一月目 其の四 自分はどこへ向かっているのでしょう③
二日目の登山もようやく佳境にさしかかり、遠くに石造りの鳥居が見えてきた。
目をこらすと、鳥居の元に一人誰かが立っている。
近づくにつれてその人物の姿がよく見えるようになり、手に薙刀のような物体を持っていることが確認できるとようやくそいつが六宮慧乃だと理解した。
更に近づくと、足音に気づいて慧乃が振り返る。
「ここを通りたければ、この私を倒してからにすることね!」
振り返りざま、親の敵をとろうと待ち構えていた娘さんよろしく、キッと厳しい目つきをして声を張り上げた。
「発声練習お疲れさん」
「あら、君だったの。そちらこそ登山お疲れ様」
声をかけると慧乃は屈託のない笑みを浮かべて返した。
「通って良いか?」
「もちろん。さあどうぞ」
道を開けられたので足を踏み出す。
鳥居を越えたところでぴこーんと間抜けな音が響いて、目の前の空間に『二日目』の文字が表示される。
無事に一日分、カウントが進んだわけだ。
「これで二日目、だね」
「ああ」
足を止め、次第に薄くなっていく文字を眺める。
残りは十月と八日。気の遠くなるような長さだが、それ以上に気がかりなこともあって、慧乃にきこえるよう呟いた。
「結局何処へ向かっているんだろうか」
慧乃の耳は小さな呟きをきっちり拾ってくれたようで、憎たらしい笑顔を浮かべて語りかけてきた。
「そうだねえ。君は何処へ向かっているんだい?」
予想通りの答えが返ってきたが、笑うことも出来ない。
「何処へ向かってるんだろな……」
ため息交じりに呟くと、慧乃は真剣な眼差しを向ける。
「もしかしてだけれど、結構真面目に悩んでいるかい?」
「何時だって真面目に悩んでる」
それをきいた慧乃は再び笑顔を浮かべた。
「そうだったね。悪かったよ」
「悪びれた様子が見えない」
「だって君がおかしな事を言うものだから」
慧乃は笑いをこらえながらも、下唇に指を当てて何やら考え始めた。
しかし直ぐにその指をぴんっと立てると目の前に突き出す。
「さて、君は何処へ向かっているんだい?」
「それ何周する気だよ」
「何周もさせているのは君じゃあないか。私には、君は既に答えを持っているように見えるよ」
「そんなこと言われたって分からんから尋ねてるんだ」
「そうだろうけど、ね。それなら順を追って話を進めるとしようか」
最初からそうしてくれよと思いながらも、慧乃の提案に頷いた。
「つい昨日、君から同じ質問を受けたと記憶しているのだけれど、これは間違いないよね」
「ああ。間違いない」
「それは確か、ハナちゃんがそんな風に悩んでいる、という話だったはずだよね」
「そうだ」
「でも今は違う。で、いいのかな?」
「ああ」
慧乃の質問に肯定を示す。
あのときはハナの呪いの話だった。だが今は、自分自信の悩みだ。
「念のためきくけれど、昨日別れてからここで再会するまでに何かあったのかな?」
「今朝、登山途中でハナに会った」
「ハナちゃんと――。詳しく教えて貰って良いかい?」
頷いて、今日会った出来事を説明していく。
ハナはいまだ悩んでいること。何処かへ行けば呪いを解く方法が分かるかも知れないが、何処へ行ったら良いのか分からない悩みを抱えていること。ばあさんに相談しに行ったが解決するかどうか分からないこと――
「随分と悩んでいるようだね……」
「お前は今日ハナには――会ってないよな」
「うん。今日は会えなかったよ」
「ハナの呪いについて何か分かったことはないのか」
「さっぱりだね。でもハナちゃんは真面目な子だからね。――真面目すぎるから、少し心配かも」
「だいぶ心配だよ。相当悩み込んでいたようだし、お前の方から何かアドバイスにしろ、出来ないにしても元気づけてやってくれよ」
「――そうだね。今度会ったらね。――君は随分ハナちゃんのことを思ってくれているようだね」
その言葉に顔が赤くなるが、否定する事も出来ず黙っていると慧乃が言葉を続けた。
「それで、君はハナちゃんの呪いをすっかり自分のものにしてしまったようだね。何処かへ行かなければならないけれど、何処へ行ったら良いのか分からない。よくある話、なのかも知れないけれど」
「よくある、ねえ。そうかも知れない。これまで生きてきた中でも同じような問題に知らず知らずのうちにぶち当たってた様な気がする」
「そのときはきちんと答えを出せたのかい?」
慧乃の問いかけに、言葉が詰まる。
そんな様子を見て、慧乃は柔和な笑みを浮かべて言葉を紡いだ。
「出せなかったのだろうね。でも今まではそのことに気がつきもしなかった。それに君は気がついてしまったわけだ」
「気がついてしまった、か」
ハナの呪いを間近にしたことで、今まで気がついていなかった自分の悩みに気がつかされた。
「そう。気がついてしまったばっかりに、君は悩んでいるわけだ。でも考えてごらんよ。逆に今までは、気がつかなかったために悩みはなかった訳だろう? 君は知ってしまった苦しみに囚われているわけだ」
「そうは言っても知ってしまったものを知らなかったことには出来ないだろう」
「そのとおりなのだけれどね」
言い返すと慧乃は頷いて軽く目を瞑る。
何も言わず、しばらくそうして何か考えているようであった。
やがてすっと目を開けて、小さなかすれた声で呟いた。
「何処へ向かっているんだろうねえ」
「最初に戻ったな……」
「うーん。難しい問題だからねえ。ところで話は変わるけれど、君はこの間の、自分を探していた男の人の事を覚えているかい?」
「ん? ああ、あいつか。覚えてるよ」
話を切り替えられて一瞬返答に困ったが、確かにあの男の事は覚えている。
というか忘れることなど出来ない。初めて訪れた人成山で目の当たりにした、人成山の呪いによってたくさんの自分を作り出してしまった男。
「彼の呪いは自分を見つけることだっただろう?」
「ああ」
頷くと慧乃は満足したようで話を続ける。
「彼は無事に呪いを解いたけれど、それがどんな内容だったかは覚えているかい?」
「自分を探す、その主体の自分は何時だってここにいる。余所に自分を見つけ出そうとして彷徨っても見つかりっこないってことだろう?」
「分かってるじゃあないか。だとしたら、君がこれから何処へ向かったら良いのかもなんとなく見当がつかないかい?」
慧乃の言葉を考える。
男の呪いは自分を見つけることだった。
自分の思い描く自分とは違う別の自分が現れて、本当の自分を探していた。でも結局、自分なんてのは今ここにいる自分の他には存在しない。
だとしたら、自分は何処へ向かえばいいのか――今いるこの場所で、良いのだろうか?
「何にせよ、向かえば何もかもうまく行く場所なんてのは、彼で言うところの無数に現れてしまった”自分の思い描く自分の姿”だと思うよ。そんなもの、そんな場所が本当に存在すると思うかい?」
「ない、だろうな」
慧乃の言葉をかみしめて頷いた。
それでも何処かへ向かわなくてはならないとしたら、何処へ向かえば良いのか。
自分は――今ここにいる自分は、一体何処へ向かいたがっているんだ――
「さて、話がだいぶ長くなってしまったね。雲行きも怪しくなってきたしそろそろ帰るとしようかな。まだききたいことがあるのなら部屋できくけれど、どうしようか?」
「いや、いいよ。ひとまずもう一度、自分で考えてみるさ」
「そうだね。きっとそれが良いよ。では帰るとしようか」
新しい悩みを抱えながらも慧乃に続いてアパートへ向かう。
足取りはだいぶ軽くなった。
慧乃に相談したことで気持ちが軽くなった――というよりかは、行き詰まったとき相談できる相手がいることが気持ちを軽くしていた。
慧乃の部屋の前で別れを告げ、自室へ入る。
荷物を下ろすと椅子に座り、背もたれに寄りかかって天井を見上げた。
ぼんやりと天井を見ながら考えをまとめ直す。
何処かへ向かわなくてはならないが、何処へ向かえば良いのか分からない。
この悩みは結局、自分自身が何処へ向かいたいのか分かっていない悩みなんじゃないか。
自分のやりたいことが分からず、自分の向かいたい場所が分からない。自分を見失っている悩みだ。
だとしたら、この悩みの答えは――
答え、と呼んで良いのだろうか。ぼんやりとしてはいるが、何となく目指す場所は見えてきた。
残る問題は、ハナの呪いだ。
自分の悩みと違い、ハナは人成山の呪いのせいで悩んでいる。
呪いを解く方法が分からない。何処かへ行けば分かる気がするが、何処へ向かえば良いのか分からない。
でも到達すれば呪いを解く方法が分かる場所、なんてものが存在するだろうか? 慧乃の言葉によればそんなものは存在しない。
だとしたら、ハナに求められているのは何処かへ向かうことじゃない。
きっと、おそらく、たぶんだけれど、それは自分の悩みと同じで、ハナならきっと答えを見つけられると思う。
一人で見つけられなくても、ハナには慧乃がいる。あのばあさんも、きっとハナの力になってくれただろう。
だから、大丈夫。
そう信じて、今は自分のやりたいことをすべく、財布と鍵だけ持って外へ出た。




