第82話:実働幹部の影
資材置き場の裏口から伸びる暗がりの中で、足音が一つ、静かに響いた。
シィの「……クロノ」という声でハッと我に返った俺は、息を殺して風化したレンガ壁の陰へと身を深めた。
地下から上がってきたあの小柄な男とは、明らかに違う足取りだった。重い荷を引きずるような荒さも、周囲を過剰に警戒する挙動もない。無駄のない、静かで均整の取れた歩み。
奥から現れたのは、実用的な黒い作業着を身に纏った一人の男だった。
派手な装飾も、圧倒的な威圧感を放つ魔力もない。だが、男は裏口の脇に置かれた木箱へ歩み寄ると、ごく自然な手つきで蓋の端に指をかけた。
「……この箱、誰か触ったな」
低く、淡々とした呟き。
男は周囲を見回すでもなく、ただ木箱の表面と足元の地面をじっと見つめていた。
地下から戻ってきた小柄な男が、予備の部材を手に駆け寄ってくる。作業着の男は視線だけを向けると、短く言い放った。
「……一つでも欠ければ、次の工程が止まる。手配を急げ」
「了解いたしました」
小柄な男が恭しく頭を下げ、木箱から必要な部材を手に地下へと戻っていく。作業着の男もまた、それを見届けることなく、静かに路地の奥へと姿を消した。
息の詰まるような沈黙が去り、ガルドが低く息を吐き出した。
「……ただの現場監督じゃねぇな。わずかな違和感まで拾ってやがる」
「……箱を触ったって、気づかれた?」
シィが眉をひそめる。だが、俺の視線は木箱の足元に固定されていた。
「……違う。触ったんじゃない。一回動かして、戻したんだ」
俺の言葉に、ガルドとシィが同時に振り返る。俺は屈み込み、木箱の底のラインを指差した。
「箱の脇を見て。泥の境目が二重になってる。それに、ここ……箱の底で土が押し固められた古い跡が残ってるだろ。今の位置から、ほんの数センチズレてる」
「なに……?」
「雨が降る前からずっとここにあったなら、こんな二重の押し跡にはならない。誰かが一度箱を持ち上げて、元の場所に戻したんだ」
ガルドが泥に膝をつき、目を凝らして土の凹みを確かめた。
「……本当だ。古い押し跡が残ってやがる。……おいクロノ、よく気づいたな」
「偶然だよ。それより、この箱の中身……おかしくないか?」
俺は木箱の中に整然と並べられた部材――金具、導線、固定具を見つめた。
「地下で使う部材なら、同じ種類ごとにまとめて運んだ方が効率がいい。なのにこの箱には、必要な部品が『一式』揃えて入れてある。……ここ、単なる保管倉庫じゃない」
俺は念話器を取り出し、地上にいるリィネへ思考を送る。
(……リィネ、聞こえるか。この場所は資材を溜め込む倉庫じゃない。仕入れ先から集めた部材を組み合わせて、各地へ送り出すための『中継点』だ)
(……! だから小口の取引で別々に購入し、ここで必要な分だけ『セット』にして振り分けていたのですね……!)
リィネの納得の念話が届く。ガルドが短剣の柄に手を置いたまま、低く唸った。
「……ってことは何だ。あいつらはここで荷を組んで、地下の別々の場所へ配り直してるってことか?」
「ああ。……あの幹部が言ってた『次の工程』って言葉も気になる。単に地下でコソコソ作業してるんじゃない。順番に部材を運んで、何かを作ってるんだ」
俺の頭の中で、バラバラだった点と点が急速に噛み合っていく。
(……なら、旧大聖堂だけじゃない。南西の旧水路も、もう一つの場所も……全部、同じ仕組みの一部なのか……?)
脳裏をよぎる不気味な予感。
かつて自分のノートに描いた、複数の陣を順番に起動させていく『連動構造』のイメージが、一瞬だけ重なりかけた。
(……いや、考えすぎだ。普通に考えても、巨大な構造を作るなら工程を分けるのは当たり前だ……)
俺は首を振って過去の妄想を振り払い、眼前の現実へと意識を集中させた。
「……ここで敵を叩くのはやめよう。奴らは地下の複数箇所で、何かを進めようとしてる。全員と合流して、作戦を練り直すんだ」
俺の提案に、ガルドとシィが力強く頷いた。
ただの受動的な追跡はここで終わりだ。敵の組織的な動きと『ハブ』の存在を突き止めた俺たちは、次なる全容解明へ向けて静かに路地を脱出した。




