一月目 其の四 自分はどこへ向かっているのでしょう①
見上げるとそこには、雄大な人成山の姿があった。
人成山の呪いにかかった人間のみがたどり着けるという秘境。その登山道の入り口は、何の変哲もない古ぼけた鳥居があるだけだ。
初めて人成山を訪れたあの日から二週間ほど経っていた。
さわやかな初夏の空気も随分と深まり、強い日差しも相まって立っているだけでも額にうっすらと汗が浮かぶ。
時はすでに五月の半ば。天気はうっとうしいばかりの五月晴れで、空には雲一つない。
――絶好の登山日和。
あの日以来、今日この日のため――いや、これから始まる十月十日の登山のために準備を進めてきた。
まずは登山装備の調達。
人成山の登山道は整備されているが、中には危ない道も含むし、天気によっては別の道を通らなければならないといったこともあるだろう。
そのため装備には力を入れた。夏用の登山ウェアに、登山用のブーツ。ザックは大きめのものを用意し、登山中に何があっても大丈夫なよう、必要なものを詰め込んだ。
ザイルや登山用の杖などはザックの外側に取り付けた。
呪いを解くためには山がどんな状況であろうと登らなければならないのだから、準備には念には念を入れた。
住居に関しては、山役所で山民登録をした際に、役員から紹介のあった外層の住居を借りた。古びた木造の二階建てアパートだが、家賃が月二万蘊と安かったのでそこに決めた。
蘊については山民証を発行した際に、準備資金として一〇万蘊支給されていた。何でも、何も持たない状態で人成山に飛ばされた人間のための措置だそうだ。このための蘊は寄付で成り立っているので、生活が安定したら是非寄付を頼むと幾度となく念を押された。
蘊は日本円から換金も可能だし、現物取引でも手に入れることが出来るらしい。人成山では生産できない嗜好品や生活家電なんかは換金レートが高いそうだ。
とにかくお金については支給された分でなんとかして、おいおい稼ぐ方法を考えていくことにした。
さて、いよいよ十月十日に渡る登山の幕開けとしよう。
石の鳥居をくぐり、人成山への第一歩を踏み出す。何が起こってもおかしくはない、呪いの山だ。気を引き締めて挑まねばなるまい。
しかし人成山についても十分な知識を持ち、きちんと準備をしてきたためか気分は軽く、足取りも同様に軽やかだった。
舗装された道をただただ歩くこと二十分。この勢いは誰にも止められないぜ! と思っていたところで、目の前から夏らしい爽やかな格好の少女がやってきた。
その少女はこちらの姿を確認すると、目をきらきらと輝かせて、早足で駆け寄ってきた。
「お兄ちゃん、お久しぶりです!」
少女――ハナは元気よく挨拶してお辞儀をする。
「ああ、久しぶり」
二週間ぶりの再会だ。見知った顔を再び見ることが出来て、不思議と気持ちが和らいだ。
「調子はどうだ? 呪いを解く方法は見つかったか?」
何気なくきいてみたが、質問にハナは表情を曇らせた。
「――まだ、分かりません」
俯いて、小さく呟いた。どうやらこの二週間、悩み続けていたみたいだ。
それでも顔を上げると笑顔を作って尋ねてきた。
「あの、お兄ちゃん。わたしは、何処へと向かっているのでしょう?」
「何処へ、ねえ……」
呪いを解く方法を求めて、何処へ向かったら良いのか。
そんなものその辺に転がっていやしないことは分かっているが、何もしなければきっといつまで経っても見つからない。
だからハナはこうして悩んでいる。
その問いに、自分は何と答えたら良いのだろうか――
「分からん」
「そうでしょうけど……」
きっぱりと言い切ってしまうと、ハナはどんよりとした表情で、また俯いてしまった。
「悪い。――そうだな。とりあえず下山してみるのはどうだ? まだ山の外に出たことないのなら、何か変わるかも知れないし」
特に思いつくこともなく適当に、されど何か目的を与えてやらなければならぬと感じての、苦し紛れの回答だった。
「下山、ですか。そうですね! 一度下まで行ってみようかと思います! お兄ちゃん、ありがとうございました!」
ハナは笑顔に戻ると、元気よく登山道を下っていく。
振り返って手を振るハナに手を振り返し、その背中を見送った。
しかし、二週間悩み続けても答えは出なかったのか。
この二週間、十月十日の登山のため、何を準備したら良いのかと日々悩んでいたが、それは十月十日山に登り続けるという目的があったから悩むことが出来たのだ。
対してハナは、どうしたら呪いが解けるのかを知るために悩んでいる。どうやったら手に入るか不明な、目的の見えない、到達点の分からない悩みを抱えて、ハナはどうやって悩んでいたのだろうか。
少し――いや、だいぶ不安になるが、その辺りはきっと、ハナのお姉さんとやらがうまくやっているだろう。そう信じよう。
石の敷かれた山道を一人黙々と歩く。
青々とした木々に囲まれた、緩やかな上り坂。
そんな道を進んでいくと、中層地区と山頂へ続く登山道の分岐点が遠目に見えてきた。
その分かれ道に立つ大きな看板の下に、見覚えのある女が一人、誰かを待つようにぽつんと立ち尽くしていた。
弓道着のような服を着て、手には身の丈を超える薙刀のような物体を持つそいつは、紛れもなく六宮慧乃だ。
慧乃もこちらに気づいたようだ。満面の笑みを浮かべて待ち構えている。
足を進め、いよいよ分かれ道にさしかかったところで、慧乃は腰に手を当てて胸を張り、薙刀を地面にどんとついて、例の台詞を言い放った。
「ここを通りたければ、この私を倒してからにすることね!」
慧乃の叫び声は、初夏のさわやかな風に乗ってどこまでもどこまでも響いていった。
「一度やった人間はカウントされないんじゃなかったのか?」
「そうなのだけれど、実を言うとね、二週間前に君とあの自分を探していた人にやって以来全く進展がなかったものだから、発声練習も兼ねてやっておこうかなって、ね」
「熱心なこって。いや、ハナはどうした?」
そういえば二週間前、慧乃はハナにはこの台詞を言っていなかったはずだ。少なくとも一つはカウントが進んでいるはずだと問いかけた。
「ああ、それについてなのだけれどね、私はハナちゃんの進む道を邪魔しないって決めたの」
「どういうこった」
何故だと思う? なんて問い返されるかと構えたが、予想を裏切って、慧乃は髪の先を手でいじりながら、ほんの少し顔を朱色に染めて、恥ずかしそうに問いに答えた。
「私はハナちゃんのお姉ちゃんだからね。姉として、ハナちゃんがどんな道を進もうとも、それがハナちゃんの選んだ道であれば私も信じることにしたの」
「姉として、ねえ」
だからと言ってあの台詞をやらないのはなんだかもったいない気がする。
それでも慧乃の考えたことだからきっと何か理由があるのだろう。――いや、ハナの事に関してはこいつ変態丸出しだからもしかしたら何も考えてないかも知れない……。
「そう。だからもしハナちゃんが間違った道を進んでいたときは、君が止めてあげて欲しい」
「変な仕事を押しつけるなよ。そういうことは自分でやるもんだ」
「出来たら良いのだけれど、ハナちゃんに対しては理性的でいられる自信がない」
「変態め……」
きっぱりと言い切った慧乃に非難の視線を向けるが、慧乃はそんなことお構いなしで話を切り替えた。
「それにしてもしばらく会わない間にすっかりと登山家らしくなったねえ。これから日本アルプスにでも登りに行くのかい?」
「まさか。登るのは人成山だよ」
「そうだろうけど。もう何日か登っているのかい?」
「いや、今日からスタートさ。十月十日後、来年の三月末には呪いが解けるはずだ」
「三月末ねえ。なかなか大変そうだこと」
「どうだろう。結局の所、やってみないと何が問題になるのか分からん」
「かも知れないね。君はこれから山頂を目指すのでしょう? もしお邪魔でないのなら、ついて行ってもいいかな?」
口元で少し微笑んで尋ねる慧乃に、二つ返事で了承を伝えた。
「別に構わないさ。どうせ断ったってついてくるんだろう? それに、いくつかききたいこともあるしな」
「それは良かった、是非いろいろときいてくれよ。私に答えられることならいいのだけれど――ちょっと待ってね」
慧乃は持っていた薙刀を看板の支柱へと紐で結びつけると、看板に立てかけてあった手頃な長さの杖を拾い上げた。
「置いていくのか、それ」
「うん。見栄えがいいかと思って作ってみたのはいいのだけれど、山を登るのには少しばかり長すぎてね」
「そうだろうな――っていうかそれ手作りだったんだな」
「こう見えて手先は器用なの。この看板も実は私の手作りなんだよ」
「へえ、そうなのか。役所の人間が作っているのだとばかり思ってたよ」
「山役所といっても基本的にはボランティアだからね。私は裁縫とか工作とかを趣味にしていたものだから、こういう形で登山者の助けになれたらと思ったんだよ。君も、もし誰かのために出来ることがあるのならば、是非やるといいよ」
「そういうのは柄じゃない」
「そうかな。私はそうは思わないけれど」
何故そんな風に思うのか、相変わらず慧乃はいったいどんな思考回路をしているのか察しづらい。
とにかく二人、並んで登山道の方へと足を進めた。
先程途中でやめてしまったが、ハナの呪いについて気になっていた。良い機会だからきいてみようと、まずはハナの悩みをそっくりそのまま慧乃に尋ねてみることにした。
「なあ慧乃。何処に向かっているか分かるか?」
尋ねると、慧乃はその場で立ち止まった。
「そういえば、君は何処へ向かっているんだい?」
予想通りと言えば予想通りの解答だった。見上げるようにしてこちらの顔をのぞき込む慧乃に、無知を装って適当に返す。
「分からないからきいているんだ」
「それはそうなのだろうけれどね。分からないからこそ考えるのではないかな」
どうやら今日も六宮さんはこんな調子のようだ。だけれどもそんな風に突き放すだけではなくて、心配そうな表情を浮かべて、
「どうしても自分で答えが出せないほどに悩んでいるのなら相談に乗るよ」
なんて声をかけてくれるあたり、厳しいだけではないのかも知れない。
「いや、変なことをきいて悪かったな。実を言うとさっき途中でハナに会ったんだ」
「ハナちゃんに会ったのかい? どんな様子だったか、是非教えて貰えないかな」
慧乃の要望に二つ返事で応え、先程出会ったハナの挙動、悩んでいる様子、試しに下山していったことを説明していく。慧乃は相づちを打つだけで、言葉をはさむことなくその説明を最後まできいていた。
「――という訳だ」
「うーん。帰る場所が思い出せない。呪いを解くには何かをしなければいけないのだけれど、その何かが分からない。難しい問題だからそれは悩むだろうね」
慧乃は珍しく俯いて唇に手を当て、何やら思案を巡らせているようだった。
一体こいつは今、どんなことを考えているのだろう。
ハナの呪いが何を意味しているのか、どうしたら呪いを解くことが出来るのか、慧乃は既に答えを出しているのではないだろうか。
「なあ慧乃、結局の所ハナがどうしたら呪いを解くことが出来るのか、お前は見当はついてるのか?」
「え? ごめん。ちょっと考え事をしていたよ。もう一度言ってもらって良いかい?」
「いやだから、ハナはどうしたら呪いを解けるのかだよ」
思案に夢中で質問をきいていなかった慧乃に呆れながらも同じ質問を繰り返した。
すると慧乃は「なんだそんなことか」と言わんばかりの表情を浮かべて、
「さあ、さっぱり分からないよ」
なんて答えるのであった。
「だったらさっき考えていたのは何だったんだ?」
「えーっと、それは……。うーん、恥ずかしいことをきくなぁ……」
一体何を考えていたのか、慧乃は顔を真っ赤に染めて、髪の先を手でくるくるといじる。
どんな恥ずかしいことを考えていたらこんな反応をする羽目になるのかとてつもなく気になるのだが、この様子では尋ねたところで答えてくれそうにない。
「――ともかく、だ。今度ハナちゃんと会ったら私も話をきいてみるよ。実を言うとしばらく会っていなくてね。まさかそこまで思い詰めているとは考えもしなかったよ」
「そうなのか。ま、次会ったときに相談に乗ってやってくれよ。ハナもきっと、お前と話したいと思っているだろうし」
「――うん、そうだね。そうするよ」
慧乃は歯切れ悪く答えたが、特に気にかけることもなく、その後は二人で他愛ない話をしながらゆっくりと山頂を目指し足を進めた。




