短編 無明の花咲く③
慧乃の部屋の前でひとときの別れを告げると、部屋に荷物を置いて、机の引き出しの中から金を取り出す。生憎蘊の持ち合わせがなかったので、五〇〇円玉を一つだけつかんで部屋を出ると、慧乃の部屋の扉を叩いた。
「慧乃、入るぞ」
声を掛けたものの返事がない。入って良いのかどうかと悩んでいると、階下から声が掛けられた。
「どうぞ、中で待ってておくれ」
慧乃は土の入ったバケツを抱えて、金属製の階段を上がってきた。重そうな様子なので階段の半ばまで行きそのバケツを受け取り、一緒に慧乃の部屋へと入った。
「悪いね。少しだけ分けてもらおうと思っていたのだけれど、バケツ一杯に入れてもらってしまってね」
「土を分けてもらってたのか。相変わらず顔が広いな」
「ご近所さんだからね。君のことも紹介したいから今度土を分けてもらったお礼を言うとき一緒にいかないかい?」
「そのときは呼んでくれ。手土産くらい用意するさ」
慧乃にバケツを何処に置くか尋ねると、ベランダの戸を開けたので、示されるがまま外に置いた。
「んでこれ、さっきの肥料代」
「ありゃ、どうしたんだい」
差し出した五〇〇円玉を慧乃は不思議そうな目で見つめる。
「蘊が良かったか?」
「そうではなくて、肥料は私も使うのだから、半分で良いのに」
「残念だがこれ以上細かいのはない」
有無を言わさずに突き出すと、慧乃はそれを受け取った。剛を張って受け取らないかとも思ったが、しかし受け取ったからにはこいつなりの考えがあるのだろう。
「それじゃあこれはありがたく受け取らせてもらうよ。それで、君の鉢と種はどうしたんだい?」
「置いてきたが……今植えるのか?」
「折角だから植えてしまおう。ベランダで待ってるよ」
「分かったよ」
日が沈んでからやることでもないような気がしたが、やりたいというのだから付き合おう。自分でも、少しばかり無明花がどんな花を咲かせるのか――もちろん自分のではなく慧乃の育てたもののだが――気になっていた。
こいつなら本当に、黒以外の花を咲かせられるのではないだろうか。
慧乃の部屋を後にして、自室に戻り鍋と種を手にすると、そのままベランダに出る。
ベランダは二階全部で共通になっているので、隣の慧乃の部屋とも繋がっていた。
慧乃はランタンに火を灯して準備を整えていた。
「それでは始めようか」
「ああ。別に、特別なことをするわけでもないだろう」
「そうだね。ただ種を植えるだけさ。でも、それだけだと無明花が黒い花を咲かせることは、君もなんとなく分かっているのだろう?」
やはり、慧乃は既に何かをつかんでいたらしい。ただ、きっとそれを尋ねたところで教えてはくれないのだろう。それが人成山のルールというか、慧乃のやり方だ。
それでも行き詰まっていれば声を掛けてくれるし、行動によって先を示してくれる。六宮慧乃という人間はとかくそういう奴なのだ。
「無明花ワインがなんだとか、花屋が言ってたな。何のことかさっぱり分からないが」
「ああ、因のことかい」
「イン?」
首をかしげ復唱したが慧乃はそれには答えてくれなかった。
「まずは肥料を敷くのだったね」
「ああ、橘花がそう言ってたよ」
慧乃がはさみで肥料の口を切り、少量ずつ鍋と、慧乃が用意した可愛らしいパステルカラーの鉢植えに敷いた。
「橘花ちゃんとは何処で知り合ったのかな?」
「『尾根』から出るときに、よそ見しててぶつかった」
「ありゃ、それは橘花ちゃん怒っただろうねえ」
「ああ、凄い怒られた」
「でも、橘花ちゃんは口ではいろいろ言うけれど、本当は真っ直ぐで純粋な心を持ってる優しい子なんだよ。嫌わないであげてくれると嬉しいよ」
「嫌ってたらこうして無明花を育ててみようだなんて思わないさ」
「それもそうだね」
慧乃は笑って、今度はシャベルでもらってきた土を鍋に移し始めた。これでは自分のやることがなくなってしまうので、自分の分は自分でやるとシャベルを受け取り、鍋の八分目まで土を入れる。
シャベルを渡すと、慧乃も鉢植えに土を移した。
「後は種を植えるだけだな」
「そうだね」
土の真ん中に少し穴を開けて、その中にそっと真黒な種を落として上に優しく土をかける。
すると慧乃が霧吹きを差し出すので、それを使って土に水を与えた。一応これで、準備は整ったわけだ。
「さて、さっきの話の続きだけれど、君は『因果律』という言葉を知っているかい?」
「因果律? なんだか中二心をくすぐりそうな響きだな」
「ちゅうに?」
「いや、こっちの話だ。それで、どういう意味なんだ?」
わざわざそんなワードを出してくると言うことは無明花と何か関係のある言葉なのだろう。尋ねると、慧乃はゆっくりと言葉を紡いだ。
「すべての事柄・事象は、例外なく原因があって結果が生じる。原因がなくしては何も生まれないという法則のことを『因果律』と呼ぶのだけれど、どうだい? 言われてみるとそんな気がしないかい?」
「原因があって結果が生じる、か。確かに言われてみればそうだろうなって感じはするよ」
「そう感じてくれたなら話は早いよ。無明は因と言ったね。つまり、今植えた種は原因そのものだと言うことさ」
「種が原因? ああ、そうか。結果が花と言うことか」
「大雑把に言ってしまうとそうなるね。でもね、因だけでは結果は生じないんだ。何が必要か、分かるかい?」
慧乃の問いに思考を巡らせる。
種は因。因果律に寄れば、因があるから結果が生じる訳だ。
だが因だけでは結果は生じないという。それは何故か?
深く考えるまでもなかった。種が因で、花が結果ならば、足りない物は明白だ。
「種が花を咲かせるには、肥料に土に水が必要って事だろう? ああ、あと光もだな」
「そう。つまり、因だけでは結果は生じないと言うことさ。因というのは種だからね。周りからそこに働きかける何かが必要なんだ。それは土であったり養分であったり光であったりするわけだけど、因に対するこの外からの働きかけが、縁というわけさ」
「お前が好きな言葉だな」
「あれ、気づいていたのかい? 実は結構好きな言葉なんだ。それじゃあ重ねて尋ねるけれど、君は『因縁』という言葉を知っているかい?」
「不良がなすりつけるやつか」
慧乃はその解答に小さく笑って答えた。
「そういう使われ方もするけれどね。でも『因縁』の本当の意味は、さっき言った『因果律』とそう変わらないんだ。そうあるべき『因』と、それに働きかける『縁』によって、結果を生じる。ただそれだけのことなんだ」
「因と縁、ねえ」
一つずつ説明されていくと何となく意味はつかめてきた。すべての事柄は因を原因として生じる。そしてその因は、周りから働きかける縁によって芽を出して、結果を生じる。
無明花に置き換えると、種は因であり、この種を育てようとする行為が縁であり、花が咲くことが結果ということになるだろう。
しかし、言葉では意味をとらえられても、幾つか納得いかないこともあった。
「にしても、今日はどうも直接的にいろいろと話すじゃないか。いつもは回りくどい雲をつかむような話しかしないのに」
「そうかなあ。そんなことないと思うけれど」
「そうか? なんだか今日は妙に核心に触れているように思うんだが」
「たまにはこういうのも悪くはないだろう。君には肥料の恩があるからね」
あっさりとお金を受け取ったと思ったら、そういうことだったのか。肥料代の半額、二五〇円にかこつけて、こうして無明花について説明しているわけだ。
「たまには悪くないが、お前がそんなんだと自分が駄目になっちまいそうで怖いよ。考えることをやめたら、人成山に食い殺されそうだ」
「それはあるかも知れないねえ。それじゃあ、こういうのは今日だけにしておくよ」
慧乃が鉢植えをベランダの端に寄せたので、それに習って鍋を移動させる。こっちの方が日当たりが良いのだろう。芽が育って花を咲かせるには、日光がどうしても必要だ。それも一つの縁なのだろう。
「でもここまで話したんだ。最後まで説明させてもらおうかな」
「そうだな。折角だから最後まで付き合うよ」
了承を返すと慧乃はどこか嬉しそうであった。話すのが好きなこいつのことだから、たまにはこうして何もかも話してしまいたい時もあるのだろう。
「種が因で、土や肥料が縁だとしたら、これできっと花――つまり結果は得られるだろうね。でも、それだけだと何か足りないと思わないかい?」
「足りない……そうか? いや、ちょっと待て、少しくらい考える時間をくれよ」
慧乃が口を開こうとしたので、手のひらを突き出して制止する。何もかも慧乃に教えてもらっていたら、本当に何も考えられなくなってしまいそうだ。
無明花の種という因に、それが育つように縁を与えた。これで無明花という結果が得られる。だが、それだけでは足りない……。
「――花の色が変わる縁を、まだ与えてない?」
「よく分かったね」
慧乃は回答を認めたが、花の色を変えてしまう縁とは一体どういう物なのだろうか。
橘花は赤い花を咲かせようとして食紅の入った赤い水を与えていたが、それは無論、赤い花を咲かせる縁としては認められていなかった。
花屋はオレンジ色の花が咲いた無明花の種だと言って、黒い花を咲かせた種を橘花に渡していた。そしてそれはオレンジ色の花を咲かせることの出来る種だったと言った。
因は紛れもなくここにある。
黒い花を咲かせた無明花の種にも、別の色を咲かせる可能性がある。
だが別の色の花を咲かせるためには、そのための縁を与えなければならない。
「どんな縁を与えればいいんだろうか」
「そればっかりは君が考えることじゃないかな」
最後の最後で、慧乃は答えを教えてくれないらしい。
だがその態度こそ、いつもの慧乃らしい態度であったため、どこか安心する気持ちもあった。
「でもね、一つだけ確かなことは、『善因善果・悪因悪果』ということさ。花の色に善や悪があるとは思えないけれどね、良い原因が重なれば良い結果が得られるように、悪い原因が重なれば悪い結果を生じてしまうんだよ。もともと良い物も、悪い物も存在しないんだ。この無明花の花が、黒い種から様々な色の花を咲かせるように、与えられた縁によって、どんな姿にも変わってしまう」
「結果を変えるのは、因じゃなくて縁って事か……」
「うん。そこまで分かったのならば、もう私から言うことはないだろうね」
「どうだろうな。精々良い縁とやらを与えられるようにしてみるさ」
「その意気だよ」
別に何か変わるわけでもないのにもかかわらず、じっと種を植えた鍋を見つめていたが、しばらくして慧乃がすっと立ち上がり別れを告げて部屋へ戻ると、それに習って自室へと戻った。
因に働きかける縁によって結果が生じる。
それが法則であるのなら、何も無明花に限った話ではないのだ。
自分自身も、何かの因を抱えてこうして生きている。周りからの縁によって、良い結果も悪い結果も生じてしまう。
今の自分は、良い縁を与えてもらっているのだろうか? 今の自分は、良い縁を与えているのだろうか?
そんな疑問こそが、慧乃がこの無明花を通して教えたかった本当の事柄なのではないのかと、南の空に浮かぶ星の灯りをぼんやりと眺めながら思った。




