第88話:残された謎と『言葉』
崩落した奥の地下道を背に、元来た古い通路を辿って地上へ這い出たとき、東の空がゆっくりと白み始めていた。
「……静かだな」
シィが冷えた空気を吸い込みながら、ぽつりと呟いた。
足を止め、改めて王都の街並みを見渡す。地下から響いていた不気味な底鳴りは完全に収まり、肌を刺すような魔力の圧迫感も嘘のように消え去っていた。
「……地下のあの不気味な脈動は、綺麗に収まってるな」
レオンが大剣を背負い直しながら息を吐く。
だが、バルドの太い眉は寄せられたままだった。
「……ああ。だが、安心するのは早いぞ。俺たちが止めたのは、あくまであの中央装置だ。王都全体の安全がこれで確かになったわけじゃねぇ」
「ええ……ですが、少なくとも中央装置の暴走による差し迫った危機は回避できました。今はそれを素直に受け止めましょう」
リゼリアの落ち着いた言葉に、俺たちは静かに胸を撫で下ろした。
王都を直接襲うはずだった大規模な破局――その直近の危機だけは、八人の手で確実に防ぎ切ったのだ。
陽が完全に昇りきった頃、俺たちは拠点の作業場に集まり、地下から持ち帰ったわずかな回収物の鑑識を行っていた。
崩落によって現場の大半は埋まってしまったが、俺が解除工具で叩き外した『外枠の固定片』と、崩れ落ちた金具の破片がテーブルの上に並べられている。
「……ふむ。破断面と固定のツメを見る限り、魔術で焼き切られた跡はねぇな。完全に物理的な手順で解除されて外れてる」
ガルドが倍率のついた拡大鏡を覗き込みながら、固定片の手触りを確かめる。
「石組みへの取り付け跡も見た。古代の装置に、後から取り付けた形跡がある。固定金具の位置や加工跡を見る限り、場当たり的に取り付けたもんじゃねぇ。事前に寸法を合わせ、かなり周到に準備していたようだな」
「はい。仕入れ記録と改めて照合しました」
リィネが厚い帳簿を開き、指先で欄をなぞる。
「この特注金具、ヴァルカ商会が扱う建築資材の正規の取引ルートに、第三者が何らかの形で紛れ込ませていた可能性が高いです。同じ型の予備部材についても、最近の納入記録はありませんでした」
ガルドの現場鑑識と、リィネの物流照合。
二人の検証によって判明したのは、敵が単なる地下の潜伏勢力ではなく、王都の正規の物流を利用できるほどの準備と手回しを行っていたという事実だった。
「……敵は、かなり前から計画的に動いていたってことか」
バルドの呟きに、全員の表情が引き締まる。
やがて議論は、あの実働幹部が去り際に言い残した一言へと及んだ。
「……『三つでは、足りなかったか』……か。あいつ、確かにそう言ってたな」
レオンが腕を組み、不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「三地点から集めた魔力じゃ、まだ足りなかったって意味か? だからあの装置が不完全だったとかよ」
「ですが……」
ミリスが首をかしげ、自分の観測記録を見つめた。
「私が見た限りでは、中央の装置には恐ろしいほどの魔力が集まっていました。もし本当に魔力の『量』が足りなかったのであれば、あそこまで地盤を歪めるほどの圧力が生じたことと、矛盾するように思えます……」
「なら、量の問題じゃねぇのかもな」
バルドが低い声で思考を巡らせる。
「三地点の『三極循環陣』以外にも、俺たちの知らない仕掛けが、王都のどこか……あるいは王都の外にまだ存在しているのかもしれん」
「あるいは、魔力の量や拠点の数ではなく……あの古代装置を本格的に稼働させるための『儀式の段階』を指していた可能性もありますね」
リゼリアの静かな推測に、作業場に重い沈黙が流れる。
レオンの「魔力量」、ミリスの「観測の矛盾」、バルドの「追加拠点」、リゼリアの「起動条件」。
どれも筋が通っているが、今の材料だけではどれが正解かを確かめる術はない。
「……どれも可能性がある。だが、今の俺たちにある手掛かりだけじゃ、答えは出せないな」
俺の言葉に、全員が頷いた。
ひとまず王都の直近の危機は去った。だが、敵の計画の全体像は、依然として闇の中に包まれたままだ。
検証が一段落し、各自が休息やそれぞれの作業に戻った後、俺は一人で自室の椅子に深く身体を寄せていた。
静まり返った室内で、地下大空洞で目にした光景が脳裏に蘇る。
三つの地点から集まる魔力の流路。
中央に鎮座していた巨大な装置。
そして、その側面に強引に追加固定されていた増幅ユニット――。
(……三つの地点を結び、中央で魔力を集め、後付けのユニットで増幅する……)
天井を見つめながら、胸の奥で自問自答を繰り返す。
(似ている。あまりにも似ている……。だが、俺のノートに書いた『三極魔力循環陣』や『大魔術陣の集積核』は、前世の俺がノートに描き殴ったただの妄想だ。こんなものが現実に存在するはずがない……!)
必死に偶然だと自分に言い聞かせる。
だが、否定しようとすればするほど、別の疑問が喉の奥に引っかかった。
(……それなら、どうしてあの構造を初めて見たとき、俺は誰よりも早く『停止させるべき結び目』に思い至った……?)
答えの出ない問いが、頭の中でグルグルと渦を巻く。
認めたいわけがない。自分が高校時代に書いた黒歴史のノートが、この世界の危機と繋がっているなんて、そんな恐ろしいこと。
だが――もはや「ただの偶然だ」と笑って切り捨てることもできなくなっていた。
コンコン。
不意に、部屋のドアが軽く叩かれた。
「おい、ボス。ちょっといいか?」
ドアの向こうから、レオンのフランクな声が響く。
「回収した金具の寸法について、ガルドのオッサンがもう一度話したいらしい。ミリスも待ってるぜ」
「……ああ、今開ける」
俺は一度深く息を吐き、頭の中の雑念を意識して追いやると、椅子から立ち上がった。
解けない謎も、胸を苛む不気味な疑惑も、まだ何一つ消えてはいない。
それでもドアを開ければ、そこにはいつもの仲間たちの姿があった。




