短編 無明の花咲く④
花屋にきくところによると、無明花は順調にいけば二週間程度で花を咲かせるらしい。
つまり、無明花に縁を与えることが出来るのはその間だけと言うことだ。
どんな縁を与えたら良いのか花屋にきいてしまおうという考えが一瞬脳裏をよぎったが、慧乃の言葉を思い返し、それは自分で考えるべきことなのだとぐっと飲み込んだ。
「お姉ちゃんも無明花を育てることにしたんですか? わあ! きっとお姉ちゃんの無明花は素敵な花を咲かせますよ!」
「そうかな。私はそれよりも、ハナちゃんの咲かせる花の方が気になるよ。どんな花が咲くんだろうね」
姉妹の仲の良さは相変わらずで、中層のハナの家の前で二人して鉢をのぞき込んでそんな話をしていた。
「橘花はどんな様子か知ってるか?」
「橘花ちゃんは朝からがんばって種を植えてましたよ。数打てばいつかきっと当たる! って意気込んでました」
「いやいやそれは……。なあ慧乃」
それはないよな、と慧乃に話を振ったが、慧乃はあっけらかんとしていた。
「そういうのもありだと思うよ。橘花ちゃんの呪いだからね。いろいろ試行錯誤しているときに横から野暮な事を言うなんて、私はしたくないなあ」
「それもそうか」
ともなると、今ハナに昨日の話をするのも野暮な話か。
ハナはこうして、花の成長を心待ちにしているのだから、好きにやらせてみた方が良いだろう。
――だとしても、自分の呪いを放り投げて無明花の成長を見守ることを選択するのは本末転倒なような気がするが、そこもハナ次第なんだろうから余計なことは言わない方が良いのだろう。
そんな風にして、橘花の呪いとの縁で無明花を育てる生活が始まった。
自分の呪いのこともあるので一日中張り付いて世話をすることは出来なかったが、慧乃と分担して日々の世話をこなしていった。
日差しが強くなりそうな日は昼頃に慧乃にすだれを掛けてもらい、夕方登山から帰ってくるとそのすだれをのけて、日当たりの良い場所に鉢を移動させてやる。
雲行きの怪しい日は雨の当たらぬように鉢を移動して、いよいよ雨が降ると部屋に入れる。ちょうど人成山から帰ってきたときに雨が降りはじめたので、慧乃の鉢を合わせて自室に取り込み、翌朝、天気が良いことを確認すると外に出した。
風の強い日は直接風が当たらぬように段ボールで壁を造り、葉に元気の無いときは水に少し栄養剤を加えて与えた。
十日と少し経つと、いよいよ無明花がつぼみを付けて花を咲かそうという気配が見えてきた。
「やあ、今日は日中世話をさせてしまって悪かったね」
「なんてことないさ。いつも世話になってるから、お互い様さ」
夕方、斜陽の照らすベランダで、慧乃と無明花のつぼみを見つめていた。
「そう言ってくれるとありがたいよ。それにしても、いよいよ花が咲きそうだね」
「だな。しかしどうだろう。よくよく考えてみると、やってきたことは普通の園芸の範囲内で、特にこれとして変わったことはしなかったな」
「どうだろうね。君はどんな特別なことをしたかったんだい?」
「どんなって……」
どんなだろうか? 考えるが、それが思い浮かばなかったからこそ、普通の世話しかやってこなかったのではないだろうか。それでも出来ることはやってきたつもりではあった。
「そういうことだろうね」
「ああ。そうみたいだ」
慧乃の問いかけに頷いたが、それでも未練が残り、何か出来ることを考える。
そしてふと、種を植えた日に思い浮かんだ事が再び脳裏に浮かんだ。
「――因果律ってのは、すべてのものに対する法則なんだろう?」
「そうだね。原因があるから結果が生じるというのは、すべての事柄にたいして等しく言えるだろうね」
「だとしたら、人間も、因と縁によってできあがる訳か」
慧乃はその言葉に少しの間沈黙したが、それでもゆっくりと頷いて、言葉を紡いだ。
「――そうだね。人間という因に、縁という働きかけがあって、結果が生じる。良い結果もあれば、悪い結果もある。すべては縁と、それを受け止める因のあり方次第だよ」
「そうか」
頷いて返して、思考を巡らせる。
人間も因果律によって結果を生じる。この無明花が人成山にしか咲かないというのも何かの縁なのだろう。その縁をどう受け止めるのかは自分次第。それを受け止めてどういう結果を生じるのかも自分次第。
「縁ってのは不思議なもんだな。求めても得られないけれど、気がつくと近くにあったりする」
「縁が縁たる由縁だろうね。でもね、その縁に気づくことが出来るかどうかも、君次第なんだよ」
「自分次第か。じゃあこうしてとびっきりの縁に気づくことが出来たのは素直に喜ばしいことなのかもしれないな」
「へえ。それはどんな縁だい? もし良ければ是非教えて欲しいよ」
微笑みかけた慧乃に対して肩をすくめ、どうしたものかと思ったが、ここまで言ったのだからこの機会に全部言ってしまおうと意を決して口を開いた。
「お前のことだよ」
「……私? 私かい?」
「他に誰が居るんだ」
重ねてそう返すと、慧乃は口元に手を当てて声に出して笑った。
「何がおかしい」
「ううん。君の言葉は素直にありがたかったよ。でもね、それと同じ事を私も思っていた物だから、可笑しくなってしまってね」
「どういうことだ?」
慧乃の言葉の意味するところがいまいち理解できず尋ね返す。
慧乃は微かに笑ってから、こちらに向きなおって答えた。
「私にとっては、君こそがとびきりの縁だってことだよ」
慧乃の態度はまじめそうだが、それでもその言葉は得心いかなかった。
「お前が言うほど、何かお前にしてきたとは思えない」
「そんなことないよ。君が思っている以上に、君が居なかったら見えなかった物、気づかなかった物がいっぱいあったんだよ」
「それはこっちも同じさ。人成山に初めて来た日にお前と出会えていなかったのなら、特に何も考えることなく十月十日、ただただ山に登り続けていたと思うよ」
「そうかな? 君は一人でも気づくことができたと思うよ」
「お前こそ。ずっと前から気づいてたんだろう」
それからしばらく二人黙って、無明花のつぼみを眺めていた。
沈黙を破ったのは慧乃であった。
「お互い様だね」
「どうだろうな」
「そうに違いないよ。一会一期さ。人との出会いは素晴らしい巡り合わせだよ」
「一期一会じゃないのか?」
揚げ足をとったつもりだが、慧乃は微笑んで「さてどっちが先かな」なんて独りごちた。
「良い機会だからちょっと話をしよう」
「散々話してたじゃないか」
そう返したが慧乃の話をまだきいていたいという気持ちはあった。何より慧乃はこちらの意思とは関係なしに話をする気のようで、無明花を手元へとたぐり寄せた。
「無明という言葉を知っているかい?」
「明るくないって事じゃ無いのか?」
尋ね返すとそれを慧乃は話を続けて良いと受け取ってくれたらしく、ご満悦な様子で続きを口にする。
「そうだね。確かにその通りなのだけれど、この明るさというのが、物理的な、光がたくさんある状態ではないってことなのさ」
相づちをうって先を促す。
「この場合の明るさというのは、智慧をさすんだよ。だから無明というのは、智慧が足りていないと言うことになるだろうね」
「ああ。物事に明るいとか言って、知識の量を表したりするな」
納得してそう返すと、慧乃は大きく頷いた。
「そこまで分かっているなら話は早いよ。「無明は因」と花屋さんが言っていたことを覚えているかい」
「そういえば言っていたな」
返したが、慧乃は続きを話さない。
要するにちょっと自分で考えてみろということなのだろう。確かにきくだけというのも何だか退屈ではあった。
『無明』が知恵の足りていない状態だとして、『無明は因』という言葉は何を意味するのか……。
因というのは原因のことだろう。原因があって結果が生じるというのが『因果律』という法則だとしたら、『無明』があるから結果が生じる――つまり、知恵が足りないから結果が生じるという事になるのだろう。
ではその、知恵が足りないから生じる結果とは何だろうか。知らないから生まれること。分からないから生まれること……。
「どうだろう。なにか気づいたかい?」
「分からないと言うことが分かった」
「それは素晴らしい真理だね。まさかそこに気づくとは」
「驚いてないで答えを教えてくれよ。さっぱり分からなかったんだ」
お手上げ、のジェスチャーをすると慧乃は首をかしげた。
「君のさっぱり分からないほどあてにならないものはないよ。いつだって君は気づいているのに分からない振りをするんだ。全く、酷い話だよ」
「分かっていても気づけなかったらないのと一緒だ」
「それはそうかもしれない」
慧乃は苦笑したが、こちらは笑えない。慧乃の示したいこと。『無明は因』だとして、そこから生じる何かはさっぱり分かっていなかった。
「『無明は因』というのはね、つまり『無明』を原因として何か結果が生じると言うことさ。智慧がない、足りないことを因として結果を生じる」
「そこまでは分かったよ」
「ほら、やっぱり分かっていたじゃない」
「その先が分からないんだ」
慧乃の言葉に間髪入れずに返した。
「先かい? つまり、『無明』を因として、その結果生じる物が何かって事かい?」
「分かってるじゃないか」
全くこいつときたら、こちらが分かっていないことをすっかりお見通しのくせに、さっきはとぼけて分かっていない振りをして、全く酷い話だ。
「智慧の不足から生まれる物――もっと平たく言ってしまえば、知らないや分からないを因として生じる事って何だろう? ちょっと考えてごらんよ」
それは既に考えたのだが、考えろというよりはもう見つけているのだから気付けと言いたいのだろう。知らない・分からないから生まれる事の正体を見つけろというのだ。
しかしそんな問題に、「さあ気付け」と言われただけで気づくことが出来るのならば、元々悩んだりしないのだ。
そうして少しばかり悩んでいると、根を上げた慧乃が口を開いた。
「知らなかったらどうするんだい」
「――知ろうとする」
全く答えが浮かんでこなかったので適当に答えたが、ひとまず慧乃はそれで納得したようで頷いて返した。
「他には?」
「他と言われても」
「そうだねえ。知らなかったら知ろうとするだろう。調べたり、見たり聞いたり、考えたりする。知らなかったら間違えることもあるだろう。悩んだり迷ったり苦しんだり」
指を折ってあれこれ案を出しては数えていく様子を見ていると、次第にあれもこれもと自分の中にも新しい考えが沸いてきた。
そうしてようやく、慧乃の本当に伝えたかったであろう事柄に辿り着いた。
「『無明』はいろいろな結果を生じると言いたいわけだ」
「気づいてくれたようで嬉しいよ。その通り、『無明』というのは全ての事柄の『因』とたり得るんだよ。知らないことが新しい出来事を呼び起こす。それこそ、善いこともあれば悪いこともあるだろう」
「何もかも縁次第か。――で、それでも分からないのは何故そんな話を突然始めたかについてだが」
「良い機会だと思ったからね。これも何かの縁だよきっと。私が『無明』を通して君に何を伝えたかったか、分かってくれたかい?」
「さて何だろう」
思考を巡らせてみると、さてどういうことだろうか。こんな話をわざわざする理由とは。『無明』が全ての事柄の『因』であると伝えて、慧乃は何に気づいて欲しかったのか……。
「要するに、お前は知恵が足らんと言いたいのか」
「そうだね、その通り」
間髪入れずに肯定されあっけにとられた。
「それ、馬鹿にしているのか」
「え? そんなことないよ」
今度は慧乃があっけにとられ首をかしげる。
「何でも知っている人間が居ると思うかい?」
「居ないだろうな」
「そうだろう。人間の知ることの出来る範囲なんてちっぽけなものさ。知識さえ全てを得ることは出来ないのに、全ての智慧を得ようなんてのは無理な話なのさ。だから――って、これ以上は言わなくても分かってくれそうだね」
「何となく分かったけど、折角ここまで話したんだ。最後まで話してくれたって構いやしないぞ」
慧乃は「そうだね」と頷いて、優しく諭すように話し始めた。
「人は誰だって『無明』なのさ。私も君もね。だから、全ての『因』になれる。周りからの働きかけと、それに気づこうとする意思によって、どんな『果』も得ることが出来る。育て方次第で、どんな色の花をも咲かせる無明花のようにね」
黙って話をきいて、じっと無明花に視線を向けると、つぼみがふっと風に揺れた。慧乃が「そうだろう」なんて尋ねてきたのを適当に肯定して、少し考えてから口を開いた。
「しかしここ数日の間に同じような言葉を何度か聞いた気がするな」
「そうだねえ。ずっと言ってきたことは結局は全部同じ事なんだよね」
「要するに何でもかんでももれなく『因果律』に従ってるってことなんだろう」
その言葉で慧乃は口元に笑みを浮かべ、暖かい視線を無明花のつぼみへと向けると、自分に言い聞かせるようにゆっくりと言葉を紡いだ。
「そうなのだけどね。それを実際に自分の物として理解するのはとても難しいことなんだよ」
「そんなもんかねえ」
原因があって結果がある。ただそれだけの、平凡で当たり前なことなのに何が難しいのか――考えるまでもない。この無明花に出会って、そして慧乃という存在があって初めて、自分はそのことに気づくことが出来たのだ。平凡で当たり前なことだから、理解するのは難しいのだろう。
一人納得してため息を吐いて慧乃の顔を見やると、慧乃は目を伏せてどこか物悲しげな顔をしていた。
何か声を掛けた方がいいかと思ったが、慧乃は伸ばした指の先で優しく無明花の葉に触れると、呟くようにそっと言葉を紡いでいった。
「知らないから知ろうとする。でも、知ってしまったらもう知らなかった自分には戻れない。知ってしまったばっかりに、知ってしまったことをどう扱えば良いのか分からない苦しみに囚われてしまう――」
慧乃の声は細く、いつになく表情は暗かった。
「悩んでるのか?」
「――ごめんね。今のは愚痴だよ。忘れておくれ」
慧乃は無理矢理に笑顔を作って強がったが、悩んでいるのは一目瞭然であった。
言葉通り、知ってしまったら知らなかった自分には戻れない。慧乃の悩みを知ってしまった以上、忘れることなんて出来やしなかった。お節介だとは分かっていても、何も言わないわけにはいかないと感じた。
「知ってしまったことをどうしたらいいか分からないなんて、それこそ無明じゃないか。無明は全ての因なんだろう。だったら、その因から善い結果が生じるようにすればいいじゃないか」
慧乃は小さくゆっくりと、それでも確かに頷いた。
「その通りだけど、なかなかうまくはいかないものさ」
「だとしても、答えを出せるのはお前の他に居ないじゃないか」
「そうなんだよね」
慧乃は少しの間俯いていたが、やがて顔を上げるとそこにはいつもの優しい笑顔があった。
「やっぱり、君は私にとってとても素晴らしい縁だよ」
「こっちの台詞だ」
「そうかい? ならお互い様ってことにしようかな」
「ああ、それで構わないさ。ま、たいした役にはたたないだろうが、愚痴くらいいくらでもきいてやれるさ」
「それは嬉しい限りだね。それじゃあまた今度、付き合ってもらおうかな」
珍しくしおらしい慧乃はそう微笑みかけて、細めた目でじっと無明花のつぼみを見つめた。
「さて、どんな色の花が咲くだろうね」
「さあ、どんな色の花が咲くと思うんだ?」
問うと、慧乃は口元を押さえて小さく笑って、問いに対する答え――ではなく、新しい問いを口にした。
「君はどんな色の花が咲いて欲しいんだい?」




