短編 無明の花咲く⑤
翌日、朝目覚めると真っ先にベランダの無明花を確認したが、いまだにつぼみは閉じたままで、花は咲いていなかった。
「まだみたいだね」
隣の部屋から慧乃の声がきこえた。
「そのようだな」
「これから登山かい?」
「飯食って準備したらな」
「そうかい。それじゃあ行くときに呼んでおくれ」
「分かったよ」
一通り登山の準備を整えて、慧乃とともに人成山へと向かった。
「今日はどこで待ち伏せだ?」
「今日は君について行こうかと思うよ。途中で中層によってもらえると嬉しいのだけれど」
「ああ、元からよるつもりだよ。ハナの無明花もどんな様子か知りたいからな」
「そう。まさにそれだよ。ハナちゃんの無明花もそろそろだろうからね」
同じ日に育て始めたのだからハナの無明花もつぼみが花開くのを待っているだろう。ハナが自分の思うままに育てた無明花がどんな花を咲かせるのか、それが気になってしょうがなかった。
「ハナちゃんのことだから、きっとかわいい花が咲くと思うんだ。私的には薄桃色が推しなのだけれど」
「そうか? どちらかというと赤とかオレンジとか強い色のような気がするなあ」
ハナの元気な立ち振る舞いを見ていると、強い原色が似合うように思えた。
「行ってみれば分かるさ」
「そうだな」
人成山の登山道を慧乃のペースに合わせて歩き、一時間ほど歩いた後中層地区に辿り着いた。
中層の通りを抜け、ハナの住む家へと向かったが、生憎ハナは不在であった。
「もしかしたら山頂かもな。ハナだって自分の呪いも解かないといけないわけだし」
「そうかな? ほら、これを見てごらんよ」
慧乃が手のひらで指し示す先を見つめると、地面に丸く湿った跡が残っていた。
「無明花の鉢が置いてあった場所か。それでハナが不在って事は、持って出かけたってことか」
「そうだろうね。ちょっと橘花ちゃんの所に行ってみないかい?」
「橘花か。ああ、そうだな。ハナなら無明花が咲いたら、真っ先に種をくれた橘花に見せに行きそうだ」
「それじゃあ案内を頼むよ」
どうも慧乃は橘花とは知り合いだが、橘花の家の場所は知らないらしい。二つ返事で了承し、先日訪れた橘花の家へと向かった。
「あ! お姉ちゃん! お兄ちゃん!」
出迎えたのは橘花ではなく、ハナであった。
いつものように満開の笑顔でこちらに駆け寄ってきた。
「おはようハナちゃん。今日も元気だね。それで、ここに居るって事は、無明花の花が咲いたんだよね」
「はい! 綺麗に咲きました! お姉ちゃんの無明花はどうでしたか?」
問いに顔を見合わせ、そして慧乃が質問に答えた。
「私たちの花はまだ咲いていないんだよ」
「そうなんですか? でも、きっともうすぐ咲きますよね」
「つぼみは付けてるから、近々咲くだろうな」
「えへへ。それはとても楽しみです」
ハナは自分のことのように嬉しそうに微笑んだ。
「で、ハナの無明花は何色だったんだ?」
「そうでした! こっちです!」
ハナは橘花の家の裏を示して歩いて行ったので、慧乃と二人その跡に続いた。
裏手のプランターの置かれた棚の前に橘花が立ちすくんでいて、三人してその隣に立つと、橘花は驚いて後ずさった。
「な、何よあんた――あ! 六宮! 何であんたがここにいんのよ!」
「妹がお世話になったってきいてね」
「橘花ちゃんとお姉ちゃんはお知り合いだったんですね」
ハナがそう言うと、橘花は驚愕の表情を浮かべて更に後ずさった。
「なーー! ハナ、あんたこいつの知り合いだったの!? しかもお姉ちゃんって――」
橘花がきつい目線を慧乃に向けたが、慧乃はあっけらかんとしていていつものように微笑んでいた。
「お前、なんでこんな嫌われてるんだ?」
「いやー、実は私、昔からずっと妹が欲しくてね」
「ああ、何となく分かった。それ以上は説明しなくていい」
つまり、ハナを妹にしたように、以前橘花を妹にしようとしたことがあるのだろう。その結果見事に橘花に嫌われたと、そういうことなんだろう。
「それで、ハナの咲かせた無明花はどれだ?」
何て言って棚を見渡したが、一目瞭然であった。
橘花の産み出した真っ黒な花を咲かせた大量の無明花の中にあって、一輪だけぱっと明るい色をした無明花がその存在を誇示している。
「真っ白――純白だね」
慧乃が棚に近づくと橘花はあからさまに嫌そうな顔をしたが、それでも止めはしなかった。
「白ねえ。そうだな、ハナらしいと言えばハナらしい。で、なんでここに置いてあるんだ?」
「えへへ。綺麗な花が咲いたので、橘花ちゃんにプレゼントしたんです。素敵な種を頂いたお礼にと思って」
そういうことか。いかにもハナらしい。自分の呪いもほったらかしてやけに熱心に無明花を育てていると思ったら、花を橘花に渡したいがためだったのだ。
「で、橘花は赤い花は――きくまでもないか」
「うっさいわね。用が済んだならさっさと帰りなさいよ。特に六宮。あんたは立ち入り禁止だからね」
「あらら、嫌われちゃったねえ。でもハナちゃんの無明花も見れたし、今日のところはおいとましようかな」
「そうだお姉ちゃん! 橘花ちゃんに新しい種を貰ったんです! 今度はお姉ちゃんの為に育てますよ!」
「わあ! それは楽しみだね」
「はい! 楽しみにしていて下さい! これから植えるので、月の終わりにはきっと咲きますよ!」
「これから植えるならつきあってもいいかな? 是非話したいことがあるんだ」
「勿論です! 私も、ちょうどお姉ちゃんに話したいことがあったんです!」
仲良くくっついて橘花の園芸場を後にする二人に続いて帰ろうとすると、橘花の視線がこちらに向いていることに気づいた。
いったい何が言いたいのかさっぱり分からなかったが、何か用があるらしい。用があるなら早く済ませろと視線を返したが、橘花は目を細めてにらみ返してくるだけで何も言い出さなかった。
仕方なくその場を後にして、ハナの家にたどりつく直前で、いまだ仲睦まじくあれこれ話している二人に声をかける。
「悪い、ちょっと用があるんだった。今日はここでお別れだな」
「あら、そうだったのかい? 残念だけれど仕方が無いね」
「そうですね。でも今度、お兄ちゃんともいろいろお話ししたいです」
「そうだな。実はハナに話したいことがあったんだった。ま、山頂に行けば会えるよな」
「はい! お待ちしてます!」
ぺこりと頭を下げるハナの横に立つ慧乃へ軽く目配せすると、慧乃は微笑みでもってそれに答えた。
二人と別れ、適当にその辺をぶらぶらしてから橘花の家へと戻ると、案の定橘花が待ち構えていて、しかもなにやらご立腹の様子だった。
「遅い、って言いたいんだろうな」
「分かってるなら何で早く来なかったのよ」
橘花はそう言い捨てたが、ぷいときびすを返して裏手の園芸場へと向き直ると「ついてきなさい」と小さく口にした。
相変わらず態度は気にくわないが、わざわざここまで引き返したのにこのまま帰るのも馬鹿馬鹿しいので、橘花の後に着いていった。
橘花はハナの育てた白い無明花の置いてある棚の前で立ち止まった。
「白い無明花なんて、初めて見たわ」
「だろうな。生憎黒いのしか見たこと無い」
「何、喧嘩売ってるの」
鋭い視線でにらみつけられた。喧嘩腰なのはそっちじゃないか、なんて返そうものなら後が怖そうだから適当にはぐらかしておいた。
「新しく無明花を育てようかと思う」
今度はしおらしく小さな声でそう言うと、傍らに置いてあった箱から、小さな白い陶器製の鉢を取り出した。
「数打ちゃ当たる作戦か?」
「違うわよ」
ひやかし半分で口にしたのだが、橘花は特段腹を立てた様子も無く、ただ否定すると鉢に肥料と土を入れて、種を植える準備を整えた。
「で、呼び出して何の用だったんだ? まさか無明花の種を植えるところを見てて欲しいなんて言うんじゃ無いだろう?」
「当たり前でしょ」
橘花は棚の上に置いてあった缶から一つ、真黒な丸い種を取り出すと、それを指先で摘まみ凝視した。
神頼み作戦だろうか? なんて考えもしたが、どうもそういうことではないらしい。
「あんたハナちゃん――ハナとは長いつきあいなんでしょう」
振り返った橘花が尋ねる。
「どうだろうな。一応ハナが初めて人成山に来た日に知り合っているから、この山の中じゃあ長い方だとは思うが」
「じゃあさ、ハナの好きな色とか知らない?」
「好きな色?」
尋ね返したが、回答はなかった。
どういうことだろうと考えを巡らせてみたが、橘花が今やらんとしていることを見たら何となくだが理解できた。
「ああ、ハナに無明花を贈りたいわけか」
「何、贈っちゃ悪いっての」
「別に悪いとはいってないだろう」
喧嘩腰の橘花をなだめて、さてなんと答えるべきか考えた。
橘花という因が、伊代田ハナという縁に出会って花開こうとしている。どんな結果を生じるかは与えられた縁と、それを感じ取る因次第。
だとしたら、外野から言えることなんて大したことじゃないだろう。
「お前はどんな色がハナに似合うと思うんだ?」
「それが分からないからきいてるんじゃない」
どうも橘花の機嫌を損ねてしまったようだが、構いやしない。一、二発蹴られてもいいくらいの気持ちで、先を続けた。
「花を贈るのはお前だろう。ハナのことだから黒い花を贈られたって喜んでくれるさ。お前が贈りたい色の花を贈ったらいい」
橘花は更に機嫌を悪くしてむすっとして、低くうなり声なんかあげていたが、少しするとつんと後ろを振り向いて、そっと種を鉢へと植えた。
「そうね。そうするわ」
橘花に因果律の話をしてやろうかとも思ったが、慧乃からききかじった知識を適当にひけらかすのもどんなものかと思いとどまり、代わりに一つ、気になったことを尋ねた。
「にしても、どうしてハナにお返ししようだなんて思ったんだ?」
「どうしてって、決まってるでしょ」
鼻を鳴らし不機嫌そうな顔をこちらに向けると、橘花は精一杯背伸びして視線を高くしてから言い放った。
「あたしが人から受けた恩を返せないような人間に見える?」
「え? 違うのか?」
善因善果悪因悪果。
善い行いが善い結果を招くように、悪い行いは悪い結果を引き寄せる。
それを心に刻まなければならない。
二度と腹部にこのような痛みを覚えることの無いよう、深く、深く刻まなければならない。




