一月目 其の三 そのセーラー服の少女は④
「さて、まずはハナちゃんをお家へと案内するとしよう」
「はい!」
慧乃は山役所で貰った簡単な地図を見ながら歩いて行き、大通りから小さな通りに入ったところで足を止める。
「ここだね」
慧乃が示したのは、小さいながらも清潔感のある落ち着いた雰囲気の一戸建てであった。通り沿いにぽつんと一つだけ存在する洋風の一戸建ては、ここだけ異世界なのではないかとすら思わせる。
「2DKでトイレお風呂洗濯機空調完備。部屋は八畳と四畳半。ベッドと布団は後で持ってきてくれるそうだよ」
「至れり尽くせりだな。家賃はいくらだ?」
都心で借りたらなかなか良い値段しそうだと思い尋ねる。
「月二五〇〇〇蘊だね。少し高いけれど、なんとかなるさ」
「二五〇〇〇って――五〇〇〇円じゃないか! これが高いだって!?」
「人成山の家賃はそんなものだよ。しばらくは山役所からの補助金でなんとかして、いずれはハナちゃんも何かしらお仕事をしないとねえ」
「が、頑張ります!」
ハナは一瞬たじろいたが、直ぐに瞳を輝かせて早速家の中へと入っていった。
後を追おうとした慧乃を引き留め話しかける。
「ハナでも働けるのか?」
「大丈夫だと思うよ。私でも何とかやっていけてるからね」
「いや、お前はそうだろうけど――なんとかなるのかねえ……」
どうにも不安が残る。ハナが喫茶店で給仕をしている姿を思い浮かべてみたが、何かしらやらかしそうである。
「綺麗なお部屋です! わたし、このお家気に入りました!」
「それは良かった。流石、一押しの物件だけあったねえ」
戻ってきたハナに慧乃は笑顔で答える。
「後は一人でも大丈夫かな? 一人で不安なら彼を下まで送った後に戻ってくるよ」
「いえ、大丈夫です! お姉ちゃん、お兄ちゃん、今日はいろいろありがとうございました!」
「いや、何もしてないけどな。やったのはほとんど慧乃だし」
勢いよくお辞儀するハナになんだか申し訳なくなって、視線を逸らしてそう誤魔化す。
「そんなことないですよ。お兄ちゃん、わたしに優しくしてくれました」
「そうそう。君は君が思っている以上に誰かの役に立っているよ」
「いまいち素直に喜べない」
「そうかい? 何にしろハナちゃんとはひとまずここでお別れだね」
「はい! 名残惜しいですが、わたし、まずはここでしばらく頑張ってみます!」
ハナは意気込んで拳を握りしめながらそう宣言する。このやる気が続くと良いが、やはりどうも不安が残る。
「その意気だよ。きっとハナちゃんなら大丈夫。困ったときはいつでも相談してね。私も、ハナちゃんの姉として精一杯頑張るから!」
姉、というか保護者のようだ。慧乃は優しくハナを抱きしめて、そっと頭をなでる。
「ま、精々頑張れ。なんかあったら愚痴くらいきくさ。それくらいしか役に立たないだろうからな」
「またまた君はそんなこと言って」
「えへへ、分かってます。お兄ちゃん、口ではそう言うけど、実はとっても優しい人です」
いらん誤解を受けているような気がする。
慧乃のお節介に付き合っているだけで、正直あまり他人とは関わりたくない。特にこの人成山とかいう呪いの山では。
それでも、こうして知り合ってしまった仲だ。顔を合わせたら挨拶位するし、暇なら愚痴くらいきいてやっても良いかな、くらいには思えた。
「じゃあね、ハナちゃん。私はまた明日、様子を見に来るよ」
「はい! ありがとうございます! お姉ちゃん!」
慧乃に別れを告げたハナは外に出てずっとこちらを見送ってくれた。
慧乃もそんなハナに手を振り続けていたが、小さな通りから大通りへ戻るとハナの姿も見えなくなった。
「さあ、次は君の下山だね。安心して、ここから先はほとんど舗装された道だから」
「へいへい」
登ってきたときのことを思い出すが、舗装されてるかどうか怪しいところもたくさんあった。そもそも舗装されているのは坂道であり、要するに階段だ。だいたい切り出した石を使った石段なんかは舗装されているうちに入るのか。まあ野暮な事は言うまい。今までのほぼ土丸出しの道に比べれば、ずっとずっと良い道であることには違いないのだから。
所々で足を休めながらゆっくり下山すると、山の入り口――慧乃と出会った鳥居の前に辿り着いた。早朝に出たはずなのに、日は既に傾いて空は深い青に輝いていた。
「なんとか日が落ちる前に下山できたねえ」
「ああ――おっ、びっくりした!」
ぴこーんと間の抜けた音が弾けたかと思うと、目の前の空間に一日目と横書きの明朝体で表示されたのだ。
「呪いに変化があったようだね。それで、どんな様子だい?」
「ああ、ちゃんとカウントされたみたいだ」
「カウント? ああ、やっぱり何回か登る必要がある呪いなんだね」
「ああ、十月十日の間山に登り続ける呪いだからな」
「十月十日って……」
慧乃はそのまま絶句して、呆然と人の顔を見つめていた。そんな慧乃に抗議するようにしかめっ面を向けていると、慧乃が目を細めて問いかけてきた。
「――十月十日というと、十ヶ月以上毎日山に登るということだよね」
「そういうことになるな」
「それってものすごーく大変ではないのかな?」
「どうだろう」
肯定したくないという思いもあって、返答を誤魔化す。本当は分かってる。本当は……。
「君ね、続けてってことは途中で休めないという事だよ。雨の日も、日照りの日も、それこそ台風や大雪の日も登り続けるという事だよ。これが何を意味するか、考えてみたことはあるかい?」
言われなくたって分かっていたのに、この空気の読めない女と来たら。
「さっき考え始めたところだ。とりあえず、十月十日登山を続けられるように準備を整えるよ」
「いやね――君」
慧乃は出しかけた言葉を飲み込んで、ため息をつくと微笑んで新しい言葉を口にした。
「そうだね。きっとそれがいいよ。十月十日の間登り続けるというのなら、山民登録をして外層に住むことをお勧めするね」
「だな。今日ハナと一緒に行ってくれば良かった」
「全くだねえ。何日か登ることになるだろうなあとは思っていたのだけれど、まさかそんな内容だとは考えが及ばなかったものだから。でもしなかったものは悔やんでも仕方がないよ。装備の用意に体力作り。やることはたくさんありそうだね」
「そのようだな。だがこんな所でくじけるわけにはいかない。絶対に、何が何でもこの呪いを解かないといけなんだ」
「確かドーテイが――」
「待て、軽々しく口にするんじゃない」
「そうだったね」
年頃の女性が平気で口にしてはならない台詞が飛び出してきたので、慌てて制した。
この調子だと何時うっかりハナに情報が漏れるか分かったものではない。今度きちんと釘を刺し直しておく必要がありそうだ。
「では、今日はここでお別れだね」
「ああ、そうだな」
顔を上げるとそこには見覚えのあるバス停があった。今は斜光に照らされて、哀愁を漂わせている。
「今日泊まる場所はあるのかい?」
「近くの町でホテルをとってる」
「それならいいんだ。じゃあ、またきっと会えるよね。もし困ったことがあったら遠慮なく頼ってくれて構わないからね」
「そうだな。何かあったら山で登山者の道をふさいで中ボスごっこしてる変な女を探して回ることにするよ」
慧乃はそんな軽口に対しても微笑んで、是非そうしてくれ、なんて答えた。
見送られながら、バイクにまたがりエンジンを回す。軽く手を振って、そのまま人成山を離れて町へ向かう県道へと入った。
県道は何の変哲もない普通の道だ。不思議なことが起こるわけもない、ただの田舎の山奥の、車の通りの少ない道だった。
先程までいた人成山での出来事が嘘だったのではないかとすら思えてしまう。
だが足は確かに登山のせいで吊るように痛み、今日の出来事は全て本当に起こったことなのだと認識させてくれる。
こうして、呪いを解くため、いや――童貞を卒業するための十月十日の登山。その〇日目は幕を閉じたのであった。




