短編 無明の花咲く①
ある天気の良い初夏の日のことであった。
午前中に山頂まで登り、中層で喫茶『尾根』に立ち寄ってマスターをからかいがてら昼飯代わりの軽食を食べ、そのまま下山しようと店を出た。
去り際にマスターに挨拶をしていたせいで前方への注意がおろそかになっていた――というよりかは、そもそも前を見ていなかった。扉を開けて外へ出ようというのに、顔は店内へ向いていたのだ。
そんなわけだから外を歩いていた人物に気づくことも出来ず見事にぶつかってしまった。
「ああっ! なんてことすんの! 何処見て歩いてんのよ!」
軽くぶつかっただけであったが、相手の少女は凄い剣幕で怒鳴り散らした。
「悪い、前見てなかった」
自分の不注意を謝ったが、少女はすでにこちらにはなんの興味も示しておらず、地面に這いつくばって何かを丹念に探していた。
「なんか落としたか?」
「誰のせいだと思ってんのよ。あんたも探しなさい」
言われるがままゆっくりと腰を落とし、地面に何か落ちていないか眼をこらす。
しかし初対面だというのになんて人使いの荒い女だろうか。ぶつかったのは自分なので文句を言うわけにもいかないが、いかんせんこの態度には少しばかりいらっとくるものがあった。
それでも煉瓦の敷かれた道路を這って回り落とし物を探していたが、このままでは余りに不毛なので少女に一つ尋ねることにした。
「何を落としたんだ」
「種」
当たり前でしょう。といわんばかりにそれだけ短く返された。
むっとして少女をにらみつけたが、少女はもちろんこっちのことなんか一切眼中になく、地面をじっとにらみつけていた。
目をこらしているせいか、いかにも性格の悪そうなきつい顔つきに見えた。高校生くらいだろうか。慧乃と年は近そうではあるが、与える印象は正反対であった。
よそ見しているのがばれたらまた怒鳴られそうだと地面に視線を落とすと、すっとその場に転がっている黒い球体へと意識が向いた。
指先で拾ってみると、其の物体は固く、しかし石ではなさそうだった。
光沢のない黒色は、それ故に向けた視線を吸い込んでいくようであった。
「種ってどんなだ」
「黒くて丸いの。無明花の種よ」
「無明花? 知らん花だが、これは違うか?」
指先でつまんだ黒い物体を少女の目の前に突き出すと、それに目をやった少女はしかめていた瞳を見開いた。
「これよ! ありがと――じゃないわね。元はといえばあんたのせいで落としたんですもの」
ふいっと視線をそらしそう吐き捨てた少女は膝の土を払って立ち上がった。
「へいへい、何はともあれ見つかって良かったよ」
それに習って立ち上がり種を差し出すと、少女は指先からひったくるように種をかすめ取り、そそくさと小さな紙の袋へとしまい込んで、そのまま鞄へと放り込んだ。
「良くないわよ。あんたが触ったせいで、花の色が変わったらどうしてくれるのよ」
「はあ? 何言ってんだお前。そんなことで花の色が変わるわけないだろう」
言い返したが、その言葉は少女の怒りを買ってしまったらしい。目の前の小柄な少女は、目に見えて機嫌が悪くなった。
「何にも知らないのね。人成山にいるくせに無明花を知らないなんて、とんだ世間知らずだわ。ああ、そうだったわ。あなた目がちゃんとついてないのね。だから前も見れないし、何も知りやしないんだわ」
散々な言われようであったが、清々しいほどの悪態に不思議と腹は立たなかった。
「で、無明花って何なんだ?」
尋ねると、少女の顔から怒りは消え、そして大きくため息をはいた。あきれましたというアピールなんだろう。
「――無明花は人成山だけに咲く特別な花よ。育て方によって花の色が変わるのが最大の特徴ね。良かったわね、心優しい私のお陰で一つ賢くなれたじゃない」
言い終わると少女はきびすを返し立ち去ろうとした。思わず手を伸ばし少女の手首をつかむと、それはもう凄い形相できっとにらまれた。
「何よっ! 離しなさいよ変態!」
「変態とは失礼な。まだ話は終わってないだろう」
「終わったわよ! これ以上あんたに話すことなんか何もないわ!」
「そう怒るなって。何でそんな良く分からん種を大切にしてるのか教えてくれたっていいじゃないか」
少女は手をふりほどいたがその場を離れず、手をウェットティッシュで拭いてから口を開いた。
「無明花の花を咲かせるのが私の呪いなのよ」
「へえ、花を咲かせる、ねえ……。なかなか育たないのか?」
「別に、そういうわけじゃない。ちょっとコツを覚えれば育てるのは簡単よ」
「それじゃあ種が貴重なのか?」
「そうじゃない。花の色に指定があるのよ」
少女は段々怒りを募らせながらも律儀に質問に答えてくれた。あながち悪いやつではないのかもしれない。人付き合いが苦手――というだけで済ませて良いレベルなのかどうかは置いておいて、あまり人と接し慣れてはいないことだけは確かそうだ。
「そういえば色が変わるって怒ってたな」
「別に怒ってない」
「そこを否定するのは無理があるだろうよ」
少女はこちらにきこえるように舌打ちすると、小声で「うるさいわね」とつぶやいた。
「で、何色なんだ」
「赤よ。赤」
「へえ、怒りっぽいお前にはぴったり――」
つま先を踏みつけられ言葉に詰まったが無理矢理に笑顔を作って次の一言を口にした。
「良かったら育ててるところを見せてくれないか?」
「はあ? あんた一体何様のつもりよ」
「こうして縁あって出会った仲じゃないか」
「何が縁よ。あんたが勝手にぶつかってきたんでしょ!」
少女はぷいっときびすを返して足早にその場を立ち去っていった。後をついて回るとストーカー扱いされてしまいそうだし、その無明花とかいう人成山だけに咲く花に未だ興味はあったのだが、今日の所は素直に諦めよう。
「なにもたもたしてんのよ! 着いてくるならさっさとしなさいよ!」
遠くで少女がこちらをにらんで叫んでいる。あーまったくもう分かりづらい女だ。
小走りで少女の背中を追いかけ、しばらくその後ろを着いて中層を歩いた。
ものの五分くらいだろうか。町の中心地から離れた場所にある小さな小屋へと到着すると、少女はここで待っていろと厳しい目つきで命じて小屋の中に入っていった。
待っていろと言われたからには動くとまたうるさそうだとじっとその場で待っていると、幾分か後にジャージに着替えた少女が小屋の中から現れた。手にはシャベルと肥料の袋が入ったバケツを持っている。
「こっち」
少女はこちらの返事など待たず小屋の裏手へと大股で進んでいく。そんな少女の背中に、意を決して声を掛けた。
「なあ、ところでお前の名前をきいてなかったんだが」
「きいてどうすんのよ」
「呼ぶとき困るじゃないか」
少女は小さく悪態をついたが、なんとかききとれるくらいの声で「橘花」と名乗った。そしてその後に「あんたの名前は知りたくないから言わなくて良い」と付け足した。
「ここよ」
「ほう――って、なんだこりゃ」
階段状に造られた木の棚の上にはたくさんの真っ赤なプランターが並んでいて、そのプランターの中ではたくさんの花がぱっと花開いていた。
小さくか細い、指先で触れたらぱっと散ってしまいそうなもろげな花である。
――そのすべてが、真っ黒であった。
「黒くないか?」
「黒いわね」
「お前の性格が悪いから――」
後ろ蹴りですねを蹴り飛ばされ息が詰まったが、なんとか平静を装って言葉を続ける。
「じゃあ何が原因なんだ?」
「さあ、知らないけど、無明花はその名前の通り、基本的には黒い花が咲くのよ。今日花屋に頼み込んでオレンジ色の花を付けた無明花の種をもらってきたのよ――だけど……」
「だけど?」
先を促すとさぞかしご立腹な様子の橘花は、細めた目でこちらをにらみつけて皮肉を述べた。
「あんたが触ったからきっと黒い花が咲くわ」
「そりゃあ悪いことをしたな」
わざわざ反論するよりも、橘花の気の済むまで言わせてやったほうがすんなり話が進むとこの短期間に学んでいたので、それ以上付け加えずに話を別にやった。
「黒以外が咲いたことはあるのか?」
「ないわよ。あったら苦労しないわ」
「でも花屋はオレンジの花を咲かせたんだろう?」
「そうみたいだけど……」
橘花は言葉を詰まらせた。
どうやって育てたかきけばいいじゃないか、なんて言おうかとも思ったが、この様子ではそのあたりはもう試したのだろう。それでも育て方は分からなかった。その花屋とやらにとっても無明花の花の色はコントロールできないと言うことなんだろう。
「そういえばあんたの呪いはなんなのよ」
「唐突だな」
「答えろ」
有無を言わさぬ剣幕だったので、はぐらかさずに素直に教えてやった。
「十月十日の間、山に登り続ける呪いだ」
「十月十日ねえ……生まれてくるところから人生やり直せってことね。まああんたみたいのじゃやり直したところでたかが知れているだろうけど」
「それ言うためにわざわざききだしたのか?」
橘花は「別に」と口にしてそっぽを向いたかと思うと、小さな鉢に肥料を敷き、積んであった袋からシャベルで土を掘り出して鉢に放り込んだ。
指の先でその土に一つ穴を開けると、ポケットから取り出した小さな紙袋の中から出てきた黒い種をそこへとはめ込んだ。そして指先で土をかぶせて、霧吹きで二度程赤い水を拭きかけると、木の棚の傍らへと鉢を置いた。
「大雑把だな」
「ちゃんと肥料敷いたじゃない。あ、栄養剤忘れてた」
バケツの底に入っていた小さなプラスチック容器を取り出すと、今置いた鉢植えに一滴、その中身をたらす。
そして二つ手を叩いてから手を合わせて頭を下げた。
「赤い花が咲きますように」
「神頼みかよ」
「頼んじゃ悪いっての」
「悪いとは言ってない」
しかし神頼みで呪いが解けるなら、その神様は呪いなんかかけなかっただろうよ。
「で、あんたに頼みがあるんだけど」
「頼まれても赤い花は咲かせられないぞ」
「そんなこと分かってるわよ。あんた、十月十日の間山に登り続けるのよね」
「ああ、そうだが」
「明日も登るのよね」
「そうなるな」
「あたしもついていくから明日登るときここに来なさい」
「何故そうなるんだ」
「あたしもついていくから明日登るときここに来なさい」
「分かったよ」
言い出したらきかなそうだと橘花の頼みを了承する。頼みというか命令だが、何にしろ自分から乗りだした船だ。最後までつきあうことにしよう。
「ちゃんと山登りできる格好で来るんだぞ。あと水は絶対持って来いよ」
「子供扱いすんな! 登山に水持って行かない奴なんて居るわけないじゃない!」
ああ全くだ。一体何処の世界に水を持たずに一〇〇〇メートル級の山に登る奴が居るというのだろうか。そんな奴がもし本当に実在するのなら、そいつは生まれてくるところから人生やり直した方が良いのではないだろうか。まあそんな奴はやり直したところでたかが知れているだろうけど。
とにかく橘花とそんな約束をして、用が済んだらさっさと帰れと怒鳴られたのでその日は下山して一日を終えた。




