第85話:噛み合う牙
暗闇の奥から忍び寄る足音に、南西旧水路の張り詰めた空気が一瞬で跳ね上がった。
松明の光を背に現れたのは、実用的な作業着を纏った三人の警備工作員だった。手にした短剣と小盾を静かに構え、一定の間合いを保ったままこちらを牽制してくる。
「へっ、たった三人かよ!」
レオンが大剣の柄に手をかけ、踏み込もうと膝を沈めた。だが、その肩をバルドの太い腕が制した。
「待て。出るな。ここは狭すぎる。それに……」
バルドの視線が、敵の足元と水路の壁面を鋭く往復する。
「敵の狙いは俺たちを撃退することじゃねぇ。間合いを測りながら、壁の金属板から俺たちを引き離そうとしてやがる」
「……ん。逃げてない」
シィが物陰から小声で付け加えた。
「敵の目線、ずっと水門の金属板。斬られても、僕たちをあの場所から離す位置に立ち続けてる」
レオンが大剣を引き戻し、舌を巻いた。倒されるリスクを払ってでも、時間を稼ぎ、金属板への接近を阻む立ち回り。
その時、敵の一人が不気味に口端を上げた。
「……刻限だ」
直後、地下の岩盤を揺らす不気味な底鳴りが響き渡る。敵の目的は最初から、時間を稼いでこの『何か』を発生させることだった。
北東――旧大聖堂地下遺構。
激しい打撃音が地下広場にこだましていた。
襲いかかってくる数人の工作員に対し、ガルドは短剣の腹で攻撃を受け流し、時に身を翻して石柱の物陰へ敵を誘導していた。
「おい、そっちへ向かって術を撃つな! この石柱は古代の支持基盤だ、崩れたら地下全体が埋まるぞ!」
ガルドは単に敵を打ち倒すのではなく、古い地下構造の限界を見極めながら、遺構を破壊させない位置取りで敵の増援を足止めしていた。
その背後で、ミリスとリゼリアが金属の接続端子に向き合っていた。
「おかしいです……! 防衛機構は止めたはずなのに、接続端子の溝には魔力が流れ込み続けています!」
ミリスが干渉針を突き刺しながら叫ぶ。リゼリアが端子の周囲に浮遊する魔力の脈動に手をかざし、その極性を読んだ。
「……この大聖堂の地脈から発生している魔力ではありません! 外部……別の二方向から、この端子へ向けて強引に魔力が押し込まれています!」
この場所だけで現象が完結していない。大聖堂の地下は、どこか別の場所から流れ込む魔力の「受け口」に過ぎなかった。
北西――廃貴族邸地下室。
退路となる通路の奥から気配が近づく中、俺とリィネは壁面に埋め込まれた金属板の前に立っていた。
「クロノ様、見てください」
リィネが壁の導線と、持ってきた帳簿の開いたページを指差した。
「この廃邸の地下に持ち込まれた金属部材と導線の量ですが……この地下室に設置されている部材だけでは、帳簿の記録と合いません。記録上は、もっと多いはずです」
「記録上はここにあるはずなのに、現場にはない……? 残りの資材はどこに行ったんだ?」
「……どこかへ運び出されたのではありません。この壁の導線、地下室で途切れることなく、壁の奥へと伸びています」
リィネの言葉に、俺はランプの光を壁の亀裂へ向けた。
太い導線は地下室を通り抜け、暗い岩盤の奥へと続いていた。
使われた形跡のない過剰な資材。壁の奥へ伸びる導線。
そして、三地点で同時に響いた重い振動と、大聖堂に流れ込む不自然な魔力。
脳裏で、バラバラだったパズルのピースが激しい音を立てて組み合わさっていく。
(……この場所だけで使う量じゃない。ここは魔力を溜め込む終点でも、発生させる始点でもない……ただの折り返し地点だ……!)
その瞬間、頭の奥底で、忌々しい記憶の断片が弾けた。
――『三極魔力循環陣』。
かつて前世のノートに黒いインクで描き殴った、三つの節点を円状に繋ぎ、魔力を循環させて威力を増幅させる架空の陣形。
(……ッ!?)
背中に冷や汗が吹き出した。
(……いや、違う! 俺の妄想と同じ構造なんて、そんなわけがあるか! これは……リィネの帳簿と、現場に残された導線の太さから導き出した、目の前の現実の推理だ……!)
俺は必死に過去の妄想を脳裏から追い払い、手の中の念話器を強く握りしめた。
(……みんな、聞こえるか! 自分のいる場所の敵とだけ戦うな!)
念話器を開き、七人へ一気に思考を届ける。
(ミリス、旧大聖堂に流れ込む魔力の方向は!?)
(『北西と……南西です!』)
(シィ、旧水路の金属板はどうなってる!?)
(『……さっきより、熱い。魔力が通り抜けてる』)
(リィネの帳簿でも、三地点に同じ規格の部材が分散して運び込まれていた! ガルドの言った通り、構造も寸法も同じだ!)
ガルドの構造を見る目、シィの観察、バルドの戦術眼、ミリスとリゼリアの魔力解析、リィネの帳簿の記録。
七人が現場で拾い集めた専門のピースが、頭の中で一つに繋がっていく。
(……三つの拠点は、独立して動いてるんじゃない! 同じ規格の部材を使って、三つの場所の間で魔力をぐるぐると巡らせてるんだ……!)
念話器の向こうで、しばし言葉が途切れた。
その時――。
(『……そういうことだったのね』)
リゼリアの呟きが、頭の中に届いた。
(『……うん。やっと繋がった』)
ミリスの返答が続く。
俺は羊皮紙に描かれた、三地点を結ぶ王都の地図を見つめた。
バラバラだった三つの点が、一本の循環する線で繋がっていた。




