第90話:深淵の再動
雨上がりの冷気が、王都の夜を静かに湿らせていた。
クロノ・ヴェールの拠点。テーブルを囲み、先ほどの地下調査で得た情報と、リィネが持参した仕入れ控えを照合し終えた室内には、束の間の静けさが漂っていた。
「……ミリス?」
隣に座っていたリゼリアの呟きに、全員の視線がそちらへ向いた。
ミリスが眉をひそめ、念話器として使っていたアミュレットの表面に、そっと細い指先を重ねていた。通信の言葉は聞こえない。だが、ミリスの瞳がかすかに見開かれる。
「……魔力の波動が、静まっていません」
ミリスが顔を上げ、張り詰めた声で切り出した。
「三地点でノードを切断した際、私の魔術で回路の接続状態を直接確かめました。その時に触れた魔力の波動が……今になって、地下の奥深くで再び脈打ち始めているのを感じます」
ミリスの異変察知を受け、リゼリアがテーブルの上に広げられた王都全図へと視線を落とした。
「……三極循環陣の本線は、間違いなく止まっているわ。けれど、切断された回路に残っていた魔力まで、すべて消えたわけではないはずよ」
リゼリアの指先が、北東・南西・北西の三地点から王都の真下へと向かうラインの交点――『古代地下大空洞』を指し示す。
「行き場を失った残存魔力が、地下深くへ流れ込んでいるのかもしれないわ。もしそうなら、中央の装置に蓄積され、再び動き始めている可能性がある」
二人の推測に、バルドが太い腕を組み、重々しく頷いた。
「……つまり何だ。俺たちが三極循環陣側で叩き壊したのは、敵が後付けした外付けの『増幅ユニット』に過ぎなかったってことか」
「……ああ。あれを破壊して三極循環陣のノードを切断しても、装置本体そのものが完全に沈黙したわけじゃなかったんだと思う」
俺の言葉に、ガルドが壁に背を預けたまま短剣の鞘をコンと叩いた。
「現場で見た時も気になってたんだがな。あの古代装置の内部には、魔力を蓄積できるだけの広い空間があった。……三極循環陣側の後付け部材を壊しただけで満足してたら、そこに残った魔力と、新たに流れ込む魔力が何を引き起こすか分からねぇぞ」
「……行くの?」
シィが椅子から立ち上がる。レオンハルトが大剣の帯を締め直し、不敵に口端を上げた。
「行くに決まってんだろ。根っこが残ってんなら、まとめてぶった切るまでだ」
「はい。仕入れ控えに記された未回収部材の行方も、地下深部を調べなければ分かりません」
リィネが手帳を握り直した。
誰一人として足踏みする者はいなかった。
八人は静かに装備を整え、再び王都の地下へと向けて足を踏み出した。
先ほどの激しい地鳴りで完全に崩落し、落石で塞がってしまった本坑の地下道。俺たちはその崩落箇所を避け、シィが見つけ出した脇の古い手掘り通路へと迂回した。
シィが先頭に立ち、不安定な天井や暗闇に隠れた石組みの亀裂を鋭い視線で見極めながら前進していく。
「……ここ、上の石組みが緩んでる。右寄りを歩いて」
シィの短く的確な指示に従い、俺たちは身を低くして狭い迂回路を辿る。
壁面には直前の戦闘で魔力が駆け抜けた焦げ跡が残り、足元には剥落した古い石片が散乱していた。大きな瓦礫が横穴を塞ぐ場所では、バルドとレオンハルトが無言で肩を並べ、巨石を安全な位置へと押し退けて足場を切り開く。
奥へ進むにつれ、地下の空気が目に見えて変質していった。
湿った冷気の中に、肌をチクチクと刺す微かな静電気のような刺激が混ざり始める。腹の底を直接揺らすような、低い地鳴りにも似た微振動。
ガルドが壁面に素手を当て、手触りと振動をたしかめた。
「……ただの崩落の余波じゃねぇ。奥の構造体そのものが、何かを吸い上げて熱を持ってやがる」
ガルドの警告に全員の緊張が高まる中、脇道を抜け切ると、視界が一気に開けた。
冷たく湿った風が吹き抜ける、広大な古代地下大空洞。
その中央に佇む、巨大な古代装置の前に俺たちは再び立った。
「……あ……」
ミリスが息を呑む声を漏らした。
三極循環陣側で破壊した増幅ユニットは、すでに機能を失っている。
だが――古代装置本体の表面。そこに刻まれた幾何学模様の削り出しの溝が、まるで生き物の心臓のように、青黒い光を帯びて一定の間隔で明滅していた。
さらに、装置の側面には古代の意匠とは異なる部材らしき影が見える。だが、まだ距離があり、光も不安定だ。その形状や役割までは読み取れなかった。
――ドクン……。
――ドクン……。
青黒い光が脈打つたび、足元の石組みがかすかに震えた。
「三地点から溢れた魔力が、ここに流れ込んでいます……!」
ミリスが足元に干渉針を突き刺し、過剰な魔力の流入を計測して声を張り上げた。続いてリゼリアが装置の導線配置へ手をかざし、その流路を読み解く。
「逃げ場を失った魔力が、装置の内部へ吸い上げられているわ……! 放置すれば、危険な飽和状態を起こしかねない!」
青黒く明滅するパネルの古代ルーンと、複雑に交差する導線の配置。
それを見つめた瞬間、俺の脳裏の奥底で、前世の記憶が鮮明な映像となって蘇った。
開きっぱなしのノートの18ページ目。黒いインクで描き殴った、あのスケッチ――『三極収束式・魔力励起炉』。
(……似ている……構造の概念が、あまりにも……)
指先が冷たくなり、背中に冷や汗が伝う。
(……いや、動揺するな。俺の妄想と目の前の装置が同じだと決まったわけじゃない。これは、現場で観測した現象を読み解くための仮説にすぎない……!)
俺は手の中のアミュレットを強く握りしめた。
ノートの記憶だけで答えを決めつけるな。目の前の現象と照らし合わせて、確かめるんだ。
そして、青黒い光を放つ古代装置から目を逸らさず、静かに、けれど明確な声で仲間たちへ告げた。
「……みんな。まだ、終わってない」
俺の言葉に、七人の頼もしい視線が一斉に注がれる。
「止めたはずの装置で、何が起きているのか……今度こそ俺たち八人で、完全に突き止めるぞ」
青黒い光の脈動が足元を揺らす中、八人は不気味に揺らめく中央装置へと一歩を踏み出した。




