでも呪いを解き、童貞を卒業せねばならないからだ。
風通りの良い山道を、一定のペースでのんびりと歩いていると、見えてきた小さな休憩所に少女が一人、丸太に腰を掛けて休んでいるのが確認できた。
少女といえど油断してはならない。
この人成山に訪れる人間は皆、何らかの呪いにかかっている。
千人の前に立ちはだかって道をふさぎ「ここを通りたければこの私を倒してからにすることね!」だなんてきいている側が恥ずかしくなるような台詞を叫ぶとかいう、他人に迷惑をかける呪いも存在しているのだ、
全く、人畜無害な山に登り続ける呪いを少しは見習って欲しいものだ。
さて、それはさておき問題は少女のほうだ。
どんな呪いにかかっているのか、そこが問題だ。
休憩所の脇をそっと通り抜けようと画策したが、気配に気づき振り向いた少女とばっちり目が合ってしまった。
横目でこちらを一瞥した少女は、すっと立ち上がりショートパンツについた土を払うとこちらに歩み寄ってきた。
高校生くらいだろうか。未だに子供っぽさが残るが、少なくともどこぞの胸がAカップ以上に成長しない呪いにかかった女よりは女性らしい体つきをしていた。
少女は横で一つにまとめた髪を払い、一目で気の強そうだと感じるつり上がった瞳でこちらの姿をにらんだ。
何も言わぬまま山道の中央まで足を進めるとその場で立ち止まり、腰に手を当てて目を細めこちらを凝視する。
「何か用か?」
仕方なしにそう尋ねた。
まだどこぞの通行止め女よりは迷惑度は低そうだが、通行止めされていることには変わりない。さっさと話を済ませてどいていただこう。
「ききたいことがあるんだけど」
「何でもきいてくれ」
無理矢理笑顔を作ってそう答えたが、少女の口調からはこちらの返答などに関係なく有無を言わさず質問してやるという意思が感じられた。
「私を見なかった?」
その問いに、首をかしげる。
――さて、なんと答えるべきだろうか。
人成山に訪れる人間は何らかの呪いにかかっている。
だからこの少女も呪いを宿していることは間違いない。
とすれば今の突拍子もない質問にも、必ず意味が存在するのだ。
ふと、初めて人成山を訪れたあの日、同じような質問をされていたことを思い出した。
「今ここに俺が来なかった?」
いつぞやのアニメ映画のような台詞を放った男は、その言葉通り自分を探していた。
自分の思い描く自分。成りたいと思う自分。自分とは違う別の自分……。そんな自分が次々と現れ、各々が”自分”を探し求めていた。
この少女もあの男と同じ呪いなのだろう。
だとしたら、あの日六宮慧乃がしたよう自分の居場所を教えてしまえば、この少女の呪いは解けるのではないだろうか。
「ここに居るじゃないか」
「そういうこと言ってんじゃないのよ」
少女は眉をひそめこちらの返答をばっさりと切り捨てた。しかしこちらも諦めず話を続けた。
「自分はいつだって自分ただ一人だけだろう。外に自分を求めたって出会えやしないんだ」
「だからそんなこときいてんじゃないのよ、バカ」
バカと罵られた。やはり一つずつ順序を踏んで説明しなければならないのだろうか――
「そんなこと言ってはいけませんよ」
背後からの声に振り向くと、少女が一人その場に立っていた。
その少女は、服装も髪型も今まで話していた少女そのままであった。
顔立ちも似てはいたが、こちらの少女はおっとりとした優しい印象の瞳をしていた。
顔を正面に戻すとそこには”少女”が存在していて、確かに二人、同時に存在しているようだった。
「何処行ってたのよ」
「何処かへ行ったのはどちらですか」
正面の少女が怒ると、背後の少女はたしなめて、少女の元へとゆっくり歩み寄った。
そしてこちらに向き直ると、礼儀正しく股の前で手を重ねて頭を下げた。
「ご迷惑をおかけしてしまったようで申し訳ありませんでした」
「いや別に、気にしちゃいないさ」
事実、人成山でそんなことを気にしていたら身が持たない。誰もが皆、自分でもよく分かっていない呪いを抱えているのだから。
「そう言っていただけると嬉しいです――自己紹介が遅れましたね。私、瑞岩知佳子と申します」
隣の少女は「勝手に謝ってんじゃないわよ」と悪態をついていたが、そちらを無視して礼儀正しいほうの少女に挨拶を返した。
双子、なのだろうか。少女の「私を見なかった」という問いもそれで納得いった。要するに、少女は自分と瓜二つな双子の片割れを探していたのではないだろうか。
「で、お前の名前は?」
態度の悪い方に問いかけると、少女は顔をしかめて怒ったように答えた。
「はあ!? 何言ってんの、今自己紹介してやったじゃない。何きいてたのよ」
「口が悪いですよ」
知佳子が目つきの悪い方をたしなめるが、そちらは知佳子の説教など聞く耳持たないと言った風で、視線をそらして「うっさいわね」と言い放った。
さて、少女が言い争いをしている内に考えをまとめておこう。
どうにも先程の”少女”の返答をきく限り、この二人は双子という訳ではないようだ。
となるとどうなるのかと言うと、返答の内容から大方見当はついているのだが、確証を得られたわけでもない。
人成山は何が起こってもおかしくないし、同じような呪いを持った男とも会ったことがある。
真実を確かめるため、未だ言い争いをする二人の少女に向かって、息を吸い込み、声を掛けた。
「知佳子」
「気安く名前で呼ばないで」「はい、何でしょうか」
全く同時に振り向き各々返事をしたのを確認して、ようやく二人の少女について正しい理解をすることが出来た。
目の前の二人の少女は、”瑞岩知佳子”という、紛れもない一人の存在だったのだ。




